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Last Crown  作者: 香山 結月
第2章 星明かりと瑠璃唐草
198/507

41-2

 サクマと共に、バルコニーの隅に隠されていた階段を下りた。

 夜会の会場内の警備隊の一人に案内されて夜会を抜け出し、人のいない庭の影で鰻重を持って来てくれる人を待つ。樹の下で待つ傍ら、隣で姿勢を崩さず立っていたサクマが口を開いた。


「まさか、アリカ様がウルカ様とお知り合いだとは思いませんでした」

「シンヤさんから聞いていませんでしたか?」

「あの方は、本当のことでも平気で嘘を交えますから」


 主人のシンヤを信じていないサクマを横目に、亜莉香は口元を隠して笑うしかない。


「シンヤさんと、昔馴染みなのですよね?」

「腐れ縁です。元々、私とナギト、それからチアキの家が近くて、よく遊んでいた所にシンヤ様が身分を隠して現れました。そこから人生が変わった気分でしたね」


 後悔の滲んだ声になり、サクマが遠くを見つめた。


「あの日、会わなければ…今とは違った日々を送っていたのだと思います」

「まるで会わなければ良かったと、そんな風に言っているように聞こえますよ?」

「それを思っているのは、私ではないですね」


 亜莉香の冗談に、少し悲しそうな答え。

 意味を問いたくなる前に、誰かの駆ける足音が聞こえた。名前を呼ばれて、思わず一歩踏み出す。


「トシヤさん!」

「アリカ!」


 樹の影から抜け出して、やって来たトシヤに駆け寄る。額に汗を浮かべた顔を覗こうとして、トシヤの両手が背中に回った。抱きしめられて動けなくて、背を伸ばすように上げた踵が地面に着かない。

 驚いた亜莉香の耳元で、トシヤは安堵の息を吐く。


「無事で良かった」

「無事で、とは?」

「奥に消えた後、帰って来なかっただろ?」


 もう一度息を吐き、トシヤが顔を亜莉香の肩に埋めた。


「心配した。先に帰ったって聞いて、追いかけたのが間に合って良かった。夜会に着いたら、すぐに声を掛けてくれよ」

「ご心配をおかけしました。でも、トシヤさんとシンヤさんが、ずっと女性に囲まれているから、私は傍に行けなかったのですよ」


 ずっと、の言葉に力を込めて、不貞腐れるように頬を膨らませた。ゆっくりと顔を向き合わせて見つめ合い、地面に亜莉香の足がついた。

 眉間に皺を寄せたトシヤが納得しない顔をする。


「それ、色目を使っていたシンヤのせいだろ?」

「トシヤさんも女性の視線を集めていました」

「そんなことはない。アリカこそ夜会にいた連中の視線を集めて、奥に消えた後は話題の中心になっていたからな。どこのご令嬢だって」

「私、ご令嬢じゃないです」

「それは知っている。俺もどこかの子息じゃない」


 疲れた表情を見て、亜莉香は笑みを零した。視線を下げて笑い出せば、手を解かずにトシヤも肩を震わせて笑う。

 お互いに笑いが止まらなくて、一部始終を見ていたサクマが傍に寄る。


「トシヤ殿がいるなら、私は不要ですね」

「「あ」」

「誰か来る前に、離れた方がいいですよ?」


 にっこりと付け加えられた一言で、亜莉香とトシヤの頬が真っ赤に染まった。

 慌てたトシヤが引き離して、頭をかいてそっぽを向く。亜莉香は熱くなった頬を両手で包んで、早く五月蠅い心臓が収まるのを待つ。

 忍び笑いが聞こえて、亜莉香とトシヤが同時にサクマを見た。

 口元を片手で隠して、可笑しそうに笑っていた。


「すみません。私はこれで失礼しますね。トシヤ殿とアリカ殿は待ち合わせの方が来たら、部屋まで案内して貰って下さい。私はシンヤ様の元に戻りますので」

「それでここにいたのか」

「トシヤ殿、なんて聞いて来たのですか?」


 サクマが不思議そうに尋ねると、少しだけ頬を赤くしたままトシヤは明後日方向を向く。


「帰ったと聞いて、何も考えずに夜会を飛び出しただけですけど?」

「よくそれで、居場所が分かりますね」

「こっちかな、と直感で」


 しどろもどろの根拠のないトシヤに、サクマは驚いたように目を見開いた。


「野生の勘ですか?」

「そんな感じで…早くシンヤの所に行かないと、ナギトさんに話が振られて機嫌が悪くなっていましたよ」


 さっさと話を切り上げたいトシヤが言えば、心情を察したサクマが一礼してその場を後にした。サクマを見送って、隣で亜莉香はトシヤの顔を盗み見る。


「本当に野生の勘でした?」

「いや、ネモが途中まで案内してくれた」

「納得しました。この近くには川が多いですものね」


 うふふ、と笑えば、トシヤが呆れた声で言う。


「危機感を持ってくれよ。こんな夜に男と二人とか」

「今もそうですよ?」

「それはそう…だけど。そうじゃなくてさ」


 首を傾げた亜莉香が意味を理解しなくて、トシヤはため息を零す。説明は続かず、夜空を見上げたトシヤの袖を引っ張った。


「どういう意味ですか?」

「さあな?」

「じゃあ、後でルカさんとルイさんに聞きます」

「聞いてもいいけど、ルカは絶対に分からないと思う。あとルイには笑われるだけだろうな。簡単に想像出来る」


 むむ、と唇を尖らせた亜莉香はトシヤを見つめた。

 何か教えてくれないかと期待をするが、トシヤは空いていた片手を伸ばして亜莉香の頬をつねって伸ばす。


「…いひゃい、れす」

「懲りたか?」


 つねられたまま、訳が分からず首を傾げる。同じ方向にトシヤは首を傾げて、遊んでいる顔をした。そこまで傷みがないのは、手加減してくれているからだ。

 そっとトシヤの手が離れて、頬を包み込むように触れた。

 真面目な顔になったトシヤが、真剣な瞳で見つめる。


「とりあえず、俺以外の男と安易に二人きりにならないこと。いいな?」

「ルイさんも、ですか?」

「ルイは…まあ、問題ない」

「トウゴさんは?」

「なし」


 即答したトシヤが真顔で、判断基準を考える。

 トシヤが信頼している人間なら、トウゴも含まれるはず。ルイとトウゴの違いはあり過ぎて、どれが当て嵌まるのか皆目見当がつかない。

 疑問を浮かべた亜莉香から手を離して、トシヤが残念そうな顔をした。

 自力で答えを見つけようとする亜莉香は腕を組んで悶々と思考を巡らせ、鈍い、と呟いたトシヤの声を聞き逃した。


 亜莉香の代わりに、警備隊の一人が近づいて来るのにトシヤは気が付く。

 こんばんは、と挨拶が交わされて、亜莉香はそっと顔を上げた。

 警備隊と言えば共通の黒い着物と袴に身を包み、立場の高い人は胸元に飾りを付けている。やって来た男性の胸元では青い宝石が光り、飾りは銀色の瑠璃唐草。

 夜空の下で髪は黒にも見えて、瞳も暗い色。腰には日本刀。


「こちらにいましたか、探しましたよ」


 四十代に見える、いかつい顔とは裏腹に声は親しみが込められていた。


「えっと…部屋まで案内して下さる――?」

「セレストの警備隊の、ニチカと申します。シンヤ様の友人には挨拶をした方が良いだろうと、ウルカ様に直々に頼まれまして。ご注文のあった鰻重四人前はまだ時間が掛かりそうなので、先にお部屋に案内することにしました」

「鰻重?」


 トシヤが聞き返して、礼儀正しい台詞が似合わない男性の顔を亜莉香は凝視した。

 記憶力は悪くないから、見間違えるはずがない。初対面の時は酔った顔で、服装も今とは全然違う。簡潔に鰻重の説明をする男性の正反対の態度に困惑しつつ、酒場での呼び名が口から零れる。


「素敵なおじさん?」


 呆然とした亜莉香と目が合ったニチカの顔が一変して、まずい、と顔に書いてあった。隠すように片手を顔の前に移動して、あからさまに視線を外す。


「いや…初対面、ですよ?」

「そんなことは?」

「語り部の話を教えてくれた、あの酒場の男か?」


 一番の部外者であるはずのトシヤが亜莉香に確認して、反射的に頷いた。言い逃れできないと悟ったニチカは瞼を閉じて、弱々しい声で呟く。


「言うな…頼むから他の警備隊の連中には言うな。俺はあの店を出禁にされているんだ」


 出禁の言葉で、トシヤは呆れた顔をした。

 改めて、亜莉香はニチカを眺める。


「何だか別人みたいですね」

「それを言うなら嬢ちゃんも別人だろ?いやー、遠くから眺めても気が付かなかった。見違える程、別嬪だな」


 開き直るように、顎に手を当てたニチカから礼儀正しさが消えた。

 面と向かって褒められると照れて、亜莉香ははにかむ。似合っているとルイとチアキには太鼓判を押されたが、夜会に来て着物や髪飾りが素敵だと言われても、亜莉香自身を褒めてくれる人は少なかった。

 お世辞だとしても、素直に嬉しい。

 不意にトシヤが亜莉香の右手を握って、少し機嫌の悪い横顔を見た。


「で、部屋まで案内してくれるわけですよね?」

「まあな。それを頼まれて、わざわざ俺は来たわけだ。本性がばれている相手にこれ以上猫被るのをやめるが、そうか嬢ちゃんが噂のご令嬢だったか」


 妙に納得した顔になったニチカに、亜莉香は嫌な予感がした。

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