表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Last Crown  作者: 香山 結月
第2章 星明かりと瑠璃唐草
197/507

41-1

 ウルカが絶品と言った鰻重の意味が、よく分かった。

 炊きたての白米を隠す、旨味の凝縮された鰻の蒲焼。重箱の中で白米と鰻が交互に重なって、甘しょっぱい醤油とみりんのタレが白米に染み込み、山椒を振りかけたふわふわの鰻がよく合う。箸休めの浅漬けも、やっぱり美味しい。

 食欲がなかったはずなのに、思わず箸が進む。

 亜莉香が半分食べ終われば、ウルカは残していた四分の一を茶碗によそった。山葵や刻み海苔の薬味を乗せて、出汁を注いで頬を緩める。


「毎年、この時期の鰻は美味しいのよね」

「絶品ですね」

「そうでしょう?これが楽しみで、私は毎年夜会に参加している程ですもの。足りなかったら、おかわりは如何かしら?」


 魅力的な提案に頷くには、まだ鰻重が残っていた。

 少し考えて、亜莉香は駄目元で訊ねる。


「一緒に来た友人に持って行くことは出来ますか?私だけが美味しいものを頂くのは、何だか申し訳なくて」

「夜会には招待されていないけど、他に二人の友人と一緒に来たのよね?牡丹の騎士から、その話は聞いているわ」


 左手で茶碗を持ち、うきうきとした表情のウルカが言った。

 どのタイミングで一口を食べようか、楽しそうにも見える。亜莉香の手は止まり、首を傾げて質問を重ねた。


「初日に、牡丹の騎士から聞きましたか?」

「ええ、その通り」


 ぱくっと、一口だけ食べて、ウルカが満面の笑みを浮かべた。もう一口食べる前に、きらきらと瞳を輝かせて亜莉香を見た。


「何人分、必要かしら?」

「三…いえ、四人分あると嬉しいです」


 ルカとルイ、フルーヴを思い浮かべた後に、夜会にいるはずのトシヤのことを考えた。既に食事を済ませているかもしれないが、美味しいものは皆で食べたい。トシヤが食べられなかったら、ルイが二人分でも食べてくれるはずだ。

 数についてウルカが追及することはなく、快く承諾する。


「では、急いで用意させましょう」


 もう一口、と頬張るウルカに、亜莉香も鰻重を口に運んだ。

 癖になる美味しさに、箸の止まらない気持ちがよく分かる。最後まで食べるのを我慢して、ウルカは湯呑に手を伸ばした。


「そう言えば、迷える小兎はアンリ様とも顔見知りなのよね?ご健在でいるかしら?」

「お元気だとは思います」


 手紙でしか会えない相手に、曖昧な返事しか言えない。


「そう…では、カリン様は?」


 聞き慣れない名前の相手を思い出すのに時間が必要で、誰か分かっても亜莉香は困った顔をするしかない。

 シンヤとアンリの母親である、ガランスの領主と顔を合わせたことはない。名前は憶えていても、アンリやシンヤから話を聞くことも少ない。踏み込んではいけない話題だと、亜莉香は肌で感じていた。

 何かを探る瞳に、素直に答える。


「私はお会いしたことがありませんので、何とも」

「会ったことがあるのかと思ったわ。牡丹の騎士の友人である、貴女ならね」


 友人を強調して、ウルカは使用人にお茶のおかわりを頼んだ。


「まだ若いのに領主になられた方なのよ。アンリ様が生まれた後に、私がガランスを尋ねて以来お会いしていなくて…あまり思い詰めなければいいけど」


 独り言のようにぼそぼそと、ウルカが言った。

 よく聞こえなかった声が気になりつつ、亜莉香は鰻重を食べる。最後を噛みしめるようにウルカが鰻重を食べると、静かだったバルコニーに誰かの声が届いた。

 若い男性の声に、ウルカは平然とした態度を貫く。

 夜会を隔てるカーテンの傍が微かに騒がしくなり、亜莉香は視線を向けた。


「母上!」


 引き止める声を無視して、眉間に皺を寄せた若い男性が乱入した。

 亜莉香には気付かずに、一直線にウルカの元へ進む。

 ウルカと同じ髪で、透き通る水のような水色の短髪。凛々しい面立ちで、少したれ目の瞳は藍色。瞳の色は違っても、母親であるウルカと並ぶとよく似ていた。

 二十歳を過ぎた次男であり、次期領主のツユの登場に亜莉香は呆然とした。

 箸を持ったまま、目の前の光景を眺める。


「また鰻重ですか!いい加減にして下さい!」

「あら、貴方だって毎年美味しそうに食べているじゃない。一緒にどう?」

「夜会の途中で食べるのをやめろと言っているのです!客人の相手を父上に任せて、一人で休んでいる暇はないでしょう!」

「貴方の父上は快く許可してくれたわ」


 澄まし顔のウルカに、ツユの怒声が止まらない。日頃の恨みが溜まって叫ぶツユに対して、ウルカは始終適当に聞き流していた。

 どうする事も出来ないでいると、ひっそりと貴婦人がやって来た。

 ツユとお揃いの紺青の着物に、瑠璃唐草が描かれていた。ツユの着物は無地で、袴は暗い黄緑色。貴婦人の着物にだけ描かれた花は本物のように綺麗で、帯は白地に大きな花模様。

 儚く美しい、空の色の髪の貴婦人の深い海色の瞳と目が合った。

 気まずい亜莉香に貴婦人は微笑み、あなた、とツユの腕を引っ張った。


「落ち着いて下さい」

「カイリ、今はそれどころじゃ――」

「お客様の前ですよ」


 困った顔の貴婦人、ツユの奥方であり、ウルカの義理の娘。カイリの一言で、食べる途中だった亜莉香をツユが睨みつける。


「どこのご令嬢なのか存じ上げないが、暫し席を外して頂けるか?」

「どこのご令嬢とは失礼よ。この方は、シンヤ様のご友人なの」


 シンヤのご友人、と繰り返したツユの瞳に憐みが浮かぶ。


「あの、シンヤの友人とは災難な」

「年が近いのだから、仲よくなさいよ。そんなことを言うために、わざわざ来たのかしら?時期当主の貴方こそ、そんな時間があるなら客人をもてなしなさい」


 右手を頬に当てて、しみじみと言ったウルカがツユを煽る。

 慌ててカイリが引き止めて、恭しくウルカに頭を下げた。


「お食事の邪魔をして、申し訳ありません。娘のマホリが泣き止まないようで、様子を見るために一時夜会を退出したく参りました。セイハ様一人に任せるのは気が引けまして、ウルカ様にお戻り頂ければと」

「あら、それならさっさと行きなさいな」


 態度を変えて、ウルカは優しく微笑んだ。

 残っていた茶碗の鰻重を見て、一気に口に放り込む。勢いよく立ち上がると、夜会に戻ろうとした亜莉香を制して、傍に寄りテーブルの上の氷の結晶を手に取った。

 亜莉香の髪に触れて、髪飾りが元の位置に戻る。

 領主の奥方らしく淑女を思わせる笑みで、ウルカは亜莉香と顔を合わせた。


「アリカさん、食べ終わったら外に出なさい。これ以上夜会にいても、貴族達に囲まれて疲れるだけでしょう。話は通しておくから、人のいない道で帰れるわ」

「ですが、まだシンヤさん達が夜会にいるので――」

「約束は果たされたのだから、問題ないの。貴方は息子のツユと会って、言葉を交わした。紹介は終わったのよ」


 遮ったウルカが、優しく亜莉香の頭を撫でた。

 懐かしい幼馴染の接し方と、よく似ている。髪が乱れないように手加減されて、心の中で確信が生まれた。


 見た目じゃない。

 その心が、態度が、親子だから透とウルカは似ている。


「ありがとうございます。ご厚意に甘えさせて頂きます」


 言いたくても言えない言葉を飲み込んで、亜莉香はお礼を述べた。

 ふっと笑みを零したウルカが頷いて、颯爽と踵を返す。

 その後に続いて、不機嫌な表情を一瞬で消したツユと、亜莉香に一礼したカイリがいなくなる。出て行く前にウルカが使用人を呼び、バルコニーに一人だけになった。


 残っていた鰻重を見て、箸が止まった。

 食欲より、沢山の疑問が浮かぶ。どうして二十年前に透が姿を消したのか。護人だとウルカ達は知っていたのか。当時の透は何を考えていたのか。

 何か知っているはずの水の精霊の名前を呼べば、答えは分かるかもしれない。

 それでも、と小さく呟いて、星空を見上げた。

 明日には、本人に会って今までのことを聞き出せる。透にしか分からないことも含めて、聞くべき相手は水の精霊じゃない。

 結論に辿り着いて、亜莉香は残りの鰻重を茶碗に移すことにした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ