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Last Crown  作者: 香山 結月
第2章 星明かりと瑠璃唐草
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40-5

 ウルカ・ラメール・ミロワールという女性は、セレストの領主の奥方である。

 警備隊に紛れた、一輪の花として名の知れた貴族の令嬢だった。その勇敢さと美しさに現領主のセイハが目を奪われ、熱烈な求婚をした。

 お互いに惹かれ合うのに時間はかからず、若くしてウルカは嫁ぐ。

 長男を早々に産み、十二年後に次男であるツユを生んだ。その数年後に長男は行方不明となり、悲しみに打ちひしがれた家族を健気に支えた。領主の右腕として日々を支えて、長男を生んだ時に警備隊から身を引くも一時は復帰して、社交の場では淑女として貴族の憧れの的となる。

 御年、六十近く。

 透き通る水のような白に近い水色の髪を、色鮮やかな露草の髪飾りで一つにまとめている。華やかな深い緑色の着物に露草の花が咲いて、金の縁取りの灰色の格子柄の帯。晴天を表す着物を羽織って、白い足袋と上品な光沢のある黒い草履。

 最初に会った時に何故気付かなかったのかと、椅子に座った亜莉香は目の前の女性を盗み見る。目が合って、慌てて両手で持っていた湯呑を口元に運んだ。

 一息ついた亜莉香に、ウルカが申し訳なさそうに話し出す。


「ごめんなさいね、私の主催の夜会で、迷える小兎を不快な思いをさせてしまって」

「そんなことはありません。ちょっと驚いただけで」

「そうよね。初めての夜会であれだけ囲まれたら、誰だって驚くわ。その黒髪で人目を引くとは思っていたのだけれど、お洒落な迷える小兎を誰も放って置けなかったのね」


 湯呑に入った緑茶で喉を潤し、ウルカが微笑んだ。

 改めて、亜莉香は自分の格好を見下ろす。

 高級な純白と深紅の牡丹の着物に身を包み、黒にも見える濃紺の無地の帯を合わせた。帯揚げは薄紅で、白の帯紐に露草の帯飾り。金色の小桜の半襟と、濃い桃色の伊達襟。足元は赤い着物と馴染むように、白い足袋に赤い鼻緒の草履。

 チアキが気合を入れて髪を結い、白いリボンを加えた三つ編みを、首の後ろで一つにまとめている。肩の近くでリボン結びをしたので、動くと両端の金属の装飾が揺れる。まとめた髪には簪を挿し、リボンには氷の結晶である髪飾りを付けていた。

 落ちた氷の結晶は、テーブルの上に。

 後で直すと言われて、両手で握りしめていた氷の結晶を提出したのは先程。

 顔を上げて湯呑をテーブルに戻す。姿勢を正した亜莉香は緊張しながら訊ねる。


「精一杯のお洒落をしてみたのですが、おかしな所はありませんか?」

「素敵よ。一緒にいた使用人が選んでくれたのよね?」

「…はい」


 最終的な判断は、亜莉香が下した。ルイは派手な物を選ぶ傾向が強くて、チアキは優柔不断であれこれ言い出すと決められなかった。

 夜会でのご令嬢の姿を思い出して気持ちが沈むと、空気を読まないお腹の音が鳴った。

 小さくてもウルカには届いた音に、頬を赤くした亜莉香は顔を下げる。


「すみません」

「あらあら、仕方がないわ。夜会に来てから何も食べてないのでしょう?待っていて、もうすぐ絶品が届く予定なの」

「絶品ですか?」

「鰻重」


 一言で済ませたウルカに、亜莉香は驚いて繰り返す。


「鰻重ですか?」

「夜会の料理が良かったかしら?私はいつも夜会の途中で鰻重を食べないと、不思議と最後まで頑張れなくて。他の料理も用意させましょうか?」


 首を傾げたウルカが、カーテンの付近で控えていた使用人の女性を軽く呼ぼうとする。慌てて亜莉香が引き止めて、鰻重以外の料理は遠慮してもらう。

 まだ食欲が湧かなくて、鰻重も食べられる気がしない。

 テーブルの上の湯呑が温かい。亜莉香は息を吐くと、ウルカを真っ直ぐに見据えた。


「どうして、氷の結晶が壊れたのかお聞きしてもよろしいですか?」

「勿論よ。あれは私の魔法で作ったもの。だから私が力を加えて、氷の一部を溶かしただけのこと。一夜限りのお守りと言ったでしょ。明日には魔法は解けるし、もしもの場合は私の目の届く時に壊そうと思っていたの。貴女が困っている時に手助けする合図としてね」

「ずっと私を見ていたのですか?」


 驚きを隠せずに言えば、ウルカは首を横に振った。


「夜会に入ってから、気にかけていた程度ね。貴女は気付いていなかったようだけど、私は立場上、会場を見渡せる席にいた。いつ見ても、あまり場所を移動しなくて、人に囲まれていたでしょう?そろそろ頃合いかと思って、余計な手助けだったかしら?」


 微笑んだウルカに、亜莉香は唇を噛みしめてから即答する。


「いいえ、ありがとうございました」


 頭を下げると、顔を上げなさい、と優しい声が降り注いだ。ゆっくりと顔を上げて、ようやく笑みを浮かべた亜莉香は言う。


「私のことを、気付いてくれる人がいるとは思いませんでした」

「お気に入りの子のことは、ちゃんと気にかけるわ」

「お気に入りですか?ですが、私は今日だったばかりで…どうして私をこんなに気にかけてくれるのですか?」


 うーん、と唸った女性が小川に視線を向けた。


「息子に、似ているのよ」

「ツユ様に?」

「いいえ、長男のことよ。馬鹿みたいな話だけど、貴女を一目見た瞬間に、息子の面影が見えた気がした。年寄りの戯言だと思って、聞き流して頂戴」


 そっと囁いた声を、そう簡単に聞き流せない。

 行方不明になった長男の話を聞きたくて、亜莉香は遠慮がちに問う。


「どんな息子さんでしたか?」

「そうねえ」


 言いたくなかったら聞かないつもりだったが、ウルカは亜莉香に視線を戻した。じっと見つめた瞳が、別の誰かの姿を映す。


「優しい子、だったのよ。どんな時でも笑って、周りを笑顔にさせていたわ。私に似て悪戯好きで、水の魔法で自由自在に遊んでいた」


 だから、と視線が下がった。


「あの子が湖に行って帰って来なかった時、死んだとは思えなかった」

「湖は、エトワル・ラックのことですか?」


 悲しそうに微笑んだウルカが頷いた。


「そうよ。あの湖で、あの子は消えた。近くには馬がいて、ほんの少し前までその場にいたようなお茶会の支度までしてあった。あの子、いつも一人で出掛けてお茶をしていたから、そのうち帰って来ると思っていたのに――いなくなった」


 星空を見上げたウルカが、息を吐き出す。


「時々、一人で考え込んでいる姿を見ていたの。何でもないと笑う息子を、私はちゃんと見ていなかった。もう二十年前の話なのに」


 二十年、と言う単語が亜莉香の心に引っかかった。

 たった一つの言葉が喉に詰まって、声が出ない。


 血の気が引いた亜莉香の僅かな異変に気付かず、ウルカの傍に使用人の一人が近づいた。失礼しますと言って、出来立ての鰻重をテーブルに並べる。

 話が中断して、美味しそうな匂いにウルカは瞳を輝かせた。

 いそいそと箸を手に取るウルカは亜莉香を見ずに、明るく言う。


「皆が腫物を扱うみたいに、その話題を避けたから。久しぶりに息子のことを話したわ。この話はやめて、ご飯にしましょう」


 ね、と顔を上げたウルカに言われて、何とか微笑んだ亜莉香は頷いた。

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