40-4
ロイの迎えがあって、亜莉香は馬車に乗った。
ルイの妨害で疲れたチアキを置いて行くのは気が引けたが、馬車に乗るのは亜莉香だけだと背中を押された。トシヤやシンヤは先に向かったと言われて、夜会の会場前でサクマが待っていてくれた。
正装、とも言える黒い着物と袴姿のサクマと共に、重々しい石橋を渡った。
その先が、煌びやかな夜会の会場。
温かな灯りに包まれた夜会は、会場全体が温もりのある深い青のカーテンに包まれていた。真っ白なテーブルの上には色鮮やかな料理やお菓子が並び、着飾った貴族は皆ワイングラスやティーカップを片手に語り合う。
水花祭りに因んで、どこに目を向けても花が活けてある。
青い花が多く、瑠璃唐草や勿忘草、露草などが咲く。それ以外の色とりどりの夏の花も咲き乱れて、華々しい夜会に圧倒された。
サクマに案内されて、亜莉香は真っ直ぐにトシヤとシンヤに合流する。
そのはずが、途中で貴族のご令嬢やご子息に捕まった。肩が触れた程度の挨拶から始まり、素敵な着物や髪飾りだと褒められるのは嬉しい。愛想笑いを作って、すぐにその場を離れたかったのに一足遅かった。
次から次へと入れ替わり、貴族との挨拶が続く。
何とか貴族の真似事の振る舞いをして、その場を凌ぐ。シンヤの家名である、フラム・ミロワール家の家紋の刀を持つサクマが傍に居ると、知り合いだと一目でばれた。
シンヤと関わりのあるご令嬢、で亜莉香の立場が浸透していく。
せめてトシヤとシンヤの傍に行きたいのに、全く動けない。
救いはサクマが笑みを浮かべて、始終傍に居て対応を手伝ってくれること。一人だったら回れ右して、夜会から逃げ出したに違いない。
人の壁に押されて、気が付けば壁側にいた。
人混みの隙間から探していた二人の姿を見つけるのは容易く、その周りには沢山の女性。皆が精一杯着飾り、可愛く綺麗な若い女性に囲まれているシンヤが目立つのは分かっていたことだけど、その隣にいたトシヤにも若い女性の熱い視線が集まっていた。
トシヤは見慣れない杏色の着物に、深く上品な琥珀色の袴。
落ち着いた茶色の髪を、深紅の髪紐で後ろ髪を結っている。いつもより髪を綺麗にまとめていて、腰には手放すことのない愛刀。堂々とした態度で、愛想笑いと分かっているが微笑んでいる姿は様になる。
隣にいるシンヤと並ぶと、二人がとても遠い存在に見えた。
普段から気品が溢れるシンヤは、朱色の着物に濃い灰色の袴を合わせていた。刀は身に付けていない。どのご令嬢にも礼儀正しく接して、人目を引く容姿端麗の笑みの威力が凄まじい。笑いかけられただけで、どのご令嬢も頬を赤くする。
その一歩後ろに控えるナギトはサクマと同じ格好で、無表情を貫いていた。
サクマと違って、会話に加わる気配はない。亜莉香とサクマの様子に気が付いた気配もなく、それはトシヤとシンヤも同じだ。
近づけもせず、そもそも近づいていいのか。足が地面に張り付いてしまった。
ルイとチアキには自信を持つように言われたけど、段々と頑張ったお洒落に自信がなくなる。トシヤとシンヤの傍に居る若い女性が可愛くて、亜莉香は足元にも及ばない。
午前中のお茶会で、氷の女王が言っていた意味がよく分かった。
夜会でのご令嬢は、誰もが可愛く美しい。
場違いな気持ちが湧いて、夜会を楽しむ余裕はない。気楽に過ごすなんて程遠く、今は何を食べても美味しく感じないだろう。
近くにいた誰かに、飲み物を聞かれて軽く首を横に振った。
その時に、小さくもガラス割れる音がした。
振り返れば足元に氷の結晶が落ち、その一部が欠けている。髪飾りとして身に付けていた氷の結晶が、簡単に落ちるわけがない。
不思議に思い、亜莉香は氷の結晶を拾おうとした。
すかさずサクマが耳元に顔を寄せ、小さく呟く。
「アリカ様、私が」
「あ――お願いします」
小さく言い返せば、サクマは氷の結晶を手に取った。髪飾りが壊れたおかげで、話が中断した。どうしますか、とサクマに差し出された氷の結晶をまじまじと見る。
欠けた一部は小さく、氷の結晶の裏側の輪に破損はない。
輪には白いリボンを通して髪に付けていたはずで、その白いリボンは床に落ちていない。確認出来ないが髪型はそのままで、氷の結晶だけが床に落ちた。
ひとまず髪飾りを直すために、その場を離れようと思った。
亜莉香が退出を申す前に、近くにいた人々が口を開く。
「良かったら、別の髪飾りを贈りますよ?」
「私の手持ちに髪飾りがありますので、今すぐ使用人に持って来させますわ」
「いやいや、それくらいなら直せますよ」
ご令嬢もご子息も入り混じった会話になって、亜莉香は呆然とした。
どんな理由があって、皆が気遣ってくれるのか。あからさまに亜莉香と関わろうとする空気を感じて、何か裏があるのではないかと疑う。
私が、と口々に話す人達に耐え切れず、亜莉香は作り笑いを忘れた。
「失礼します」
歯止めの聞かない空気を割くように、一人の男性が聞こえた。
反射的に返事を返すと、騒がしい声が静かになる。近くにいた人々が道を開けて、声をかけた男性が亜莉香の前に出た。
ミスズ様、と誰かが言った。
サクマが安堵した息を吐き、亜莉香は瞬きを繰り返す。
黒い袴姿はサクマと似ているのに、その着物の胸元で綺麗な飾りが輝いていた。露草の、中心に小さな青い宝石が煌めいた飾りが美しい。
三十代前半に見える、温厚で優しい藍色の眼差し。腰まで伸びた真っ直ぐな、瞳より明るい藍色の髪。背筋を伸ばして、腰には二本の日本刀を下げている。その腰の日本刀の家紋は見覚えがある、瑠璃唐草の紋章。
格好からして貴族と言うより、警備隊の一人。
周りが様付けをすることから予測して、警備隊でも立場が高い人。
言葉を失う亜莉香を、男性は真っ直ぐに見た。
「お話し中に申し訳ありません。ウルカ様が探しておりまして、お時間よろしいですか?」
「…私を、ですか?」
「ええ。今からご案内します。皆さんは、このまま夜会をお楽しみ下さい」
周りにいた人々に声をかけて、男性は亜莉香の右手を差し出した。サクマと視線を交わせば、大丈夫だと伝えるように無言で頷く。
おそるおそる手を添えると、男性が歩幅を合わせて歩き出した。
歩くたびに、周りのざわめきが聞こえる。男性は人混みを抜けると早々に手を離して、亜莉香の前を歩いた。後ろにはサクマが付いて来て、話しかける人は誰もいない。
寧ろ遠巻きに眺められて、男性が小さく話し出す。
「大変でしたね。あれだけ囲まれて、誰が何を話しているのか分からなくなるでしょう?」
「いえ、それは…そうとも言えるのですが」
「皆、シンヤ様と関わろうと必死ですから。あの方に近づくには、ご令嬢が邪魔することが多くて。そこで目を付けたのが、貴女だったのでしょう」
正直に答えた亜莉香に、男性が説明を続ける。
「本人に近づくより、まずはその近くから。いやはや浅はかな考えの者が多くて、ウルカ様が始終心配しておりました」
「私のことを、ですか?」
「勿論です。その氷の結晶が欠けたら助け出すように、私に命じられておりましたので」
驚いたサクマの声に一瞬だけ振り返った男性は、すぐに前を向いて何てことなく言う。
「ウルカ様が、それをお渡しになったと聞きました。間違いありませんよね?」
亜莉香に対しての質問に、頷くのに数秒必要だった。
サクマの何か言いたげな視線を感じつつ、男性は会場の奥へと案内する。壁に沿って緩やかな傾斜を上ると、カーテンの隙間に隠れるように存在するバルコニー。
傍に控えていた警備隊に会釈して、亜莉香だけが進むように促された。
星明かりで、ひっそりと丸いテーブルと丸みを帯びた木製の椅子が二脚。その片方には先客がいて、流れる小川を眺めていた。
亜莉香の足音が止まり、女性が振り返る。
氷の女王、と呟いた亜莉香に、ウルカが満面の笑みを浮かべた。




