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Last Crown  作者: 香山 結月
第2章 星明かりと瑠璃唐草
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40-1 星鏡泡沫

 湖から吹いた爽やかな風に、亜莉香は髪を押さえた。

 広大な湖はひっそりと存在していて、どこまでも続いているように見える。透き通る青い水の透明度が高くて、太陽の光が注がれてきらきらと輝いていた。湖の遠くには緑の山々が連なり、晴天の空に雲一つない。

 浅瀬は膝ぐらいまでの深さ。暖かな日差しの下での水遊びは楽しそうだ。


 静けさのある湖で、水の跳ねる音がすれば涼しさを感じるが、生憎後ろから聞こえるのは楽しそうなシンヤの声と、そのシンヤをたしなめるチアキの声。勝手に触らないで下さい、と怒る声が聞こえて、亜莉香はそっと振り返った。


 湖がよく見える木陰の下に、お茶会の準備が整いつつある。

 悠々とシンヤが椅子に腰をかけ、チアキがテーブルにお菓子とお茶の用意をするのを邪魔していた。本人にその意志がなくても、勝手に場所を移動させられたチアキは苛立ちを露わにしている。

 近くでロイが馬たちを宥めて、傍観者顔でにこにこしていた。

 お菓子をつまみ食いしたシンヤが、軽く片手を上げる。


「アリカ殿、そろそろ準備が整いそうだ」

「まだです!勝手に食べないで下さい!あ、もう!それはそっちじゃないですから!」


 ぶつぶつと文句を言ったチアキが振り返り、亜莉香と目が合うと微笑んだ。


「アリカ様、良かったら椅子に座ってお待ちください。すぐに支度を整えますので」

「その愛想を主人に見せてもいいのではないか?」


 シンヤの独り言は聞き流され、お菓子に伸ばされた手を叩かれた。まるで盗み食いをする子供と、それを見つけて怒る母親のような構図。

 シンヤを一人にするとチアキが大変そうで、亜莉香は木陰に移動した。


 用意して貰った椅子は組み立て式だ。深く座っても頑丈な作り。テーブルも同じく組み立て式で、どちらも馬車に乗せて持って来たもの。

 淡い水色のテーブルクロスの上には、既にほとんどの用意がしてある。

 白地に露草の描かれたティーカップとソーサー、お揃いの大きめのティーポット。金色の上品なケーキスタンドには、下から順に桃ジャムを挟んだサンドイッチ、瑞々しい桃のタルト、こんがり焼けた花の形の焼き菓子などが置いてある。

 テーブルの中心の小さく平らな皿には、本物の露草が水に浮かんでいた。

 前日に湖の話をしただけでお茶会が始まる事態に、予想以上の行動を起こすシンヤに驚くべきか。無理難題を言われても難なく準備をするチアキに驚くべきか。

 まだ手を付けずに、両手を膝の上に乗せたままの亜莉香はおそるおそる口を開く。


「あの、昨日の今日で色々と迷惑になっていませんか?」

「全く問題ない。この時期は祭りに集まった連中も部屋で休んでいて、今頃部屋でお茶でもしているだろう。わざわざ何もない湖を見に来る物好きはいなくて、静かにお茶会をするには丁度いい」


 淹れたての紅茶に手を伸ばして、シンヤは軽く言った。

 傍に居たチアキが亜莉香のティーカップに紅茶を注ぎながら、それに、と付け足す。


「前日にお話を聞けましたので、準備はそれほど大変ではありませんでした。シンヤ様の場合、当日直前のお茶会が多いですので」

「お茶は飲みたいときに飲むのが、一番美味しいだろう?」

「そう言って、ここ数日で何度私が迷惑を感じたことか」


 ため息をついたチアキに紅茶を勧められて、亜莉香はお礼を言ってティーカップを手に取った。癖のない匂いの紅茶は甘くなく、すっきりとした味だ。両手で包み込んでいたティーカップをそっとテーブルに戻して、少し肩の力を抜く。


「何だか私達だけ贅沢しているみたいで、申し訳ないですね」

「そうか?あれでサクマは面倒を見るのが好きだから、トシヤ殿に教えるのは楽しそうだったぞ?それにナギトはセレストに来る度に書庫に籠るから、ルカ殿と共に食事を忘れて本に没頭しているだろ。まあ、部屋から出られないルイ殿は仕方がない」


 うん、と頷いて、シンヤはまた一口紅茶を飲んだ。ルイに部屋から出るなと命令を下した本人であるチアキは何も言わず、無表情を通して一歩引いて控える。

 本来ならシンヤの傍にはナギトかサクマがいるはずが、湖に行くに当たってはどちらもいない。サクマは元々トシヤの乗馬の練習に付き合う予定で、ナギトはルカが書庫に行くと聞いて相当羨ましがった結果、シンヤの護衛をチアキとロイに回した。

 亜莉香はロイに、湖まで連れて行って貰えないかと頼んだだけのはず。

 それが話を聞いたシンヤが意気揚々とお茶会を企て、今に至る。

 おそらく暇な時間を過ごしているのはルイで、一人部屋で休んでいる。フルーヴを置いてきたので遊び相手をしているかもしれないが、魔法で怪我が完治しているとは言え、まだ暫くは安静でいて欲しい。

 それにしてもと思いながら、亜莉香は首を傾げた。


「ナギトさんは、そんなに本がお好きなのですか?」

「まあな」

「あれは本の虫ですよ」


 呆れた声でチアキが言い、シンヤは小さく頷いてサンドイッチを手にした。


「あいつは昔から、本に齧りつく勢いで黙々と何時間も読み続ける男だ。セレストの書庫は宝の山だと言っている」

「私は行ったことがないのですが、広い書庫なのですか?」

「蔵書数は二十万冊程度、だったかな?」


 曖昧にシンヤが答えるが、二十万冊の本の量が皆目見当がつかない。どんな書庫なのか想像も出来なければ、チアキが淡々と説明を始めた。


「川辺にある建物一つが書庫で、二階建てになっています。黒い屋根が目印になっていて、一階には歴史や郷土の本が、それ以外の本は二階に、上から下まで本の詰まった書庫です。あまり人は多くありませんが、建物の外には休憩する場所もありました」

「詳しいですね、チアキさん」

「何度かナギトを迎えに行きましたので」

「迎えをやらないと、帰って来ないからな」


 紅茶を口に運んで、シンヤは湖に目を向ける。


「どうせ今日も、誰かが迎えに行かないと帰って来ないのだろう」

「仕事を投げ出していなくなるシンヤ様と同じですね」

「何気に私への不満を混ぜないでくれないか?」


 さり気ない一言で、図星を言われたシンヤの首は動かなくなった。

 後ろにいるチアキを見ないようにするシンヤと同じように、亜莉香も湖を眺める。木陰から眺める湖も一段と美しく、亜莉香はティーカップに手を添えた。

 無意識に微笑んでいた亜莉香を横目に、シンヤがそっと話し出す。


「それで、ルイ殿とルカ殿は仲直りしたのだな?」

「はい、そのようです」

「何が原因だったのだ?」

「それは本人達の問題ですので、私は存じ上げません」


 はっきりと言い、昨晩のことを思い出して笑いそうな顔を引き締めた。

 亜莉香の言葉をそっくりそのまま、ちょっと色々あってね、の一言でルイは済ませたのだ。ルカは何も語らず、トシヤは少しだけ不満そうだった。それはほんの少しの間で、セレストに着く前の空気にようやく戻った。


 穏やかな時間を過ごして、幸せを噛みしめる。


 今朝になって、見舞いの品を持って来たシンヤと、寝間着姿のルイが顔を合わせた。亜莉香を迎えに来たついでとも言ったシンヤは、その場にいたルカとの間の空気が変わったと気が付いたはずだ。それはきっと、シンヤ以外の人も同じ。

 本人達を目の前にして、その話題を口に出さない。

 今更、野暮なことは聞かない。

 それは暗黙の了解だ。

 手にしていたティーカップを亜莉香は口に運び、にこやかな笑みを浮かべた。


「何かあったのは確かですが、お二人が幸せそうなので十分です。くれぐれも余計な詮索はしないで下さいね」

「そう言われると、逆に詮索してみたくなるが?」

「それなら私が全力で阻止してみせます」


 無理かもしれないが、と心の中で付け加えた。

 空気も読まずにシンヤなら話しかけて、ルイの反発心を買う。ルカは何も言わずに黙り込んで睨みつけ、それを止めるのが亜莉香やトシヤの役目かもしれない。

 勝手な想像をしながら紅茶を飲み、ほっと息を吐いた。

 何も言わない亜莉香に対して、シンヤは他愛のない話を始める。それは本当にありふれた、日々の暮らしや街の様子の話。ガランスにいるはずの人達の話で、甘く優しいお菓子と温かな紅茶を楽しんだ。

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