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Last Crown  作者: 香山 結月
第2章 星明かりと瑠璃唐草
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39-2 Side留依

 懐かしい誰かの呼ぶ声が、ルイには聞こえた。


 その声は幼いルイを導いてくれた人の声かもしれないし、母親のように接してくれた人の声だったかもしれない。とにかく優しい声に引き寄せられそうになって、泣いている女の子の声で我に返った。


 ずっと昔に泣いていた、ルカの声に似ていた。

 泣かせたのはルイだ。遊んでいる途中に木から落ちて意識を失っただけなのに、目が覚めた時にはルカがわんわん泣いていた。そもそも競争心が芽生えて無茶をしたのはルイの方で、止めようとしたルカが泣く必要はなかった。

 死んだと思ったと、ルカは泣きながらルイの手を握りしめていた。

 後にも先にも、これほど印象的なルカの泣き顔はなかった。

 泣き虫小僧といつも馬鹿にされていたのはルイで、ルカは滅多に泣かない子供だった。少なくとも人前で泣く子供ではなく、初めてルカが泣いているのを見た時は心底驚くと同時に、笑っている顔が好きだなと思ってしまった。


 幼いながらに自覚した恋心は傍目には気付かれても、本人には全く気付かれない。

 意識されずに月日だけ流れたが、誰よりも傍にいる努力はした。

 ルカの両親が亡くなってからは時間を見つけては会いに行き、護人を探しに行くと言えば勝手に付いて行った。もう泣かないように見守って、誰よりも強くなろうと決意したのはルカがいたからだ。


 誰よりも大切な人で、かけがえのない女の子。


 一緒に過ごした思い出が走馬灯のように浮かんで、心が温かくなる。

 幼い頃は二人で読み書きや馬の乗り方を習い、近くの小川で日が暮れるまで遊んだ。イオやフミエと一緒に鬼ごっこやかくれんぼもしたし、ヨルを困らせてこっぴどく怒らせたこともあった。


 それなのに、と心がざわついた。

 ここ数年は目まぐるしく、騒がしくて賑やかな日々が続いた。新しく住む場所を見つけて、友人が出来て、ルカの笑顔が増えていくのが目に見えて分かった。過去を受け入れて前に進んでいく姿は眩しくて、段々と光指す場所に一人で歩き始めた。


 その変化を喜ぶべきなのに、素直になれない感情を持て余した。

 ルカにとって大事な人が増えていく度に、居場所が奪われる気がした。誰よりも傍に居たいと望んだのは、ルイの独りよがりの感情だ。

 積もり積もった感情の結果で喧嘩して、ルカを傷つけた。

 離れたくなかったくせに顔を合わせられなくなって、巻き込んだ大事な友人を守れずに手を離した。どうか無事でいてくれと願う一方で、薄情にもその手がルカでなくて良かったと安堵した。


 隣に居ると約束した日は遠い昔の話で、ルカはきっと覚えていない。

 例えルカにとっての誰よりも大切な相手になれなくても、喧嘩別れはしたくなかった。昔から変わらず、名前を呼んで笑顔を見せて欲しい。

 もう一度と、心から望んだ。


 瞳から涙が零れて、見慣れない天井が見えた。

 どこで横になっているのか、全く頭が回らない。毛布の中にあった右手をゆっくりと顔の前に移動させて、手を開いては閉じる。


「――生きている?」


 掠れた声が出た。覚えているのは崖の上の記憶まで、その後の記憶が全く無い。死んではいなかったのか、と身体の力が抜けた。


「…ルイ?」


 今にも泣き出しそうな声が聞こえて、顔だけ動かす。

 毛布の上に出ていた左手を握りしめているルカがいて、みるみる涙が溢れて頬を伝った。唇を固く閉じても、ぽろぽろと涙が落ちていく。

 泣き出したルカを見てゆっくりと起き上がれば、身体が重くて一瞬だけ顔を歪んだ。

 何とかベッドに座り、すぐに平気な顔をして笑いかける。大丈夫だと言う前に、椅子が倒れた音が響いて、ベッドの上に上がったルカがしがみついた。

 後ろに倒れそうになって、右手だけで身体を支えた。

 いつの間にか寝間着の臙脂色の着物姿になっていて、髪が解かれている。袴を身に着けておらず、誰が着替えさせたのか呑気に考えた。

 泣き声が聞こえて思考は停止して、着物を掴んで離さないルカを見下ろす。

 ルイの胸に顔を埋めて、決して離れないルカから小さな震えが伝わった。


「ルカ?」


 名前を呼んでも返事はなく、握っていたルカの両手に力がこもった。


「ルカ、どうしたの?なんで泣いているの?」


 優しく話しかけても泣き続けて、どうすればいいのか途方に暮れた。

 空いた左手でルカの肩に触れようとして、躊躇して宙で止まる。触れていいのか悩んでいるうちに、とても小さな声がした。


「――…のに」

「え?」


 聞き返す前に、涙声でルカは繰り返す。


「約束したのに。これから先にどんなことがあっても、一人にしない。ずっと隣に居るって、言ったのに。ルイが…死ぬって、また置いて行かれるって」


 小さな子どものように泣きながら、顔を上げないルカは言った。

 誰かに助け出されたにしろ、ルカの様子からして相当な怪我を負っていたに違いない。刺されたことは覚えているし、事実死にかけた自覚もある。


 大事な約束を破る手前だった。

 遠い昔の約束を一門一句間違えず覚えていたのは、ルイだけじゃない。

 自然と体が動いて、壊れないように優しく抱きしめる。すっぽりと収まったルカの抵抗はなく、そのまま一緒に後ろに倒れ込んでも動かなかった。


「ごめんね」


 無性に愛おしくなって、泣きそうな気持ちにもなった。


「ルカを置いて行って、ごめんね」


 二度目の謝罪で、ルカは首を横に振った。ルイの心臓の音を聞くかのように、顔を寄せて黙りこくる。沈黙の中で、ルイは深呼吸をしてから口を開く。


「あの約束は、ルカに大事な人が出来るまでだと思っていたんだ」


 幼い頃に交わした約束を胸に刻んだまま、言えなかった本心を囁く。


「もしもルカに大事な人が出来たのなら、僕はきっと傍に居られない。約束が消えないようにルカに当たって、自分の気持ちを押し付けた」


 うん、と小さな相槌があった。

 これから先は少し勇気が必要で、同時に抱きしめていた力を解く。左手は布団の上に、右手は顔を隠すように瞼の上に移動させた。


「ルカにとって一番大事じゃなくても、僕はこれから先も傍に居るよ。もうルカの周りには沢山の人がいて、その内の一人でも構わないから」


 だから、と言おうとして言葉に詰まった。

 ルカの幸せを願うなら言うべき言葉が出てこなくて、いじけて素っ気なくなる。


「僕のことは気にせず、ナギトの所に行ったら?」


 好きならさ、とわざと付け加えた。これくらいはっきり言わないと行動に移さないだろうと踏んだが、言った後に遠回しの言い方をすれば良かったと後悔した。

 いなくなったら失恋確実で、同情でこの場にいられても後々悲しくなるだけだ。

 だからと言って、今の関係を続けるのは限界だ。

 はっきりさせなければ前には進めず、ルカの言葉を待つ。


 ルカが起き上がる気配がして右手をずらせば、涙が止まって怒った顔と目が合った。眉間に皺を寄せて、見下ろす瞳が怖いくらい睨んでいる。横になっているルイの隣に座った状態で、胸倉を掴まれた途端にルカの顔が迫った。

 ゴン、とくらった頭突きで、頭が真っ白になる。

 頭突きした本人が痛みに耐えたのは一瞬で、無理やり笑みを作った。


「安心しろよ。怪我はフルーヴが治したから、これくらいじゃ死なない」

「…なん――」

「俺がいつ、どこで、誰が好きだって言った?」


 一つ一つの単語をはっきりと、いつもの口調のルカとの顔が近い。

 間抜けな顔になったルイに、ルカは息を吸い込むと溜めていた感情を吐き出した。


「勝手に勘違いしたのはそっちだろ!気になっているとは言ったけど、そういう感情じゃないんだよ!お前が俺のことを好きだって言うから、こっちは真剣に悩んだのに!言い逃げして、避けて、死にかけて!」


 どんどん早口になるルカの声が止まらない。


「大体お前は親戚連中に恋仲になるなと何度も釘を刺された相手で、そういう対象で考えたことがなかったんだ!だから好きなのが、恋愛なのか親愛なのか。自分の気持ちが分からなくて、もやもやしていらいらするのに――って、笑うな!」


 口の止まらなかったルカに言われて、無意識に笑っていた口元を隠す。

 ルカを振り回す程度には意識されたのが嬉しくて、心無い声が出た。


「いや、なんか…ごめんね?」

「すぐ謝る!お前のせいでこうなっているって反省しろよ!」

「反省するから教えて欲しいけど、あの夜は嫌じゃなかった?」


 軽くルイが訊ねれば、まだ自分の感情が分からないルカの顔が僅かに赤くなった。

 起き上がろうとすれば狼狽えて、ルカは掴んでいた手を離す。ベッドから降りようとして、咄嗟にルイが手を掴んで引き戻し、今度は離さないとばかりに強く抱きしめた。


「こんなことしても、嫌ではない?」

「してから言うな!」

「だってルカが逃げるから」


 ため息交じりに言えば、何も言えなくなったルカの肩が上がった。

 次の反応を待ってお互いに座り込み、おそるおそるルカがルイの背中に腕を回す。


「別に…嫌ではない、と思う」

「つまり?」

「つまり…うーん?」


 ここまでしても自分の納得出来る答えが見つからないルカに、もう笑うしかなかった。ルイの笑い声にルカが首を傾げて、不満そうに言う。


「なにが可笑しいんだよ」


 耳まで真っ赤になったルカが珍しい。ムスッとした顔なのに可愛いと言いそうになった。言えばすぐに否定するのは目に見えていたので、この状況で再度想いを告げてたくなる。

 それよりも、と少し離れて瞳を覗いた。


「それで、なんでナギトが気になったの?」

「…え、なんでその話になった?」

「そのせいで僕がルカに想いを告げたのだけど?」


 疑問形で言ったのが悪かったのか、首を傾げてこれ以上の説明を待つルカは全く理解していない。どうしてこんなに鈍いのかとため息をつく。


「僕が嫉妬していると気付いてないの?」

「嫉妬する相手じゃないだろ?」

「じゃあ、ルカがどんな感情でナギトを見ていたのか教えてよ」


 ルイが不貞腐れて言えば、ルカがあからさまに視線を逸らした。


「いや…ほら、それはその――大した理由じゃないから」


 しどろもどろになって、はぐらかそうとする。

 やっぱり面白くなくて、名残惜しくもルカを離すふりをしてベッドに押し倒した。両手首を掴まれたルカは呆然とした顔になり、ルイは見下ろして繰り返す。


「教えて」

「なんでそんなに気にするんだよ!」

「教えてくれないと、また口を塞ぐからね」


 一瞬ポカンとした顔が、みるみる真っ赤に染まった。


「な、なんでだよ!」

「そうしたくなったから」

「馬鹿!離せ!」


 騒ぐルカの身体はベッドに沈んで、男であるルイの力に敵うはずもない。半分冗談だったのに、本気で受け取ったルカの反応はいつ見ても面白い。

 微笑みながら顔を近づけると、口を固く閉じたルカがぎゅっと瞳を閉じた。

 このまま口を塞ぐことも少し考えてから、そっと肩に顔を埋める。


「…ルイ?」


 そのまま動かずにいたら、名前を呼ばれた。

 耐え切れずに笑いを零した途端、ルカが睨んで低い声を出す。


「絶対に、いつか泣かす」

「僕はもう子供じゃないよ?」

「五月蠅い!それくらい知っている!馬鹿にするのも大概にしろ!いつも俺をからかって遊んで――」


 襲われているとも言える状況なのに強気なのは、相手がルイのせいなのか。

 もうこれ以上の喧嘩をしたくなくて、目を見て話せるだけで十分だ。別の機会に聞き出そうと、喋り続けるルカを押さえつけたまま、ひとまず起き上がる。


 手を離す前に、不意に襖が空いて光が差した。

 勢いよく襖を開けた小さな身体は、にんまりと笑顔を見せる。


「おはよう!」


 突然のフルーヴの登場に、ルカが一瞬で黙った。


「何しているの?」


 無邪気な質問にルカが赤面したのとは反対に、冷静だったルイは少し考えて答える。


「ちょっと…遊んでいただけかな?」

「フルーヴも遊びたい!」

「フルーヴ、ルイさんはまだ安静にしていないといけませんよ」

「と言うより、勝手に戸を開ける癖を直させようぜ」


 困った亜莉香が傍に寄って、不満な声を出したフルーヴを抱えた。呆れたトシヤが頭を掻きながらやって来て、ルカの上から退く暇もなく視線が絡む。

 何度か瞬きをした亜莉香は、微かに頬を赤くしてあからさまに視線を逸らした。

 状況を察するが早く、真顔になったトシヤがそっと襖に手を伸ばす。


「邪魔したな」

「いや、これはちが――」


 ルカが弁明する隙もなく、勢いよく襖が閉められた。

 気まずい沈黙が支配して、ルイは掴んでいた手を離す。ベッドの上に正座して、羞恥心で顔を赤くしていたルカが起き上がるのを待つしかない。

 顔を伏せても、目の前にいるルカの心情は手に取るように分かってしまった。

 どんな罵声でも受け入れようと思えば、近くにあった枕が顔面目掛けて飛んで来た。

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