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Last Crown  作者: 香山 結月
第2章 星明かりと瑠璃唐草
184/507

38-3

 透明なガラスのような地面に、澄んだ水色の左目が映っていた。

 両手をついた前のめりの体勢で、地面を覗き込んだ亜莉香は瞳だけを動かす。

 水底から泡が湧き上がり、ガラス越しに当たっては弾ける。一つ一つの泡の中には別々の景色が映っていて、浮かんでは消える。

 泡が現れる度に、精霊の声が耳に響いた。

 こっちにはいない。見ていない。分からない。探してみる。

 幾つもの声を拾って、息を殺して集中する。真剣な表情で唇を閉じていた亜莉香の向かいには同じ体勢のフルーヴがいたが、唸り声を出すと両手を上げて後ろに倒れた。


「みつかんない」

「あら、諦めるのが早いわよ。アリカを見習って、もっと頑張りなさい」

「そういうなら、てつだってよぉ」


 疲れたフルーヴが甘えた声を出して、亜莉香の後ろで控えていたネモフィルが言う。


「嫌よ。私の得意分野じゃないわ」

「なにそれぇー」

「そういう集中する作業は苦手なの」


 むくりと起き上がったフルーヴが唇を尖らせて、疑問を口に出す。


「じゃあ、何がとくいなの?」

「水で全てを洗い流すこと。楽しいわよ?」

「わかんない」


 ぼそっと呟いたフルーヴの視線を、黙って話だけ聞いていた亜莉香は感じた。会話が途切れて、顔を動かさずに口を開く。


「疲れたらフルーヴは休んでいて下さい」

「優しい言葉に甘える?」

「うーん…もうちょっと、がんばる」


 のそのそ前に進んだフルーヴの頭が、亜莉香の頭にぶつかった。

 一瞬だけ感覚が共有して、もっと鮮明に景色が見えた。木々の重なり合う葉、流れる水の清らかな音、森の中の自然の匂い。

 フルーヴがいつも見ている景色かもしれないと思えば、ネモフィルが耳元で囁く。


「私の魔力の一部を持つフルーヴと、貴女の魔力を混じり合わせて感覚を研ぎ澄ませなさい。瑠璃唐草の紋章を持つ貴女なら出来るわ」


 大丈夫よ、と続いて、フルーヴの手が亜莉香の両手に重なった。一度だけ顔を上げれば、真剣な表情を浮かべたフルーヴが目の前にいて、青い瞳は爛々と輝いた。

 負けられない、と視線を戻す。

 星明かりの下と言っても森の中は暗くて、どこも同じ景色に見えてしまう。落とされた崖の近く、森の中を流れる小川や滝の近く。どんな些細なことでも構わないから、ルイを見つける手掛かりを見つけたくて目を凝らす。

 ふと瞳の片隅に、黒い影が横切った。

 森の中を瞬く間に駆け抜けた何かを意識した途端に泡が近づいて、黒い影の正体を確認する前に姿が消える。ここはどこか訊ねようとすれば、ネモフィルが後ろから覗き込んだ。


「何か気になった?」

「何かが通り過ぎました」

「いまの何?」


 亜莉香と同じく何かを見たフルーヴが問いかけた。

 泡の中に青い精霊が現れて、狼、と言う。その一言で興味が湧いたネモフィルは、亜莉香とフルーヴの間にしゃがんで精霊に問う。


「どんな狼だった?」


 黒い狼、と答えが返って来て、誰かいた、と続いた。


「それじゃあ、わかんない」

「どっちの方角に向かった?それくらいは分かるわね?」


 眉を寄せて唸り声を出したフルーヴとは違い、ネモフィルは口角を上げて言った。

 少し間が空いてから、返って来た答えは疑問形の北だった。次の瞬間にはネモフィルが地面に右手をついて、滑らせるように撫でれば違う景色に変わった。

 驚いた亜莉香とフルーヴを無視して、別の場所にいる精霊に呼びかける。


「そっちに狼が向かったはずよ。近くの精霊と協力して見つけ出して、どんな人間がいたか報告しなさい」


 返事を聞く前に、今度は左手で撫でてまた景色を変える。


「その近くに狼がいるかもしれない。隈なく探して、いたら報告を」


 またも返事を聞かずに、空いていた片手で地面を撫でた。


「そっちにいる精霊をかき集めて、山一つ越えて。行けば分かるから急いで」


 いつの間にか生き生きとした表情に変わったネモフィルの勢いが止まらない。

 途中で精霊の僅かな声が聞こえれば耳を傾けて、次々に景色を変えては指示を出す。どこに精霊がいるのか、地形がどうなっているのか把握しているネモフィルに迷いはなく、即座に判断を下して情報を集めていく。

 ただの精霊ではないのだと、ようやく亜莉香の実感が湧いてきた。

 呆然とネモフィルを眺めていたフルーヴは呟く。


「すごい」

「どんな人間か見えた?暗くて分からない?根性で確認しなさいよ――あ、違う!そっちじゃなくて、北に行って!北ぐらい分かるでしょう!」


 段々と苛立ち始めたネモフィルに、フルーヴの尊敬の眼差しは消え失せた。代わりに呆れた顔になって、口を挟めなかった亜莉香は何とも言えない顔になる。


「あの…ネモフィル、さん?」

「さんはいらない――で、何!?」


 感情と共に髪が逆立ちそうなネモフィルに睨まれて、思わず身を引きそうになった。

 こっちに来た、女二人。顔が見えない、分からない。と、頑張ってくれている精霊達の声が続いている。様子を伺うフルーヴが応援を返して、亜莉香は息を吐いて肩の力を抜いた。

 ネモフィルを真っ直ぐに見て、場違いかもしれないが微笑みかける。


「私も手伝います」

「それは当たり前――」


 最後まで聞かずに、亜莉香は地面に視線を向けた。

 情報を集めているだけではなく、情報を与えたくて精霊達に呼びかける。


「狼に乗っている人間が桃色の髪の少女かは分かる?袴は髪と同じ桃色だけど、着物は水色と白の矢羽柄。腰に短い日本刀の鞘があったら、その家紋は牡丹の花。髪には百合の花の髪飾りが付けていると思うの。どれか一つでも当て嵌まったら教えて」


 目を閉じれば思い出せるルイの姿を、事細かく説明した。

 それから、と急いで付け足す。


「一緒にいるのは、肩より長い黄色の髪の幼い少女かもしれない。着物には菊の花が描かれているかもしれないけど、黒い着物。血の匂いもするかも――星明りで確認出来る?」


 しんと静まり返って、間が空いた。

 無理なお願いをしたかもしれないと唇を噛みしめると、遠慮がちな声が小さく響く。

 百合の花を見た、と。

 その声を皮切りに精霊達の口論が始まって、一気に騒がしい空間に変わった。見ていない証言もあれば、間違いないと断言する声も上がる。我先に言おうと声が増えていき、飛び交う意見にネモフィルの忍び笑いが混じった。


「貴女のお願いは、精霊にとって喜びね」


 楽しそうに言ったネモフィルの顔を盗み見る。


「どういうことですか?」

「ちっぽけな存在である精霊が人と関わることは難しくて、頼られたら嬉しいと言うこと。精霊は人が好きよ。人の温かさが好きなのに、多くの人は精霊の声が聞こえなくなってしまった。貴女は精霊と関われる稀有な存在で、貴女にお願いされたら断れないわ」


 優しい笑みを向けられて、亜莉香は瞬きを繰り返す。


「私は、そんな――」


 否定するよりも早く、ネモフィルが腰を上げた。


「さて、話はここまで。捕まっている場所を特定する前に、狼の行き先は予測したわ。どんな理由でそこへ向かっているのかは、狼を捕まえてから聞き出しましょう」


 立ち上がったネモフィルが腕を上げて、身体を伸ばした。

 足元から青い光に包まれて、裸足だった足に水かきが現れる。美脚だった足は横に広がって、ふさふさの羽毛に覆われて丸くなっていく姿は人の形じゃない。

 後ろの頭部は濃紺で、尖ったくちばしと手のように見える翼。

 ほとんどの部分は真っ白で、つぶらな青いサファイアの瞳の周りは白が特に目立つ。

 一度だけ、水族館で似た生き物に出会ったことがある。愛らしい姿で人気を集めて、ずっと眺めていたいくらい歩く姿が可愛い雛だった。

 ペンギン、で間違いないと思うが、大きさが異常だ。

 光が収まると亜莉香よりも背が高いままで、横幅も広い。

 立ち上がらない亜莉香とフルーヴを見下ろしたネモフィルはペンギンの姿で首を傾げて、不思議そうに問いかける。


「貴女達もこの姿に慣れる?」


 開いた口が塞がらなかった亜莉香とフルーヴに向けられた質問だと、気付くのに数秒を要した。気付いたのはほぼ同時で、慌てて首を横に振った亜莉香の向かいでフルーヴは思いっきり息を吸い込む。


「むちゃ言わないで!」


 叫んだフルーヴの声は震えていて、両手を握りしめて瞳に涙を浮かべていた。泣き出しそうな顔から察するに、大きなペンギンの姿が怖かったようだ。

 目が合った途端に、フルーヴは一目散に亜莉香にしがみついた。

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