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Last Crown  作者: 香山 結月
序章 薄明かりと少女
18/507

04-4

 亜莉香の袴姿を見たユシアは絶賛して、店の中で一人盛り上がった。

 着付けをしている間に、他に数枚の着物を買い上げていて、早々に会計を済ませてしまう。亜莉香が止めるはなく、買ったものをトシヤに手渡し、ケイに見送られて店を出たのは、たった数分前。

 再び市場を歩くユシアは、とても楽しそうである。


「アリカちゃん、本当に可愛くて。似合っているわね!」

「変、じゃないですか?」

「全然変じゃないわ。可愛い、可愛い!おばさまの見立ては、やっぱり素敵ね」


 亜莉香の一歩前に出て、ユシアは亜莉香の全体を見た。


「やっぱり、アリカちゃんには赤が似合うわね。ねえ、トシヤもそう思うでしょ?」

「その恰好なら、前の格好よりこの街で目立たないと思う」

「そうじゃないわよ」


 真剣に答えたトシヤに、ユシアは呆れたように呟いた。女心が分かってない、とため息交じりに言い、行きましょう、と亜莉香の手を繋ぐ。

 ユシアに手を引かれながら、亜莉香は一歩後ろを歩くトシヤを見た。両手に持っている荷物の多さが気になって、思わず声をかける。


「トシヤさん、荷物持ちましょうか?」

「いいのよ、持たせておけば。体力はあるし、そのために今日は呼んだのだから」

「これ以上は、無駄なもの買うなよ」

「無駄じゃないもの」


 うふふ、と笑いを零したユシアは、まだ買い足りていない様子で、トシヤはため息を零す。

 それに、ユシアが話し出す。


「炊飯器は、帰る前に買わないといけないでしょ。朝ご飯用のパンが無くなったから、それも買って。まだまだ、買い物は終わらないわね」

「パン屋なら、早く行かないと売り切れるぞ。最近売れ行きがいいらしいから」

「え、そんなこと聞いてないわよ」


 後ろを振り返ったユシアに、トシヤは肩を竦めて見せる。


「売れるのはいいことだろ?」

「なら、早く行きましょう。アリカちゃん、少し早足で行くわよ」

「え、早足ですか?」


 亜莉香の問いにユシアが頷くよりも早く、手を引っ張った力が強くなった。直後にユシアは人混みをかき分けて、どんどん前に進む。人にぶつからないように、離れないように必死に歩く亜莉香の後ろを、トシヤは平然と歩く。


「ユシア、もう少しゆっくり歩けよ」

「だって、パンが売り切れていたら嫌じゃない」

「そうだけど…」


 何か言いたそうなトシヤの声に、ユシアは気付かない。

 歩くのに必死の亜莉香が後ろを振り返られるはずもなく、慣れない袴で必死に歩く。

 早足で目的の露店の前に辿り着いた時には、亜莉香の息は少し乱れていた。ユシアが手を離したので、両手で心臓を抑え、深く深呼吸を繰り返す。


「あー、もう閉まっているみたい」

「だから言っただろ」

「そうだけど」


 悔しそうなユシアの声を聞いた後、亜莉香は下がっていた顔を上げた。

 両隣の露店はまだ品物があり、それぞれお客もいるのに対して、亜莉香達が立ち止まっている露店は、すでに店が片付け終わった後。品物もなければ人もおらず、物寂しい露店の前で、ユシアは悔しそうに言う。


「でも、奥の店の方には誰かいそうじゃない。トシヤ、少し様子を見て来てよ」

「いや、露店が閉まっているから。パンはないだろ」

「えー、本当に売り切れたの?」

「それしかないだろ」


 諦めきれないユシアに、トシヤは言った。

 露店の後ろには、二階建て建物。露店の真後ろに一つの扉があり、小窓のカーテンの隙間から店の中が見えそうだ。


 トシヤがユシアを宥めている間に、亜莉香は小窓から店の中を覗き込む。

 パン屋の厨房、亜莉香が一目見て分かるのは、真ん中に大きなテーブルと、パンを焼くために必要なオーブンがあること。他にも大きな機械があるが、それが何に使われるのか分からず、じっと店の中を見つめた。


 ふと、誰かが厨房にやって来た。

 厨房の中にいる男性と、亜莉香は目が合い軽く会釈をする。相手も亜莉香の存在に気が付いたようで、会釈を返した。扉の方に男性がやって来て、小窓を覗き込むのを止めた。


 目の前の扉が開く。トシヤとユシアが話すのを止めた。


 厨房の中から出てきたのは、大柄な男性。どっしりとした体型は熊のようだけれど、優しそうな顔。真っ赤な布を髪に巻いた男性がトシヤの姿を確認して、少し驚いた顔になる。


「誰かが店の前にいると思ったら、トシヤか」

「どうも、今日はもうパン売り切れた?」

「おかげさまでな」


 嬉しそうな顔で答えた男性は、よく見れば昨日も市場でトシヤに声をかけていた一人。何となく見覚えのある男性が、亜莉香とユシアの方を見た。


「なんだ、両手に花で買い物か」

「違う。ただの荷物持ち」


 うんざりした顔で言ったトシヤに、ユシアは無言でトシヤの右足を踏んだ。トシヤの悲鳴は上がらず、一瞬だけ奥歯を噛みしめたトシヤを無視して、ユシアが何事もなかったかのような顔をする。

 男性はユシアの行動に気が付きつつも、その件には触れない。


「いつものパンはないけど。ほら、今朝渡すはずだった試作品。お前、後で寄るとか言って、そのまま忘れていただろ」

「あー、すっかり忘れていた。すみません」

「今持ってくるから、ちょっと待っていろよ」


 男性が厨房の方に戻って行った。

 男性がいなくなってから、黙っていたユシアが口を開く。


「本当に、トシヤは顔が広いと言うか。頼まれごとをされることが多いと言うか」

「そりゃあ、ほぼ毎日。パン屋のおっさんにはお世話になっているから。顔見知りじゃないと話せなくなる人見知りは、早く治した方がいいと思うけどな」

「五月蠅いわよ」


 ぼそっと呟いたユシアは、そのまま亜莉香より一歩後ろに下がる。

 ユシアが黙って後ろに隠れようとする姿は珍しく、亜莉香は黙って様子を伺う。会話の途切れたタイミングを見計らったかのように、再び扉が開き、男性が出て来て袋をトシヤに差し出した。


「ほら、これ。明日にでも感想聞かせてくれよ…パン持てるか?」

「多分」


 曖昧に答えながら、トシヤは持っていた荷物を見て、どうやって袋を持とうか、少し考える。両手が塞がれているのは目に見えていて、あの、と亜莉香は声をかける。


「私が、持ちましょうか?」

「いや、俺が――」

「じゃあ、これ。もしだったら、トシヤと一緒に味見して、感想教えてくれ」

「分かりました」


 断ろうとしていたトシヤを遮って、優しい笑みを浮かべた男性は亜莉香に袋を手渡した。しっかりと受け取った亜莉香を、男性がまじまじと見つめる。


「あれか、昨日トシヤにおぶられていたお嬢ちゃん?」

「え…あ、はい。そうです」

「昨日はよく顔見えなかったけど、可愛い子だな。俺がもう少し若かったら、すぐにデートの一つや二つに誘ったのに」


 何故か腕を組んで、しみじみと言った男性の言葉に、亜莉香は微笑んだ。


「お世辞でも、ありがとうございます」

「いやいや、本当に――」 

「おっさん、そうやってちょっかい出すと、また奥さんと喧嘩になるだろ」


 呆れたトシヤの声に、いやいや、と男性が首を横に振る。


「これくらいは、許される」

「そう言って、毎回喧嘩になって、俺を夫婦喧嘩に巻き込むのは勘弁してください」

「いや、トシヤがいないと仲直り出来ないからな。次も頼む」


 トシヤの肩を叩きながら言った男性に、トシヤは嫌な顔を見せた。

 その顔を見て、がはは、と男性が豪快に笑った。

 つられて笑いそうになった亜莉香が、あれ、と思ったのは、男性がトシヤの肩から腕を離して、頭をかいた時、男性の着物の袖の間から見えた、腕の包帯。


「あの、腕は大丈夫ですか?」


 亜莉香の視線に気が付いて、男性が笑うのを止めた。


「これか?ちょっとした火傷だから、気にするな」


 気にするな、と言いながら、男性は着物で包帯を隠した。

 トシヤも怪我が気になったようで、口を開く。


「ちょっとした怪我でも、診療所には行った方がいいよ。おっさん」

「でもな、さっき診療所に行ったら人が多くて。明日でもいいかと」

「診療所、今日は混んでいましたか?」


 ずっと黙っていたユシアが、亜莉香の後ろから遠慮がちに尋ねた。ああ、と頷きながら、男性は困った顔になる。


「少し、混んでいたかな。いやでも、先生一人でも平気そうだった、かな?」


 疑問形で言った男性の言葉に、ユシアは視線を下げて考え出す。右手を口に当て、少し考え事をしたユシアは、そっと亜莉香の傍に寄った。

 亜莉香にだけ聞こえるように、小さな声でユシアは言う。


「アリカちゃん、悪いけど、私はこれから診療所に行くわね。もしかしたら仕事忙しくて、夕飯遅くなるかも。トシヤにも、言っておいて」

「え、ユシアさん。待って――」


 ください、と言う前に、ユシアはトシヤと男性に軽く頭を下げた。


「すいません。私はこれで」

「おい、ユシア」


 トシヤの声など聞かず、ユシアは踵を返して市場の中へと早足でいなくなった。

 いなくなったユシアの背中を見送って、男性が頭を掻く。


「俺、余計なこと言ったかな?」

「いや、ユシアは仕事忘れられない人間だから。どうせ、診療所が気になって仕方なかっただろ。おっさんのせいじゃない」

「夕飯が遅くなるかも、とも言っていました」


 トシヤにはユシアの行き先が分かっていたので、亜莉香が後半だけ伝えた。


「なら、俺らは家に帰るか。荷物が多いから、俺はさっと帰りたい」

「へえ、一緒に住んでいるのか。羨ましいねー」


 うんうん、と頷く男性に、トシヤは冷ややかな視線を向ける。


「変な想像するなよ、おっさん。アリカはただの居候。ユシアの友達、以上」

「アリカ、ちゃんね。トシヤ達の家が嫌になったら、俺の家に居候においで。俺も、俺の奥さんも大歓迎。毎日美味しいパン付きだ」

「それはちょっと魅力的ですね」


 美味しいパン、と言う単語に惹かれて、亜莉香は素直に答えた。

 いやでも、とトシヤが渋る。


「パン屋が忙しくて、奥さんももうすぐ子供を生まれるだろ。アリカの世話は無理だと、俺は思った」

「暫く定休日にするか」

「そう言う冗談を言うから、奥さんと喧嘩になるんだよ。働け、おっさん」

「子供のために、だろ」


 にかっと笑った男性は、今日一番の笑顔だった。その笑顔を見て、心が温かくなる。それはトシヤも同じようで、安心した顔を浮かべて、男性に背を向けた。


「それじゃあ、また来る」

「失礼しました」


 亜莉香は軽く一礼すると、男性が微笑んだ。


「またいつでも来な。暫くは午前中の方がパンもある。俺と話したくなったら午後でもいいけどね」


 分かりました、と頷いた亜莉香の名前を、トシヤが呼んだ。

 数歩先にいるトシヤの元へ、亜莉香は急いで向かう。振り返れば男性が手を振っていて、亜莉香はもう一度深く頭を下げ、急いで駆け出した。

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