37-3
セレストに着いて四日目の朝。
カーテンの隙間から差し込んだ朝日で、亜莉香は目を覚ました。
隣でエイミがぐっすりと眠っていて、欠伸を零して起き上がる。メルを含む子供達も、座ったまま壁を背にして寝ているトシヤとルイも、横になって背を向けているルカも起きる気配はなかった。
語り部の物語は最後まで聞いたが、その後の記憶が無い。
物語が終わると同時に、睡魔に逆らえずに寝てしまった自覚はある。
千年の魔女の話以外も話そうとしていたメルに声をかけられて曖昧な返事をしたら、ルイが気にせずに次の話を促していた気がしなくもない。それならそれで、後で聞いた話を教えてもらうことにする。
考えをまとめて、亜莉香は音を立てずに子供部屋を出た。
台所に行き、朝食の用意を始める。昨日のうちに研いだ米を炊きながら、おにぎりの具材を作るために鮭を焼く。焼いたら骨を取ってほぐして、時間のあるうちに味噌汁に入れる茄子と玉葱を切る。
朝食は頼まれていなかったが、作り始めたら気持ちが落ち着く。
今日は何をしようか、手を止めて晴れた空を見た。今夜もまた語り部の話を聞きたいが、日中の予定はない。孤児院に居てもいいが、ルイの意見を聞いて行動を決めよう。
トシヤとルカはどうするのか、考え事の途中で階段を下りる足音がした。
誰だろうと包丁を持ったまま振り返れば、寝起きのトシヤが頭を掻きながら現れた。
「おはよう。朝ご飯も作る条件だったっけ?」
「おはようございます。そう言うわけではないのですが、目が覚めたので用意して置こうかと。昨日は遅くまで話が続きましたか?」
「俺も途中で寝たからな。よく覚えてない」
台所に足を踏み入れたトシヤは傍まで来て、亜莉香の手元を見た。
「手伝うことは?」
「今はまだ、魚が焼けたら身をほぐして頂けると助かります」
「分かった。にしても、綺麗な台所だな」
近くにあったグラスに水を注いで、トシヤは身体の向きを変えた。
部屋を見渡したトシヤの言いたいことはよく分かり、綺麗になって誰よりも喜んでいたのはメルだった。表面上は素っ気なくも、内心は相当喜んでいたに違いない。
亜莉香は野菜を切りながら、微笑んで言う。
「ルイさんから話を聞いていると思いますが、綺麗にしたのは精霊ですよ?」
「俺はアリカの仕業だって聞いたけど?」
「それは不可抗力と言うものです」
「不可抗力にしては頑張り過ぎて、途中で疲れ果てただろ?」
「それもルイさんから聞きましたか?」
手を動かしたまま訊ねると、トシヤは笑みを零した。
「正解。やることなくて、暇だったと」
「それは申し訳ないことをしてしまいました。でも、おかげで語り部の話を聞けて良かったです。滅多にない機会でしたから」
「今日はどうするのか、そっちは決めているか?」
亜莉香から聞こうと思っていた質問に手を止めて、トシヤに顔を向ける。
「いえ、まだ決めていません。トシヤさんとルカさんは?」
「俺の乗馬の練習をする予定ではある。昨日練習しているところをシンヤに見つかって、ナギトさんが練習に付き合ってくれると言ったけど――」
段々と声が小さくなって、前を見据えるトシヤは水で喉を潤した。
僅かに眉間に皺が寄って、何とも言えない顔をしている。
「シンヤが余計なことをして、練習が練習にならない予感もある」
「流石にそれは…ないとも言えないのですが」
正直に答えればトシヤは項垂れて、亜莉香は慌てて言葉を続けた。
「でも、トシヤさんならすぐに上達しますよ。運動神経が良くて、動物にも好かれやすくて。努力家で、昨日だってもう一人で乗れていましたよね?」
空いていた左手の指を折りながら言えば、トシヤは小さくぼやく。
「一人で乗りたくて練習を始めたわけじゃないからな」
誰にでもなく言った声は小さく、聞き返す前にトシヤが亜莉香を振り返った。
「それで、そろそろ魚は焼けたか?」
「え…っと、今確かめます!」
話に夢中で忘れていた鮭を確認すると焦げる寸前で、急いで焼くのを止めた。
ひとまず大きな皿に取り出して、トシヤが隣に立って身をほぐす。肩が触れ合う距離で緊張したのは亜莉香だけで、トシヤは平然と話し出す。
「ルイはいつも通りか?」
少し遠慮がちに聞こえた声に、亜莉香は声を落として答える。
「そうですね。ルカさんの話をしない限りは、いつも通りに見えます。顔を合わせるとあからさまに避けているのは、見れば分かると思いますが」
「ルカの方も、昨日一緒にいたけどルイの話はしなかった。仲直りするまで、時間がかかりそうだな」
「もう四日目ですよね」
セレストに到着した日の朝には喧嘩をしていて、その日を一日目にして数えた。
時間が流れるのは早くて、二人の間に生じた溝は埋まらない。ますます深くなっているようにも思えて、二人の寂しそうな顔を見る度に悲しくなる。
ルイもルカも何も話さないから、亜莉香から聞けない。
切り終った野菜を鍋に入れて煮詰めながら、独り言のように呟く。
「力になれることがあればいいのですが」
「とりあえず俺はルカから目を離さないようにするから、アリカはルイを頼む。今日も行動は別々になるだろうからさ」
トシヤの言葉に頷き、お互いに何となく口を閉ざした。
無言は数秒で、軽やかな足音が聞こえて小さな誰かが亜莉香の足に抱きついた。見下ろせば瞳を輝かせたフルーヴがいて、盛大なお腹の音が鳴る。
「おなかへった!」
もう一度お腹の音が鳴って、フルーヴは顔を隠すように抱きつく。顔を隠しても音は止まらず、亜莉香はトシヤと顔を合わせる。
可笑しくて笑みを零すと、静かだった台所に笑い声が響いた。




