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Last Crown  作者: 香山 結月
第2章 星明かりと瑠璃唐草
176/507

36-6

 夕暮れで、空に橙色が混ざった。

 亜莉香が屋根の上で膝を抱えて座り込んでいると、ベランダから梯子を上ってメルはやって来た。目が合って、すぐに逸らした後にすぐ隣に座った。

 数センチの距離しか離れていない。

 機嫌の悪そうな顔でぼんやりと前を見据えて、口を結んでいた。

 話しかけられる雰囲気ではないので、視線を前に戻す。


 結局、台所で精霊の力を借りたことは不問となった。人の力ではないものね、とミチの後押しもあって、その後も掃除は精霊の力を借りた。

 実際は力を借りたと言うよりは、振り回されたと言う方が正しい。こっちに汚れが、あそこに傷みが、と口々に精霊達が言い合えば、それらの声を拾うだけでも疲労は溜まった。亜莉香が少しでも悩めば魔法を使おうと騒ぎ、望んだことは全て実現させようとする。

 有難いが、加減を覚えて欲しかった。

 家の中の掃除だけで飽き足らずに外に連れ出されると、ルイの手も借りて草木の手入れと庭の遊具の修理。屋根の修理が終わった亜莉香は疲れて休んでいたが、ルイは始終興味深そうに様子を伺っていたムトとテトの遊び相手をしに行った。

 一部始終を見ていたはずのメルは、最初こそ亜莉香が精霊の姿を見えることを信じていなかった。けれども途中からは信じるしかない顔になって、口を尖らせながら距離を置いて亜莉香を観察していた。

 何か話があるはずのメルは膝を抱えて、身体を丸める。

 話しかけようか、亜莉香が迷い始めると小さな声がした。


「…助かったわよ」

「え?」

「助かった。感謝している、と言いに来たの」


 聞き取れなかった亜莉香と顔を合わせずに、メルは不貞腐れて言った。


「それから、勝手に貴族と思い込んだことを謝る。貴族があまり好きではないから、態度が悪かったわ」

「それなら私もきちんと名乗りませんでしたから」

「そうだとしても、もう少しきちんと対応するべきだった」


 反省しているメルは膝の上に顎を乗せて、視線を下げた。


「こんな山の中の孤児院にわざわざやって来るなんて、面白半分の貴族連中だと思ったの。私が生意気に条件を出せば、大抵は怒って帰ったわ。無理やり話をさせようとした奴らもいたけど、私の魔法で追い返してやった」


 何となく光景を想像して、亜莉香は微笑んだ。

 それに、とメルが声を落とす。


「本当に困った時は、近くにいた精霊様が手を貸してくれた」

「そうでしたか」

「…貴女は、私を馬鹿にしないのね」


 小さな呟きと共に、泣き出しそうな顔が一瞬見えた。メルはすぐに顔を埋める。


「精霊様のことなんて、誰も信じてくれなかったのに」

「私にも見えていますから」

「見たくないと思ったことはないの?」


 咄嗟に答えられずに間が空いて、亜莉香は空を見上げた。

 精霊は風に乗って飛んで、楽しそうで、嬉しそうな声が耳に響く。


「見たくないと思ったことはありません」

「一度も?」

「私が見えるようになったのは昨年のことで、それまでは存在すら知りませんでした。でも、そんなことを考えたことがないのですよ」


 ゆっくりとメルも顔を上げたが、その瞳は悲しそうに精霊の姿を映した。


「私は、何度も見たくないと思った」


 淡々と述べようとするメルの声が震える。


「普通の子には精霊様の姿は見えない。ミチさんは時々見えるから信じてくれるけど、他の誰も私の話なんて聞いてくれなかった。私は皆と――違った」


 違ったの、と繰り返した声に涙が混じった。

 鼻をすすって、泣きそうな声で必死に気持ちを伝えようとする声を聞き逃さないように亜莉香は耳を澄ませる。妙に大人びた態度を取っていた小さな身体は幼くて、手を伸ばせば触れあえるのに身を固くしていた。

 泣き顔を見せないように顔を伏せて、誰にも言えなかった気持ちをメルは吐き出す。


「どうして、私にだけ精霊様の姿が見えるの?嘘つきなんて後ろ指を指されるくらいなら、見えなきゃ良かった」

「他人と違うのは、嫌ですか?」


 亜莉香が優しく訊ねると、メルは素直に頷いた。


「私だけが、精霊様の姿を見ていたの。他の誰も見えなくて、理解してくれなくて…魔法だって、私は制御出来ない。十も過ぎれば魔法を自由に使えるはずなのに、今日だって感情任せに部屋を凍らせるところだった。怖くて、いつだって心細い」


 ぎゅっと身体を抱きしめたメルの姿を見て、そっと亜莉香は肩を寄せた。僅かに触れて、驚いたメルの身体はビクッと動いた。抵抗されることはなく、お互いの体温を感じる。


 心細くて一人ぼっちの孤独は、痛いほど知っていた。


 亜莉香の知っている気持ちと、似ている感情であっても同じではないかもしれない。気の利いた言葉より寄り添って、メルの気持ちが落ち着くまで待つ。

 何か答えたいのに、言葉はすぐに出てこなかった。

 同じ景色を見る亜莉香ならと思って話してくれているなら、少しでも心が軽くなって欲しい。そう思えば、自然と零れた声がその場に響いた。


「もしも精霊の姿が見えなくても、皆と違うのは当たり前のことですよ」


 反応がなくても、思ったままに伝える。


「皆と同じである必要はありません。誰かと比べたところで、私達は一人一人が違う時間を過ごして、違う道を歩んできたのです。無理に周りに合わせるよりも、今の自分を受け入れてあげて下さい」


 メルは顔を上げず、亜莉香は一呼吸を置いた。


「いつか、その力があって良かったと思える日が来るかもしれません。私は何度も精霊に助けられました。精霊の姿が見えて良かったと、この力があって良かったと感謝しています。今は受け入れられなくても、後から意味のあることだったと気付くこともありますから」


 それに、と目の片隅に映った精霊を目で追った。

 精霊が見えるのはいつものことだけれど、聞こえた話の内容は子供達の話ばかりだった。心配したり見守ったりする精霊の数が多くて声を拾うのは骨が折れたが、その全ての声が子供達、特にメルのことを気にかけていた。

 随分と前にルイから言われた言葉は、いつも亜莉香の心の片隅にある。

 一人ではないのだと、覚えておいて欲しい。


「精霊の姿が見えることで、辛いことも悲しいこともあるかもしれません。精霊が見えることで他の人に理解されなくて、孤独を感じるかもしれません。それでも――」


 それでも、とメルの心に想いが届くように祈りを込めた。


「精霊の姿が見えるのは魔力がとても強くて、精霊に愛されている証なのです」

「愛されている証?」


 そっと視線をメルに戻せば、今にも泣きそうで不安そうな顔をしていた。

 安心させようと微笑み、亜莉香は頷く。


「はい」

「本当に?」

「本当です。愛してくれる人がいて、私達は絶対に一人にはならない。一人だと思う必要はありません。精霊は小さく儚い存在かもしれませんが、どこに行っても私達に力を貸してくれます。傍に居てくれます。メルさんは、皆に愛されているのですよ」


 皆に、と無意識に協調してしまった。

 言い終わると同時に、メルの涙が溢れた。両手で涙を拭っても止められずに下を向けば、ぽたぽたと頬を伝って落ちる。

 張り詰めていた糸が切れたように、メルは泣いていた。

 手を伸ばそうとして、やめる。今まで一人で強がっていたメルだからこそ、これ以上の言葉も行動もいらない。

 夕食まではまだ時間がある。

 支度は済ませてあるから、まだ台所に行かなくても大丈夫だ。


 暫くはお互いに口を閉ざして、屋根の上にいることにした。そうこうしているうちに森の中から馬に乗ったトシヤと、歩幅を合わせて馬を引くルカが現れる。

 朝よりは上達したトシヤに声をかけることはなく、亜莉香はぼんやりと眺めた。

 馬から降りたトシヤは、ほっとした顔で息を吐く。

 まだ緊張が抜けない感じで、一人で乗るには不安が残る。それは亜莉香も同じで、人のことは言えない。駆けることなんて当分無理で、ルイかルカが傍に居てくれないと馬に乗っていられる自信もない。

 一日中練習していたのかもしれない。

 トシヤとルカが戻って来たのなら出迎えたいと考えて、亜莉香は両腕を空高く伸ばした。


「さて、そろそろ下に行きますか?メルさんはどうしますか?」

「…行く」


 途中で泣き止んだけど、動こうとしなかったメルが顔を上げた。

 瞳はまだ潤んでいて、腰まで伸びて透き通る細い水色の髪が風で靡いた。夕日の色に染まることない髪が綺麗で、亜莉香はじっとメルを見つめる。

 視線に耐え切れなくなったメルが少し頬を赤らめて、睨みながら不機嫌な声を出す。


「何よ」

「やっぱり、綺麗な髪ですよね。氷の粒が残っていた時も思ったのですが、宝石のアクアマリンのような輝きで羨ましくて…触ってもいいですか?」


 思ったことを口にして、顔を寄せた。

 きょとん、とした後に、メルの顔は夕日よりも赤く染まった。首元で髪を押さえて、両手で赤く染まった首を隠す。身を引く勢いで後ろに下がると、口を開けて叫ぶ。


「何馬鹿みたいなことを言うのよ!」

「いえ、本心で――」

「本心でも言わなくていいのよ!もう付き合っていられない!下りる!」


 宣言したメルが先に立ち上がって、亜莉香も慌てて立った。


「ちょっと待って。一緒に行きます」

「来なくていい!」

「そう言われましても」


 屋根の上を慣れた足取りで進むメルと違って、転ばないように一歩ずつ進む。梯子まで辿り着いて、下りる途中で足が滑る。

 あ、と亜莉香の小さな悲鳴が上がった。

 それを打ち消したのは一部始終をベランダで見ていたメルの驚く声で、背中に冷たい氷が当たると身体は凍ったように宙で浮いた。氷のせいで背筋が寒いはずなのにメルの魔法で心は温かくなった、なんて言えば、何故かメルを怒らせた。

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