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Last Crown  作者: 香山 結月
第2章 星明かりと瑠璃唐草
173/507

36-3

 喧嘩の終わりは呆気なく、逃げ回っていたムトが誤って霜を踏んで終わった。

 足が止まったムトを助けようとしたテトまで霜を踏んで、二人して動けなくなったところにメルはゆっくりと歩み寄った。笑顔を浮かべて近づけば二人の顔は恐怖で引きつり、怒っていたメルが片手を振り上げた途端に氷の塊の中に閉じ込められた。

 ルカの結界と似ているが、囲んでいるのは頑丈で分厚い氷の壁。

 足の氷は解けても、氷の中に閉じ込められた二人の声は氷越しでよく聞こえない。

 どんなに騒いでもメルは表情を消して、何も言わずに背を向けた。暫く放置するのはいつものことなのか、何事もなかったような顔が亜莉香を見て止まった。

 亜莉香だけじゃなくて、隣にいたルイや立ったままだったトシヤとルカも瞳に映した。ぶすっとした顔になって、エイミが座っていた場所までやって来た。

 仁王立ちをして腕を組むと、亜莉香を見下ろして低い声で言う。


「それで、貴女達は誰?」

「語り部に会いに来た者だよ」

「わざわざご苦労なことね。語り部の話が聞きたいなんて、よっぽどの物好きよ。それにこの家に入って来るなんて」


 苦々しく言って、メルは舌打ちをした。

 あからさまな嫌悪に亜莉香は作り笑いを浮かべるしかなかったが、両肘をテーブルに置いたルイは全く気にせずに話しかける。


「君が語り部だよね?エイミちゃんには条件を満たせば話してくれると教えて貰ったけど、それは本当?」

「条件を満たせばね。まあ、今まで私の条件を満たせる人間はいなかったけど」


 得意げに言ったメルが、左手で髪を靡かせてみせた。氷の粒が残っていた髪はきらきらと光っているようで、目を輝かせた亜莉香はまじまじと眺める。

 あまりにも見つめ過ぎて、メルが不機嫌な顔になった。


「何?」

「綺麗な髪ですね」


 褒めたつもりだったのに、目を見開いたメルの眉間に皺が寄った。睨まれて、お互いに何か言おうとして口を閉ざす。

 心なしか、部屋の温度が下がった。

 タイミング良く部屋の扉が開いて、お茶を持ったエイミが戻って来た。氷の塊を見なかったことにして、座っていなかったトシヤとルカに熱い湯呑を差し出す。それからメルにも湯呑を差し出すが、何の反応もなかった。


「どうかした?」

「…いいえ」

「もう条件を出したの?」

「まだよ。今考えているところ」


 無邪気なエイミと違って、メルの声は固い。

 一瞬で熱い湯呑を氷で覆って、静かに正座した。お茶を飲むことはなくテーブルに置くと、手を離さずに湯呑の中をじっと眺める。

 声をかけられる雰囲気ではなく、エイミは亜莉香とルイにも湯呑を差し出した。

 手を付けずにお礼を言って、手土産を渡していなかったことを思い出した。持っていたはずのルカに視線を向ければ、エイミの傍に寄って持っていた風呂敷をテーブルに置いた。


「これ、後で食べろよ」

「今開けてもいい?」


 振り返ったエイミがあまりにも嬉しそうな顔で、勢いに押されてルカが頷いた。

 風呂敷に包んであったのは、平べったい四角い箱。手土産を持って行くなら語り部の好物が良いだろうと、教えて貰ったセレストの伝統菓子。

 色とりどりの水饅頭。

 灯籠祭りの伝統菓子と似ていて、中身の餡子の種類が違う。

 定番の餡子は勿論。白胡麻や黒胡麻、果物の甘露煮が混ざった水饅頭。大きさは普通の水饅頭と変わらないが、透明の生地に包まれて見ているだけで涼しさを感じる。

 孤児院にいる人数は多くないから、十もあれば十分だと聞いていた。

 余裕を持って十二、それぞれ種類が違う水饅頭を選んだ。

 エイミが歓喜の声を上げて、亜莉香は微笑む。


「この時期の名物だと伺ってお持ちしました。セレストのこの時期、祭りの伝統菓子なのですよね?」

「そうなの!いつもは祭りの日に買って皆で食べていたの!お姉さん達、ありがとう!」


 今にも飛び跳ねそうなくらい嬉しそうに、エイミは言った。箱を持ったまま立ち上がってくるりと回ってみせれば、しゃがんでメルの顔に箱を寄せる。


「メルお姉ちゃん、上に行って皆に見せて来ていい?」

「好きにしなさい」

「やったー!」

「食べるのは夕飯の時だから、見せるだけにしてよ」


 呆れたメルの声に、エイミが大きく頷いた。

 メルが片手で追いやって、足取りの軽いエイミが部屋からいなくなってため息を零す。お茶で喉を潤してから、メルは亜莉香とルイを睨みつけた。


「誰の入れ知恵よ」

「名前は存じ上げません」

「酒場にいたおじさんだったよ」


 酒場と聞いて、メルは苦虫を噛み潰したような顔になった。

 心当たりがあるようで、左肘をテーブルに置くとそのまま額を押さえる。


「余計なことをしてくれたわね」

「お知合いでしたか?」

「そうよ」


 素っ気なくも言い、メルは顔を上げた。


「ここに来たら話が聞けると思ったら大間違いよ。私は語り部であるけれど、孤児院で語るのは夜に皆を寝かしつける時と決めているの」

「その時で構わないから、僕達にも話を聞かせてくれる?」

「貴女達の聞きたい話を?冗談じゃないわ。私は私の話したい話を聞かせるだけ」


 一筋縄ではいかないと思っていたが、こうもはっきりと言われると反論しづらい。でも、とメルは意地悪く口角を上げた。


「もし貴女達が私の出した条件を満たしたら、聞きたい話を聞かせてあげる。勿論、今日は孤児院に泊まることになるけど」


 どうする、と問いかける瞳に、亜莉香はルイと視線を交わした。

 語り部に興味があって付いてきたルカは口を出さないと最初から言っていたし、トシヤ自身は語り部に興味はない。決定権は亜莉香とルイで、話を聞きに行くと決めた時から答えは決まっている。

 真っ直ぐに、亜莉香はメルを見返した。


「条件を教えてください」

「どんな条件でもいいよ」


 亜莉香の隣でルイも言い、メルはにやりと笑った。


「どんな条件でもいいのね」

「僕達が可能な条件ならね」

「不可能な条件は言わない。私が提示する条件は一つよ」


 右手の人差し指を立てたメルが、真っ直ぐに亜莉香を指差した。


「貴女が、今日一日私の仕事を代わること。掃除、洗濯、昼と夜のご飯を作って、問題を起こさずにシエルで過ごす」


 ルイが慌てて口を挟む前に、平然と顔を崩さなかった亜莉香は口を開く。


「それが出来たら、私達に話を聞かせてくれますね」

「条件を満たせば、ね」


 くるくると人差し指を回して見せて、ただし、と指を止めてメルが声を強める。


「魔法を使うのは禁止。それから、他の人の力を借りるのも禁止。貴女以外は孤児院の外に出てもらう」

「ちょっと、待って。話を聞きたいのは僕の方で――」

「話を聞くときに、他の三人も一緒に居てもよろしいですよね?」


 話に割り込もうとしたルイを遮って、にっこりと笑った亜莉香は訊ねた。


「いいわよ。語る人数が増えても私は気にしない。貴女が私の条件を満たすことが出来たら、いくらでも話してあげる。途中で無理だと気付いたら、シエルからすぐに帰ってもいいわ」


 強気なメルは最初から不可能だと決めつけ、両手で湯呑を包んでお茶を飲む。

 どんな理由で亜莉香を名指しにしたのかは分からないが、全く不利な状況じゃない。むしろ好都合と言わんばかりの状況で、言質を取って余裕すら生まれた。

 内心の喜び隠せずに笑みを浮かべていると、隣にいたルイが袖を引っ張り小声で話す。


「アリカさん、別の条件でも――」

「いいえ、ルイさん。私、家事は得意です」


 胸を張るように得意げな亜莉香に、ルイが何とも言えない顔になった。


「それは知っているけど」

「他の条件に変えられるより、今回は私に任せて下さい」


 ひそひそと話す亜莉香とルイに、メルが首を傾げた。


「諦める相談?」


 その一言で、諦める気のないルイはそれ以上の言葉を止めた。渋々袖を離して姿勢を戻せば、亜莉香も背筋を伸ばしてメルに笑いかける。


「いいえ、違いますよ」

「そう?無理なら無理だと、正直に認めればいいのに」

「無理な条件は出されていませんから」


 自信満々に言えば、メルが少しだけ目を見開いた。

 ゆっくりと立ち上がって、亜莉香は気合を入れて袖をめくる。


「さて、何から始めましょうか?」


 その一言でルイは諦めたように肩を落として、途中から話に付いていけなかったトシヤとルカに視線を向けた。

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