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Last Crown  作者: 香山 結月
序章 薄明かりと少女
17/507

04-3

 トウゴの文句を言いたい放題言って、満足したユシアを先頭に市場を巡った。

 ユシアが戸惑う亜莉香の手を繋いで歩くので、迷子になることも置いていかれることもない。ユシアは気になる店があれば、迷わず店に入る。亜莉香の買い物、と言いながらもユシアの欲しいものを買う方が多くて、トシヤの持つ荷物が少しずつ増えていく。


 トシヤは途中から呆れ顔をしつつも、荷物を持って黙って歩く。

 最初は手を繋ぐこと、初めての市場に戸惑っていた亜莉香は、途中から可愛いもの綺麗なもので心が躍り、ユシアと一緒に買い物を楽しんでいた。気が付かないうちに笑みを浮かべ、ユシアと一緒に笑いながら市場を巡る。


 歩いていた先で、ユシアがある店を見つけ、満面の笑みを浮かべて立ち止まる。

 楽しくて仕方がないと言う表情で、亜莉香を振り返った。


「次はあの店に行きましょう!アリカちゃんの着物選び!」

「え…あの店、ですか?」


 ユシアが指差した店は、露店が並ぶ市場の中に存在する、一階がガラス張りの古い建物。老舗のように見える建物には、華やかな女性が出入りしていた。露店とは雰囲気が違う建物に尻込みしているのは亜莉香だけで、ユシアは迷わず足を向けた。


「あの店がここらへんでは、一番品揃えがいいのよ。市場で一点一点を集めるより、一式が手に入る老舗の方が楽でしょう?着物に袴に、襦袢に帯に…まあ、必要なものを揃えるなら、この店が一番よ」

「東市場の中で、だけどな」


 いつの間にか亜莉香の横を歩いていたトシヤが、さりげなく言った。

 そうね、と肯定したユシアは笑う。


「トシヤの顔なじみの店だから、値引きしてくれるかもしれないわね。前に行った時もね、トシヤがいた時は色々おまけしてくれたのよ」

「そのおかげで、俺はあとでこき使われた」

「いつものことでしょ?」

「いつもって言うな」


 ため息混じりに、トシヤは言った。トシヤとユシアのテンポの良い会話を聞いていると、自然と亜莉香の笑みが零れる。


 楽しそうに笑うユシアに手を引かれて、亜莉香は店の前に到着した。

 店の前から、ガラスの奥、建物の中がよく見える。地面より少し高い畳のスペースが広々と設けれ、色鮮やかな着物が並んでいた。着物だけじゃない、袴や帯、帯紐や小物などもある。男女ともにいる店員と違い、客層は僅かに女性が多い。


 ユシアがガラス戸を横に引いて、遠慮なく開ける。

 ガラガラと戸が開いて、小さな机で帳簿を見ながら座っていた年配の女性が、ゆっくりと顔を上げた。唯一客の相手をせず、入口から近くの壁際にいた女性が口を開く。


「いらっしゃいませ。て、トシヤじゃないか。それとユシアちゃんと…?」

「こんにちは、おばさま」

「邪魔します」

「お邪魔、します」


 堂々と店に入るトシヤとユシアと違い、亜莉香は二人の後ろに隠れるように店に入った。


 おばさま、とユシアが呼んだ女性は、かけていた小さめの眼鏡を外した。見定めるように亜莉香を眺めて、トシヤとユシアに孫を見るような優しい眼差しを向ける。


「今日の用は何だい?」

「私の友達の、アリカちゃんの一式が欲しいの。今の時間は忙しいかしら?」

「今、皆客の相手をしているからね」


 女性が立ち上がった。

 小柄で、亜莉香より少し背の低い女性。上品な深い紫色の着物を着て、その上にもう一枚鮮やかな花柄の淡い橙色の着物を羽織っている。


「おいで、私が見繕うよ」

「本当!嬉しいわ、おばさまのセンスは抜群だもの」


 嬉しそうにユシアが言い、畳の上に上がった。


「わあ、今日も綺麗な着物が沢山ありますね」

「どんな着物がいい?」

「彼女に合うものだと、どれかしら?」

「なら、これはどうだい?」


 亜莉香の着物選びが始まり、夢中になっているユシアを他所にトシヤは畳の上に荷物を置いた。どうすればいいのか、悩んで立ち尽くしていた亜莉香をトシヤだけが振り返る。


「ユシアのところ、行けば?」

「いえ…私が入れる雰囲気じゃなくて」


 亜莉香がユシアと女性に視線を送れば、二人は夢中で並んでいた着物を手に取っている。あれじゃない、これじゃない、と言い合い、着物に帯に、店にあるものを組み合わせていく様子に、トシヤも納得して、畳の上に座った。


「どれくらいかかるか、いつも時間が読めないんだよな。アリカも座る?」

「えっと…それじゃあ」


 少し考えてから、亜莉香はトシヤの隣に座った。

 ユシアと女性に背を向ける形で、店の外を眺めながら亜莉香は何となく尋ねる。


「この店にはよく来るのですか?」

「仕事柄、届け物が多い方だな。ユシアも時々一緒に来るけど、ユシアはあれでも人見知りが酷いから、俺かトウゴが一緒じゃないと買い物に行かなくてさ」


 声を小さくしてトシヤが言い、ユシアを振り返った。

 トシヤの視線の先には楽しそうに女性と話すユシアがいて、亜莉香も声を落とす。


「ユシアさん、人見知りなのですか?」

「まぁ。昔からの顔馴染みか、診療所で徐々に仲良くならないと素で話せない。そのせいで本人は人付き合いに苦手意識が強い。昨日のアリカみたいに、緊張より怪我を治す方に意識が奪われたら、人見知りどころじゃなくなる」

「へぇ」

「一度でも気を許すと、遠慮なく仲良くなろうとするから。アリカも苦労するだろうな」

「苦労ですか?」


 その意味を考えるが、答えは出ない。


「…えっと、つまり?」

「ユシアの勢いに負けるなよ、と」


 トシヤが言うと、女性と話していたはずのユシアが振り返った。


「アリカちゃん、ちょっと来て。こんな感じは、どう?」

「え…っと、今ですか?」


 名前を呼ばれて、亜莉香は急いでユシアの傍に向かった。

 ユシアの隣に腰を下ろせば、着物と袴の一式が並んでいる。大きな赤い牡丹の花が描かれた、真っ赤な着物。紺の袴と金で縁取られた桜柄の帯を合わせて、どう、とユシアは目を輝かせている。

 綺麗だけど似合うとは思えない組み合わせに、亜莉香は素直に感想を述べる。


「とても素敵ですが…私には似合いませんよ?」

「あら、そんなことはないわよ。アリカちゃんの黒髪にも、雰囲気にも合うと思うわ」

「そんなことは…」


 ない、と言いたいが、ユシアの押しが強くて、きっぱりと否定しにくい。


 ちらりと他の着物を見るが、他の着物も似ている雰囲気で、亜莉香からしたらどれも派手。ルカが着ていた無地の着物はこの店にない。トシヤに助けを求めようと視線を送るが、トシヤは亜莉香の方など見向きもせず、大きな欠伸をしていた。

 勢いに負けるな、とはこのことか、と亜莉香は理解した。

 理解はしても、勝てる気はしない。

 うう、と唸る亜莉香の様子に、女性が優しく言う。


「一回、着てみたらどうだい。奥で着付けるから、ユシアちゃん、少しこの子借りるよ」

「はい、どうぞ」

「え…え?」


 ゆっくりと立ち上がった女性が、一式を持ち、亜莉香の腕を掴んだ。

 亜莉香が立ち上がるのを待って、女性は腕を掴んだまま歩き出す。他の客の間を通る度に、店員が女性に会釈した。


 肩身が狭く感じるのは亜莉香だけで、視線を下げながら辿り着いたのは小さな和室。

 四畳半ほどの小さな和室に連れて来られて、亜莉香は困惑した。女性は持っていた着物と帯を畳の上に置き、部屋の中に唯一ある箪笥の中から着付けに必要なものを取り出しながら話し出す。


「アリカちゃん、だっけ?自己紹介が遅れて悪かったね、私はこの店の店主のケイ。周りは店主とかばあさんとか、適当に呼ぶから。アリカちゃんも好きに呼んだらいい」

「えっと…では、ケイさん」


 名前を呼ばれて、ケイが笑顔で振り返る。


「何だい?」

「私には、その着物が似合うとは思えないのですが。他の着物では駄目、ですか?」


 自信なく、亜莉香は言った。ユシアに対しては言えなくても、穏やかな雰囲気を醸し出すケイには言わないと、このまま着物を着付けられる。

 亜莉香の言葉にケイは少し考えるような素振りを見せ、いや、と首を振った。


「似合わないことはないさ。私の見立ては正しいからね」

「私は、もっと地味な着物で十分ですよ」

「地味なら地味で目立つものだよ。この街では年頃の女の子はこれくらい着飾るものなのさ。今着ている服は、自分で脱げるかい?」


 箪笥の中から必要なものを出し終え、和室の真ん中で立ち尽くしていた亜莉香に、ケイは言った。このまま意地になるのは止めて、はい、と頷いた。

 よかった、とケイが微笑む。


「貴族のお嬢さんだと、着物の脱ぎ方さえ知らないからね。そこから教えなくて済みそうで、安心したよ」

「私は貴族じゃないです」

「そうだろうね、貴族には見えない。これは着られる?」

「はい、多分」


 手渡された肌襦袢を受け取り、亜莉香は迷うことなく着替え始める。素早く着替える亜莉香の様子を見て、ケイは感心してくれた。


「着方を一から教えないといけないと思っていたけど、一人でも着られたのかい?」

「いえ、着られません。肌襦袢はこれで合っていますか?」

「合っているよ。なら、今度は長襦袢、その後に着物を着て、帯に袴と着付けていくよ」


 ケイは亜莉香が一人で着られるように教えた。出来るだけ簡単に、分かりやすく話すケイの説明を聞きながら、袴姿に着替える。

 説明を聞くのに夢中で、着物の柄など忘れて着替え終えた。

 箪笥の横にあった鏡の前で自分の姿を確認する。


「…やっぱり、派手じゃないですか?」

「そんなことはない。似合っているよ。どうせなら、髪型も少し変えるかい?少しくらいなら、私でも出来るから」

「いえ、そのままで。それに、この髪飾りを気にいっているのです。親友から貰った、大切な髪飾りなので」


 亜莉香の後ろに座り、制服を畳んでいたケイを見ずに、亜莉香は鏡で後ろ姿も眺める。鏡越しにケイと目が合うと、初めて親友から髪飾りを貰った時のことを思い出した。


 あの時は、鏡を見ながら必死に髪を結おうとしていた亜莉香に、親友がそっと近づいて髪を結んでくれた。それは幼い日の思い出で、忘れかけていた思い出。

 いつだって亜莉香に笑いかけていた親友を思い出して、少しだけ悲しくなった。


「もう――会えないかもしれない親友なのですが。その親友がくれた大切な髪飾りだから、これからも身に付けていたいのです」

「男かい?」

「はい。幼馴染で、親友です」


 素直に答えた亜莉香の回答に、ケイは何かを悟った顔になった。変な誤解を与えた気がしなくもないが、どうせもう会えない親友のことを、これ以上詳しく誰かに話すつもりはない。


 そうかい、と言ってケイが黙ったので、亜莉香はもう一度、鏡で自分の姿を確認した。

 袖に大きな赤い牡丹の花、それ以外にも花が散りばめられている、明るい真っ赤な着物。帯には金で縁取られた桜柄で、半襟にも桜の模様があった。色のバランスを考えた配色は亜莉香も納得のいく出来栄えで、桜の花びらが描かれた紺の袴ともよく似合っている。


 文句が出るはずがなく、亜莉香はくるりとケイに向き直った。

 何だかんだ言っても着物と袴一式は綺麗で、着ているだけで嬉しくなる。笑みを浮かべた亜莉香を見て、ケイは亜莉香の制服を風呂敷にまとめると、ゆっくりと立ち上がった。


「それじゃあ、トシヤとユシアちゃんの元に戻ろうか。時間も経って、待ちくたびれているかもしれないけどね」

「あ…そう、でしたね」


 ケイの言葉に、若干亜莉香の顔が引きつった。

 今更ながら、この姿で人前に出ることには抵抗を感じる。


「やっぱり、もっと地味なのに――」

「往生際が悪い。ほら、行くよ」


 亜莉香の言葉を遮って、ケイは来た時と同じように亜莉香の腕を引っ張って、歩き出した。唸る亜莉香は引っ張られた状態で、足取り重く歩くことしか出来なかった。

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