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Last Crown  作者: 香山 結月
第2章 星明かりと瑠璃唐草
162/507

34-3

 道案内のフルーヴを抱えて辿り着いた小川は、幅が三メートル程の穏やかな川だった。

 木々に囲まれていて、どこからどこへ流れていくのか分からない。水面に星空が映って、きらきらと輝く小川の近くには水の精霊がいつもより沢山いた。

 浅くて、透き通る青緑の色。

 今にも飛び込みそうなフルーヴが亜莉香を見上げて、瞳を輝かせた。


「ありか、どぼんしよう!」

「どぼん?」

「どぼん!」


 おそらく川に飛び込むことだろうと予測する。

 辺りを見渡して大きな石を見つけた。石の上で靴を脱いで川に飛び込もうとする前に、後ろにいたルカの低い声がした。


「こんな夜に川に飛び込むな」

「ですが…ちょっとだけですよ?」


 振り返れば、腕を組んで睨むルカの隣に笑いを耐えるルイがいる。


「アリカさん、風邪ひくよ?」


 その通りだけど、納得はしない。フルーヴは不満そうな声を出す。


「だめ?」

「危ないと僕は思うよ」

「そうですよね」


 ルイの言葉に同意しつつ、亜莉香は大きな石の元に進んだ。あまりにも悲しそうに川を見つめるフルーヴに、優しく問いかける。


「とりあえず、フルーヴだけでもここからどぼんしますか?」

「いいの!?」

「いいですよ。どぼん、と言うからには高く上げた方がいいですか?」

「投げて!」


 馬車の中では高く上げられなかったので、思いっきり空高く投げた。

 見た目が小さな女の子でも、中身は精霊でとても軽い。投げられたフルーヴは途中で兎の身体になって、くるりと一回転して川に落ちた。

 どぼん、と音を立てて川の中に消えて、すぐに顔を出す。

 水の中はとても気持ち良さそうで、精霊達と一緒に遊び始めた。フルーヴが楽しいことなら楽しいに違いない。羨ましくなって、膝を抱えながら石の上に座った。

 ルカとルイが傍に来て、フルーヴを眺める。


「元気だな」

「ずっと馬車の上で暇だったからでしょう?宿に着いても隠れてばっかりで、遊んであげられなかったから」

「遊びに来たわけじゃないけどな」

「たまには息抜きだと思って、付き合ってあげようよ」


 ルイがしゃがんで両手を頬に当てた。ルカの視線の先もフルーヴに注がれている間に、亜莉香は気付かれないように靴に手を伸ばす。

 まずはルカとルイのいない左側の靴と足袋を脱ぎ、袴の影に隠した。両足を組んで足を入れ替えて、左手で右足に触れた。

 裸足になって、袴をどうするか考える。

 このまま川に飛び込めば濡れるのは確定だけど、袴を脱いだら飛び込むのがばれてしまう。どうせ着物は濡れるから、馬車に戻って着替えればいい。

 結論に辿り着くと、亜莉香は勢いよく立ち上がった。

 ルカとルイの口が開く前に、一歩を踏み込んで思い切って川に飛び込んだ。

 どぼん、と言うよりは、ばしゃん、の音が正しい。浅いと思っていた川は、しゃがんで頭を下げれば、全身が潜ってしまう深さだった。

 顔を上げれば、水面が揺れた。

 空気を思いっきり吸い込んで、両手を川の底につけたまま夜空を仰ぐ。


「気持ちいい」

「ありか!」


 名前を呼ばれて横を向けば、白い兎が頭に張り付いて倒された。

 水の中までルカとルイの慌てた声が響いて、両手を引っ張られて川から救い出された。もう少し遅かったら、息が出来なくて苦しくなったに違いない。

 咳き込んで、川の水を少し飲んでしまった。

 心臓は激しく脈打って、息を止めかけたフルーヴはまだ顔に張り付いている。

 ふかふかの毛並は濡れているのに、温かくて柔らかい。


「ありかも、どぼん!」

「フルーヴ、ちょっと離れようか」

「おい、頭は大丈夫か?」


 川に飛び込んだ亜莉香の神経を疑っているルカが言い、ルイがフルーヴを引き離した。首根っこを掴まれて、ぶらーん、とぶら下がったフルーヴは何事だろうと、不思議そうな顔をして亜莉香を見た。

 ルカとルイには悪いが、川に飛び込んで頭がすっきりした。

 心配しているルカは亜莉香の目の前に立って両手を掴んだままで、ルイは一歩下がって安心した表情になる。

 場違いだと分かっているが、亜莉香は笑いが込み上げて止められない。


「ご、ごめんなさい。まさか、フルーヴに倒されるとは思わなくて」

「笑い話じゃないだろ」

「その様子だと、大丈夫そうだね」


 ルカがそっと手を離して、亜莉香は右手で上がった口角を隠しながら頷く。

 フルーヴは何も分かっていなくて、はっとした顔でルイを見上げた。


「こんどは、るい投げて!」

「あー…うん、もうここまで来たら、全力で付き合ってあげるよっ!」


 最後の言葉を言い終えると同時に、ルイは力いっぱい空に向かって投げた。亜莉香よりも高く、ひゃー、と騒ぎながら小さな兎が川に落ちる。

 声を上げて笑えば、ルカが亜莉香に手を差し伸べて微笑んだ。


「久しぶりに、笑っているアリカの顔を見た気がする」

「私…そんなに笑えていませんでしたか?」

「まあな」


 素っ気なく言い、ルカは手を重ねた亜莉香を立ち上がらせた。

 髪まで濡れた亜莉香はにっこりと笑って、ルカの手を握り返す。


「もう大丈夫です。くよくよ悩んで、暗い顔をするのはやめました」

「それは良かった」

「そもそも悪いのはトシヤくんで、アリカさんが気に病む必要はなかったけどね」


 ルイがルカの隣にやって来て、亜莉香は瞬きを繰り返した。


「トシヤさんは何もしていませんよ?」

「いやいや、トシヤくんの態度が悪い。アリカさんは怒っても良かったぐらいだよ。一人で勝手にやきもきしてさ」

「あれはないよな」

「ないねー」


 ここ数日のトシヤを思い返して、ルカとルイは何度も頷いた。

 よそよそしくて、目が合うといつも先に視線を逸らす。亜莉香のことはルカとルイに任せて、何か言いたいことがありそうな顔をしても何も言わない。

 それは亜莉香も似たり寄ったりで、トシヤだけが悪いとは思わない。

 いつの間にかトシヤが悪役にされていて、亜莉香は小さな声で訊ねる。


「あの…私は嫌われたわけではありませんよね?」


 言ってから、聞かなければ良かったかもしれないと後悔した。

 ルカの瞳に憐みが浮かんで、ルイはおそらくトシヤがいる方角を見てぼやく。


「そこまで思い詰めさせた責任を、どう取らせるかな?」


 とても小さかった声は、ルカの耳にだけ届いた。

 何を言ったか亜莉香が聞き返す前に、因みに、とルイが何かを企んだ顔になる。


「アリカさん、簪を外す選択肢はある?簪がないのを見れば、あのトシヤくんでも行動を起こすと思うけど?」

「簪は、ちょっと」


 外したくない、と首を横に振った。

 もう手放せないものになっている。簪の存在が、亜莉香を勇気づけてくれることもあるから。一人じゃないとも思わせてくれて、それ以外は、と考えれば思考が止まった。

 それ以外の理由が、上手く言葉に出来ない。

 ルイが微笑み、踵を返して川から出る。


「なら、そのままでいいや。僕はタオル取って来るよ。冷える前に遊ぶのをやめて、ここで待っていてね」

「最初から遊ぶつもりはない」

「あ…お気を付けて」

「るい、もう一回!」


 川から上がったルイの肩に、ぴょんとフルーヴは飛び乗った。

 肩が濡れてもルイは気にしない。仕方がない、と言いながら空高く投げ飛ばして、フルーヴにこれ以上捕まらないように、逃げるように来た道を戻っていなくなった。

 その後ろ姿を見送って、ルカは亜莉香に陸に上がるように促す。


「ほら、上がろうぜ」

「…もう少しだけ遊びませんか?」


 上目づかいでルカの瞳をじっと見れば、ため息が返って来た。

 駄目とは言われなかったので、フルーヴの名前を呼ぶ。川に落ちて浮かんでいたフルーヴはすぐさま駆け出して、飛びついた衝動で亜莉香の足が滑った。

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