33-5
老夫婦の娘さんのお古である、白と紺のストライプの着物に身を包んで亜莉香は布団の上に正座をした。膝の上にはフルーヴがちょこんと座って、夜食に貰った梅のおにぎりを両手で頬張っている姿に、目の前に座るトシヤとルイの視線が注がれる。
夕食後に集まったのは空いていた子供部屋で、ベッドと布団が一組ずつ。
ベッドに腰かけていたルカは、それで、と話し出した。
「明日からどうする?」
「連れて行くしかないでしょう?移動の時は先頭にいる僕かルカの馬に乗せて、姿を見られないようにする。人前にいる時は…他の姿になれるっけ?」
「最近は兎か人の姿しか見ていませんね」
「どこかに隠すのが一番だろ?」
「かくす?」
布団の上で胡坐をかいていたトシヤの言葉を繰り返して、自分の話だと何一つ分かっていないフルーヴが首を傾げた。
誰も手を付けない夜食を、もぐもぐと食べる口が止まる。
「かくれんぼ?」
無邪気な閃きに、暫しの静寂が訪れる。
「…かくれんぼと言うことにしても、構いませんか?」
「いいよ。ここにいる人以外にフルーヴのことは話したくないから、自分で隠れてくれるなら有難い」
「一から説明するのは無理だしな」
「かくれんぼ!」
「思う存分、かくれんぼをしてくれ」
投げやりな言い方になったルカを、フルーヴは楽しそうに振り返る。
「るか、おに!?」
「違う。ここにいる四人以外が鬼で、フルーヴが見つかったら負け」
「わかった!」
おにぎりを持ったまま立ち上がり、フルーヴは口に全部放り込んだ。頬を膨らませて兎の姿になると、亜莉香を振り返ってその肩を飛び越える。
後ろを見るとフルーヴの姿はなく、あれ、と声が零れた。
「フルーヴ?」
「アリカの髪の中に隠れた」
「そう言うことですか」
「みえないの!」
楽しそうな声だけがして、帯にくっついているのが分かった。かくれんぼが気に入ったフルーヴがそのままでいるので、今のうちに念を押しておく。
「フルーヴ、絶対に他の人に姿を見せちゃ駄目ですよ」
「みせない!」
「ひとまずこれで様子を見よう。もしも見つかりそうなら、ルカの結界の中に閉じ込めてしまうのも一つの選択肢」
「容赦ない選択肢だな」
「こんな小さくても、魔法が使える精霊様だからね」
油断大敵と言わんばかりに、ルイは真面目な顔で声を落とした。
「結界の中に閉じ込めたら、いくら精霊様でもそう簡単には逃げ出せない。他の人に見つかったら、そのままずっと閉じ込めて、家に帰ったらピヴワヌ様に怒られるだろうね」
ピヴワヌの名前は効果てきめんで、びくっとフルーヴの身体が震えた。脅しは十分な効果を発揮して、怒られるのはフルーヴだけだ。
「フルーヴ、みつからないもん」
「そうだといいねー」
「まけないもん!」
意気込んだ拍子に女の子の姿に戻って、ルイと目が合うと慌てて隠れた。また兎の姿に戻ったフルーヴに、亜莉香は優しく話しかける。
「フルーヴ、今から隠れなくても大丈夫ですよ」
「れんしゅう!」
「よし、じゃあ頑張ってみよう」
わざと両手を叩いて大きな音を出すと、フルーヴが驚いて亜莉香にしがみついた。
「だいじょうぶだもん。だいじょうぶだもん」
「ルイさん、あまり苛めないで下さいね」
「可愛い子は苛めたくなるよね」
「その性格直せよ」
反省の色が見えないルイに、呆れてルカは言った。
「あと、帰る気ないだろ?」
「当たり前じゃん。僕なんて女と勘違いされて、チアキさんと同じ部屋に案内されたからね。一緒の部屋で寝たくないもん」
ごろん、と後ろに寝転がったルイが腕を枕にして、天井を仰いで呟く。
「多分、野郎二人も僕を女と勘違いしている気がする」
「そういう風に振る舞ったのは、ルイ自身だろ」
「違うよ、トシヤくん。あっちが勝手にそういう風に勘違いしたの。僕は聞かれていないことに答えていないだけ」
あーあ、と今にも寝てしまいそうなルイは屁理屈を並べて、腕で顔を覆う。
「どこかで男だって申請するよ。男だって勘違いされているルカと一緒に」
「俺の勘違いはそのままでも良くないか?」
「そのせいで、野宿の時に火の見張り番をさせられたら嫌でしょう?馬鹿領主の息子の傍で寝ることはなくても、野郎の傍で寝るなんて事態も、あり得ない」
段々と声が小さくなって、ルイはそのまま静かになった。ゆっくりと胸が上下に動いて、瞬く間に布団の隅で寝てしまう。
呆れ果てたルカが立ち上がって、反対側に置いてあった掛け布団の塊を手に取った。
「アリカ、悪いけどベッドに上がってくれ。トシヤは布団で寝ろよ。俺とアリカでベッドを使って、ルイはそのまま寝させる」
「俺がルイを連れて帰ろうか?」
「雨の中ですか?」
ベッドの上に移動した亜莉香の一言で、トシヤが窓の外に目を向けた。
小雨とは言え傘は必要で、ルイをおぶって帰るのは大変そうだ。渋い顔になったトシヤは考え始めて、ルカが言う。
「ルイが寝ているから、トシヤもここで寝て行けよ。帰るならルイも連れて行け」
「ここで寝ていく方がましだな」
ルイを連れて帰る選択肢を諦めて、遠くを見つめてトシヤは言った。
ひょっこりとフルーヴが顔を覗かせて、亜莉香を見上げる。
「ねる?」
「寝ましょうか?」
「うん!」
大きく頷いたフルーヴはベッドの真ん中で仰向けになって、足をばたつかせた。楽しそうフルーヴの奥、壁際に亜莉香が移動すると、ルカはベッドに腰かけたままルイを眺めていた。
「ルカさんはまだ寝ませんか?」
「どうやったらルイがシンヤと仲良くするか考えてから寝る」
「それ、可能なのか?そもそもルイはシンヤの何が気に入らないんだよ?」
ルイと反対の向きで横になって腕を枕にしていたトシヤの問いに、ルカは即答する。
「全部だろ」
「それ、考える必要ないな」
「確か顔を見るとイラッとするって言っていた。数日前の紙鳥の件を根に持っていて、誠心誠意の謝罪があっても意味が無さそうだから、別の方法があればいいなと」
「ルカさんは、二人が仲良くなって欲しいのですか?」
横にならずに座ったまま、亜莉香は訊ねた。
腕を組んで唸りながら、ルカは首を振る。
「いや、別に」
「尚更考えなくていい問題だよな?」
「旅の間だけ、喧嘩をしないで俺に被害が出なければいい」
切実に聞こえた回答に、亜莉香もトシヤも同意しそうになった。
「それは旅をしながら、おいおい考えませんか?」
「そうだよな…今日はひとまず寝るか。アリカ、寝る前にトシヤに言わなくていいのか?」
不意に振り返ったルカに、亜莉香は聞き返す。
「何を、ですか?」
「護人のこと」
「…あ」
「護人?」
瞬きを繰り返したトシヤと目が合い、亜莉香は気まずくなって視線を少し下げる。今を逃したら言い出せなさそうで、ぎこちなく言葉を選ぶ。
「その…セレストに着いたら、瑞の護人を探したいな、と」
「なんでまた急に?」
「会って、話がしたくて」
正直な気持ちを口にした。
嘘や隠し事は嫌で、言葉を続ける。
「トシヤさんの家族を探すことが、一番の優先事項です。ただその傍ら、瑞の護人を探してみようかな、と。駄目ですか?」
顔を上げてじっと見つめれば、トシヤが先に視線を外した。
「それは俺の決めることじゃない」
「そう…ですよね」
素っ気ない声に、話したところで何を期待していたのか分からなくなった。それでも言えて良かったと思う気持ちと、やっぱり言わなければ良かった気持ちが混ざり合う。
ルカは亜莉香とトシヤを見比べても、何も言わない。
無邪気なフルーヴが亜莉香の名前を呼んで、そのすぐ後に部屋の電気は消えた。




