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Last Crown  作者: 香山 結月
第2章 星明かりと瑠璃唐草
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32-1

 森の中に、壊れた鈴が落ちていた。


 真っ白の紐がぼろぼろになって、金色の装飾が剥げてしまった鈴。拾って音が鳴るか確認すると、微かにリンとした音がした。

 綺麗な音色を合図に、木々がアーチ状になって一本道が現れる。

 鈴を持って先に進むと、突然視界は開けた。


 石を重ねて作った低い石壁の中に、広い敷地。石壁の隙間から流れた小川の先に丸く浅い池があり、大きな樹の下にはテーブルと椅子。敷地の端にひっそりと、チョコレート色の屋根の可愛らしい一軒家。

 扉や窓枠の色は屋根と同じ色で、煉瓦の外壁はこんがりと焼けたクッキー色。家の近くに薪を割る場所があり、つるバラが家の外壁で咲き誇っていた。


 晴天の下、敷地内で沢山の花が咲く。

 季節を無視して、真っ赤な牡丹の花や八重桜、青い瑠璃唐草や黄色の向日葵に緑の薔薇。数えきれない花々が綺麗なのに、池の縁で女性が泣いていた。

 ぺたりと座り込んで、小さな子供のように泣き続ける。

 傍には誰もいなくて、両手で顔を覆って声が響く。

 横から眺める真っ直ぐな金色の髪は肩の長さしかなくて、両側の髪の一部を三つ編みにして一つにまとめていた。淡く白い着物にも色鮮やかな花が咲き誇り、帯は空の色。


 どうして、とリリアの声が零れた。


「なんで…どうしてなの」


 泣いている理由は分からなくて、溢れた涙が頬を伝って着物を濡らす。


「透…お願い返事をして」


 お願い、と繰り返した声が掠れた。

 嗚咽が混ざって、何も映っていない水面に向かって言葉を重ねる。


「こんなの嫌よ。こんなこと、望んでないわ。触れられなくても、直接会えなくてもいいから顔を見せて。声を聞かせてよ。私に出来ることなら何でもするから、だから――」


 強い風が吹いて、早口になった声は止まった。

 感情を抑えきれないリリアの頭や着物に、色とりどりの花びらが降り注ぐ。


「お願い。誰か透を助けて」


 小さな祈りが、耳に響いた。






 勢いよく飛び起きた亜莉香は、浅い呼吸を繰り返した。

 心臓が五月蠅くて、全身に血が駆け巡る。かけていた毛布を握りしめて、乱れた息を整える。汗をかいた全身の熱が少しずつ冷めていくと、ゆっくりと息を吐いた。

 さっきの光景は夢だと、はっきり認識して後ろに倒れる。

 倒れた身体は柔らかいソファに埋もれて、肩の力を抜いた。


「…何だったの?」


 リリアとは直接会ったことはない。

 夢の中で一度だけ会い、それ以降は夢に出て来ることはなかった。

 意味が分からず、両腕で顔を隠して考える。亜莉香が夢の中で迷い込んだ場所は、どこかの森の中。可愛らしい一軒家の敷地の中に、小川があり池があった。季節を無視した色鮮やかな花々が咲き乱れて、低い石壁に囲まれていた。


 透を助けて、とリリアは子供のように泣いていた。


 夏までに帰ると言った透は、まだ姿を現さない。直接会って色んな話をしたいのに音沙汰がなくて、亜莉香から連絡する方法もない。

 夏を待っているだけでいいのか、悩んでいた時期にこの夢だ。

 何かを意味しているようで、心に突き刺さる。


「どうすればいいの?」


 自問自答しても意味はなく、そっと腕を解いた。

 隣を見れば、ソファの半分で腕を組んだままのルカは難しい顔をして寝ている。亜莉香同様に毛布をかけていて、今更ながら茶の間のソファで寝ていたのだと思い出す。

 昨日の夜はユシアが男三人と精霊を説教している最中に、そのまま寝てしまった。

 その証拠に亜莉香とルカの位置は変わらず、ユシアがテーブルに腕をおき、枕にして眠っていた。怒りは収まり、毛布に包まって気持ちよさそうでもある。


 二人を起こさないように、亜莉香はそっと立ち上がって茶の間を出た。

 ユシアと共有している部屋に行き、鏡台に置いていた黒いちりめん細工の髪飾りを手に取る。透からお守り代わりに貰った髪飾りは、残り花びら三枚。

 赤く染まって道標となる魔道具は、その色が変わらずに黒いまま。

 灯籠祭りが終わってから常に持ち歩いてはいるが、髪飾りの色は変わらない。平凡そのもの日々で、魔法を使うこともなければルグトリスと出くわすことも少ない。

 もし路地裏でルグトリスを見かけても、すぐにトシヤやピヴワヌが倒してしまう。

 護人ではあると自覚しているが、精霊の声に耳を傾けるだけで十分だとピヴワヌには言われた。おかげで世間話をする相手が増えて、日々が少し騒がしい。


 カーテンを閉め忘れた窓の外に目を向けると、遠くの空に精霊がいた。

 風に流れるように飛んでいく姿があり、数羽の小鳥も飛んでいる。晴れた空を背景にして優雅に小鳥は飛んで、そのうちの一羽が急転換した。


 真っ直ぐに間違いなく、亜莉香目掛けて飛んで来る緑の光に包まれた小鳥。

 嫌な予感を覚えて、窓から離れる。ぐんぐんと近づいて来る小鳥の勢いは止まらず、激突した衝動で家全体が微かに揺れた。

 窓に激突しても、紙で出来ていた小鳥は全く問題がない。

 呆然とした亜莉香は胸の前で両手を握りしめて動けない。

 一度は潰れて、形が戻った小鳥は首を回す。小さな身体を見渡して、頷いたような仕草の後に、高速で細かく窓を突かれては騒音になる。

 窓を開けない限り、小鳥は突き続けるのだろう。

 仕方なく窓を開けると、小鳥は素早く部屋の中に滑り込む。髪飾りが置いてあった鏡台にちょこんと座り、よく見るとつぶらな瞳は黒と赤を帯びた橙色。

 同じ瞳の色の人物が、亜莉香の頭に浮かんだ。

 見なかったことにしたい。または小鳥はいなかったことにしたかったのに、口を開いた小鳥は大きな声で叫んだ。


「おはよう!今日の目覚めはいかがかな?」


 あまりに大きな声に、亜莉香は耳を塞ぐ。


「今朝は素晴らしい晴れ間だ。午前中は曇り空になるかもしれんが、昨日のように午後は晴れるかもしれない。雨でも構わんのだが、今日の午後はお茶会をしよう」


 一方的な口調で、とても楽しそうな声。

 何事かと寝起きのトシヤがやって来て、喋る小鳥を見て言葉を失った。


「もしもこれをトシヤ殿が聞いていたら、一緒に参加してくれたまえ。遠慮はいらない。お茶も菓子も十分に用意しているのでな。正午にケイ殿の店に迎えに行くから、出掛ける用意をしていてくれ。そうそう、最近は――」


 長々と続く話の途中で、トシヤを押しのけてルイが部屋に入った。

 トシヤは昨日の格好のままだったが、髪が乱れたルイは寝る時用の着物姿。普段は可愛らしい美少女にしか見えない格好からは想像出来ないほど、機嫌が悪くて肌蹴た着物から覗くたくましい身体は間違いなく男だ。

 問答無用で、ルイは鏡台に座っていた小鳥を握り潰すように掴んだ。

 勢いよく床に叩きつければ、見るも無残な状態となった小鳥は何も喋らない。


「五月蠅い」


 たった一言を言い残して、踵を返した。

 あまりの剣幕に、声をかけられる雰囲気はない。髪を掻きながら部屋を出て行ったルイを見送って、残された亜莉香とトシヤは顔を合わせる。


 どちらかともなく、緑の光が消えた小鳥だった手紙に目を向けた。

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