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Last Crown  作者: 香山 結月
第2章 星明かりと瑠璃唐草
146/507

31-3

 人の多い道から奥に行き、賑わう市場の音を遠くに裏路地を進む。

 雨が上がった地面は所々水たまりがあって、太陽の光を反射した道はいつもより明るい。滅多に人とすれ違わないのでフミエの隣を歩き、ルカとルイの思い出話に耳を傾けていた亜莉香は名前を呼ばれて振り返った。


「アリカ姉ちゃん!」


 後ろから駆け寄って手を振るコウタの笑顔は眩しくて、亜莉香の足が止まった。

 会うたびに少しずつ背が伸びているコウタの髪は、明るく華やかな赤。暑さを理由に袴を穿かず、くすんだ黄緑色の着物に涼しげな青の帯で草履姿。

 子犬から中型犬に成長していくような印象で、腰には長い棒を身に付けていた。

 本人は日本刀を持ちたいと騒いでいたが、まだ早いと言われて母親であるムツキのげんこつが落ちた。親子喧嘩の仲裁となった父親コウジの苦労が絶えなかったと言うのは、もう数か月前の話。

 父親譲りの臙脂色の瞳に、亜莉香は笑いかける。


「こんにちは、コウタくん」

「市場に行ってもいないから探したよ」

「私を、ですか?」


 うん、と大きく頷いてから、コウタはフミエの存在に気が付いた。亜莉香とフミエを交互に見て、勢いよく頭を下げる。


「こんにちは」

「こんにちは」

「友達?」


 顔を上げて訊ねられた言葉に、右手を顎に寄せて亜莉香は首を傾げる。


「うーん…私が友達になりたい人、でしょうか?」

「アリカさんが良ければ、友達になって頂けると嬉しいです」

「本当ですか?」

「勿論です」


 嬉しそうな笑みを見て、亜莉香は思わず風呂敷を握っていたフミエの両手を掴んだ。


「よろしくお願いします、フミエさん」

「こちらこそ」


 感動と喜びが全身から溢れた亜莉香より、フミエは落ち着いていた。

 どんな状況なのか、コウタは腕を組んで難しい顔をする。それからとても不思議そうな声で、小さく呟く。


「友達の宣言いる?」

「何か言いましたか?」

「ううん。それより、母さんからの伝言があってさ。今日の夕方にでも去年漬けた梅ジュースを取りに来て欲しい、だってさ」


 今日の夕方、と小さく繰り返して、今後の予定を確認する。

 これからヤタの診療所に行き、余った時間でフミエの買い物に付き合う。夕方にはフミエを裏門まで送って、夕飯の買い物をして帰ってからとなると時間は遅くなる。

 遅い時間で迷惑なら明日にしようと、ひとまずコウタに聞いてみる。


「夕方の遅い時間でも大丈夫ですか?」

「いいよ。じゃあ、それで伝えておくね。俺はこれから遊びに行ってくるから」


 じゃあね、と来た道を走って戻る背中に、亜莉香は両手を口元に当てて叫ぶ。


「お気を付けて、いってらっしゃい!」

「分かっているよ!行ってきます!」


 少し恥ずかしそうな顔で、コウタは振り返った。

 大きく手を振って、今度こそいなくなる。裏路地から市場の方へ消えてしまったコウタを見送ってから、亜莉香とフミエは顔を合わせて、どちらかともなく静かに笑い出した。






 リーヴル家の巫女からです、とフミエが風呂敷を差し出した。

 テーブルの上に置かれた上品な金の糸で、牡丹の花が施された深紅の風呂敷にユシアは驚いて、斜め向かいに座っていた亜莉香に助けを求める視線を送る。

 その視線に気付いて微笑み、テーブルの端に追いやられていたサクランボを口に含んだ。


「甘くて美味しい」

「今日来た患者さんからの差し入れなの――じゃなくてね!こんなの貰えないわよ!確かにルカとルイを家に置いているけど、世話をしているわけじゃないのよ!」


 押し返すように両手を前に出して、困惑したユシアは言った。

 当然の来訪に驚きながらも奥の部屋まで通してくれたユシアの、透き通る芽吹いたばかりの草木の色の髪に、鈴蘭の簪が揺れていた。長い髪を左側で一纏めにして、夏らしい青系統の毬と花が描かれた白地の着物に深く渋い緑色の袴。


 時々訪れるヤタの診療所の奥部屋は、ユシアの瞳と同じ濃い抹茶色の家具が目立つ。テーブルとソファなど多くの家具の色が統一されていて、壁や床はくすんだ薄い黄褐色の枯色。ススキのような色の部屋の中で、亜莉香は寛いで成り行きを見守る。

 とても困った顔のフミエが風呂敷を押し出すと、ゆっくりと口を開いた。


「是非、お世話になっている方々にと言付かって来ました。私が持ち帰るわけにはいきませんので、遠慮なくお納めください」

「いや…あの――アリカちゃん助けて!」


 泣きそうなユシアの声に、もう一つサクランボを食べようとした亜莉香は顔を上げた。

 ユシアはどうすればいいのか分からなくて、フミエは受け取って貰えなくて困っている。部外者だと思っていたので、サクランボを食べて少し考える。


「私も居候している立場で、お世話になっている身だよ?」

「私よりルカとルイの世話をしているでしょう!」

「そんなことは…ないかな」


 段々と声が小さくなって、ここ最近のルカとルイを思い出す。

 春になったらルイの部屋の片付けに付き合って、破けたルカの着物を縫い直した。代わりに和菓子を買って貰ったり、買い物に付き合ってもらったりした。

 お互い様と言えばお互い様で、世話をしているわけない。

 呑気に考え始めると扉が開き、たれ目が印象的なヤタが顔を覗かせた。


「おや、お邪魔だったかな?」

「お邪魔しています」

「初めまして、フミエと申します」

「ヤタと申します。そのままでいいですよ。私は少し忘れ物を取りに来ただけで、すぐに退散させていただくからね」


 慌てて立ち上がったフミエに座るように促して、ほっほっほ、と笑いながらヤタは棚の前に移動した。何か本を探すヤタの白髪は薄くなっていくばかりで、地味な深くて黒に近い紺の着物とぼろぼろの下駄。

 座ったフミエと入れ替わるように、すかさず立ち上がったユシアが傍に寄る。


「先生!ルカとルイがお世話になっているからと、フミエさんがわざわざお礼の品を持って来てくれたのですが!」

「おや、そうなのかい?」


 のほほんと言って、一冊の本を手にしたヤタがテーブルに近づいた。

 深紅の風呂敷に手を伸ばせば、丁寧に広げて中から木箱を取り出す。慣れた手つきで風呂敷を畳もうとして、上手くいかずにテーブルの端に寄せてから、木箱の蓋を開けた。

 中に入っていたのは、三本の長細い羊羹。

 小倉入りと黒砂糖入り、抹茶の三種類。それぞれ個包装してあって、はっきりと品名が書いてあった。

 嬉しそうに深い紺色の瞳を細めて、そのうち一本を箱から取り出す。


「頂いても?」

「はい。是非、召し上がって下さい」

「ご馳走様です。ありがとうございました」

「いえ、私は届ける命を受けただけで――」


 フミエが話している途中で、ヤタは包装を外して一本まるごと食べ始めてしまった。

 青ざめたユシアが悲鳴のような声を上げて止めようとしても、ふぉっふぉっふぉ、と食べながら呆然としたフミエに微笑む。


「美味しいですね」

「…伝えておきます」

「お願いします。ちゃんと手を洗いますから、大丈夫ですよ。ユシア」

「そういう問題じゃないですから!なんでも受け取って、すぐに食べるのをやめて下さいと何度も言っていますよね!」


 とげとげしいユシアの声を聞き流して、ヤタは目ざとくサクランボを見つけた。


「おや、そこにはサクランボも?」

「食べますか?」


 子供のように目を輝かせたヤタに、思わず亜莉香はサクランボが入っていた皿を差し出した。ヤタは数個を手に持ち、羊羹と交互に食べる。


「夏ですね」

「先生!」

「そろそろ戻るので、残りはアリカさんが家に持って帰って下さい。ではまた」


 ほっほっほ、と笑いながら、羊羹と本を片手にヤタは部屋から出て行った。

 廊下に出るまでユシアの小言が続いて、扉が閉まってから盛大なため息を零した。ふらふらと倒れるようにソファに座り込み、頭を抱えたユシアが情けない声を出す。


「本当に変な所が大雑把で…ごめんなさい」


 身内の羞恥で顔を上げられないユシアにかける言葉はなく、亜莉香は持っていたサクランボの皿をそっとフミエに勧めることにした。

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