31-2
食べきれなかったパンはヨルに任せて、亜莉香はフミエを図書館まで案内した。
外観があまりに古くて言葉を失い、足踏みするフミエの手を引いて中に入れば、真っ赤な絨毯が敷いてある広々とした階段と明るい室内に立ち尽くす。
驚くのも無理はない。図書館の外観からは想像出来ない綺麗さがある。
「ここが図書館ですか?」
「はい。いつもなら誰か来れば、ルカさんかルイさんが出てきます」
話している途中で、二階の扉の一つが開いた。
現れたルカは数冊の本を左手に持ち、右手で本を読みながら淡々と言う。
「用があったら、声を掛けてくれ」
「ルカさん、フミエさんをお連れしました」
「分かった…て、フミエ?」
いつものように曖昧な返事をして、引き返そうとしたルカが本から顔を上げた。玄関前にいたのが亜莉香とフミエだと確認すると、本を手放さずに目を見開く。
「なんで?」
「会いに来たの。ルカはいつもそんな風に仕事をしているの?」
「これはちょっと情報を探している途中で――じゃなくて!ちょっとそこにいろよ!」
ルカは本を置きに行く為、どたばたと部屋に戻った。
入れ替わるように隣の部屋からルイが顔を覗かせ、驚きもせずに手を振る。
「珍しい組み合わせだね。どうしたの?」
「私はフミエさんを案内してここまで来ました」
平然といつも通り話した亜莉香の隣で、フミエは少し身体を強張らせた。気まずそうな顔になって、ルイが右手の人差し指で頬を掻く。
「僕、席外そうか?」
「いえ、その…出来たらルイ様にも報告をさせて頂きたいことが」
「そう?そっちの方が僕としても嬉しいけど」
独り言のようにルイは言い、ルカのいる隣の部屋を覗き込んだ。何やら五月蠅い部屋を覗き込んで、部屋の中からルカを引っ張り出しに行く。
ヨルが持っていた風呂敷を、両手で握りしめていたフミエの肩に力が入った。
ルイ相手では緊張する様子に、亜莉香は小さく呟く。
「ルイさんはもう何も気にしていませよ?」
「え?」
「フミエさんはいつも通りで大丈夫です」
出来るだけ緊張が解けるように、優しく言った。
いつも通り、と小さくフミエは繰り返す。騒ぎながら階段まで手を引かれたルカと、呆れ果てたルイがやって来て、踏み出したフミエを亜莉香は見守る。
途中でルイの手を振り解いたルカは、フミエより深い紅色の髪を高い位置で一つにまとめて、黒の飾り紐で結んでいた。無地の藤色の着物に深い紫の袴を合わせ、同じ年代の女性の服装からしたら地味で目立たない格好。
驚きの色を深い紫の瞳に宿して、階段の途中までやって来たフミエを抱きとめた。
「会いたかったわ、ルカ」
しがみついたフミエに、ルカはもう一度問いかける。
「なんでここに?」
「お休みを貰ったの。それで急だけど、ルカに会いたくなって」
「お休みって…今までそんなこと一度も――」
驚いていたルカの声が途切れて、眉間に皺を寄せてフミエから一歩離れる。
ルカの後ろで亜莉香同様に見守っていたルイは、話を察して階段の手すりに寄りかかった。全長五十センチ程の長さの日本刀を腰に身に着けていても、腕を組んだ姿は絵になって美少女にしか見えない。
淡い水色と白の矢羽柄は亜莉香の着物より大きく、袴は白い百合の髪飾りを付けて耳から上の髪をとって結んでいる髪と同じ桃色。深い緑の瞳で、笑みを浮かべたまま黙り込む。
亜莉香とルイの存在を忘れて、ルカは満面の笑みを浮かべたフミエを見つめた。
「その、まさかじゃないよな?」
「そのまさかよ。ルカが背中を押してくれたじゃない」
「押したけど、そんな上手くいくとは思わなくて」
「イオ様も手伝ってくれたの。だから案外上手くいって、私はあの家から出たのよ」
にっこりとフミエが笑えば、ルカは若干顔を引きつらせる。
「本気だったのか」
「勿論。だからルカには、直接報告とお礼を言いたくて」
一呼吸を置いて、フミエは身を引いた。ルイに目配せすれば頷き返される。ルイより下の階段で風呂敷を傍に置き、ルカに向かって両手の指先で袴を掴むと優雅に会釈した。
「改めまして、リーヴル家の分家フミエ・スリーズ・リーヴルから名を改め、フミエ・ポム・リーヴルと申します」
「…養子じゃなくて、どこかに嫁ぐ方が楽だっただろ?」
「あら、相手もいないのに嫁げないわ。だから養子として他の家に移ったの」
「ポムの家には後継ぎがいなくて、小さな宿をご夫婦で経営していた話だよ。フミエは元々宿の子で、後継ぎとして問題なくて誰も損しなかった、でしょう?」
姿勢を元に戻したフミエに、ルイは微笑んだ。
「はい。ルイ様もお力添えありがとうございました」
「僕はイオと少し話しただけ。最近はイオの話し相手として、よく本家に顔を出していると聞いたよ。どうもありがとう」
「ルイ様にお礼を言われる程のことでは」
嬉しそうにはにかんで、ルカだけが未だ半信半疑の顔色を浮かべる。
「よく家族が許したな」
「少しは揉めたけど、何とかなったの。イオ様の力が大きくて、両親が反対する隙を与えないように裏で手を回してくれて」
「これで今度の帰省は、フミエの宿でゆっくり休めるね」
「それが目的で養子の話を押したわけじゃないよな?」
ルカの疑惑の視線が注がれたルイは、可愛く舌を出す。
「ばれたか」
「ばれたか――て、おい」
「怒らないで。最初に家を出たいと言ったのは私よ、ルカ」
名前を呼ばれてルカは睨むのをやめ、フミエに向き直って肩の力を抜いた。
「フミエがそれでいいなら良かったよ」
「色々と相談に乗ってくれて、本当に助かったわ。ありがとう。それから今度、帰って来た時には是非泊まりに来てね。いつでも歓迎するし、精一杯のおもてなしをさせて頂きます」
嬉しくて堪らないフミエに、ルカが頷いて笑いかけた。
話がまとまって、ルイは一部始終を見ていた亜莉香に視線を向ける。
「アリカさん、今日の午後は予定大丈夫だった?」
「大丈夫ですよ。これから夕方までフミエさんに街を案内しますが、お二人はご一緒出来ますか?」
「そうしたいのは山々だけど、探している本があってね」
「今はちょっとな」
渋い顔になったルカとルイに、風呂敷を拾ったフミエは慌てて言う。
「二人とも仕事を優先してください。私はルカに会いたかっただけで、仕事の邪魔をしたかったわけじゃないので。人手が必要だったら私も手伝います」
「いや、フミエはアリカに街を案内して貰えよ」
「そうだよ。因みに次はどこ行く予定なの?」
興味本位のルイの質問に、亜莉香が即答した。
「診療所に行く予定です。ヤタさんとユシアさんに会いに」
診療所にいるはずの人物を思い浮かべて、ルカとルイはほぼ同時に瞼を閉じた。お互いに無表情になって、何を思い出したのか真面目な顔になる。
「俺らは仕事するか、ルイ」
「だね。診療所に行くのは、ね」
「…また、どこか怪我をしています?」
亜莉香の質問に、肯定も否定もなかった。ルカは左手で右手首を押さえて視線を下げて、ルイは明後日の方向を見つめる。
日々、神社で模擬戦を行っているのは知っている。
手加減なしに拍車がかかって、トシヤも巻き込んで怪我をして帰って来る日もある。そんな日はユシアが帰ってくる前に自分達で包帯を巻いたり薬を塗ったりして、結局怪我を見破られて怒られることの繰り返し。
「素直に白状した方がいいと思いますが」
どうせ聞き入れない忠告に、ルカとルイは何も言わなかった。




