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Last Crown  作者: 香山 結月
第2章 星明かりと瑠璃唐草
144/507

31-1 星彩涙雨

 月日が流れて、二度目の春が過ぎた。


 純白の雪が辺り一面を白く染めた冬は雪かきに追われ、ルカとルイを先頭に雪だるまやかまくらを作って遊んだ。雪合戦をして全身が冷たくなるとユシアに怒られて、暖炉の火で温まりながら甘酒を飲んだ。

 花が咲き乱れる春は桜が満開で、何回もお花見をした。いつも誰かが桜の木の下にいて、知り合いが知り合いを呼んで人が集まる。庭で夜桜を見た時はトウゴが酒を持って来て、騒ぎすぎてはトシヤを怒らせていた。


 あっという間の日々で、気付けば水張月の半ば。

 朝から降っていた雨が止んで、灰色の雲の隙間から青空が覗いた。日が差して、雲が流れて空模様が変わっていく。

 足元にある水たまりに、青と白の矢羽柄に勿忘草が散りばめられた着物と、着物と同じ勿忘草が控えめに描かれた紺がかかった濃い藍色の袴姿が映る。

 顔を上げれば、両脇の髪を少し編み込んでまとめていた簪が揺れた。真っ赤な牡丹の花が描かれた薄いガラスの簪は、一瞬だけ太陽の光を反射する。

 晴れていく空に微笑み、パン屋で仕事をしていた亜莉香は夏が近づいているのを感じた。


「今日はこのまま晴れるといいですね」

「あら、何か予定あるの?」

「いえ、特には。今日は帰りに買い物をして、家でゆっくりしようかと」


 ほんわかとした気持ちで答えれば、隣にいたモモエも空を見上げた。

 爽やかな明るい緑色の着物に、落ち着いた淡い黄色の帯。髪と同じ明るい橙色の帯留めを身に付けていたモモエは、背中に一歳になったばかりのアリシアを背負い、起こさないように揺らす。


「もう一年近く経つのね」

「何が、ですか?」

「アリカちゃんが手伝ってくれるようになって。それから、アリシアが生まれて」

「早いですね」


 しみじみと言って、亜莉香はぐっすりと寝ているアリシアを見た。

 名前を呼ばれたからなのか、アリシアは父親であるワタルと同じ琥珀色の瞳を僅かに開けた。目をぱちぱちしたかと思うと、ゆっくりと瞼を閉じる。

 モモエと同じ色の髪を二つに結ばれて、紫陽花柄の色鮮やかな着物姿はとても可愛い。

 どんどん成長していくので、そろそろ言葉を話すのではないか。一人で立てるようになるのではないか、ワタルが毎日そわそわしていた。


 亜莉香がそっと小さな手に触れると、寝ているはずなのに握り返された。

 昼を過ぎて、店の前に人はいない。並んでいたパンも残り少なくなって、店の中で午後から売るパンを作り終えたワタルが来るまで、亜莉香はアリシアの寝顔を眺める。


「アリシアちゃんは、最初になんて話すのでしょうね」

「あの人はお父さんと呼ばせたくて、毎日話しかけているわ。もうそれが、五月蠅くて仕方がなくて――」


 ワタルの文句が始まりそうになって、あの、と小さく声がした。

 遠慮がちな女性の声に、モモエと同時に振り返る。いらっしゃいませ、とモモエは笑顔で言ったが、亜莉香の声は途中で消えた。


 ちょっと困った顔のフミエと呆れているヨルがいて、瞬きを繰り返す。


「フミエさんに、ヨルさん?」

「なんで疑問形だよ」

「覚えていてくれて嬉しいです」


 腕を組んでいたヨルはため息を零して、フミエは安心して胸を撫で下ろした。

 風呂敷一つ携えて、藍色を帯びた鼠色の着物に黒の袴。くせ毛の短髪が所々はねているヨルの髪の色は緋色で、熟した蜜柑のような瞳は橙色。

 ヨルの隣に並ぶフミエの背は低くて、亜莉香よりは僅かに高い。白地の着物の袖に黄色の睡蓮が咲いて、袴は鮮やかな紫みの青の杜若色。撫子と光跡花の簪を挿した薄い紅色の髪を後ろでまとめて、耳には透明から水色に変わっているガラス玉の耳飾り。

 蒲公英のような黄色の瞳の持ち主が、ぎこちなく笑みを零す。


「突然ごめんなさい。急なお休みが出来て、ルカに会いに来たのです。さっき着いたばかりでお昼を食べていなくて、どこにしようか迷ったら、前にルカの手紙でアリカさんがパン屋で働いているのを思い出して」

「とりあえず腹減ったから、何か買っていいか?」

「勿論です」


 驚きが抜けないまま、亜莉香は力強く頷いた。フミエとヨルがパンを選んでいると、モモエが亜莉香の肩を叩いて小さな声で訊ねる。


「知り合い?」

「そうです。普段は温泉街の方に住んでいる方で」

「あら、わざわざ来た人達なのね。それなら――」


 うふふ、と口元を隠してモモエが笑う時は、何かを企んでいる時だ。

 亜莉香が止める暇もなく、お二人さん、と楽しそうに声を話しかける。熟した苺色の瞳が輝いて、こうなってしまっては止められない。


「良かったら、中でお昼を食べて行って」


 予想外の提案にフミエとヨルが顔を上げて、モモエはにっこりと笑った。






 午前中に売れ残ったパンと午後の為に焼き上げたはずのパンの山に、フミエとヨルが困惑している。申し訳ないと思いつつも、亜莉香には止めることが出来なかった。


 露店では夫婦喧嘩をしながら、午前の片付けをしているモモエとワタルがいる。

 いつ終わるか分からないので、亜莉香は早々に店の二階にフミエとヨルを案内した。


 勝手知る他人の家の台所となったのは、いつからだったのか。

 そこまで広くはないが、テーブルと四人分の椅子がある。

 小さめの窓からは入る太陽の光が部屋を明るくして、こぢんまりとした台所。

 いつの間にか昼を一緒に食べるようになると、亜莉香がお茶を用意することも多く、時々台所を借りて夕飯を作ることもあった。どこに何があるのか把握しているのは、モモエやワタルより亜莉香の方である。

 慣れた台所でお湯を沸かしながら、亜莉香は固まっていた二人を振り返る。


「あの…遠慮せずに食べて下さいね。残しても、お土産に持ち帰ることになりますので。あと、飲み物だけは少しお待ちください」

「いえ、あの…本当に頂いてよろしいのですか?」

「と言うより、量が多い」


 ぼそっと呟いたヨルの言葉に、亜莉香は見慣れてしまった光景を見つめる。

 いつもならモモエとワタルが座る席に、向かい合わせに座っているフミエとヨル。四角いテーブルは木製で明るい茶色であり、椅子も同じ色。

 問題なのは、山積みのパン。

 サンドイッチだけでも数種類あり、中身はハムや卵。総菜パンはそれ以上でコロッケや焼きそばが挟まっているパンもあれば、くるみやチーズが入っているパンもある。メロンパンを含む甘いパンも数に入れると、二十近い数だ。

 三人で食べるにしては多い量に、亜莉香も頷く。


「多いですよね。私なんて、一つ食べれば十分なのですが」

「私もそんなに食べられません」


 フミエがパンから視線を逸らさずに言い、亜莉香は期待を込めてヨルを見る。


「ヨルさんなら食べられますよね」

「無茶ぶりを言うな。まあでも、腹は減っているから適当に貰う」


 いただきます、とヨルが手を合わせた。

 お腹が減っていたヨルは先にサンドイッチの一つを手に取り、フミエも手を合わせてから、おそるおそるコロッケパンを食べ始める。

 食べ始めた二人に背を向けて、亜莉香はお湯が沸くのを待つ。

 会話なく食べ始めたと思いきや、すぐさまヨルが訊ねた。


「いつもこんな風に、誰でも家に上げるのか?」


 その質問は亜莉香に対するものだと受け取り、背を向けたまま答える。


「時々ですが…トシヤさんが捕まって、同じ目に遭いますね」

「ルカやルイは?」

「ルカさんとルイさんは一度だけ捕まったことがありまして、それ以降あの時間帯は避けられています」


 湧いたお湯を急須に注ぎ、随分昔のことを思い出す。

 人付き合いが苦手なルカが避けるのは分かるが、ルイが避けている理由はアリシアである。いつものように始まった夫婦喧嘩の最中にアリシアを押し付けられて、泣き出したアリシアをどうしようも出来ずにルカに回した。子供の接し方が分からないらしく、たった一度でも随分と苦労して、子供は苦手だと言いながらソファに倒れ込んだ姿は中々忘れられない。

 その話を心の中に秘め、湯呑三つをお盆に乗せて振り返る。


「夫婦喧嘩が始まらなければ、お昼は全員で、二人分のパンが追加されていましたよ?」

「これ以上増えるのか」

「お二人を止めなくて良かったのですか?」

「あれはもうこの店の名物だと思っています」


 どうしようもないと、言わなくてもフミエもヨルも悟った。

 テーブルにお盆を置き、温かい煎茶を湯呑に入れてそれぞれに渡した。亜莉香はフミエの隣の席に着き、卵サンドに手を伸ばす。


「今日はルカさんに会いに来たのでしたよね?」

「フミエが、な」


 素っ気ないヨルが次のパンを食べて、フミエは湯呑を両手で包んだ。


「私が急な休みを頂きまして、イオ様に呼ばれて時間を持て余していたら。通りかかったヨル様と一緒にルカに会いに行ってくればいい、と」

「イオは言い出したら聞かないからな」


 あっという間に二つ目のパンを食べ終えて、ヨルは軽く言った。気にしていないヨルと反対に、フミエは申し訳ない顔で視線を下げる。


「私なんかがヨル様の馬で街まで行くなど、本当は恐れ多いことですが」

「そんなことは――」

「本当に…他の親族に見つかったら何を言われるか」


 段々と声が小さくなって、フミエは顔を伏せた。ヨルが何とも言えない顔になったのに気付いたのは亜莉香だけで、遠くを見つめて唐突に話題を変える。


「あー…アリカ、午後も仕事か?」


 この話題を避けたいヨルの心境を感じ取り、亜莉香は急いで首を横に振る。


「いえ、仕事はないです」

「なら、悪いけど。フミエに街を案内してやってくれないか?」


 ゆっくりとパンを噛みしめながら、ヨルは言った。

 首を傾げて、疑問を口に出す。


「それなら私ではなく、ヨルさんの方がよろしいのでは?」

「俺は途中でルイに会ったら、喧嘩をしない保証がない」


 真顔になったヨルは目を合わせ、それに、と椅子に深くもたれかかる。


「アリカなら装飾品や着物に詳しいだろ?街で色々買い物もしたい話だよな、フミエ」


 名前を呼ばれて、途中から一人で悶々と考え事をしていたフミエが慌てて顔を上げた。


「え…はい。買い物はしたいですけど、私一人でも大丈夫だと――」

「と言うことで、頼めるか」

「いいですよ」

「えっと…私の意見は?」


 とんとんと話は進むが、フミエの問いに返事はない。

 ヨルが黙ってパンを食べて、亜莉香は頭の中で午後の予定を組み立てる。

 着物ならケイの店に案内すればいいが、装飾品はどこだろう。そもそもルカに会いに来たはずだと考えて、すかさずヨルに問う。


「街にはいつまでいますか?」

「このまま雨が降らなければ、夕方に街を出る。雨が降ったら、どこかで宿を取って一泊してから早朝に帰る予定だな」

「それでしたら、三時間程度のご案内でしょうか?」

「日が長くなって来たから、限界四時間だな。帰りは馬を飛ばす」


 黙々と卵サンドを頬張り、頬を膨らまして考える。

 食べ終えるまでの時間も考えて、三時間で行ける場所が妥当。ルカに会いに来たのだから、最初の目的地は図書館。その次は、と考えて、何か言おうとしていたフミエを見た。


「ルカさんのいる場所以外に、行きたい場所があったら教えて下さい」

「出来たら、お世話になっている居候先の方々に手土産を届けたいのですが…あの、私は一人でも大丈夫ですよ?」

「アリカが承諾したから案内して貰えよ」

「ですが、アリカさんの用事もあるでしょうし」


 目の前で言い合う二人に、亜莉香は卵サンドを飲み込んだ。

 ヨルの気持ちを本人から聞いてなかったら、仲の良い二人ぐらいしか思わなかった。現状、恋人同士の甘い雰囲気はない。フミエの気持ちを亜莉香は知らない。ヨルが贈ったと思われる簪は身に付けているが、それは匿名で贈られている可能性が高い。

 いずれにせよ、嫌っている相手なら一緒に街まで来ることはないだろう。

 後でそれとなく簪のことを聞いてみよう、と結論付けてお茶で喉を潤した。

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