03-4
蹴飛ばされたトウゴを放置して、トシヤは四人分の味噌汁を用意した。
亜莉香も手伝おうとしたが、ユシアに抱きしめられたまま動けず、何も手伝えないまま夕飯の用意は整った。いつの間にか復活したトウゴはトシヤの隣に座り、何もなかったかのような声を上げる。
「うわー、今日は豪華だね」
「「喋るな」」
「これくらい言わせてよ!」
トシヤとユシアに同時に言われ、トウゴが頬を膨らませる。
はあ、と息をついたトウゴが手を合わせて、それに倣うかのようにトシヤとユシアも手を合わせた。慌てて亜莉香も手を合わせれば、今度は三人が一斉に言う。
「「「いただきます」」」
「いただき、ます」
揃って言った三人よりワンテンポ遅れて、亜莉香も小さく言った。
自分で作った料理に特に何も感想を抱かない亜莉香と違って、ユシアとトウゴは騒がしい。ご飯を食べながら、二人の口は塞がらない。
「いやー、本当に美味いわ。トシヤの作る野菜炒めとは大違い」
「そうよね。トシヤは焦がすか生焼けが基本だし、野菜炒め以外作らないし。アリカちゃんの手料理は本当に美味しいわ」
「悪かったな、料理が下手で」
静かに食べていたトシヤがぼそっと言うが、トウゴとユシアの耳には届かない。
「味噌汁なんて、爺さんも作らなかったよな」
「作らなかったわね。私は時々出前で先生と食べたことあるけど、その出前よりもこっちの方が好き。アリカちゃん、夕飯を作ってくれてありがとう」
突然お礼を言われて、口に入れていた箸が止まった。お礼を言われ慣れていなくて、少し顔が赤くなりながら、亜莉香小さく首を横に振る。
「いえ、私の方がありがとうございます。一緒にご飯を食べさせてくださって」
「もう、そんなこと気にしなくていいのに!アリカちゃんの面倒は私が見るから。そう言えば、アリカちゃんは何歳?」
「私ですか?私は十五です」
「そうなの?じゃあ、私と同い年ね」
同い年、と言われ、納得した。年が近そうだ、と思っていたのは当たっていた。ユシアから視線をトウゴに向け、ふと気になったのは、唯一年齢の知らないトウゴ。
「…トウゴさんは、えっと。トシヤさんの何歳年上ですか?」
亜莉香の素朴な質問に、トシヤとユシアが同時に吹き出した。トウゴは悲しそうな顔になり、泣きそうな顔でもある。
「俺、そんなに老けて見える?」
「見えるわよ。本人気付いていなくても、老けて見えるわよ」
「ああ、間違いなく。おっさんだよ」
腹を抱えながら笑うトシヤに、トウゴは頬を膨らませる。
「アリカちゃん、こいつは何歳に見える?」
こいつ、と言って、ご飯を食べている途中のトシヤの肩を引き寄せたトウゴ。
嫌そうな顔で睨むトシヤを気にしないトウゴの問いに、昼間話していたことを思い出す。
「えっと…私の二つ上、と聞きました」
「言うなよ!言わなきゃ、絶対年下に見えたのに!」
騒ぐトウゴを、トシヤは無理やり引き離す。
「耳元で騒ぐな。トウゴは俺の一つ上、ちなみにルカは俺と同い年で、ルイは一つ下らしい。年上だからって敬語じゃなくていいから。ユシアなんて、敬語を使った試しがない」
「だって、使う必要ないでしょう?」
何か問題が、と言う表情のユシアに、トシヤは口を閉ざす。だからね、とユシアが亜莉香の方を、目を輝かせながら振り返る。
「敬語なしでお話ししましょう!駄目?」
子犬のような眼差しで問われ、うぅ、と亜莉香は唸る。
同世代の友達は少なく、敬語なしで話していた人は一人しかいなかった。ユシアは同い年でも、トシヤやトウゴは年上で敬語は外したくない。
えっと、と申し訳なさそうに口を開く。
「慣れるまではこのままで、では駄目ですか?努力はしますので」
段々と声は小さくなったが、亜莉香はじっとユシアの顔を見つめた。
今度はユシアの方が、言葉を詰まらせて唸る。
「友達だから敬語なしで話して欲しいけど、でも友達のお願いは断りにくいわね。うぅ、どうしましょう」
「そこまで深く考えるなよ。アリカ、敬語あってもなくても、どっちでもいいから」
トシヤの言葉に、ほっと亜莉香は息を吐く。
分かったわ、と少し残念そうなユシアが箸を取り、卵焼きに手を伸ばす。
「でも、やっぱり早く敬語をなくして欲しいわ。友達なら、そういうものなのでしょう?」
「その定義は、俺よく分からないけど。友達の形は色々だろうし、これから仲良くなっていけば問題ないと思うけどね」
味噌汁を飲みながら言ったトウゴの真面目な回答に、トシヤとユシアが目を見開く。
「トウゴ、頭でも打ったか」
「美味しい食べ物を食べて、頭も平常になったのかしら?」
「んん?俺、今いいこと言ったよね?」
三人の掛け合いが面白くて、亜莉香は声を上げずに笑った。
笑い出した亜莉香の姿にユシアが微笑み、ねえ、と話しかける。
「アリカちゃんは明日も暇?午後から、私と一緒にお買い物しましょう!」
「あ、でもその前に。働いてお金を貯めないと…」
「大丈夫、生活に必要なものを買いに行くだけ。お金は心配しなくていいから。ね、いいでしょう?」
ユシアの勢いに押され、亜莉香は小さく頷く。やった、と声を上げたユシアに、トシヤが少し考えた。
「それなら…午前中は家にいた方がいいかもな。俺も仕事あるし、街の案内出来そうにない。午後からはユシアが買い物ついでに案内すればいい」
「あら、トシヤは午後から私達の買い物の荷物持ちをしてよ。問題あるかしら?」
「ないけど」
答えたトシヤは本心とは裏腹に何か言いたそうな顔だった。けれどもユシアの態度から逆らえない何かを悟ったようで、口応えはしない。
はいはい、とトウゴが挙手して注目を集める。
「俺も一緒に荷物持ちしましょうか!?」
「仕事しろよ」
「仕事しなさいよ」
「…ですよね」
突き放すような口調のトシヤとユシアに、トウゴは分かっていたと言いたげな、悲しそうな顔になった。
それは一瞬で、じゃあ、と明るく話し出す。
「アリカちゃんは、これから仕事探しするわけでしょ?」
「出来れば…はい」
具体的なことは思い浮かべられないが、お金は必要だと思った。今日食べた分の食費やお世話になる分のお金は返したい。
ならさ、とトウゴが楽しそうに言う。
「仕事の希望がなければ、俺の働く喫茶店で一緒に働いちゃう?アリカちゃんは何でも似合いそうだから、接客でもキッチンでも、俺が手とり足とり――」
「それはないわね」
「ないな」
「――俺に対してだけ、冷たくない!」
トウゴが喚くが、トシヤもユシアも聞き流した。
トウゴには申し訳ないが、接客は出来そうになくて、ごめんなさい、と小さく亜莉香は返した。その返答で、トウゴが、がっくし、と言いながら、一人落胆する。
困っている亜莉香の表情を見て、トシヤが食器を片付けながら、立ち上がる。
「仕事の話は、明日以降でいいだろ。今日は疲れているだろうし、ユシア部屋に案内しろよ」
「えー、まだここでお話しするの。それに、私トシヤに聞きたいことがあったのよね」
何故か低くなったユシアの声に、トシヤの動きが止まる。
亜莉香が静かに自分の食べた食器を重ねる横で、ユシアは肘をテーブルの上に置き、笑顔を浮かべていた。決して目を合わせようとはしないトシヤに、ユシアは言う。
「最初はトシヤがアリカちゃんを連れて来るなんて、思いもしなかったし。連れて来て、仲良くなれたことには感謝しているのよ。でもね、どうしてトシヤがアリカちゃんをおんぶしていたの?」
「へえ、そんなことが――」
「トウゴは黙って」
「はい」
ユシアの一言で、トウゴは姿勢を正し、口を閉ざした。トシヤは動けないまま必死に考えているようで、亜莉香が慌てて話し出す。
「あれは、私が腰を抜かして動けなかったせいで」
「へえ、腰を抜かすほど怖い思いをしてしまった、と」
悟ったように、ユシアはトシヤから視線を放さずに言った。トシヤは何を言っても無理だと思っているのか、口を閉じたままだ。
ユシアが深く大きなため息をついた。
「トシヤが人様を傷つけるとは、思っていないわよ。ただ、もうちょっと気を付けなさい。面倒事、起こさないでよ」
面倒事、と言う言葉が、自分自身に当てはまった気がした。無意識に亜莉香の口を開く。
「その面倒事が、私なんかですみません」
「え…なんでアリカちゃんが落ち込むの!そんなつもりで言ってないわ!」
否定されても、一度当てはまると考えを変えられない。
面倒をかけないように、と思えば思う程、これから先が不安になってしまう。皆に迷惑をかけないように、どうすればいいのか分からない。
あまりに落ち込む亜莉香と、必死に言葉を訂正するユシアに、トシヤが軽口をたたく。
「ユシア、アリカを苛めるなよ」
「苛めてないわ!あー、もう!!アリカちゃん、泣かないで!!!」
「…泣いてはいないのですが」
これくらいでは泣かない、と思いながら、亜莉香が顔を上げると、一瞬だけトウゴと目が合った。任せろ、と言わんばかりの表情で、トウゴが口を開く。
「嫌なことがあったら、やっぱり酒だよな!」
「違うだろ」
「そうね!今日は、アリカちゃんの歓迎も含めて、飲みましょう!」
自棄になったユシアが、トシヤの言葉を無視して言った。トシヤは呆れ果て、背を向けて台所に歩き出す。そのトシヤの背中に向かって、ユシアが叫ぶ。
「トシヤ!トウゴが買って来たお酒を持って来て!」
「全部!」
「…酔っぱらったお前らの相手は面倒くさいのに」
盛り上がる二人に、トシヤは呟いた。
戸惑っているのは亜莉香だけで、ユシアとトウゴは酒と言う単語を連呼し始めた。トシヤは深いため息をついて、振り返って言う。
「用意するから少し待て。先にテーブルの上を片付ける!」
「「はーい」」
トシヤの命令に、ユシアもトウゴも素直に従う。どうしようか、少し悩んだ亜莉香は、ユシアの食器を自分の食器と重ねて、立ち上がった。
亜莉香の行動に少し驚いて、ユシアが言う。
「食器なら、重ねて置けばトシヤが片付けるわよ?」
「いえ。何もしないのは悪いので、トシヤさんを手伝います」
亜莉香は食器を持って、トシヤの方へ向かう。ルカとルイの食器、それからトシヤが運んだトシヤとトウゴの食器の傍に食器を置く。
トシヤは台所で冷蔵庫を開けて、一人悩んでいた。
「どうかしましたか?」
「あ、いや。大したことじゃないけど、あいつら酒と一緒につまみを用意しないと、五月蠅くなるから」
「おつまみ、ですか?」
どうしようかな、と呟くトシヤ。すでに一度没収した酒と人数分のグラスはお盆の上に乗っている。おつまみ、と聞いて、何も思い浮かばない。
あの、と遠慮がちに、亜莉香は声をかける。
「普段のおつまみは、何を食べているのですか?」
「普段?漬物を出していたけど、それは一昨日なくなった」
一昨日、桜の花びらの件か、と悟り、亜莉香は一人納得した。漬物なら、と口を開く。
「野菜スティックはどうですか?野菜を切って、ソースを作るだけです」
「それでもいいけど、ソースって作るのは難しい?」
「マヨネーズだけでもいいですし、ケチャップや山葵を少し混ぜたりしても美味しいです」
それなら、とトシヤが台所のスペースを空けた。
「俺が作るより、アリカが作った方が早いだろ?その間に洗い物を終わらせるから」
はい、と頷いて、亜莉香は胡瓜と人参、大根を適当な大きさに切った。
野菜を切る亜莉香の隣で、洗い物を始めたトシヤが問う。
「アリカは酒強い方?」
「どうでしょうか。飲んだことがないので」
そもそも未成年はお酒が買えなかったので、と言う言葉は、思い浮かんだが言わない。
「飲んだことがないなら、無理だと思ったらすぐに飲むのを止めろよ。多分、あの二人は飲み始めたら酔っても飲み続けるから」
「そんなに飲むのですか?」
亜莉香の疑問に、トシヤは深く頷く。
「途中で酒を水に変えても気付かないぐらい、すぐに酔って喋り続ける」
「そう、なのですね」
想像出来るような、出来ないような光景だと思った。
お酒がなくても、ユシアとトウゴはすでに二人で盛り上がっている。その延長線上だろうな、と予想しながら、亜莉香は野菜を切るのに集中した。
野菜を切り終わり、棚から大きな皿を取り出す。一緒に小さな皿も取り出し、その中に二種類のソースを作る。亜莉香がおつまみを作り終わるのと、トシヤが洗い物を終えるのは、ほぼ同じタイミングだった。
お酒とおつまみを持って来た亜莉香とトシヤを見て、ユシアは羨ましそうに言う。
「いいなー、トシヤ。アリカちゃんと仲良くて」
「なら、手伝え」
「嫌、料理の担当はトシヤだもん」
「そうそう、俺らは食べる専門。ちなみに今日の酒のつまみの話は、トシヤの子供の頃から今までを振り返るということで!一晩中語ろうぜ!」
親指を立てて、トウゴはウインクをした。トシヤは持っていたお盆から酒とグラスをテーブルの上に置き、迷わずお盆でトウゴの頭を叩いた。
殴った音が響くが、トウゴは頭を殴られても笑顔を浮かべている。
「これくらいなら、余裕」
「なら、もう一発いくか。てか、なんで俺の話だよ。自分のことを語れ」
「語っていいなら、それでもいいけど!」
騒ぎ出したトウゴを無視して、トシヤは自分の席に戻る。おつまみをテーブルの上に置いて、亜莉香も元の席に座った。待っていました、と言わんばかりのユシアが、テーブルの上に置かれたグラスの一つを亜莉香に差し出す。
「はい、アリアちゃん。飲みましょうね」
「あ、はい…」
ね、とユシアに同意を求められて、亜莉香は素直に頷けなかった。
少しだけ、と思っていたのに、ユシアは並々とお酒を注ぐ。騒いでいたトウゴとトシヤのグラスにも酒を注ぎ、全員にお酒が行き渡ったのを確認して、それでは、とグラスを掲げた。
「アリカちゃんがこの家に来たことに――乾杯!」
乾杯、と言う言葉と同時に、ユシアとトウゴは持っていたグラスの中のお酒を飲み干した。




