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Last Crown  作者: 香山 結月
第1章 月明かりと牡丹
135/507

28-3

 無言で、ピヴワヌは林の中で蠢くルグトリスを倒し始める。

 ヒナの命を奪うことを望んでいないと、これ以上の命のやり取りは嫌だと、ピヴワヌは亜莉香の気持ちを悟っているはずだ。

 あとはトウゴの禁術を解かなければ、と瞳を伏せれば地面から足が浮いた。


「…え?」

「帰るぞ」


 素っ気ないが、怒りのこもったトシヤの声に肩が震えた。

 いつの間にか日本刀を鞘に戻して、肩と足をしっかりと抱えられる。踵を返したトシヤは前しか見ていないが、横抱きの状態に亜莉香の頬は赤くなった。


「じ、自分で歩いて帰れ――」

「駄目だよ、アリカさん。下りたら、また無茶をするでしょう?」

「家に着くまでそのままだな」


 慌てた亜莉香の声を遮って、トシヤの両脇に現れたルイとルカが言った。

 にこにこと笑うルイと、呆れ果てたルカの視線を浴びて、頭に付けていたお面で顔を隠す。お面を取られないように両手で押さえていると、楽しそうにルイが話し出す。


「いやー、トシヤくん。こっちを睨まないでよ。僕達がアリカさんを連れて来たわけじゃないからね」

「俺達だって驚いた側だ」

「…睨んでないだろ」


 微妙な間があったトシヤの声が固いが、ルイの声は明るい。


「いやいや、凄く睨んでいるよ?結果的にはアリカさんがいて、見事に結界を直してくたわけで。アリカさんがいてこそ、助かった所が大きいからね」

「結界があれば、ルグトリスの被害が減るからな」

「暫くは、平穏な日々になるよね」

「その前に、ユシアに怪我を治してもらうのに怒られるけどな」


 トシヤの冷たい一言で空気が重くなった。

 怪我をすれば怒られる、と言うユシアの性格をルカとルイは忘れていたのか、お互いに黙り込んで口を閉ざす。黙々とトシヤが歩けば、その足が不意に止まった。


 トシヤの目の前に誰か立っていることに気が付いて、亜莉香はお面を外す。


「…トウゴさん」

「ごめん、アリカちゃん」


 ごめんと謝罪を繰り返すトウゴが、頭を下げた。亜莉香の目線より頭が下がって、外したお面を抱きしめる。頭を上げようとはしないトウゴを見下ろして、申し訳ない気持ちになった。


「私の方が、謝罪をする立場です」


 話し出せば、声が小さくなる。


「私は、トウゴさんの過去を見ました。そこでトウゴさんの両親がどんな人なのか。どんな経緯で禁術を結んだのか。今日までどんな気持ちだったのか。何となく、理解しているつもりではあります」


 我ながら酷い話だと、思った。

 本当のトウゴの気持ちなんて、きっと何一つ分かっていない。トウゴが今まで抱いていた苦しみも、悲しみも、理解した気持ちになっているだけだろう。

 だけど、と顔を上げたトウゴの困惑した表情を見つめる。

 黒い光を宿している瞳の奥に、澄んだ水色の光が宿っている。闇に落ちかけても光を失わないトウゴを救うのだと決意を固めれば、その首を絞める細い糸が見えた。


 空へと伸びて途中で消えている、闇の色の糸。

 おそらく誰にも見えていない糸は何重にもなって、首に絡まっていた。痛々しく見える糸を瞳に映して、亜莉香は問いかける。


「禁術を、解いてもいいですか?」

「…え?」

「多分…今の私なら可能だと思うのですよ」


 返事を聞かぬまま、トウゴの首元に手を伸ばした。

 触れた首から、脈打つ音がする。

 禁術の糸を切ることが、どんな結果をもたらすのかは予測不可能。それでも構わないと思えば、触れている指先が微かに赤く光った。

 とても小さく、今にも消えそうな光が文字となる。

 迷うことなく、亜莉香は言葉を紡ぐ。


「【――禁術に苦しめられし者よ】」


 闇を纏った糸が指先に巻き付いて、締め付ける痛みを感じた。


「【汝の結びを我が断ち切る】」


 糸が食い込んで、細い血が浮かぶ。表情が消えていた亜莉香とは違い、トウゴは顔を歪めたが、途中で止める術を知らない。


「【闇を払いて、光を護り。光を宿して、闇を弾く。命の灯消えるまで、汝の心に我が守護を。汝の名は――】」


 すらすらと流れていた声が止まった。

 浮かび上がった文字を見て、口角が上がる。名前の意味を、こんな形で知るとは思わなかった。消えそうだったはずの光は淡い水色へと変わり、呼べと言わんばかりに眩い。


 あまりにも眩しい光とは対称的に、トウゴの後ろの鳥居の影に男女の姿を見つけた。手と手を取り合って透けている身体は、夜空の下で景色に溶け込んでいる。心配そうにトウゴを見守る両親は、もうルグトリスには見えなかった。

 黒い光もなければ、敵意もない。

 亜莉香が禁術を解くのを待ち望んでいる姿に、期待に応えたいと思った。


 優しく人を包む灯のように、自分の信じた道を迷わずに進める覚悟を忘れないように。名前に込められた意味を感じ取って、真っ直ぐにトウゴの瞳を覗き込む。

 トウゴの両親が愛しい子の名前を何度も呼び、亜莉香の声も自然と重なった。


「【灯悟】」


 優しく囁いた名前に、トウゴが息を呑んだ。

 同時に静電気が発生したような音がして、トウゴの首に絡まっていた糸は呆気なく解ける。亜莉香がそっと手を離せば、指先に絡まっていた糸が灰になって消えた。

 指先に残った赤い血はすぐに止まり、亜莉香は呆然としているトウゴに謝る。


「すみません。結局、勝手に禁術を解きました」

「解いた…?」


 何が起こったのか分からなかったトウゴが呟いて、どさっと座り込む。

 身体の力が抜けて、トウゴは立ち上がろうとしない。亜莉香を抱えたトシヤがしゃがむよりも早く、一部始終を見ていたルイが前に出て膝をついた。


「ちょっと失礼」


 遠慮なくトウゴの顎を掴んで、上を向かせる。

 ぞんざいな態度に誰も注意をせず、ルイは先程まで亜莉香が触れていた箇所を確認した。数秒じっと見つめれば、今度はルカがルイの横に移動してトウゴを見下ろす。

 トウゴの首には、百円玉くらいの牡丹の紋章が存在していた。

 深い赤の紋章を見て、ルイは眉間に皺を寄せる。

 ルカは腕を組んで立ち尽くして、難しい顔になった。


「禁術を解いたと言うより、加護を与えて禁術を破ったな」

「…まずかったですか?」


 深刻な空気を感じ取って、亜莉香の顔は青ざめた。失敗したのかと思えば、ルイはトウゴから手を離した。深く何かを考える顔になって、袴の埃を払いながら立ち上がる。


「まずくはない、けど。牡丹の紋章の加護を持つとなると、トウゴくんの立場が変わるからさ…警備隊に突き出して、当分反省させたかったのに」


 後半は小さく、とても不満げだった。口を尖らせたルイが遠くを眺めたので、ルカはため息を零すと、状況を理解していない亜莉香とトシヤを振り返る。


「トウゴは保護対象になった」

「保護対象ですか?」

「どういうことだ?」

「言葉の通りの意味だよ」


 ぼそっとルイが言い、両手を広げて肩を竦めた。


「リーヴル家の保護対象。元々、魔力の強い人間や護人と関わりの深い人間が保護対象になるけど、トウゴくんの場合は後者が理由になるよね。もうすでに領主側には目を付けられているけど、今後は護人と接触した人間として認識されるから、保護だけじゃなくて監視対象でもある」


 釘を刺しながら、ルイはトウゴを見てにやりと笑った。


「今後もしっかり見張ると言うことだよ」

「…前提としての保護を強調してやれよ」


 呆れたルカがため気を零せば、トウゴは声が出せなかった。おそらく話を理解していないトウゴに分かるように、ルカはゆっくりと話し出す。


「リーヴル家が保護対象として認識しても、本来は個人の拒否権があって自由だ。ルグトリスや領主から保護して欲しければ、リーヴル家は力を貸す。ただ今回は特殊な事態で、何十年ぶりの加護を受けた場合だからな」


 じっと見ていたルカが憐みの表情を浮かべた。


「加護を受けた人間に対して、リーヴル家は基本拒否権を与えない」

「護人の加護を無下に出来ないからね。護人が加護を与えたなら、リーヴル家として保護をするのが最優先事項の義務である」

「と、言うことだ」


 ルイの説明を挟んで、とんとんと進んだ話に亜莉香とトシヤまで置いていかれた。保護対象や加護を受けた人間などと、聞き慣れない言葉が頭の中で巡る。

 そう言えば、とルイはルカと顔を合わせた。


「加護持ちだと、護人の情報を洩らさないように巫女との契約は強制だったよね?」

「母さんと同じ処置を取るなら、そうなるだろうな」

「うわー、イオが嬉々として契約を結びそう」

「領主側に捕まった最悪の場合の口止め契約に楽しさあるか?」

「僕に聞かないでよ。契約の単語だけで、イオは毎回楽しそうじゃない?僕も契約の場に参加して来ようかな」

「…俺は行かない」


 腕を組んだまま呟いたルカに、ルイは腕を絡ませて不満な声を上げた。

 言葉に詰まって、亜莉香は何も言えない。代わりに頭の中で話を整理したトシヤが、おそるおそる訊ねる。


「あのさ、結局トウゴはどうなる?」

「さっき話した通りだよ?分かりやすく言うと、保護対象としてリーヴル家で保護するから警備隊には渡さない。加護持ちとして領主側に捕まらないように巫女と契約を結ぶ。後はまあ…イオの判断次第かな?」


 明るく言ったルイがルカに絡むのをやめたので、トシヤは質問を重ねる。


「巫女との契約は絶対なのか?」

「あー、それはね」


 言いたくなさそうに、ルイの声が小さくなった。


「昔は、さ。加護持ちと分かると領主に捕まって、拷問とか幽閉とかが当たり前だったことがあって。護人の情報を売ってしまう人間もいたから、加護持ちの扱いは別格なの。口止めだけじゃなくて、加護持ちを守るための契約でもあると理解して欲しい」

「アリカやトシヤみたいに、ただの保護対象なら契約も必要ないけどな」


 今更ながらの事実を、ルカは淡々と述べた。

 その途端に、トシヤが迷惑そうな顔になる。


「俺も保護対象だったのかよ」

「一応ね。基本は、個人の拒否権あるって言ったでしょう?本人が保護を必要としていなければ、リーヴル家は手を出さないよ」


 安心してと言わんばかりの声で、トシヤはそれ以上の追求をやめた。

 ずっと話を聞いているだけだった亜莉香は、いつの間にか止めていた息を吐く。段々と禁術を解けた実感が湧いて、トウゴのこれからも大丈夫だと思えた。

 それでも確認を込めて、ルイに問う。


「もう…トウゴさんが禁術に苦しめられることはありませんよね?」

「うん、アリカさんが解いたからね」

「トウゴさんは自由ですよね?」


 予想していなかった質問にルイは少し目を見開き、すぐに笑みを浮かべた。


「そうだね。加護があるから、もう闇の力は手を出せない。これからどうして生きていくかは、本人の心次第で自由だと思うよ。とりあえず今日は――皆で家に帰れるね」


 望んでいた答えと共に、ルイは亜莉香の頭を優しく撫でた。

 涙が込み上げたのは安堵なのか、喜びなのか。ただただ心の底から嬉しさが溢れて、顔を見られないように下を向く。


「良かったです…本当に」


 口に出せば、涙が零れた。

 トシヤに抱えられている状況を忘れて、お面を抱きしめて静かに泣く。禁術を解ける保証なんてなかったのに、結果的には加護を与えて禁術を破ることが出来た。ようやく皆で家に帰れると、その言葉が心に染みた。


 ありがとう、とトウゴの両親の声が聞こえる。

 二人の声が段々と小さくなって消えていくのに、亜莉香は顔を上げられなかった。顔を上げれば、きっと鳥居の下には誰もいないと分かっていた。


 誰も慰めの言葉を口には出さない。その優しさとトウゴの両親がいなくなった悲しみの涙は、頬を伝って地面に落ちた。

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