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Last Crown  作者: 香山 結月
序章 薄明かりと少女
13/507

03-3

 テーブルの上に並べられた、六人分の茶碗と箸と、取り皿数枚。

 亜莉香の作ったあんかけ風野菜炒めと卵焼き、炊き込みご飯の土鍋をテーブルの上に置き、トシヤは並んでいる料理を見下ろした。


「久しぶりに豪華な夕飯だな」

「あの、ルカさんとルイさんはいつ頃帰って来るのですか?」


 ソファの前、扉から遠いテーブルの隅に正座していた亜莉香は、おそるおそる尋ねた。聞いていいことが分からず、遠慮がちの言葉に。トシヤは腕を組んで立ったまま、さらりと返す。


「あいつら?いつも帰って来る時間がばらばらで、帰って来たら勝手に夕飯食べる」

「一緒には食べないのですか?」

「食べる時もあるし、食べない時もある。ルカの機嫌次第だな」


 トシヤが亜莉香の目の前に腰を下ろした。向かい合った状態で、見つめているのは恥ずかしく、亜莉香は視線を少し下げる。料理をしている時は気にならなかったが、何もしていないととても静かだ。時計の針の音が大きく聞こえ、心なしか心臓が五月蠅くて緊張する。


 何か話そう、と顔を上げた途端、玄関の扉が開く音がした。

 玄関から聞こえるのは、聞いたことのある二人の声。


「ただいまー、ほら、ルカも挨拶しなきゃ」

「…別にいいだろ。それより、靴がある」

「本当だ。ユシアさん帰ってきているのかな?なら、なおさらちゃんと挨拶しないと、また注意されるよ?」


 楽しそうに言ったルイの声がして、曇りガラスの扉が開く。

 扉を開けた途端、亜莉香とルイの目が合った。ルイはすぐに笑みを浮かべ、面白いものを見つけたと言わんばかりの顔になる。


「ただいま、トシヤくん。誘拐?」


 さり気なく言ったルイの言葉に、驚いた顔のトシヤが間を置かずに言う。


「ちょっと待て、ルイ。なんでそう物騒なことを――」

「おい、ルイ。何の話をしているんだよ」


 ルイの後ろから、訳が分からないと言いたそうなルカの声がして、亜莉香を見た。目が合った瞬間に驚きに変わり、その勢いのままルカが亜莉香を指差して叫ぶ。


「な、な…なんでいるんだよ!」

「ルカ、指を指さないの。うーんと、トシヤくんが誘拐でもしたのかもしれないよね。この家の人間に嫌気がさして、その逃亡金のための身代金集めとか?」

「え?」


 信じられない、と言う顔で、ルカがトシヤを見た。その隣にいるルイはにこにこと笑い、トシヤは深いため息を零す。ルイの言葉を冗談だと悟ったのは亜莉香も同じだったが、ルカだけが何故かルイの言葉を信じている。

 トシヤはルイの冗談を聞かなかったことにして、ルカとルイに言う。


「お前ら、夕飯は?一緒に食べるわけ?」

「そうだねえ…今日はそうしようかな、ルカもそれでいい?」

「え、いや。誘拐なら、まずは家に帰して来いよ。夕飯はその後だろ?」

「どう考えても、冗談だろ」


 トシヤの一言に、一人慌てていたルカの顔が一気に赤くなる。


「ルイ!!!」


 一人だけルイの言葉を信じていて、恥ずかしくなったルカがルイの首を絞める。

 トシヤは気にせず立ち上がり、棚からお茶碗と箸を二組持って来て、テーブルに並べた。


「騒いでないで座れよ。説明するから」

「はーい」

「…納得いかない」


 呟いたルカが、仕方なくルイを放し、トシヤが座った席の隣、入口の近くに一人分の隙を開けて腰を下ろす。ルイもルカの前に、すとんと座り、身体の向きを亜莉香の方に向けた。


「こんにちは。僕はルイ、彼女はルカ。えっと…君の名前は?」

「亜莉香、です」


 何度目かになる自己紹介でも、声はぎこちない。亜莉香も体の向きを変え、よろしくお願いします、と頭を下げる。

 こちらこそ、とルイの声がして、顔を上げた。

 ルカが、威嚇するような目つきで亜莉香を睨んでいた。顔を上げない方がいいのかもしれない、と無意識に視線は下がり、汗ばんだ両手でぎゅっと制服のスカートを握る。

 ルカの視線に気付いたトシヤとルイが、呆れた声でほぼ同時に言う。


「睨むなよ」

「睨まないでよ」

「――っ、睨んでねーよ!」


 叫んだルカが頬を膨らませ、気まずそうに亜莉香から視線を逸らした。


「なんでそいつがこの家にいるわけ?」

「えっと…」


 怒っているように聞こえる声に、頭を下げたまま答えに悩む。


「家に帰れなくて困っていたから、ユシアが拾った。以上」

「部屋はどうするの?一階の応接室は僕達が使っているけど」

「ユシアが自分の部屋を半分貸す、と。誰かさんが仲良くしてくれないから寂しくて、友達が欲しい、診療所で騒いでいたからな」


 亜莉香の代わりに答えたトシヤの言葉に、ルイは納得した様子でルカの顔を盗み見た。

 始終眉間に皺を寄せているルカは口を閉ざしたかと思うと、いただきます、と小さく呟き、手を合わせてから、取り皿に野菜炒めを取って食べ始める。

 突然の行動に驚いたのは、顔を上げて状況を確認した亜莉香だけ。

 トシヤが呆れたように、ルカに言う。


「ルカ、トウゴ帰って来るのを待てよ」

「あいつは五月蠅いから、先に食べて部屋に戻る」

「ルカがそうするなら、僕も先に食べよう、と。その土鍋は何?」

「これは炊き込みご飯だと。あとは味噌汁があるから今持って――」

「わ、私が持って来ます」


 その場にいるのが不自然な気がして、亜莉香は言い終わると同時に、逃げるように台所の方へ行った。トシヤが何か言っていた気がするが聞こえず、急いでコンロの火を点ける。

 味噌汁が出来てから時間はそんなに経っていない。

 まだ温かいはずだけど、時間稼ぎに台所に立ち尽くす。


「迷惑、ですよね」


 味噌汁をかき混ぜながら、亜莉香は小さく呟いた。

 トシヤやユシア、トウゴなどが友好的だから甘えていたが、対称的に亜莉香を警戒するルカの行動の方が正しい気がする。早いところ、この家からは出た方がいいのかもしれない。

 迷惑をかける前に、と鍋の火を止め、鍋の近くに用意してあったお椀に味噌汁を入れる。お椀二つに味噌汁を入れ、お盆に乗せて、亜莉香はテーブルの方へ戻る。

 トシヤとルイが話している中で、ルカだけが無言でご飯を食べる。

 その邪魔にならないように、そっとお椀を差し出せば、一瞬だけルカと目が合った。思わず視線を下げ、ルイにもお椀を差し出す。


 あ、とルイが亜莉香に気付いた。


「ありがとう。さっきトシヤくんが話していたけど、全部アリカさんが作ったんだよね?」


 アリカさん、と呼ばれ、慣れないながらも、はい、と頷く。


「お口に合いませんでしたか?」

「そんなことないよ。すごく美味しい。いつも食べているトシヤくんの野菜炒めや買って来る惣菜より、何十倍も美味しい」

「ありがとうございます」


 繰り返された言葉に、嬉しくなって笑みが零れた。

 何も言わなかったルカは味噌汁を一気に飲み干し、ご馳走様、と立ち上がる。いつの間にか卵焼きや野菜炒め、炊き込みご飯を食べ終えたルカは、亜莉香の方を見向きもせずに、食べた食器だけ持って台所へ向かう。

 ルカがいなくなったテーブルで、トシヤが小さく言う。


「相変わらず、機嫌悪いな」

「ごめんね、アリカさん。いつもあんな感じで、愛想もなければ言葉も悪い。今日はちょっとだけ、機嫌が悪いだけだから」

「ちょっと?」


 思わず言い返した亜莉香に、ルイは微笑む。


「だって、あの後一人で自己嫌悪していたから。見ず知らずの人を傷つけた、て。いつもならもっと遅い時間に帰って来るのに、今日早く帰って来たのは、アリカさんのことをトシヤくんに聞くためだよ」


 内緒だよ、と人差し指を口に当てたルイは、温かい味噌汁を口に当てる。

 熱くて飲めないルイが味噌汁を冷ます隣で、亜莉香はテーブルの方に戻って来たルカの顔を見た。グラスに注いで持って来たお茶を飲み、ソファに座ろうとしていたルカの顔は不機嫌な顔にしか見えなくて、亜莉香と目が合うと眉間に皺が寄った。

 不機嫌、ではなく居心地の悪そうな顔で、ルカが言う。


「…何?」

「あ、いえ。その…暫くお世話になります。迷惑はかけないようにしますので、よろしくお願いします」


 深々と、亜莉香は頭を下げた。ルカは言葉に詰まり、何も言わない。困惑しているルカの様子が珍しく、ルイは声を上げて笑い出した。


「あはは。ルカを黙らすなんて、アリカさん大物かも。ユシアさん並か、それ以上になるのか。楽しみだね」

「ルイ、黙れ」

「はいはい、黙るよ」


 ルイは気にせずに言い、ゆっくりとご飯を食べる。

 亜莉香は邪魔にならないように、お盆を持ったまま元の席に戻る。

 トシヤとルイが話す傍で、ソファに横になるルカは無言。

 ルイは食べながら、亜莉香に簡単な質問をした。

 それは本当に簡単な質問で、答えられなければすぐに質問を変えたり、トシヤと話したりした。ルイが食べ終わり、ご馳走様でした、と手を合わせると、ルカが立ち上がる。持っていたグラスをルイに手渡し、ルカは出入口の扉の前まで移動して、食器を置きに行ったルイを待った。先に出て行こうとしたルカが、扉に手を伸ばして振り返る。


「俺はよろしくなんて言わないからな」

「それ、言っているも同然じゃない?」

「言ってない」


 キッと後ろにいたルイを睨み、ルカは茶の間から出て行った。

 やれやれ、と肩を竦めたルイが足取り軽く部屋を去る前に声を上げて、大事なことを言い忘れた、と言わんばかりに振り返った。


「さっき帰って来る途中で、お酒を買い込んでいるトウゴくんを見たよ。お酒の飲み過ぎには注意してね。僕は止めないけど」

「いや、見たなら止めろよ」

「嫌だよ。それは僕の役目じゃないもの」


 じゃあね、と手を振って、ルイは扉を閉めた。

 ルイの言葉に、トシヤは深いため息を零す。


「またユシアに怒られるようなことを、あの馬鹿は」

「また、とは?」


 頭を抱えるトシヤに、亜莉香は興味本位で尋ねた。苦々しく、トシヤが話し出す。


「二日前に茶の間を桜の花びらで埋め尽くして、ユシアを怒らせたんだ。本人は喜ばせるつもりだったみたいだけど、ユシアは怒り狂って何でも投げたから。炊飯器もその犠牲だったな」


 から笑いをしたトシヤはその時のことを思い出し、遠くを見つめる。


「他にも皿数枚と、冷蔵庫の中の食材をユシアがトウゴに向かって投げていたわけで。炊飯器が壊れた瞬間に、俺がユシアを止めた」


 へえ、と相槌を打ちながら、その状況を思い浮かべてみる。


 茶の間を埋め尽くすほどの桜を用意したトウゴがすごいのか、炊飯器を壊してしまうユシアがすごいのか。どちらにせよ、大変だったことには違いない。

 その後が気になって、亜莉香は口を開く。


「その花びらを、どうしたのですか?」

「すぐに回収して、トウゴと一緒に近くの林に捨てて来た。その後ユシアは――」


 トシヤの話の途中で、玄関の扉が開いた。


「「ただいまー」」


 話していた二人の声に、亜莉香とトシヤは同時に口を閉ざした。


「ちょっと、トウゴ。声を揃えないで」

「いや、偶然だから仕方ないでしょ?」

「なら私の傍で一言も喋らないで」

「…え、まだ一昨日のこと怒っているの?」


 玄関先で繰り広げられる会話に、亜莉香はトシヤと顔を見合わせた。

 亜莉香とトシヤがほぼ同時に扉に目を向ければ、必死に謝るトウゴと無視を決めたユシアが二人そろって茶の間に入って来た。

 眉間に皺を寄せていたユシアの顔が、亜莉香を見た途端に笑顔に変わる。


「アリカちゃん、ただいま!」


 歓喜の声を上げたユシアが、勢いのままに亜莉香を抱きしめた。抵抗する暇もなく、亜莉香を抱きしめながら、ユシアはトシヤと目が合うと思い出したように言う。


「あ、トシヤ。ただいま。お腹減ったわ」

「俺はついでか。まあ、いいけど。おかえり、ユシア。それから馬鹿一名」


 忍び足で台所に向かっていたトウゴに向かって、トシヤは冷めた声で言った。名前を呼ばれていないのに、トウゴは振り返り、両手に持っている酒を後ろに隠す。

 トウゴはぎこちない笑みを浮かべていた。


「ただいま。いやー、今日は仕事が忙しくて。帰る時間がユシアと一緒になっちゃった」

「隠せてない酒は没収だ。ったく、いつもどこからくすねてくるんだか」


 立ち上がったトシヤが差し出せ、と言わんばかりに右手を出す。トウゴが無言で首を横に振るが、トシヤは笑顔を浮かべながら瞬く間に酒を奪った。


「数日前に酔っぱらって、玄関の前で寝ていたのは誰だよ。お前は酒を飲むな」

「いいじゃん、ちょっとくらいー。家の中だけだし、誰にも迷惑かけてないし!」

「俺が迷惑をかけられているんだ!」


 トシヤが言い切った言葉に、ユシアが爆笑する。腹を立てているトシヤに頭が上がらず、何故か正座をしたトウゴが頭を下げて叫ぶ。


「お願いします!お酒飲ませてください!!」

「駄目だ」

「おーねーがーいーしーまーすぅー」


 トウゴがトシヤの足元まで移動して、袴を引っ張った。その態度でトシヤの怒りが頂点に達したようで、トシヤが右足を一歩後ろに下げた。

 おそるおそる顔を上げたトウゴの瞳に、笑顔のトシヤの顔が映る。


「トシヤくん、お気を確かに――」

「お前が、な!!」


 トシヤがトウゴを蹴飛ばした。トウゴは蹴られても笑っていて、トシヤは深いため息を零していた。

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