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Last Crown  作者: 香山 結月
第1章 月明かりと牡丹
122/507

25-5

 路地裏に取り残されたトウゴの元に、ふわりと青い精霊が現れる。

 トウゴが右手を差し出せば、その人差し指の上にちょこんと精霊は飛び乗った。精霊の姿を見ても驚かずに、トウゴは問いかける。


「首尾はどうだ?」


 順調、と可愛らしい女の子声がした。

 頷いたトウゴが懐から取り出したのは、平らで透明な小さくて丸い容器。黒くて細い紐が通してある容器を左手の上に乗せると、その中がよく見えた。

 澄んだ水の中に、桜のような花が一輪咲き誇る。数センチの茎は細く瑞々しい青緑、葉はなくて、水が透き通るくらい薄い花びらは七枚。

 随分昔に花図鑑で見かけた花の名前を、亜莉香は思い出した。


「あれって…涙想花ですよね?」

「そのようだ。珍しい花を持っているな」


 興味深そうなピヴワヌが花を見て、興奮したように言う。


「あの花は精霊共の間でも幻の花と言われていている。精霊共の住処にもなって、魔力を宿す花でもあるが…その花の咲く水は、相当美味だと噂だ!花ごと食べてもいいらしいから、一度でいいから儂も食べてみたい!」


 輝く瞳で振り返られても、亜莉香は返答に困る。


「幻の花を、どうして持っているのか気になりませんか?」

「その通りだ!あやつはどこで手に入れたのだ!あの花はどこで手に入るのかを直ちに問い質して、お主も花を育てろ!精霊共なら儂がいくらでも呼んでやる!!」


 花に目が眩んだピヴワヌと会話が成立しない。

 視線を戻すと、精霊は容器を通り抜けて花に宿った。

 淡い青に光った後、精霊は花から抜け出して、元の右手の位置に戻る。

 正直者、と楽しそうに精霊が笑った。


「そう言われても、どうせ本気で取り合わないのは分かっていたことだからさ」


 軽く笑った後に、トウゴが真剣な表情を浮かべる。


「どのタイミングで、俺は死ぬべきか。俺が死んだところで、次の器がないとも限らない。あいつに痛手を負わせない限り死んでも死にきれないが、この街の結界を破壊すれば被害が大きすぎる――」


 ぶつぶつと考えを巡らせるトウゴに、精霊が問う。

 本当に死ぬ気なの、と。

 トウゴの声が止まって、いつの間にか強く握っていた透明な容器に視線を向けた。


「そのために、今日まで魔力を集めて来た。一時的にでも、俺の魔力があいつを上回ればいい。タイミングを間違えなければ、俺は死んで、あいつは絶望する」


 透明な容器に入った花を空に透かす。


「それが、俺の両親を奪った、あいつへの復讐だ」


 精霊が飛び上がって、容器の上に移動した。

 嫌だ、と精霊が言った。

 トウゴは悲しそうな顔をして、容器を握る手に力を入れる。


「もう決めたことだ。色々手伝わせて、悪かったな。最期は一緒にいなくていい。ずっと俺と一緒にいてくれたけど、明日から好きな所に行けよ」


 トウゴの言葉に、ふわりと精霊が浮かび上がった。

 そのままどこかに行くのかと思いきや、急にトウゴの頭に激突して、反動で少し飛ばされる。ぶつかったトウゴはあまり痛みを感じなかった顔で驚いて、ふらふらと宙に浮いた精霊を右手のひらの上に保護した。


「何やっているの?」


 馬鹿、と怒った声がした。


「いや。どちらかと言うと、馬鹿なのはそっち」


 トウゴは容器を首から下げた。着物の中に隠して、そのまま壁に背を預ける。精霊はじっとトウゴを見つめてから、もう一度同じ言葉を繰り返す。

 馬鹿、と先程より大きな声で。


「何だよ。今日は一体どうし――」


 一緒にいる、と精霊がトウゴの言葉を遮った。動かないとばかりに、精霊はトウゴの手の上に居座る。トウゴが空いていた左手で触れようとすれば、嫌々と身体を震わせた。

 トウゴが頭を掻けば、あのね、と精霊が話を変える。


「…何?」


 諦めないで、と真面目な声がした。


「…何も諦めてない」


 嘘つき、と即答。


「まあ、俺は元から嘘つきだよ。色んな嘘を重ねて、本当のことはいつも隠していた。もうこの話はいいだろ?」


 良くない、と精霊が一際眩い光を放った。


「俺にどうして欲しいわけ?」


 信じて、と言われてトウゴが眉を寄せる。

 護人を信じて、と繰り返して、精霊はトウゴの手のひらの上で踊るように、くるくると回り出す。くるくる回る精霊より、亜莉香は何も言わずに視線を向ける、ピヴワヌの真っ直ぐな瞳が気になった。


「…何でしょうか?」

「何でお主が護人だと、ばれているのだ?」

「まだ完全にばれていませんし、私のことかも分かりません」


 亜莉香の言い分に、ピヴワヌは納得できない顔で前を向いた。

 精霊の言葉を考えて、トウゴは尋ねる。


「護人は、遠い昔の伝説だろ?本当に存在しているのか?」


 ピヴワヌ様と契約した子がいる、と嬉しそうに言われて、今度は亜莉香がじっとピヴワヌを見つめる。振り返ってくれないピヴワヌが気まずそうな雰囲気を醸し出していた。


「ピヴワヌと契約をしただけで、護人扱いされているのですが?」

「精霊共は口が軽いからな」


 自分のせいではないと言いたげな口調だった。

 本人の知らないところで護人と呼ばれ始めていたことに、何とも言えない気持ちになる。自覚もなければ名乗る予定もないのに、このままでは精霊達の間で広まっていそうだ。

 聞いたことのない名前にトウゴは暫く悩み、考えても答えは出なかった。


「…誰、そのピヴワヌ様?」


 高貴な気高き方、焔の使い手、ルビーの瞳、白い兎、今は小さい、何でも食べる。皆が言っていた、と明るく締めくくった。

 挙げられた数々の言葉に、主に最後の方に亜莉香は片手で口元を押さえて笑いを耐える。腕の中でわなわなとピヴワヌが震えだして、聞こえないと分かっていながら叫んだ。


「皆とは誰だ!今は小さいとは言わなくてもいいだろう!儂の力が戻ってないのを言いことに、好き勝手言いおって!儂にだって好みはあるから何でも食べん!!」

「まあまあ、落ち着きましょうよ」

「落ち着けるか!!!」


 腕の中で暴れ出したピヴワヌを、落とさないように後ろから抱きしめた。

 全く想像が出来なかったトウゴが、困った顔になる。


「えっと…じゃあ、その護人かもしれない人はどんな人?」


 女の子、と一言。

 それだけの情報しかなくて、トウゴの眉間に皺が寄る。


「…どんな?」


 分かんない、と元気よく返されれば、トウゴが遠くを見つめた。


「時々思うけど、精霊との会話は難しいよな」


 そうだね、と言いたげに、精霊は逆回りにくるくると回った。

 それ以上の質問をしても無意味だと悟り、トウゴは左手の人差し指で精霊が回るのを止める。右手の上で落ち着かせてから、そのまま肩に移動させた。


「とりあえず、ここから移動しようか。一緒に来るだろ?」


 行く、と心底嬉しそうな精霊と共に、トウゴは歩き出す。

 裏路地の細い道から、少し幅の広い道に出た途端に夕日を浴びて、トウゴの足が止まる。橙色の夕日を見た横顔は、とても眩しそうに目を細めた。


「昔は、四人で手を繋いで歩いたよな」


 懐かしそうに、トウゴの声が零れる。


「真ん中はいつもトシヤとヤタさんで、ユシアはヤタさん以外と手を繋ぐのを嫌がって、トシヤは俺の手を強く握った。皆で離れないように、迷子にならないようになんて言ってさ。家まで帰った時は、本当の家族みたいだと思った」


 眩しい夕日を遮る片手の隙間から、頬を零れ落ちる涙が見えた。拭うことはなく、静かに流れた一筋の涙は地面に落ちる。


 声をかけることも、触れることも叶わない。


 それを分かった上で、亜莉香はトウゴに近づこうと足を踏み出した。片足を上げると同時に、後ろ足が地面に沈む。

 重心が後ろに下がって、背中から倒れそうになった。


「――っ!」

「お、狭間が終わって現実に引き戻されるぞ」

「呑気に解説しないで下さい!」


 叫んでも意味が無く、地面の感覚が消えた。背中から地面に叩きつけられると思ったのに、身体は透明なガラスのような地面を通り抜ける。

 意図も容易く、亜莉香を過去から隔てた。

 咄嗟に右手を伸ばしても何も掴めず、トウゴの姿が遠のく。まだ知りたいことがあるのに、どこかに落ちていく力に逆らえない。


「トウゴさん!」


 無駄だと分かっていても、名前を呼んだ。トウゴが亜莉香の存在に気が付くことはない。過去は変えられなくて、目の前の光景はぼやけていく。


 死にたくないな、と微かな声が聞こえた。

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