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Last Crown  作者: 香山 結月
第1章 月明かりと牡丹
120/507

25-3

 口を閉ざして一部始終を見ていた亜莉香は、ピヴワヌに促されて馬車から降りる。

 その後は、見ていて心が痛む出来事の連続だった。

 トシヤとトウゴが駆け付けても、幼い子供達は大した戦力にならない。足手まといになっているとも思える状況で、女性は子供達を庇いながら戦った。トシヤに手を引かれながらトウゴは水の魔法で攻撃を仕掛けるが威力が弱く、何度も弾かれた。トシヤは戦い慣れている様子で上手く攻撃を避けるが、武器もなく致命傷は与えられない。


 男性がルグトリスの心臓に日本刀を突き刺した時、別のルグトリスが動いた。

 まるでスローモーションのように、刎ねられた男性の首が転がる。

 女性の悲鳴が響いて、馬車を引いていた男は勝ち目がないと悟ると逃げ出した。トシヤの家族と共に、すぐに馬車の姿は小さくなって見えなくなる。

 子供を背にして戦っていた女性が、相討ち覚悟で武器を突き出した。

 同時に肩より深く鉈が突き刺さって、鮮やかな血がトウゴとトシヤに飛び散った。

 ゆっくりと女性の身体が倒れて、トウゴは口元を押さえた。目を見開いて、光を失っていく瞳から目を逸らせず、小さな身体から力が抜けた。

 座り込んだトウゴを、トシヤは小さな身体で背に隠す。


 その場に残されたのは子供二人と、ルグトリスが一人。爆弾を持っていたはずのルグトリスの手には何もなくて、トシヤの目の前までやって来るとその首を掴んだ。首を絞められたトシヤが抵抗しても意味はなく、やがて動かなくなる。

 ルグトリスが手を離せばトシヤの身体は地面に落ちて、すぐに息を吹き返した。咳き込んで喉を押さえて、敵わないと知りながらもルグトリスを睨みつける。

 絶望したトウゴを中心に、全身怪我だらけのトシヤと、鉈が突き刺さったままの血まみれの女性と、切り離された男性の頭と体。

 血の匂いの中で、トウゴの瞳は光を失っていた。

 何故か攻撃をやめたルグトリスが、トウゴを見下ろしたまま動かなくなる。


「その子は殺しちゃいけないよ」


 場違いな声がして、現れたのは腰の曲がった老人と、その後ろに真っ黒な着物を被った幼い少女が二人。少女達の顔は着物で隠されて、皺くちゃの老人は鋭い瞳にトウゴを映した。

 新たな敵と認識したトシヤが睨んでも、老人は見向きもしない。

 トシヤが立ち上がろうとしたら、その前に少女の一人が素早く動いた。地面に倒れていたトシヤの顔を踏みつけて、背中に飛び乗ると同時に首筋に刃物を当てる。

 一筋の赤い線が、トシヤの首筋に浮かぶ。


「殺しますか?」

「少しそのままでいてくれ」


 無機質な少女の問いに、老人は優しく答えた。

 トシヤが動けなくなり、老人はトウゴの前にしゃがむ。恐怖で声が出ないトウゴの頬を、両手で包んで無理やり顔を合わせる。


「よく顔を見せてくれ。ああ、やはり君の血筋は綺麗な瞳だね。僕の器に相応しい魔力を宿していて、あと数年もすれば申し分ない。君の両親が邪魔をしなければ、もっと早く会えただろうに」


 見た目より若い男の声で、老人は愉快に話した。

 にっこりと笑った表情の瞳が笑っていない。何もかも呑み込むような漆黒の瞳で見つめて、そっと右手をトウゴの心臓に近づける。

 その瞬間に、地面に文字が現れた。トウゴと老人を囲う、黒い光を放つ丸い陣。複雑な図形と文字が混ざり合い、老人は満足そうな顔になる。


「名前を言いなさい」


 口を固く閉じたトウゴは何も言わない。


「彼を見殺しにするなら、言わなくてもいい」


 彼、と言って老人はトシヤを見た。


「――僕、は…」


 残酷な選択を前に、トウゴはトシヤを見つめる。トシヤは何も言わなかったが、首を横に振った。言うな、と目で訴えると、トウゴが涙を浮かべて無理やり口角を上げる。


 トウゴ、と掠れる声がした。






 気が付くと灰色の世界に引き戻されていた。

 花びらがいつ舞い上がり、地面に落ちたのかは分からない。足を踏み出せば数メートル先に淡く赤く光る花びらが案内を再開するが、これ以上を知ることが怖くなった。

 過去の出来事にしては生々しくて、心に刻みつけられる。楽しい記憶ばかりではないと、分かっているつもりだった。覚悟が足りなくて、両手の手のひらに爪が食いこみ、奥歯を噛みしめる。気持ちが落ち着くまで動けないでいると、静かだったピヴワヌが囁く。


「あれは禁術だ」

「どういうことですか?」


 お互いに花びらに視線を向けたまま、空気は重々しい。


「契約の一種ではあるが、儂とお主の契約とはまるで違う。以前に話した通り、契約は魔力の結びつきであり、決して破れぬ約束事だ。言葉を紡ぐこと省いて、一方的な命令を陣に組み込んでいた」


 ピヴワヌの毛並が逆立って、怒りを露わにする。


「名を相手に言わせることで主導権を握り、逆らうことを許さずに命を縛った。あの禁術のせいで、昔は数多くの精霊の犠牲が出たのだぞ」


 抑えきれない怒りが瞳に宿り、亜莉香は少しだけ肩の力を抜いた。

 腕を組むように、それぞれの肘に手を当てて空間を作ってから、ピヴワヌの名前を優しく呼ぶ。目が合って、亜莉香の意図を察した小さな兎の身体は腕の中に収まった。

 深呼吸をして、荒ぶる感情を押さえるピヴワヌを亜莉香は撫でる。


「禁術を解くことは出来ないのですか?」

「誰も知らん。だから、禁術を使われる前に逃げるしかなかった。それでも捕まった精霊は、主に逆らうことが出来なくて、何とか助け出そうとする前に命を落とした」


 悲しみに満ちた声で、ピヴワヌは言った。


「禁術を使う奴らが、儂は怖くて堪らない。奴らは操り人形でも手に入れたような顔で、平気で気持ちを踏みにじる。逆らえば殺して、また手に入ると笑う。奴らにとって精霊は全て同じもので、違いなどなかった」


 恐怖が混じって、微かに身体が震えていた。

 安心させたくて、ぎゅっと抱きしめる。余計な言葉を言えないでいると、ピヴワヌは身体の向きを変えて、不安げな瞳で亜莉香を見上げた。


「まだ進むのか?」

「…はい」

「引き返すのも、一つの手だぞ?」


 引き返して欲しいと願うピヴワヌの想いに答えられず、亜莉香は首を横に振った。


「私は私の意思で、前に進みたいのです。それでも一緒に付いて来てくれますか?ピヴワヌだけでも引き返しても構いませんよ?」

「…行く」


 小さく呟いて、ピヴワヌは身体の向きを変えた。

 そっと踏み出せば、花びらだけが変わらずに舞い上がる。儚くも美しい花びらを目印に、灰色の世界はどこまでも続いている。

 会話が無くなったのは数秒だった。


「さっきの禁術が儂や精霊共にとって深い闇だとしたら、ルグトリスの浄化は光だった」


 淡々と、過去形で語る。


「精霊は喜びや楽しみ、嬉しさや祈りを好む光の存在。ルグトリスは悲しみや苦しみ、憎しみや嘆きの負の感情を集めて生まれた闇の存在。相容れぬ正反対の存在ではあったが、どちらも護人に救われていた」


 護人と聞いて、挟みたくなった口を閉じる。


「魔力の強い者なら精霊の姿を見て、話も出来るだろう。それでも護人は特別だった。いつだって小さな声も聞き逃さずに、姿を見つけて手を差し伸べてくれた。感情のままに人を襲うルグトリスを浄化して、僅かに残っていた心の光を掬い上げてくれた」

「心の光を掬うのですか?」


 我慢出来ずに、亜莉香は訊ねた。ピヴワヌは頷く。


「大抵のルグトリスは手遅れで、浄化が難しい。だが稀に、その心に光が残っている。真っ暗闇の中で今にも消えそうな、小さな光をあの子は何度も見つけ出していた」


 ピヴワヌの言うあの子は、一人しか思い浮かばない。

 確認をする前に答えは出た。


「元我が主だったあの子は――緋の護人だ」


 どくんと、亜莉香の心臓が音を立てた。


「何度も生まれ変わり、儂の前に姿を現した。精霊と共に日々を過ごしては、護人の魔力に引き寄せられるルグトリスを圧倒的な力で倒す。お主の場合は記憶も受け継いでおらず、戦う力も封印されているようだが」


 振り返った瞳に、困惑する亜莉香の顔が映る。


「瑞の護人に魔力を封印されても、その魂に変わりはないぞ。緋の護人」

「私、が――?」

「まあ。魔力が封印されている時点で、護人と呼ぶのは相応しくない。護人にしてはか弱くて、何をするに心許ない」


 ピヴワヌが前を向くと、花びらはタイミングを見計らったように地面に落ちた。

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