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Last Crown  作者: 香山 結月
序章 薄明かりと少女
12/507

03-2

 飲み物を飲み終えただけなら、立ち上がってトシヤの方へは行かなかった。

 包丁がぎこちなくまな板を叩く音と、心なしか焦げ臭い匂いが気になって、亜莉香はグラスを持ったままトシヤの傍へ行く。

 カウンターで上手く隠れていた台所のゴミ箱は、空のプラスチック容器が溢れている。それは惣菜の入っていた容器で、見慣れた食品名が読み取れた。

 とりあえず見なかったことにして、亜莉香は野菜を切るトシヤに声をかける。


「トシヤさん、ご馳走様でした」

「そこらへんに置いておいて」

「はい…えっと…手伝いましょうか?」


 トシヤの目の前で山盛りになっている野菜が気になって、亜莉香は言った。

 人参、玉葱、キャベツ、ピーマン、もやしなど、まな板の上に大きさが違ったり、切れていなかったりした野菜があった。最初に切った野菜はすでにフライパンの中で、三つあるコンロの一つで火をかけて放置されている野菜が、焦げた匂いの原因になっている。

 野菜炒め、だと思う。

 トシヤはまだ野菜を切っている途中。手を止めると、亜莉香と残っている野菜を見比べる。


「アリカ、料理は得意?」

「得意と言うか、家でよくしていたので、一通りは出来ると思います」


 多分、と少し自信なさげに言って、視線を下げる。

 言った後に、出しゃばったことを言ったかもしれない、と後悔するが遅い。両手をぎゅっと握りしめ、トシヤの言葉を待つ。

 あのさ、とトシヤが申し訳なさそうに口を開いた。


「俺、野菜炒め以外上手く作れないけど、アリカは他に何か作れる?」


 トシヤの言葉に、亜莉香はすぐに顔を上げる。


「難しい料理でなければ、作れるとは思いますが。えっと…希望はありませんか?」

「野菜炒め以外であれば、俺は何でも嬉しいけど」

「何でも、だと私も何を作ればいいのか分からなくて」


 二人で向き合い、うーん、と悩む。

 悩んでいる途中で、焦げている匂いが強くなった。フライパンの中に入っている野菜が黒く焦げているのが見えて、亜莉香は慌てて言う。


「トシヤさん!火を消さないと!」

「あ、やべ!」


 慌ててトシヤが火を消した。

 ほっと一息をつき、どちらかともなく目を合わせて、静かに笑い出す。笑ったおかげで気持ちは落ち着き、じゃあ、と亜莉香は微笑む。


「材料は何かありますか?」

「冷蔵庫の中のものは、何でも使っていい。使いたい食材はある?」


 冷蔵庫の扉を、トシヤが開けた。今までずっと手に持っていたグラスをカウンターに置き、冷蔵庫の中を覗き込む。卵や牛乳、豆腐や肉、色々な野菜や和菓子などが冷蔵庫の中にあった。

 何がいいかな、と悩みながら、亜莉香は訊ねる。


「皆さんが食べられないものはありませんか?」

「目が痺れない食べ物」

「それ、料理ですか?」


 予想外の回答に、質問を重ねて振り返った亜莉香と目が合い、トシヤはしっかりと頷いた。


「トウゴとユシアが料理をして、食べ物以外を入れたことがあるんだよ。そのせいで、俺と爺さんは生命の危機を感じた」


 その時のことを思い出したのか、トシヤの顔が青白く見えた。

 この家の料理事情を垣間見た気がする。


「それでは、トシヤさんの好きな料理を作りますよ。何が好きですか?」


 亜莉香の質問に、トシヤは腕を組んで少し考える。


「…卵焼き?」

「卵焼きですか?」

「出汁巻卵。無理ならいいけど」


 小さな声で、トシヤは一言付け加えた。

 卵は冷蔵庫にあったので、亜莉香は迷うことなく三つほど卵を取り出す。トシヤは先に切っている途中だった野菜を脇に寄せ、亜莉香のために場所を空けた。

 卵を置いて、出汁を取るために周りを見渡す。昆布とかつお節が棚の上の方に押し込まれているのが見えて、亜莉香は背を伸ばす。あと少しで手は届かず、トシヤが後ろから昆布とかつお節を取った。


「これ?」

「はい」


 真後ろにトシヤがいて、あまりの近さに驚くが、気付かれないように視線を下げた。トシヤは亜莉香の耳が微かに赤くなったのに気が付き、静かに傍から離れる。


「邪魔にならないように、カウンターに座っていようか?それか、ソファのところまで離れるけど?」

「…カウンターの方が、いいです。分からないことがあった時に聞けるので」


 分かった、と言って、トシヤはカウンターを挟んで、置いてあった丸い椅子に座る。

 ふう、と息を吐いて、亜莉香は小さく気合を入れる。

 大きな鍋を用意して、水を入れる。昆布は綺麗な状態なので、十センチくらいの昆布を一枚だけ鍋に入れ、沸騰させないように弱火でじっくり十分程加熱する。

 その十分の間が暇なので、面白そうに見ていたトシヤに訊ねる。


「トシヤさん、主食は何ですか?時間があるので、他にもう一品ぐらいは作れますが」

「主食は米だけど、最近ユシアが炊飯器を壊したから。米が炊けなくて、炊飯器を買わないといけなかったんだよ。だから主食はなしで」

「お米自体はありますか?」


 亜莉香の質問にトシヤは少し驚き、頷く。


「袋の米は床下だけど、普段使う米は棚の脇の米櫃」

「あ、これですね」


 見落としていた米櫃を見つけ、何合炊こうか悩んだのは一瞬。すぐに米を適量出して、研ぎ始める。米を研ぎ出した亜莉香に、トシヤは問う。


「炊飯器は使えないけど?」

「土鍋で炊きます。冷蔵庫にささみがあったので、野菜も加えて炊き込みご飯を作ります。時間はかかりますが、間に合わなかったら明日でも食べられますので」


 亜莉香は迷うことなく置いてあった土鍋を手に取った。

 土鍋に研いだ米と水を入れ、ささみを冷蔵庫から出すと、トシヤの切ってあった人参を少し加える。少し味付けを、と醤油と塩を加え、空いていたコンロの上に置いて火にかけた。

 手際よく動く亜莉香が一息つくと、タイミングを見計らってトシヤが声をかける。


「他に何を作る予定?」

「そうですね。すぐに思い付いたのは、出汁を取っているので豆腐の味噌汁です…私、余計なことしていましたか?」


 声をかけられ、途中から夢中になって作っていた、と今更ながら思った。

 勝手に材料を使ってもいいと言われてはいるが、出過ぎたことだったかもしれない。トシヤの顔色を伺うと、怒っている様子はなく、いや、と即座に否定した。


「全然余計じゃない。俺は土鍋で米なんて炊けないし、二日に一回は野菜炒めを作って食べ飽きていたから、アリカが料理してくれて助かる」

「なら、良かったです」


 安心して、出汁を取っていた鍋に目を向ける。

 沸騰していない鍋を確認して、かつお節を足して中火に変える。土鍋の様子を伺いながら、味噌汁の豆腐を冷蔵庫から取り出すと、トシヤが思い出したように話し出す。


「そう言えば、前にルカとルイに料理させようとしたら、全力で逃げられたことがあったな。あいつら人の作った料理にけちつけるくせに、自分達では絶対に作らないんだよ」

「トシヤさんが、三食全員分作っているのですか?」

「いや、朝は各自食パンとか、ご飯に卵で済ませていたし。昼も仕事があって、適当に済ませているから。俺が作るのは夕飯だけだな」


 仕事、と言う単語が心に引っかかり、亜莉香は顔を上げる。


「トシヤさんは、何の仕事をしているのですか?」

「俺? 俺は、午前中だけ配達の仕事を手伝っている。午後は家に帰って掃除とか夕飯の支度。最近はルカとルイの模擬戦の相手を付き合っているかな」

「もしかして、神社でも模擬戦に付き合う予定でした?」


 そう、とトシヤは頷いた。


「私、皆さんの邪魔をしてしまったのですね」


 申し訳なく思いながら、味噌汁に入れる長ネギをゆっくりと切る。

 違うから、とトシヤが慰めるような口調で言った。


「黒い奴らが現れたら、そっちを倒すのが優先。ルカとルイの模擬戦に付き合うようになる前から、俺はよく街をうろうろしていたから。むしろ、俺がいたからアリカを巻き込んだ可能性もあるし」


 え、と驚く亜莉香に、トシヤは肩を竦めて見せた。


「何故かよく遭遇するんだよ。ユシアやトウゴはあの黒い奴らの存在を知らない。街の人間も知らないだろうな。人がいない場所、今日までは俺が一人の時によく現れていたし、ルカとルイは何か知っているみたいだけど、何回聞いても教えてくれない」

「何なのでしょうか?」

「何だろうな?」


 質問を質問で返され、亜莉香は言葉に詰まる。トシヤは手が止まっていた亜莉香の傍の土鍋に目を向け、軽く言う。


「アリカ、ご飯が吹きこぼれそうになっているけど?」

「え…あ!」


 急いで火を弱めた。吹きこぼれる手前だったので、おそらく大丈夫だろう、と思うことにして、途中で止まっていた長ネギを切り終える。

 あとは、と考えながら、目に留まったのはまな板の端に追いやられている野菜と、フライパンの上で半分焦げている野菜炒め。


「野菜炒めは、どうしますか?」

「適当に手を加えてもいいけど。何か出来る?」

「野菜炒めは…野菜炒めですよね。うーん…残りの野菜も入れて、あんかけ風にするのはどうですか?」

「じゃあ、それで」


 分かりました、と返事して、亜莉香は残っていた野菜を均等に切る。焦げた部分は申し訳ないが取り除き、残りの野菜を加えて炒める。炒めている途中で、出汁の鍋の火を止めて、ザルにキッチンペーパーを引き、大きな別の鍋の中にこす。

 出来上がった出汁の匂いがダイニングに広がり、トシヤが不思議そうに首を傾げた。


「それが出汁?」

「一応、出汁です。自己流なのでお口に合う保証は出来ませんが」


 出汁はそのまま放置して、亜莉香は作りかけの野菜炒めに塩コショウや醤油を加え、出来上がったばかりの出汁も少し加える。水溶き片栗粉を加え、とろみがついたら火を止めて、後ろの棚を振り返る。


「お皿一つにまとめて盛り付けてもいいですか?」

「いいよ。皿も好きなものを使っていいから」


 好きなもの、と言われ、目に留まったのは大きく平べったい、小さな赤い花の描かれた皿。その皿を取り出し、出来上がった野菜炒めを皿に盛りつける。


 いつの間にか、土鍋からもいい匂いがしてきた。

 土鍋の蓋を開け、炊きあがったのを確認して、すぐに火を止める。

 残りは卵焼きと味噌汁で、空いているコンロは二つ。土鍋はそのまま置いておいて、出汁を最初に作っていた鍋で、そのまま味噌汁を作ることにした。出汁に少し水を加え、火にかけ、長ネギと玉葱を加える。沸騰したら豆腐を加え、弱火にして味噌を入れて、全て溶けたら火を止めた。


 味噌汁の鍋に蓋をして、最後に卵焼きに取りかかる。

 近くにあったボールの中に卵を割り、菜箸でかき混ぜる。完成したばかりの出汁とみりんを加え、よくかき混ぜると、野菜炒めとは別のフライパンに薄く油を引く。一度で全部の卵は入れず、数回に分けて卵は入れる。

 形を崩さないように気をつけながら、卵焼きはすぐに完成した。

 出来上がった卵焼きをまな板に置き、均等に切り分ける。


「出来た…」

「すごいな、美味しそう」


 一部始終を見ていたトシヤの言葉に、嬉しくなって亜莉香ははにかんだ。棚を振り返り、卵焼き用の皿を探す。


「卵焼きも、皿に盛っておきますね」

「分かった。じゃあ俺は、茶碗やお椀を用意するか。トウゴはもう少しで帰って来ると思うけど、ユシアは時間読めないから。遅かったら先に食べるか」


 言い終わるとすぐに、トシヤは亜莉香の横に来た。

 トシヤが棚から取り出したのは、色違いの茶碗三つ、それからそれぞれ種類の違う茶碗とお椀を六つ。それらを手に持ち、トシヤが亜莉香の方を見る。


「アリカの分、これでいい?」

「何でもいいです」

「なら、今日はとりあえずこれで。どうせ、明日になればユシアがアリカの分を一式揃えるだろう。今日の様子だと、帰って来てからも五月蠅くなりそうだし、トウゴも騒ぎそうだし。アリカ、嫌なことあったら、はっきり嫌だと言えよ」


 必要な食器を持って、トシヤがテーブルの方に歩きながら言った。

 亜莉香は卵焼き用の皿を取り出し、視線を下げて呟く。


「嫌なことなんて、一つもないのに」


 言いながら、幸せを噛みしめる。

 今日出会ったばかりの人だけど、誰もが優しい。困っていれば手を差し伸べてくれて、話を聞いてくれる。それだけで十分で、もしもこれが夢だったら、と考えると、怖くなった。


 本当は夢を見ていて、眠っているだけかもしれない。

 目が覚めれば家に一人で、いつものように一人でご飯を食べる。

 周りには、誰もいない。


「アリカ?」


 名前を呼ばれて、ぎゅっと閉じていた瞳をゆっくりと開ける。

 トシヤが不思議そうな顔で、亜莉香を見つめていた。その瞳に映る自分自身の姿を見て、亜莉香は息を吐き、ぎこちなく笑う。


「すみません。ぼーっとしていました」

「それはいいけど。疲れているなら、少し休んだ方がいいだろ。ほら、あとは俺がやるから、アリカは先に座って待っていろ」

「え、あ…」


 問答無用で皿を取り上げられ、やることがなくなる。少しだけ悩むが、お願いします、と軽く頭を下げて、亜莉香は邪魔にならないようにテーブルの方へ移動した。

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