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Last Crown  作者: 香山 結月
第1章 月明かりと牡丹
117/507

24-5

 一瞬で、周りの景色が変わる。

 真っ黒な暗闇から、灰色の世界に変わった。見渡す限りの灰色の世界はどこまでも続き、果てが見えない。


「ピヴワヌと出会った所みたい」


 元気だろうかと神社にいるはずの兎を思い浮かべれば、赤い光が目の隅に映った。

 光が一匹の兎の形に変わって、ぴょんと地面に降り立つ。数日前に会った時は手のひらサイズだったが、両手のサイズまで大きくなった。巻いていた包帯はそのままで、ふわふわの綿毛のような白い毛並みが揺れて、深い赤のルビーの瞳が亜莉香を睨む。


 睨まれた理由が分からず、怒っている顔。

 短い手足で駆け出したピヴワヌが、勢いよく亜莉香の頭に激突した。


「――っ!」

「何が睨まれた理由が分からないだ。何故儂を呼ばん!」


 くるりと宙で一回転して着地したピヴワヌが、おでこを押さえて蹲った亜莉香を叱った。柔らかいのは毛並だけで、ぶつかった痛みで両手を押さえる。視線が近づいて、ピヴワヌの心配そうな瞳に気が付いた。

 大丈夫なのか、声に出さなくても伝わる。

 笑みが零れて、亜莉香は両手を下げて膝を抱えた。


「私は大丈夫ですよ。見た通り元気じゃないですか?」

「全く、現状を分かっちゃいない」


 ピヴワヌが深くため息をついて、一部始終を見ていたリリアが口を挟む。


「今の貴女は現実で深く眠っている状態で、目を覚ましていないのを知っていた?」

「…え?」

「夢の中にいたのだから、意識を失っているくらいは気付いても良かったのに」


 くすりと笑ったリリアに、亜莉香はようやく記憶を呼び戻す。

 神社の回廊で出会った真っ白な髪の女性と、一緒にいたトウゴの姿。話して終わるはずがなく、唐突に突き刺さった女性の小刀。


「私…あの人に刺されて?」

「刺されて重症だ!お主が流した血のせいで、精霊達がどれほど困惑して騒いでいたことか。回復するために神社で寝ていたのに精霊共に叩き起こされて、お主との結びつきが消えかけそうになって――」


 くどくどと続きそうな言い分に、亜莉香はそっと両耳を塞ごうとした。


「話を聞け!!」

「そんなに怒らなくてもいいじゃないですか?」

「それなら危機感を覚えて行動しろ!毎回行動が軽はずみだと自覚をせんか!!」


 反省の色がない亜莉香に対して、小さな身体のピヴワヌが地団駄を踏む。

 可愛くて撫でようとしたら、威嚇するように目つきになった。今にも噛みつきそうな雰囲気を醸し出しても、見た目はどう見ても小さな兎。

 実際噛みつきはしないだろうと、手を伸ばす。


「うーん。目が覚めたら、私は怪我をして寝ているのですよね」

「う…うむ。怪我自体は緑色の髪の女が治していたが、沢山の血を流していたから今夜が峠だと言われていたぞ」


 撫でられるのが気持ち良くて、ピヴワヌの表情が和らいだ。

 怒りが急速に冷えていく様子を見て、亜莉香は首を傾げて訊ねる。


「緑色の髪の女、とはユシアさんですか?」

「名前は知らん。お主の怪我を表面上は治したが、簡単な治癒魔法しか使えんと騒いで医者を呼んでいた。あの医者の名前は…確かヤタだったな」

「ヤタさんのことはご存知で?」

「あの男は数十年前の顔見知りでな、あっちが覚えているかは分からん。それにしても久しぶりに顔を見たら、随分と年を取っていた。時間が流れるのは早い」


 しみじみと言って、ピヴワヌはふと思い出したように続ける。


「儂の嫌いなあの男は――」

「それは誰ですか?」

「トシヤだ、トシヤ」


 名前を口にしただけなのに、それすら心底嫌そうだ。


「トシヤさんがどうかしましたか?」

「奴自体はお主の怪我で顔面蒼白になっていたぞ。他にも数人同じ顔だったが、それはどうでも良くて」

「どうでも良くはないのですが」


 目が覚めたら、また無茶をしたと言われるのだろう。

 心配をかけて、もしかしたら怒られて。過保護になっていた面々の顔を思い浮かべて、同時にトウゴの、最後に会った時の悲しそうな顔も思い出した。

 視線が下がって黙り込んでいた亜莉香の意思が通じたかのように、ピヴワヌは言う。


「お主が引き止めようとしていた男の所在は、儂にも分からない」

「そう、ですか」

「一緒にいる女の魔法なのか、気配が追えなかった。お主を傷つけた女諸共、食ってやろうかと思ったのに」

「…物騒なことはしないで下さいね」


 本気で食おうとしていた気持ちを悟り、思わずお願いをした。舌を出したピヴワヌは、機会があればいつでも食うつもりのようだ。

 対策を練らねば、と思っていると、今度はピヴワヌが質問をする。


「それで、目を覚ましたら何かするのか?」

「何か、とは?」

「神社の中は神聖な空間のはずなのに、穢れが生じている。先に言っておくが、それはお主の血のせいじゃない。それ以外の血と、無数のルグトリスが蠢いているせいだな」


 無数のルグトリスと聞いて、背筋が凍る。

 淡々とした声が心に影を落として、声が小さくなる。


「私に出来ることはあるのでしょうか?」

「それはお主次第。何かするなら儂も手を貸すが、何もしなくていいなら何もせん。儂はお主に従うだけだ」


 素っ気なく、突き放すような言い方だった。ピヴワヌに名案があるわけではないようで、じっと地面を見て考える。戦える力はなくて、目を覚ましても重症。精霊達の声を聞くことは出来るが、ピヴワヌでも見つけられないトウゴを他の精霊達に見つけてもらうことは可能なのか。

 考え込んでいた亜莉香の肩に何か触れた気がして、振り返った。

 優しい笑みを浮かべたリリアが傍に立ち、肩を叩いたようだ。


「あのね、出来ることより未来を描くといいと思うの」

「未来を描く?」

「こうしたい、こうありたい。それが分かれば、道は自ずと見えて来るから。亜莉香さんは、どんな未来を描きたい?」


 リリアの問いかけに、言葉が詰まった。

 未来を描いたことなんて、今まであっただろうか。

 今までの人生で、何度も絶望した。両親がいなくなった時に、学校で居場所がなかった時に。苦しくて悲しくて、感情を押し殺した。どうせこんな人生だと、願望と感情は捨てた。

 半年前まで、そうやって生きていたはずだった。


「私は――」


 口にしてもいいのか、言葉が喉まで出かかって声にならない。

 沢山の出逢いがあって、泣いて笑って目まぐるしく日々が色付いた。

 何度もトシヤは守ってくれて、傍に居てくれるだけで安心した。小さな怪我をするたびにユシアは悲しそうな顔になって、誰よりも心配してくれた。素っ気なかったルカとは一緒に本を選ぶようになって、図書館の中で宝探しをしているみたいで楽しかった。美少女にしか見えないルイは時々甘いものを買ってくれて、皆に内緒で食べては秘密を共有した。

 誰よりもトウゴは騒がしくて楽しそうで、その笑顔に救われた。

 皆が笑い合う未来が、ずっと続いて欲しい。

 描きたい未来は、一つしかない。


「私は――皆と一緒にいたい」


 泣きそうな言葉が心に染み込むと、涙で視界がぼやけた。視線を下げて目を閉じれば、半年間で当たり前になった日々が蘇る。


 毎日が、陽だまりの中にいるような温かさがあった。

 おはよう、と朝一番に挨拶を交わして。

 行ってきますと元気よく、いってらっしゃいと見送って。

 ただいまと疲れた顔で帰ってくれば、おかえりなさいと出迎えて。

 いただきますと声を揃えて、美味しいと顔を綻ばせながらご飯を食べて。

 おやすみなさい、で一日が終わる。

 一緒に過ごしている人達だけじゃなくて、ガランスで出会った人達の笑顔も心を満たす。日々の繰り返される出来事が宝石のようにきらきらして、かけがえのない時間だと思い知る。


 皆と一緒に過ごす、大切な居場所を見つけた。

 心に描いた未来を、失くしたくない。


 揺るがない想いを抱けば、胸の中が熱くなった。

 瞼を閉じても感じる光に、そっと目を開く。

 胸元から僅かに淡く赤い光が放たれ、亜莉香の身体を包み込んでいた。その光の源から感じる熱さの正体に気が付いて、取り出したのは髪飾り。

 幼馴染の透から貰った花の髪飾りの、赤く変わっていた花びらが光っていた。

 呆然とする亜莉香が髪飾りを手のひらに乗せれば、リリアは話し出す。


「透の作った魔道具ね」

「透が?」

「貴女の魔力を溜めて、必要に応じて道標になってくれるもの。息を吹きかければ、それは機能するはずよ」


 確認を込めてリリアを見れば、微かに頷いた。

 髪飾りに視線を戻して、ふっと息を吹きかける。二枚の花びらが零れ落ちて、宙を舞った。一枚は地面に落ちる前に儚く消えてしまい、もう一枚がふわりと地面に舞い落ちる。

 風はないのに今にも飛びそうで、淡く赤い花びらが一枚揺れた。

 リリアは満足そうな顔になり、ピヴワヌに視線を向ける。


「案内役はいるので、護衛役は頼めますか?」

「元よりそのつもりでここまで来た」


 しっかりと頷いたピヴワヌが、ちょこちょこと亜莉香の前までやって来た。

 目が合えば軽々と飛び跳ねて、肩の上に着地する。向きを変える時にふわふわの毛並みが頬を撫でて、亜莉香と同じ身体の向きでちょこんと座った。


「ほれ、さっさと行くぞ」

「どこに、ですか?」

「それはその花びらが教えてくれる」


 ピヴワヌが顎を動かせば、花びらが風に吹かれたように舞った。数メートル先に舞い落ちて、まるで亜莉香がやって来るのを待っているように見える。亜莉香は立ち上がり、リリアに向き直る。


「私、行きます」

「気を付けて。それからその灯籠を持って行って、それがあればどんな時も明るく照らしてくれるはずだから」


 地面に置いてあった灯籠を拾えば、ピヴワヌが落ちないようにしがみついた。落ちそうになった姿に、思わず笑みが零れる。


「落ちないで下さいね」

「むしろ落とすな」

「落とすつもりはないですよ?」


 笑いを堪えるリリアの声に、亜莉香とピグワヌは同時に振り返る。


「ごめんなさい。何だか可笑しくて」

「お主、笑われているぞ」

「やっぱり私ですか?」


 肩を落とした亜莉香に、リリアは首を横に振って笑うのをやめた。


「亜莉香さん、忘れないでね。どんな想いも力になるの。それは目に見えなくても存在して、貴女を守ってくれる」


 小さな子供に言い聞かせるような口調だった。

 子供を見送る親のような眼差しはどこか寂しそうで、亜莉香はリリアに問いかける。


「また、会えますか?」

「会えたら嬉しいとは思っています」

「私は会いたいです」


 口にすれば、それが本心だとしみじみと思った。

 出逢ったばかりなのに、別れが名残惜しい。もっと色んな話を聞きたいが、ピヴワヌが小さな手で肩を叩いて、そろそろ時間切れだと知らせる。

 リリアに軽くお辞儀をして、亜莉香はピヴワヌと共に歩き出した。


 待っている、と声が聞こえた。

 振り返れば、目が合ったリリアが微笑む。傘をさして、迷うことなく反対の方角に足を踏み出した姿が、一瞬で消えていなくなった。


 その後ろ姿は、やはりどこかで見覚えがあった。

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