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Last Crown  作者: 香山 結月
第1章 月明かりと牡丹
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24-2

 舞が終わると、亜莉香はアンリに呼ばれて控室に向かうことになった。

 呼びに来たのはチアキ。数時間前にも被っていた薄く金魚の模様が描かれた黒い着物を頭から被って、亜莉香はチアキの一歩後ろを歩く。


 回廊まで、本殿の喝采が聞こえる。

 姫巫女としての役目を終えたルカは名残を残さずに退場したが、その姿が見えなくなり、シンヤを始めとして拍手が広がった。盛大な終わりを迎えて、口々に舞を褒める声は大きかった。

 拍手は、中々鳴りやまない。

 舞の余韻に浸っていたのは本殿の中にいる人達だけじゃなくて、亜莉香も同じ。

 ルカが舞う時、精霊達が近くを飛び回り、舞と一緒に踊っているようだった。きらきらと輝く宝石のような光の中で、軽やかに舞う姿が美しかった。

 ぼんやりとしていると、チアキが亜莉香の名前を呼ぶ。


「アリカ様、急に呼び戻して申し訳ありませんでした。どうしても、ご自宅に戻る前にアンリ様がお礼を、とのことでして」

「いえ、私も話したかったので」


 すっと背筋を伸ばして歩くチアキの背に、亜莉香は素直に答える。


「舞の前にお会いしましたが、姫巫女の件については何も話せませんでした。あれで良かったのか、アンリちゃんには聞きたかったのです」

「問題などありません。歴代の姫巫女よりも御簾越しのお姿が美しかったと、皆が噂をしています。舞もまあ…素晴らしかったです」


 認めたくはないが、とチアキの表情が語る。初対面の印象が悪かったのだろう。亜莉香がいなくなった後に、ルカが態度を改めるとは考えられない。

 ルカはまだ控室にいるのか。それとも天井を通って、本殿まで戻ったのか。

 亜莉香がチアキに呼ばれた時、トシヤとルイが口だけを動かして会話をした。無音で何かを訴えたトシヤに、ルイは首を縦に振り、亜莉香に聞こえないように話していた。

 何かを、隠している気がするのは気のせいじゃない。

 考える時間があると、僅かに表情が曇って唇を結んだ。

 前方から足音が聞こえて、着物で顔を隠しつつ前を見る。前からやって来るのは男女が一人ずつ、遠くからでも見間違えることのない二人組に亜莉香の足が自然と止まった。


 心臓が五月蠅くて、動けない。

 何故、と疑問が浮かんで頭が真っ白になる。


 立ち止まった亜莉香に気が付いて、チアキが振り返る。

 その一瞬に、女性の足が止まりそうになった。

 真っ白な雪のような髪で、儚さを持つ美しい女性。亜麻色の瞳に亜莉香を映して、目を見開くが、すぐに妖しい笑みを浮かべた。


 その隣に、トウゴがいる。

 表情はなく、澄んだ水色の瞳に亜莉香の姿を軽く映しても、顔を隠していたせいなのか反応はない。いつもの黒い着物を着崩すことなく、同じく黒の袴を穿いていた。濃い灰色の紐で、紺色の長い髪を後ろに結び、腰に日本刀をぶら下げている。

 いつものふざけている雰囲気はない。

 明るく騒ぐトウゴしか、亜莉香は知らない。

 神社の中にいるはずだと、舞が始まる前にルイは言った。


 何故、この場所にいるのか。

 何故、その女性と一緒にいるのか。


 疑問ばかりが浮かんだ。喉がやけに乾いて、亜莉香は唾を飲み込む。

 チアキの心配する声に適当に返事を返すが、歩き出せない。今すぐにトシヤとルイを呼びに行きたいのに、背中を向けては駄目だと思った。

 両手に汗が滲んで、僅かに視線を下げる。このまますれ違うだけなら、踵を返して二人を追う。もし立ち止まったのなら、と考えたら、足が震えそうになった。

 緊迫した空気を、肌で感じる。

 トウゴは女性の一歩後ろを歩き、会釈した女性が足取り軽く真横を通る。

 その足音が、止まった。


「あの、どこかでお会いしましたっけ?」


 まるで初めて会ったかのように、女性が振り返って微笑む。

 真っ直ぐに見つめているのは亜莉香で、瞳の奥は挑発しているように見えて仕方がない。女性が立ち止まり、トウゴが微かに驚いたように見えた。

 動揺を見せまいと、顔を隠したままの亜莉香はぎこちなくも口角を上げる。


「いいえ」

「そうでしたか?あれれ、絶対に見覚えがあるのですが」


 ぐいっと顔を寄せた女性は、亜莉香の顔を覗き込む。

 瞳に緊張している顔が映って、唇を噛んだ。

 これは女性の本性じゃないと悟れば、急速に頭が冷えて冷静になる。別人の姿で女性が演じているのなら、それに乗ってみるのは一つの手だ。


「もしかしたら先程もこちらに足を運びましたので、その時にお会いしましたか?」 

「ここではない場所だった気もするのですが――」

「無駄口を叩かないで、帰るところじゃないの?」


 厳しい口調のチアキは、まるで知り合いへの対応。

 敬語じゃなくて、年下を叱りつける光景。女性が顔をしかめて、可愛く舌を出した。亜莉香から一歩引いた女性の軽い態度に、チアキが嫌悪を隠そうとしない。知り合いではあるが、仲は良くないのかもしれない。

 別人に見えている確信はあるが、他の人にはどんな風に見えているのか知りたい。


「チアキさんのお知り合いでしたか?」

「ええ、本来の姫巫女役だった方の使用人です。こんな場所にどのような理由があったのかは知りませんが」


 答えろ、とチアキの目が細くなって、女性は肩を竦めて見せる。


「我が主に、今年の姫巫女のことを探るように頼まれたのです。自尊心が高い方でして、姫巫女の正体を探って欲しいと」

「探ってどうするのかしら?」

「それは私の知らぬ存ぜぬところです」


 両手を上げた女性は、うふふと左手で口元を笑う。


「まあ、正面から足を運んだら無意味でしたね。誰も教えてくれなくて、奥まで通してもくれなくて」

「今年の姫巫女は存在を表沙汰にしないと、あれだけ言ったじゃない」

「それでも隠そうとすることは、何としてでも暴きたくなるものです」


 楽しそうな女性が、演じている人物を予測する。

 チアキには別人に見える女性は、ふざけてはいるが主人の命令には従う貴族の使用人。チアキより年下で、年齢で相手を敬うことはしない。

 亜莉香を疑ったのは、最初だけ。

 演じ続けているのなら、本当の正体を隠している。姫巫女の正体を探ろうとしているのは誰の意思なのか。使用人として主に頼まれたからなのか、女性自身の目的なのか。


「本当に、姫巫女を探りに来ただけですか?」


 不意に会話に混ざった亜莉香に、女性は少し驚いた顔をした。


「そうよ。さっきそう言ったばかりじゃないですか」

「探るにしては、真正面から秘密を暴こうとしていらっしゃったので。貴女なら、他の方法で探ることが出来たのではないでしょうか?」


 じっと見つめて、女性の本心を探る。

 貴女なら、の言葉に、本当の姿を知っている意味を込めた。その意図に女性は感づいたのか、眉をひそめて言い返す。


「まるで、私を知っているような口ぶりですね」

「そんなことはありません。初対面です」


 とぼけて微笑めば、女性は口を閉ざした。無意識に腕を組んで、ぎゅっと両方の肘を手のひらで押さえつけて、奥歯を噛みしめる。

 睨んでいる顔から女性の本性を垣間見た気がして、亜莉香は僅かに視線を下げた。

 これ以上の挑発は、危険だと分かっている。正体を知っていることを悟られて、襲われたら勝ち目はない。だからと言って、以前言われた忠告通りに行動するつもりもない。戦う意志がなくても、余計なことをするなと言われても、何もせずに後悔はしたくない。

 いつの間にか、ただならぬ空気を感じ取ったチアキが口を挟めない状況になった。

 ゆっくりと顔を上げた亜莉香は、被っていた着物を両手で外す。


 視界が明るくなって、ようやくトウゴの顔をよく見ることが出来た。

 目が合って、心がざわついた。

 様子を伺っていたトウゴの瞳の奥が揺らいで、驚いている。女性と話していたのが亜莉香だと、信じたくない顔をしていた。

 一歩下がろうとするトウゴを見据えると、亜莉香の心は不思議なほど落ち着く。

 佇まいや雰囲気が、いつもと違っていても。その姿を見ていると、嫌な予感がしても。心の警告が、鳴り響いても。

 自然な笑みが零れて、亜莉香は問いかける。


「トウゴさん、私と一緒に皆さんのところに行きませんか?」


 たった一言で、空気が静まり返った。

 トウゴの顔は固まって、亜莉香は答えを待つ。状況の分からないチアキが何も言えないでいると、女性の高笑いが回廊に響いた。

 腹を抱えて笑い出した女性に視線が集まって、顔を上げると妖しく微笑む。

 その口調が、がらりと変わった。


「ねえ、やっぱり貴女私の正体に気が付いているでしょう?」

「何の話でしょうか?」

「すっとぼけるのも、いい加減にしなさいよ。最初に会った時から違和感はあったけど――確信したわ」


 女性が勢いよく踏み出した。

 左袖の中に隠してあった小刀を抜いて、その細くて鋭い刃先を左手で隠すように添えた。迫る攻撃を避けようと、下がろうとしたが遅い。

 逃げる間もなく、亜莉香の右側の脇腹に小刀が突き刺さった。


「――っ!」

「前に、忠告したわよね」


 冷え冷えした声が、耳元の近くで聞こえた。

 咄嗟に突き放すことは出来なくて、腹に鈍い痛みを感じたまま動けない。


「戦う意志がないなら、余計なことはしないで。これを言うのは二回目だったはずよ。今回は見逃してあげない」


 ゆっくりと抜いた小刀から、赤い血が滴り落ちた。

 立っている力が抜けて、亜莉香は蹲るように座り込む。握っていた着物の手を離して、流れる血を左手で押さえた。


 血が、止まらない。

 倒れないように、右手を床につく。青白い顔のチアキが亜莉香の名前を呼びながら、今にも崩れ落ちそうな身体を支えた。何度名前を呼ばれても、上手く答えられない。座り込んだチアキの左手が背中に回って、右手は床に落ちた着物で傷口を塞ごうとする。その着物もチアキの手も、鮮やかな赤に染まった。

 必死に意識を保って、亜莉香は今にも消えそうな声で言う。


「…だい、じょうぶ」

「大丈夫なはずがありません!」

「ほん、とうに…」


 大丈夫、と言いたかった。

 声が掠れて、亜莉香は咳き込む。


「アリカ様、意識を保ってください!貴女一体――」


 何故、と女性を睨みつけたチアキの声が、途中で消えた。

 言葉を失っているチアキに気が付いて、亜莉香も顔を上げる。冷ややかな瞳には、血の気が引いていく亜莉香の姿しか映っていない。

 強がって笑みを見せれば、女性の声が一段と低くなる。


「貴女には、何故私の本当の姿が見えるのかしら?」


 演じることをやめた女性は言った。


「どうして、貴女には私の本当の姿が見えるの。どうして、本当の私を見つけようとするの。どうして――なんて、貴女に聞いても無意味だったのよね。この問いは愚問であり、貴女自身が回答を持たないのだから」


 自己完結して、女性は瞳を伏せた。爪にくい込むほど力強く小刀を握りしめて、唇を噛みしめる。そっと背を向けて歩き出そうとして、足を止めた。


「これに懲りたら、私に関わらないで」


 拒絶する、素っ気ない言葉。

 女性が歩き出せば、トウゴも一緒に付いて行く。亜莉香を見向きもしなかったその背中に向かって、消えそうな声で呟く。


「どこに…行くのですか?」


 トウゴさん、と名前を呼ぶ。


「行っちゃ、駄目ですよ」


 途切れずに話すことは困難で、意識が朦朧とし始めた。


「絶対に…そっちに行っては…」


 駄目だと、最後までは言えなかった。

 色鮮やかな血だまり中で視界がぼやけて、女性と共に背中を向けて去って行く姿を引き止める術がない。チアキに寄りかかる形になって、全身の力が抜けていく。

 離れていくトウゴに、声が届いたことを願う。

 チアキの助けを呼ぶ声が聞こえた。

 祭りの終わりを告げる花火の音も、遠くで鳴り響いている。


 瞼を閉じれば、最後に見たトウゴの悲しそうな顔が脳裏に焼き付いていた。

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