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籠の中で、賑わう人達の声が聞こえる。
兎のお面を被っているので視界は悪く、ずっと座っているので足が痛い。広いとは言えない籠の中にいると、精霊達が次から次へとやって来て、小さな報告をしてはいなくなる。
曰く、最近は声の聞こえる者が減った。
曰く、闇が深くなった。
曰く、結界の限界が来る。
気になった報告はこれぐらいで、聞いただけでは対処出来ない。大半の報告はそれ以外のことが多く、どこの和菓子が美味しくて、どこの家に魔力の強い子が生まれて、どの花が一番美しいか。溢れんばかりの情報は、曖昧に亜莉香の頭の中に残った。
昼の休憩以外、ひたすらに精霊の声に耳を傾け、精霊達は報告をすれば満足していなくなることの繰り返し。時々籠の中で休む精霊もいて、来客が途絶えることはなかった。
夕方近くになると、ようやく精霊達の報告が一段落する。
ほっと息を吐いて、胸元に隠していた髪飾りをそっと取り出した。
手のひらに収まった、幼馴染から貰った大事な黒い花の髪飾り。
ちりめん細工の花びら五枚のうち、二枚。黒ではなく鮮やかな赤に変わっていた。前に気付いた時は一枚だったが、いつの間にかもう一枚変わっていて、首を傾げる。
いつ変わったのか、気付かなかった。
今度からはよく見ておこう、と考えていると、籠が止まる。
人の気配が減る前に、急いで髪飾りを胸元に隠した。
名前を呼ばれた後、籠の御簾が上がる。
「アリカ様、長時間お疲れ様でした。神社に着きましたので控室に案内致します。舞手が来るまで、ゆっくりとお寛ぎ下さい」
「チアキさんこそ、お疲れ様でした」
差し出されたチアキの手を借りて、亜莉香は籠から出た。
広い玄関を上がり、案内されるままに建物の中を進む。
通された控室の中には、チアキ以外の人影はない。十畳程の和室に、水彩画で牡丹の花が描かれている障子の貼られた丸い窓。
誰もいないことに安心した亜莉香に、チアキは微笑む。
「どうぞこちらへ、座ってお待ちください。今お茶を用意させていますので」
お礼を言って、亜莉香は部屋の上座に腰を下ろす。
昼の休憩でも感じたことだが、籠から出ると息がしやすい。閉鎖的な空間は合わないのだと改めて感じて、お面を外すと肩の力が抜けた。
ルカがやって来れば、今日の役目は終わる。
舞を見たいのであまり祭りは楽しめないが、少しの間でも神社から離れて、雰囲気だけでも味わいたい。どんな風に灯籠の明かりが街を彩り、人々が過ごすのか見てみたい。
笑みを零していると、がたっと音がして、天井から埃が落ちた。
危険を察知するや否や、チアキは素早立ち塞がり、両手を広げて亜莉香を背に隠す。そっと亜莉香が顔を覗かせれば、天井の板がずれて黒い着物と袴姿のルカが飛び降りた。
綺麗に着地して、ルカは顔を上げる。
登場の仕方に驚く亜莉香と警戒心を隠さないチアキを見て、不思議そうに言う。
「…俺、遅刻したか?」
「遅刻はしていませんが、何故天井から?」
「天井なら誰にも会わないだろ」
当たり前のように言ったルカは、担いでいた風呂敷を外した。
埃まみれの風呂敷に、チアキが眉をひそめる。ルカの顔や髪にも埃が付いていて、全体的に汚れている。自身を見下ろしてから、ルカは亜莉香を見て、チアキに視線を移した。
「悪いけど水を貰えるか?流石に、この格好で姫巫女の衣装は着て欲しくないだろ?」
「そう思うなら、正面からいらして下さい。係の者には話をしてあったはずです」
「この控室は、基本的に男は立ち入り禁止だって聞いた。今の俺が正面から来たって、男だと思われて追い返して終わり」
有り得そうな説明に、チアキはぶすっと顔を膨らませた。大きな足音を立てて、颯爽と部屋から消える。チアキの背中を見送ったルカは、チアキの怒る理由がまるで分かっていない。
「水を頼んだだけで、普通怒るか?」
「どちらかと言うと、天井からやって来たことに怒っていましたよ?」
「それくらいで怒るかよ」
ルカは胡坐をかいて座り込んだ。腕や肩を回し始めたルカに、亜莉香は問いかける。
「何だか疲れているように見えますが、今日はルイさんと一緒に、祭りを回っていたのではないのですか?」
「そんな余裕があれば良かったけどな」
肩を横に伸ばしながら、ルカは言う。
「祭りの日は、ルグトリスが活発になる。人通りの多い道はいいけど、裏路地はいつもに増して酷かった」
「そんなに酷かったのですか?」
「アリカがいたら、瞬殺されるくらいだな」
話を聞いて、少し青ざめた亜莉香にルカは優しく笑う。
「冗談だよ。アリカは何も気にしなくていい」
「ですが…」
「今回は関わらなくていい。だから今日は出来るだけ早く家に帰って、ぐっすり寝ていろ。姫巫女なんてさせられて、疲れているだろ?」
今回は、と言う単語が、心に引っかかった。
その理由が分からないまま、亜莉香は小さく頷く。
「そう…ですね。ルカさんの舞を見たら、家に帰ります」
「舞を見る前に帰れよ」
「ルイさんも楽しみにしている舞なので、是非見て帰ります」
これだけは譲れず、強気で言った。呆れた顔のルカが天井を見上げて呟く。
「神社の中なら、まだいいか」
「何か言いましたか?」
「いや、こっちの話」
よく聞こえなかった亜莉香に視線を戻して、ルカは背筋を伸ばす。
「いいか、アリカ。今日の日中に俺達がルグトリスを多く倒しているとは言え、まだ朝が来るまで油断は出来ない。家に帰るまで、絶対に一人になるなよ」
「俺達とは、もしかしてトシヤさんも含まれていますか?」
「そこ、気にするのかよ」
「今朝会った時に話していた用事はそれだったのかな、と思い出して」
そうだとしたら、今日一日大変だったのは亜莉香よりも、ルグトリスと戦っていたルカとルイ、それからトシヤだ。力になれないことが歯がゆくて、ぎゅっと唇を噛みしめる。
視線が下がった亜莉香を見て、ルカは静かに話し出す。
「今日が無事に終われば、暫くルグトリスは大人しくなるはずだ。アリカやユシアが心配するような、大怪我を負うもりはない」
亜莉香が顔を上げれば、ルカは障子で外の見えない窓を眺めていた。
「今日が峠になるだろうからな――」
遠い過去を見つめるような瞳に、亜莉香は声をかけられなかった。




