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Last Crown  作者: 香山 結月
第1章 月明かりと牡丹
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22-4

 灯籠祭りの朝に、亜莉香は欠伸を噛みしめた。

 早朝の薄暗い時間に起こされて、とても眠い。寝ぼけたままの亜莉香の身支度をチアキと、もう一人の介添え役である若い女性が手際よく整えた。

 自らの準備もあるため、二人は部屋から退出している。

 一緒に寝ていたはずのアンリの姿は本日もなく、ソファに一人座ってぼんやりとする。


 まだ朝早くて、窓の外から鳥の音が聞こえた。

 気を抜くと爆睡してしまいそう。

 流されるままに姫巫女の衣装に身を包んだので、着物を何枚重ねたのかは覚えていない。動きたくても、いつもより何倍も着物が重い。

 羽織っている着物は、金で縁取られた花々や蝶、手鞠が描かれた豪勢で煌びやかなのに対して、その下の純白な着物と深紅の長袴には模様は一つもない。

 着物だけではなく、髪の毛も重かった。編み込んだ髪を、後ろで一つにまとめた。様々な赤い宝石の付いた牡丹の髪飾りは、僅かに動いただけで揺れる。

 眠たくて目を擦ろうとして、手が止まる。

 そう言えば、軽く化粧をした。鏡で顔を確認した記憶はあるが、どんな風に化粧をしたのか。寝ぼけていて、よく覚えていない。

 うつらうつらとしていると、扉の叩いた音がした。


「シンヤだ。入ってもいいか?」

「どうぞ」


 反射的に返事をして、何とか立ち上がる。

 重い着物より、引きずって歩かなければいけない長袴の歩き方の扱いが難しい。草履で踏まずに歩ける気はしなくて、転ばないように一歩も足を踏み出せずに両手を袴に添える。

 どうやって歩けばいいのか。

 下を向いて考え事をしているうちに、扉は開いた。


「…アリカ?」


 戸惑った声で名前を呼ばれて、亜莉香は顔を上げた。

 予想もしていなかったトシヤと、その隣に爽やかな笑みを浮かべていたシンヤの顔を交互に見比べて、瞬きを繰り返す。


「おはよう、ございます?」

「おはよう。よく眠れたかな、アリカ殿」


 前には出ないで挨拶をしたシンヤに、小さく返事を返す。


「眠れました」

「それなら良かった。今日一日大変だと思うが、よろしく頼む。それから介添え役はあと数分で戻って来るので、逢瀬は手短に。私は少しでも時間を稼ぐため、外に居ることにしよう」


 逢瀬、と言われて頭の中が真っ白になった。

 呆然としたのは亜莉香だけで、トシヤは驚いてシンヤを振り返る。


「俺はそんなこと聞いて――」

「今言ったではないか」


 にやりと笑ったシンヤに、トシヤが言葉を失う。

 機嫌よく踵を返したシンヤを引き留めようとしたトシヤの右手は宙で止まり、後ろ姿を見送った後に深いため息をついた。


「あの野郎…」


 苦々しく呟いて、トシヤが亜莉香を見つめた。

 目が合って、状況が読み込めていなかった亜莉香の眠気が覚めた。同時に、シンヤは亜莉香とトシヤを恋人同士なのだと勘違いしていることにも気が付いて、顔が赤くなる。

 沈黙が続いて、トシヤは頭を掻いた。

 亜莉香と同じように顔を赤くして、はにかみながら口を開く。


「朝…早いよな。こんなに早く、準備が終わっているとは思わなかった」

「私も。こんな朝早くにトシヤさんに会えるとは、思っていませんでしたよ」


 頬は熱を持ったまま、亜莉香は笑みを零した。


「いつもなら、ようやく起きる時間帯なのですけどね」

「俺もそうだな。今頃俺がいなくて、トウゴとユシアが騒いでいるかもしれない」


 少しずつ、いつも通りの会話になる。


「ここまで来るのに、時間がかかりますよね。もしかしてトシヤさんの方が、朝早く起きたのではありませんか?」

「どうだろうな。夜が明ける前に紙鳥でシンヤに起こされて、時計は見ていなかった。昨日の夜はアリカがいないから、俺が作った夕飯に文句ばかりだ」

「野菜炒めですか?」

「野菜炒めだな」

「私も食べたかったです」


 羨ましい、と内心思った。

 用意してくれる食事はどれも美味しいが、やっぱり誰かと一緒に食べる食事の方が何倍も美味しい。早く帰りたい、と思いながら、亜莉香はふと話題を変える。


「今日は灯籠祭りの当日ですが…トシヤさん達は皆さんで回るのですか?」

「あの面子で回ったら、五月蠅いだけだろ」

「それは、まあ」


 五月蠅いと言うよりは、騒がしくて手が付けられなくなるかもしれない。

 それに、と腕を組んだトシヤは、扉におっかかった。


「俺は日中空けておくように、ルカとルイに言われているから。家に帰ったら、何の用事か聞かないといけない。ユシアはキサギと父親を祭りに案内して、トウゴは…まあ、どっかの女と一緒にいるんじゃないか?」

「トウゴさん、今はどんな方と付き合っているのでしたっけ?」

「興味がない」


 ばっさりと言い切ったトシヤが、窓の外に目を向ける。


「毎回違う女を連れているから、覚えることは遠い昔にやめた」

「でも、トウゴさんが一緒にいる女性は、皆さんお綺麗ですよね」

「そうか?今のアリカの方がよっぽど――」


 言葉が途中で止まって、トシヤが左手で口元を覆った。

 耳が真っ赤に染まったトシヤに、亜莉香の顔もつられて真っ赤になる。言いかけた言葉を聞きたいような、聞いたらもう平常心でいられないような気がして、視線が下がった。

 心臓の音が五月蠅い。

 お互いに、何も言えなくなった。

 静寂を切り裂いたのは慌ただしい足音で、顔を覗かせたシンヤが叫ぶ。


「トシヤ殿、鬼が来た!」

「鬼?」

「鬼とは誰のことですか?」


 冷ややかな声と共に、薙刀の先がシンヤの首元を捕らえる。日本刀に手を添えたトシヤは、薙刀を構えるチアキと共に現れた少女を確認した。

 顔を引きつらせて、トシヤが言う。


「ア、アンリ?」

「トシヤさん、おはようございます。兄様に無理やり連れてこられたのだと思いますが、申し訳ありません。今日はこれくらいで、お引き取り願えますか?」


 笑っているアンリの顔が、あからさまに怒っている。


「姫巫女は祭り当日、顔を見せない習わしがありますので」

「ああ…」


 頷いて、トシヤは一歩下がった。亜莉香を見て、平然を装って軽く頷く。


「そろそろ帰るな」

「お気をつけて」

「ご足労をかけました。誰か、トシヤさんを外までお送りしてください」


 亜莉香に続いて、アンリは他にいた使用人に言った。使用人の一人に案内されて、トシヤは静かに部屋から消える。

 黙っていたチアキは薙刀を構えたまま、シンヤから視線を外さなかった。

 アンリと同じような鬼の形相で、シンヤの顔は青ざめる。


「な、なんで…チアキがここに?」

「アンリ様に頼まれて、介添え役を引き受けたのです。我が主はいつも私に無断で外泊をしますので、私も自由に行動して問題ないかと」


 淡々と話すチアキの口調が、とても冷え冷えしていた。


「以前、二度目はないと申しましたよね?」

「何年前の話かな?」

「まだ五年も経っていないと思いますわよ、兄様」


 にっこりと笑ったアンリはシンヤの前に回り込み、すっと表情が消えた。


「兄様、私達は油断が出来ませんの。誰にも怪しまれずに姫巫女を守り通すために、少しでも危険を減らしておきたいのです」

「トシヤ殿は危険ではないが?」

「いつ危険が襲うか。分からないでしょう?」


 アンリが睨みつけるようにシンヤを見上げて、その場の空気が凍った。

 青ざめていたはずのシンヤの瞳に強い意思が宿り、右手で薙刀を掴んで血が零れ落ちる。亜莉香とチアキが息を呑んでも、アンリを見据えてシンヤは話す。


「だからこそ、後悔のないように行動して何が悪い?」

「兄様、そういう話ではなく――」

「姫巫女役が危険だったわけじゃない。あの時に助けられなかったのは、姫巫女を選んだ者の責任ではなく、守れなかった私の責任だ」


 重々しく、真剣な表情のシンヤが言った。


「彼女は誰にも頼らず、自分で解決しようとした結果だった。あんな過去を繰り返さないために行動して、何が悪い?」


 再び繰り返した問いに、アンリは唇を噛みしめた。

 アンリが言い返さなくなって、シンヤは真っ直ぐに亜莉香を見る。まるで別の誰かを見ているような瞳に、動けなくなった。

 誰も何も言わず、シンヤは力が緩んでいた薙刀から手を離した。

 怪我を気にせずに、背を向けて歩き出す。

 赤い血が、シンヤの歩いた後に残る。

 彼女、と言った時に、シンヤの顔は歪んで泣き出しそうに見えた。その人はもしかして、と嫌な想像をして、視線の下がった亜莉香は両手をぎゅっと握る。


 静かに扉が閉まっても、暫くの間は誰も口を開くことはなかった。

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