22-3
嵐のようにやって来た三人は、昼前にはいなくなった。
女性がそろそろ昼になることを口に出さなければ、午後から用事のあったことをユシアとキサギは思い出さなかったかもしれない。一人でも残ろうとしたトウゴはユシアに引きずられて、嫌々ながら部屋から出て行った。
静かになった寝室で、亜莉香は再びソファに座っていた。
今朝と同じように、女性が目の前に食事を用意する。
台の上に乗せて運ばれるのは、一人で食べるには量の多い品々。小皿に盛り付けられた一口サイズの前菜と、湯葉の乗った茶碗蒸し。熱々の鮭の焼き物に、底まで透き通る色をした豆腐の吸い物。新鮮な刺身は二種類の魚が盛り付けられていて、真っ白なお米と、その傍に添えられた漬物。
全部食べられるか考えていると、女性はお茶を湯呑に注ぐ。
「先程の手土産は、食事の後でよろしいですか?」
「はい、それでお願いします。えっと――」
女性の名前を、亜莉香はまだ知らない。今更尋ねていいものか。
悩んでいた亜莉香の心情を悟ったように、女性は僅かに微笑んだ。
「チアキと申します」
微笑んだのは一瞬で、すぐにまた表情が消える。手元の急須に視線を戻したチアキに嫌われてはいないと信じて、亜莉香は姿勢を正して問う。
「あの、チアキさん。さっきの話で、私を介添え役と仰いましたよね」
「はい、そのように話を進めるようにと伺っていましたので。勝手ながら、お話に加わらせていただきました。ご迷惑でしたでしょうか?」
「いえ、そんなことはありませんでしたが…」
さっきの話を思い出して、亜莉香は説明に困った。
ユシアとトウゴ、キサギの三人は、亜莉香が姫巫女をすることを知らない。領主の家にいる理由は灯籠祭りの手伝いだと聞いていたようで、姫巫女をする経緯や詳細を話すべきか言葉に詰まると、傍に居たチアキが嘘をついた。
姫巫女ではなく介添え役とする、と。
淡々と説明をしたのはチアキで、亜莉香は確認する。
「その…先程も聞いたかもしれませんが。姫巫女の傍には、常に介添え役の女性がいるのですよね?」
「はい。当日は始終一緒におります」
「介添え役のこと、もう少し教えてもらえますか?」
姫巫女は籠に乗っているだけ、しか聞いていなかった。傍に居る人のことまで頭が回らず、困った表情を浮かべた亜莉香は、無意識に膝の上に乗せていた両手を握りしめる。
チアキはお茶を注いだ湯呑を差し出して、軽く頷いた。
「説明は構いませんが、食事を召し上がって頂きながらでもよろしいですか?美味しいうちに召し上がって頂くよう、厨房から言付かっておりますので」
「あ…はい。いただきます」
両手を合わせて、急いで前菜から手を付ける。
亜莉香が食べ始めるのを見てから、チアキは背筋を伸ばした。
「まず初めに、灯籠祭りの象徴が姫巫女と呼ばれる少女なのはご存知だと思います。姫巫女は朝から街を巡りまして、先頭に灯籠を持つ従者と介添え役の女性が二人ずつ、籠を持つ男性と警備隊から数名が最低限は一緒に同行します」
最低限が引っ掛かり、亜莉香の箸が止まった。
「最低限、と言うことは、それ以外の方も同行することがあるのですか?」
「貴族の姫巫女の場合、その付き添いが増えることもあります。今回に関しましては事情が事情ですので、最低限の人数での行列です」
なるほど、と考えていると、じっとチアキが止まった箸を見ていた。慌てて焼き魚に手を伸ばして、食事を再開する。
それで、と説明が続く。
「当日の姫巫女は御簾越しで人の目に触れまして、舞の時にはお面を付けて顔を隠します。当日は誰にも顔を見られないようにするのが習わしで、直接姫巫女の顔を拝見するのが、準備を手伝ったり、休憩の際には食事を運んだりして、常に傍に控えている介添え役です」
「介添え役以外の人は、姫巫女と関わらないのですか?」
「基本は関わりません。ただ――」
ただ、と言って、チアキが言葉を濁すように視線を伏せた。
「近年は、介添え役の女性は貴族の使用人が複数選ばれました。人数の多さがその家の権威を表すかのように、介添え役以外の同行者も増えていく一方でした」
「それは…長い行列になりそうですね」
頭の中で想像した行列に、思わず亜莉香の言葉が零れた。
「その通りです。その年によっては、それは長い行列になります。本来の介添え役は信頼の置ける者でしたが、時代の流れで少しずつ変わっていました。今年は二十年ぶりに本来の形での行列になるそうです」
遠い昔に想いを馳せるような横顔で、チアキは窓の外を眺める。
「貴族達の見栄の張り合いのせいで、祭りの本来の意味が失われつつあります。姫巫女になった少女には危険が伴い、舞の出来栄えは酷い有様です…姫巫女が選んだ介添え役だけだったら、免れた危険もあったかもしれないのに」
とても小さく後悔の混じった後半の声は、まるで独り言のようだった。
口を結んだチアキは視線を亜莉香に戻して、まだあまり減っていない食事を見た。
「あまり食事が進んでいませんが、食欲はありませんか?」
「いえ…もう少し食べます。介添え役のことは何となく分かったと思うのですが、何故チアキさんは私が介添え役をする、と嘘をついたのでしょうか?」
全く手を付けていなかった刺身やお米をよく噛んで食べてから、亜莉香は首を傾げた。
「お手伝いなら、介添え役以外にもあったのでは?」
「祭りの当日までのお手伝いとなりますと、限られた仕事しかありません。その点、介添え役は当日が主な仕事で、姫巫女同様に顔を隠します。何よりアンリ様のご友人であると言う理由があれば、選ばれても不思議ではありません」
はっきりと言い、チアキは空いた皿をそっと片付ける。
その手が止まって、眉を寄せて申し訳ない表情で亜莉香を見つめた。
「姫巫女に選ばれたのですから、口外したい気持ちもあったと思います。ですが何卒、その件は内密に、祭りが終わった後も口裏を合わせてください。どこから話が漏れて、アリカ様が貴族に目を付けられても困りますので」
分かりました、と亜莉香は承諾した。元々目立つのは苦手なのだから、わざわざ言い触らすつもりはさらさらない。
けれども、もしもの話を考えてみる。
もしも、ユシアやトウゴに話したら、それはもう大騒ぎをするのが目に見えた。アンリの友人であった事実を、昨日の夜にトシヤから聞いただけでも驚いたと騒いでいたぐらいだ。姫巫女の話をしたら、もっと驚くだろう。
冗談交じりに、きっと笑い話で済むような夢物語として話せばいい。
それくらいなら、誰も事実だったとは疑わないはずだ。
そう言えば、と亜莉香はチアキに尋ねる。
「明日は…どのような方が私の介添え役をなさるのですか?」
「私と、アリカ様と年の近い使用人が務めさせて頂きます。よろしいですか?」
「はい。チアキさんが介添え役だと、安心出来ますね」
話していて素直に感じた言葉を口にすれば、チアキは少し驚いた。
「安心、ですか?」
「安心です。今日初めてお会いしましたが、私のことを色々考えて下さっているのは、話をすれば分かります。明日はよろしくお願いします」
持っていた皿を膝の上に置いて、亜莉香は頭を下げた。
顔を上げた時には戸惑ったチアキの顔が瞳に映り、第一印象が間違いだったと気付いた。物静かな雰囲気は常にあるが、目を見て話せば表情は分かりやすい。会話が弾み、知らないことを親切に教えてくれる。
明日は朝から一緒に居てくれると思うと心強くて、心の底から嬉しくなった。




