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Last Crown  作者: 香山 結月
第1章 月明かりと牡丹
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21-5

 ふかふかのベッドの上で、亜莉香は目を覚ました。

 寝返りを打って隣を見れば、大きな枕の上にはすやすやと兎が寝息を立てている。真っ白で、手のひらサイズまで小さくなった兎。所々怪我があったようで、包帯を巻いていた。起きる気配はなく、そっと兎に手を伸ばす。

 ふわふわの綿毛のような、柔らかくて穢れのない白い毛並み。

 寝息と共に身体は動いて、亜莉香は兎を撫でた。

 契約が成功した確証はなくて、殺して欲しいと望んだ願いを否定してしまった。勝手なことをしてごめんなさい、と心の底から詫びる。


「本当に…ごめんなさい」

「…謝るな」


 ぼそっと声がして、兎はゆっくりと目を開けた。

 深い赤のルビーの瞳が亜莉香をじっと見て、ため息を零す。


「謝るなら儂の方だ。お主を傷つけた…すまない」


 深々と頭を下げて兎が謝り、申し訳ない気持ちが亜莉香に伝わった。

 亜莉香を傷つけたこと。狭間に連れ込んだこと。シンヤやヨル、それからトシヤを巻き込んだことを悔いている。亜莉香の傍に居ることを悩んでいて、嫌われることを恐れている気持ちまで、心に流れ込んでくるのは不思議な感覚。

 契約の影響かもしれないが、そもそも契約が成功したのか知りたい。


「あの…ピヴワヌ、さん?」

「さん、は要らない」

「えっと…では、ピヴワヌ。契約は成功していますか?」

「成功していなかったら、儂はここにはおらん」


 素直じゃない答えを聞いて、亜莉香はほっと息を吐く。


「良かった。それなら、あまり気に病まなくていいですよ。私の怪我は気にしなくていいし、これからは自由にしていいです。私は契約こそしましたが、何かして欲しかったわけじゃないので」

「お主…無茶苦茶なことを言ってないか?」

「そうですか?」


 契約について、深く考えてはいなかった。

 そもそも契約とは何だろう、と考えていると、ピヴワヌは呆れた口調で話し出す。


「契約とは、決して破れぬ約束事だ」

「約束事?」

「契約を交わした後に忠告しても遅いが、口約束とは重みが違う。契約を交わせば、それは魔力の結びつき。力の強い者なら、命のやり取りになる。簡単に交わしていいものじゃない」


 命のやり取り、と言われると嫌な響き。


「何か…私やピヴワヌに影響は出ますか?」

「いや、今回の契約内容は、お主が儂を守るために魔力を与えているに過ぎない。その影響で多少意思疎通や感覚の共有をしている程度で、もっと色々な命令を組み込めば儂はそれに従うしかなかったのだが」


 まじまじと見つめられて、亜莉香は続きを待つ。


「お主、そんなこと一切考えてなかっただろう?」

「そうですね…因みに、私の気持ちはどの程度、ピヴワヌに伝わっているのでしょうか?」

「お主が伝えたいと思わない限り、儂には伝わらん。主導権はお主が握っている契約で、最初のうちはお互い無駄な気持ちも共有するかもしれんが、暫くすれば安定するはずだ」


 大きな欠伸をピヴワヌが零して、眠たそうな雰囲気を醸し出した。

 小さなぬいぐるみのようにも見えるピヴワヌは今にも目を閉じそうで、何となく撫でてしまう。可愛い、と思っただけだが、それは通じたようで耳が微かに動いた。


「…可愛いなんて言われたくない」

「結構気持ちが通じちゃいますね」


 亜莉香が嬉しそうに笑えば、ピヴワヌは不機嫌になって立ち上がる。


「…儂は寝る」

「どこで、ですか?」


 黙ったピヴワヌの気持ちが伝わった。

 これから先、亜莉香の傍にいてもいいのか迷っている。どこかに行く当てはないようで、でも休まないと回復は出来なくて、今は戦う力はないようだ。

 亜莉香の傍に居た方が回復は早い、らしい。

 けど罪悪感があって、傍に居たいとは言い出せない。

 言葉にしなくても伝わるのかもしれないが、亜莉香は敢えて口に出す。


「傍に居てくれるなら、暫く傍に居てください。私ももう少し寝ていたいところですから、一緒にお昼寝もいいですね」

「呑気なのもいいが、ここはお主の家なのか?」


 その質問に、亜莉香は瞬きを繰り返した。

 自覚をしていなかったが、いつもより毛布が柔らかい。ピヴワヌが丸まっている大きな枕も見覚えがなくて、ゆっくりと起き上がって周りを見渡した。

 いつもより気持ちよく感じていたベッドは、とても広い。三人は寝られる程の大きさがあり、天蓋付き。豪勢なベッドの近くに、これまた高級なレースのソファと細やかな装飾の施された小さな棚。

 上側が円形の大きな窓からは、夕日が差し込んでいた。

 部屋の中には亜莉香とピヴワヌしかいなくて、ぽかんとした顔で呟く。


「ここ…どこですか?」

「それは儂が聞いたのだ。近くにシンヤの気配はないが、隣の部屋にはアンリがいるな」


 ピヴワヌが話していると、扉を通り抜けて小さな精霊がやって来た。亜莉香とピヴワヌの具合を尋ねて、その後に周りを嬉しそうに飛び回って、また扉を通り抜けていなくなった。

 精霊のいなくなった扉を二回、誰かが叩く。


「お目覚めでしたら、部屋に入ってよろしいですか?」

「あ…はい」


 丁寧な言葉遣いのアンリの声に、亜莉香はベッドの上で正座した。

 正座をして気が付いたが、服装が変わっている。肌触りの良い着物一枚は上品で、淡い雪のような色。帯も生地が柔らかくて、横になっていても全く気にならなかった。

 手足にはピヴワヌと同じように所々包帯が巻かれていたが、痛みはない。

 ゆっくりと扉が開き、亜莉香とアンリの目が合った。アンリはピヴワヌには見向きもせず、安心した表情を見せる。


「良かった…兄のせいでアリカさんが怪我をしたと聞いた時は、心臓が止まるかと思いました。どこか痛みはありませんか?」

「痛みはないです」


 大丈夫です、と付け加えれば、アンリは胸を撫で下ろした。

 その隙にちらりと隣を見れば、ふん、と息を吐いたピヴワヌの声が頭の中に響く。


【アンリは儂の姿が見えてないから、こっちを見るな】

「え…?」

【見るな。返事をしないで、黙って話を聞け】


 ピヴワヌに怖いくらい睨まれて、視線を泳がせて前を向く。再びアンリと目が合って、何となくお互いに微笑んだ。


「アリカさん、目が覚めたのなら何かお飲みになりませんか?すぐには紅茶しか用意出来ませんが、それでもよろしければ」

「えっと、じゃあ…」


 飲み物を勧められて、亜莉香は考えるより早く曖昧な返事をしていた。

 手伝おうと思ったが、アンリの行動は素早い。既に用意していたと思われる、ティーポットとティーカップを乗せた、車輪の付いた小さな台を隣の部屋から持って来た。

 亜莉香に足を崩すように勧めて、傍にやって来てアンリはてきぱきと動く。

 紅茶が出来上がるのを待っている間、ピヴワヌはゆっくりと立ち上がった。


【儂は席を外すが、お主はここで暫く休ませてもらえ。絶対に、儂のことは話すな。お主が精霊を見て話が出来ることも、アンリには話すな。絶対に】


 絶対に、と二回も念を押された。

 口が滑って余計なことを言うな、と気持ちが伝わる。どれほど信頼されていないのか、と思いながら、どこに行くのだろうと考える。

 神社、と単語が頭に浮かんだ。

 口にしなくても会話は可能で、見るなと言われても気になってピヴワヌを見た。

 視線が絡み、何も言わずにぴょんと跳ねる。

 赤く光って、ピヴワヌは瞬く間にその場からいなくなった。便利だな、と感心してしまった亜莉香に、ティーポットを温めていたアンリが不思議そうに首を傾げる。


「何かありましたか?」

「いえ、何もないです」


 何もなかったことにしよう、と亜莉香は内心呟いた。

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