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時をまもる少女

作者: 六時六郎

 愛の終わりはいつも善悪を越えたところで起こる。

 ―ニーチェ






 私は時間をまもる女だ。でも皆が皆、時間を厳守するとは限らない。

 駅前の広場で、私は待っていた。広場と言っても、噴水や銅像があるわけでもなく、ただ開けた場所というだけ。周りに私以外の人は見当たらない。車も自転車もなく、広場には私一人が待っていた。




 彼女は時間にうるさい女だ。だから僕は焦っている。まさか出発直後、自転車がパンクするなんて。昨日の時点では問題なかったはずなのに。車で行くわけにもいかない。僕はまだ免許を持っていないし、親に送ってもらうなんて、恥ずかしすぎる。

 文句を言っていても仕方がない。走るしか、ない。

 僕の決意を邪魔するかのように、空から雪が降ってきた。




 雪が降ってきた。待っている私を責めるように、白い塊がはらはらと落ちてくる。私は両方の手の平を擦り合わせ、続いて息を吹きかける。冷たい指には、僅かに暖かさが戻ったけれど、体は冷えたままだった。全身をもじもじと動かしながら、私はやはり待ち続けた。




 自転車で来なくてよかったじゃないか、雪でスリップするところだった。僕は敢えてポジティブに考えようとした。

 目の前に横断歩道。歩行者信号は赤。そしてすぐ横には交番。でも、車は通っていない。どこにも、通っていない。

 僕は走って横断歩道を渡った。信号無視だけど、大したことないさ。お巡りさんも、こんな矮小な違反をいちいち指摘するほど、暇ではないだろう。

 小心者の僕にはかえって良い経験になった。と、そう思い込むことにした。




 雪は大降りになるわけでも、小降りになるわけでもなく、淡々と降り降り、アスファルトにしんなりと積もっていく。積もった雪を蹴ろうとしても、まだ表面を覆っているに過ぎないから、地面を蹴っているのとほとんど変わらない。

 腕時計を見ると、待ち合わせの時間は過ぎていた。

 私は少しだけ罪悪感を覚えた。時計を見るなんて、まるで彼を非難しているようで、自分が卑しい存在に思えた。




 雪に足を取られながら、僕は走った。駅前広場はすぐそこだ。この信号を渡って文房具屋の角を右へ曲がればすぐ駅前広場となる。

 その文房具屋の前で、おばあさんが一人倒れていた。

 僕はおばあさんに近寄って、助け起こした。どうやら転んだらしい。足を痛めたようで、いかにも辛そうに、おばあさんは歩き始めた。

 僕はおばあさんの荷物を持ってあげることにした。




 頭や肩に積もる雪をはらいながら、私は待ち続けた。彼はまだ来ない。私は広場から、文房具屋を睨み付けた。彼はあの角を曲がり、こちらにやって来るはずだったから。

 しかし、彼はまだ来なかった。果たして来るのだろうか、という疑問を、私は振り払った。

 きっと来てくれるって、信じているから。




 おばあさんを自宅まで送り届けた後、僕はまた駅前広場へ向かった。勿論、走って。さっきよりも、もっと急いで。足を動かして。

 時間が気になって、僕は携帯を見た。

 まだ大丈夫、と自分に言い聞かせた。

 速く、駅前広場まで行かないと。

 きっと会えるって、信じてるから。




 何がいけなかったのだろう。私が他の男子と仲良くしていたのがいけなかったのか。あるいは、彼が他の女子と二股していることに気付いた時、怒ることが出来なかったのが悪かったのだろうか。でも、二股なんて、どこにでもよくある話だ。

「私たち、付き合ってるんだよね」三日前、私は確認した。彼は、曖昧に返事をした。

「今度の土曜日、ご飯食べに行こうよ」三日前、私は言った。彼は、また、曖昧に頷いた。

 でも、彼には用事があるらしい。「土曜日は俺とゲーセン行くんだぜ」と、彼の友人が言っていたのだ。

 …そんなの、嘘に決まってる。私との約束を、破るはずがない。

 それに、友人との交流も大切だけど、一週間後に転校していく彼女の誕生日の方が、もっと大切なはずだから。彼なら私を優先してくれる。結局、私を想ってくれているはず。

 たぶん、きっと。




 何がいけなかったんだろう。僕が他の女子と二股していたからだろうか。

 いや僕は、二股なんてしていない。ただ噂が流れただけだ。

 でもあれから、僕と彼女の距離は、何となく広がってしまった気がした。

 彼女と話すのが怖くなった。「どうして僕を信じてくれないんだ」なんて、理不尽に怒ってしまう僕という存在が、ひどく滑稽に思えた。だから、彼女と話すのが怖くなった。

 でも、僕は走るんだ。彼女の元へ。




 彼はまだ来ない。

 本当は、分かっていた。彼が来ないこと。彼と私はもう終わったってこと。待ち続けるなんて、女々しくて薄汚い自己満足に過ぎないこと。

 私は顔を伏せた。靴の上にも、うっすらと雪が積もっている。




 もしかして、と不安がよぎった。彼女と会えないのでは?約束を忘れてしまっているのでは?いやそもそも、僕との約束なんて守る価値などないと、そう思っているんじゃないのか?

 僕は走った。走ることでしか、不安は紛れなかった。

 文房具屋の角を曲がると、広場が見えた。






 少年は、駅前で待ち続ける少女の元へ走り寄った。

 俯いている少女は、やって来た少年に気付き、顔を上げた。

 ふたりの目が合う。

 瞬間、ふたりは動けなくなった。まるで、時が止まったかのように。

 携帯電話の振動音が静寂を破った。少年は胸ポケットからそれを取り出すと、新着メールが届いていた。そこには別れを意味する文章が書かれていた。

 ふたりは時間を忠実にまもった。

 少女は、時間通りに到着して待ち続けた。

 少年は、走り続け時間通りに到着した。

 やがて少年が、諦めたように力なく笑った。少女もつられて、悲しく笑った。

 ―こうして、ふたりは出会った。






 破局の次にも、春は来る

 ―太宰治

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