洗い流せない過去
「はぁ〜疲れた〜」
ティラが本音を漏らしたが自分もトーダも同じく疲れていた。
「まあ、すんなり仕事が決まって良かったな。」
「うん、そうだね。」
ふと空を見上げると茜色に染まっており、酒場や屋台はせっせと開店の準備をしていた。
「この後はどうしよっか?」
自分は頭の後ろに両手を当てながら聞いた。
「晩飯にするには少し早いな。」
「じゃあ先にお風呂にする?」
「そうしよっか。トーダもそれでいい?」
「ああ。」
「よし。じゃあまずは宿に戻って必要な物取ってから行きますか!」
「うん!」
三人は宿を目指すべく、昼間と変わらない喧騒の中に溶け込んでいった。
宿から歩き始めて約三分でこの町唯一の銭湯に着いた。
「へえ〜意外と大きいね。」
「そうだな。」
もう少しこじまりしているかと思いきや、建物も入り口も想像より一回り大きかった。
三人は早速、中に入り受付を済ませる。
そして銭湯特有の『男』と『女』と書かれたのれんの前にやって来た。
「じゃあここからはティラとお別れだな。」
「ここは混浴じゃないから安心しろよ〜。」
自分がそう言うとティラの顔がたちまち赤くなった。
「!…ちょっと!…あ、あの時は…!こんな大きな銭湯じゃ混浴じゃないってことぐらい
分かるわよ!」
自分は返事の代わりににかっと笑った。
「おしゃべりはその辺にしてクーロ、行くぞ。」
トーダが呆れ口調で言った。
「あ、うん!それじゃティラ、またね!」
「はぁ…まったく、調子いいんだがら…」
ティラと別れた後、自分とトーダは『男』ののれんをくぐった。
するとこれから大浴場へ向かおうと服を脱ぐ者、まだ体から湯気が出たまま牛乳瓶を飲み干す者、
さっぱりした顔で帰りの支度をする者などでごった返していた。
「やっぱりお客さん多いね。」
「セラス唯一の銭湯だからな。もう一店舗作っても儲かるんじゃないか。」
トーダがそう言うくらいなので空いているかごを見つけるのも一苦労。
「あ!ここちょうど二人分空いてるよ!」
こうして二人は服を脱ぎ、大浴場の扉を開けた。
「わあ…」
「思っていたより広いな…」
脱衣所であれだけ人が多かったので大浴場でもぎゅうぎゅうな感じになるかと
思ったが、浴槽はもちろん体を洗う場所も所々空いている。
「これなら旅の疲れ取れそうだね!」
「…ああ。」
トーダからはあまり元気の無い返事が返ってきた。
「?」
トーダって銭湯苦手だったっけ?
いや、そんなはずは無い。
前回はとてもリラックスした表情で入浴を楽しんでいた。
だとしたら…
「トーダ、もしかして体調悪いの?」
「…いや悪くは無い。」
そう言うとトーダは洗い場へ向かって歩き出した。
自分は不思議に思いながらトーダに付いて行くとなにやら他人からの視線が痛い。
そちらも不思議に思い、少し観察しているとどうやらみんな自分の背中を見ているようだ。
「…あ。」
答えが分かり自分は自然と声が出てしまった。
「傷痕か…」
常識外れの能力を持ったタトタトから襲われてから三週間弱。
痛みはもうとっくに無いが傷痕が完全に消えることは無いだろう。
「…もしかしてトーダもこれを見て…」
そう思いつつトーダの隣に座る。
自分は蛇口を捻り桶にお湯を溜め、タオルを濡らしてから石鹸を取ろうとした。
石鹸には種類があり、毛が生えている獣人用、鳥獣人用、爬虫類用と三種類に別れていた。
毛が生えている獣人用の石鹸を手に取り、タオルで泡を立ててから体を洗い始める。
自分は比較的毛が短い方なのでタオルでなんとかなるが、毛が長い獣人だと洗うのに一苦労するらしい。
足、太腿、お腹、顔、頭、そして背中を洗おうとした時、トーダの口が開いた。
「クーロ、ごめんな。」
「え?」
動かしていた手を止め、トーダの方を向いた。
「あの時、もっと早く俺が気づいていれば…」
「いや、トーダ。そのことは気にしないで。」
自分はトーダの顔を見ながら真剣な顔つきできっぱりと言った。
「だけど…」
「あんな暗闇の中で静かに近づいてこられちゃ誰も気づかないよ。それにトーダは
鳥族だから暗い所苦手でしょ?なら、なおさら仕方ないって。」
そう言ったがトーダはうつむいて体を洗うのを止めたままだ。
「…なあ、クーロ。タトタトに襲われる前に俺が言った話、覚えているか?」
「もちろん。」
トーダは息を大きく吸い、静かに吐いた。
「あの時、俺は言葉で言い表せない程後悔したんだ。何の前触れもなく去って行った幸せ、
奪われた日常。それからは孤児院で暮らした日々、そして今はクーロとティラで旅をする生活。
俺はまたありふれたものを失うなんてごめんなんだ。」
「トーダ…」
初めて聞いたトーダの告白に言葉が出なかった。
「俺、本当はまた日常を失うのが怖かったから…タトタトに気づけなかった事を謝っているんだと思う。」
トーダは手に持ったままだったタオルをお湯が入った桶に浸した。
「ごめんな、クーロ。俺って自分勝手だよな。」
「…」
そう言ってトーダは再びタオルを手に取り、石鹸で泡を立ててから体を洗い始めた。
自分はどんな言葉を発するべきか分からず、とりあえず背中を洗い、椅子から立ち上がる。
「…向こうの大浴槽に行ってるから。」
「…」
トーダは返事はしなかったものの、こく、とうなずいた。
かぽーん。
銭湯特有の音が場内に響き渡る。
自分は湯船に浸かりさっきの事を思い返していた。
「…全然自分勝手じゃないって…トーダは大切な家族を突然失ったんだから…」
自分は小声で呟き、肩まで湯に沈めた。
「はぁ…」
自然とため息が出る。
「…トーダ遅いな。」
自分はそう思い、洗い場の方を見たが案の定湯気によって視界が遮られている。
まさか湯船に浸からず先に上がってしまったのだろうか?
そう思った矢先、一人の鳥獣人がこちらへ近づいて来た。
「あ、トーダ!」
自分は立ち上がり近寄ってみると…
「…あ」
「…?」
トーダ、によく似た別人だった。
「あ、すみません。」
自分はそそくさと回れ右をして元居た場所へ戻ると…
「よう、クーロ。」
そこには澄ました顔をしたトーダが座っていた。
「!?いつの間に!」
「いや、ついさっき来た。」
自分は驚きつつ、トーダの隣にさっと座る。
「…」
特に話すこともなく二人は湯船に浸かる。
とりあえずトーダが居て良かった。
お客はそこそこいるので喋り声や子供のはしゃぎ声が時折聞こえる。
そんな環境も相まって少し落ち着いたからだろうか、自分は突然睡魔に襲われ始めた。
ああ、眠い、寝よう。
そうして目を閉じようとした矢先、トーダがくちばしを開いた。
「俺、決めた!」
ざばっ、と音を立てながらトーダは立ち上がった。
「クーロやティラ、その他の人々を様々な脅威から守れるよう強くなる!」
「え!?」
突然の告白に戸惑ったが、やがて自分は笑顔になった。
「トーダは一人じゃない。自分もトーダの『日常』を守るのに協力させて。」
「クーロ…」
今度はトーダが驚いた。
「もしトーダやティラをはじめ、自分の身の回りの人たちに不幸があったらそれで自分の『日常』は崩れてしまう。もちろんそれは嫌だ。だからトーダ、一人で無茶して怪我なんかしたら駄目だからね。」
「…ううっ。」
トーダの目から透明な液体が流れ出した。
そして…
「…!うぐっ!苦しい〜!」
いつの間にか力一杯にハグをされていた。
「ちょ、トーダ、苦しい!それと恥ずかしいって!」
「ありがとうクーロ。ありがとう…!」
こうして周りからの冷ややかな視線と熱い湯船に浸かってから二人は大浴場を後にしたのだった。
のれんを潜りロビーを見渡してみたがピンクのにゃんこは見当たらない。
「やっぱり居ないね。」
「案の定、だな。」
仕方がないので二人はロビーで待つことにした。
とはいってもただ待つだけでは物足りないので売店で何か買うことにした。
売店には食べ物類もあったがこの後すぐ夜ご飯なので我慢。
結局、自分とトーダは現世でも定番の牛乳を買った。
「やっぱ風呂上りはこれに限るよな〜」
「うん。実は現世、自分の住んでいる国もこれが定番なんだ。」
「へ〜そうなのか。」
「まあ自分はあまり銭湯に行かないから久々だよ、お風呂上がってからの牛乳は。」
そう言って自分は牛乳を飲み干す。
「それにしてもティラ遅いな。」
「まあ、いつもの事だろ。」
トーダがそう言った途端、自分のお腹が鳴った。
「はあ…早く夕ご飯食べたいよ。」
「そういえば晩飯何にするか決めてなかったな。」
「確かに。」
宿屋によっては食事を提供してくれる所もあるが今回の宿屋はそのようなサービスは
行っていない、との事だ。
よって自分たちでお食事処を探さなければならない。
「トーダは何が食べたい?」
「そうだな…」
トーダは空になった瓶をもてあそびながら考える。
「麺類がいいな。」
「麺類か…」
現世でラーメン、蕎麦、うどん、パスタなど様々な麺類があるようにこちらの世界にも
麺の食べ物はいくつかある。
「しいていえば『スロール』がいい。」
スロールとは現世で言うラーメンみたいな物だが現世よりも麺はうどん並みに太く、
汁も少なめな食べ物だ。
「いいね!あとはティラ次第だ。」
「ん〜?何の話?」
ティラが後ろからにゅいっ、と顔を出してきた。
「わわっ、いつの間に!」
自分は思わず身構えた。
「ついさっき来たところよ。」
ティラはそう言って牛乳をぐいっ、と飲んだ。
「で、何の話をしてたの?」
「晩飯は何にするか、だ。」
トーダが答えた。
「トーダと自分はスロールが食べたいんだけどティラはどう?」
「スロールかぁ…うん、いいよ!」
「よし、決まりだな!」
「じゃあ早速、お店探しに行こ!」
こうして三人は銭湯を後にし、夜の街へと繰り出したのだった。




