消えた指輪
ピッ!ピッ!ピッ!ピッ!
ー令和二十年八月二日ー
ピピッ!ピピッ!ピピッ!ピピッ!
ー七時〇分一〇秒ー
バシッ!
学生時代からの相棒の頭を叩き、起き上がる。
昨日は疲れたなと心の中で呟き、飲む、食べる、身なりを整えるといった一連の作法を終え、家を出た。
今日も暑くなる、そう確信を持ちながらペダルをこぎ始めた。
「なんだね!このエビデンスは!」
月曜日の朝から怒号をぶつけられる。自分は仕事が出来る方でも出来ない方でもない、いわゆる凡人だと思っている。
しかし、それは関わり合う相手よって異なってくる。
自分より若い世代(仕事に慣れていない人)にはバシバシ指示を出すことができるが係長や課長(仕事のプロ)を目の前にすると途端に動けなくなる。
だからその平均をとって自分は「凡人」なのだ。
「すみませんでした。明日までに修正しておきます。」
そう言って自席に戻り早速修正作業に取り掛かる。基本的にはこの繰り返し。
このような環境では心が折れ、会社を辞める人もいるのでは?と思う人もいるだろう。正解である。
この会社は若者と年配が多く、中年の人があまりいない状態が続いている。新卒で入社した若者は大体五年~十年ほどで辞めてしまうからだ。
その大体の原因は上司からのパワハラが横行しているからだと自分は考えている。かなり職場環境が悪いのだ。
では、なぜ自分はこんな会社でも心が折れないのか。理由は三つある。
一つ目は給与、残業代がきちんと支給されるからだ。令和初期を生きている皆様にはがっかりするとは思うが、
令和二十年になってもブラック企業は多い。だからこの会社はまだましなのだ。
次に二つ目は単に就職活動がめんどくさいから。
そして三つ目は…これが自分を支えている柱だ。詳細はこの後明らかになるだろう。
と、こんな調子で惰性作業を行っていると昼休みに突入した。隣の人は毎朝お弁当を妻に作ってもらっているらしい。
自分はというと…コンビニ弁当である。愛する妻もいなければ料理もできない。三十四歳で料理が出来ないって流石にまずい!…
じゃなかった、このまま独身はまずい!と思っているがもうどうしようもない。手遅れ。
そうしている内に後半戦が始まり、代わり映えのない作業をこなしていると気づいたら定時になっていた。
今の時期は忙しくないので緊急事態がない限り定時で上がれる。
自分は平常な顔をしながら心の中では満遍な笑顔でこう言った。
「お先に失礼します!」と。
こうして自分の中での半日が終わり家に着いた。
「今日はマーベルさんの依頼か…」
風呂の中でそんなことを呟き、風呂を出て夕食を取り、歯を磨いてからさっさと布団の中へ入った。皆さんなら寝るの早くね?とかそれだけ激務なのか、可哀そうに…などと思っているかもしれないが残念ながらどちらも不正解だ。
…ばいばい、この世界。そう思い目をつぶりながらもう一つの世界「ヴィーリアス」で目覚め始めたのだった。
「…ロ…クーロ…きなさい…クーロ起きて!…こら!起きなさい!」
今回は学生時代からの相棒ではない。なので急いで叩く必要もなくゆっくりと起き上がった。
「今日はマーベルさんのところに行くんでしょ!」
目を開けるとそこには「ティラ」が不機嫌そうに睨みつけていた。
「悪い悪い、昨日の仕事で疲れちゃって。」
「昨日は仕事していないでしょ!」
自分の中では仕事をしたがこちらの世界ではまた別。そんなもどかしさを感じながらティラに聞く。
「トーダは?」
「ちょっと散歩してくるって。」
「そっか。じゃあ二度寝できるな。」
そんなことを言ったら頬をつねられた。
さて、ひと段落着いたところでこの状況について簡単に説明しよう。まずこの世界の名前は「ヴィーリアス」という。
現世で言うと「地球」みたいな意味合いだ。自分がなぜこの世界に来てしまったかは詳しく説明できないが、あるきっかけがあり、夜、眠ると毎晩この世界に来てしまうようになった。最初の頃はこちら側の住民に事情を説明して同士がいないか探っていたがほとんどの人から相手にしてもらえず、信じる人がいても「おおっ!そなたは神の使いじゃ!」とか言われて讃えられるだけだったので今では本当の経緯を隠している。
それじゃあとても悲しいのかって言われたらそうでもない。むしろ自分にとってこの世界は楽園である。まず第一にこの世界には「人間」が
存在しない。みんな動物と人間のハーフ、「獣人」なのだ。猫、犬はもちろん、鳥や熊、トカゲなど様々な種類の獣人がいる。
そして毛が生えている獣人はみんなモフモフなので見てるだけで癒される。もちろん、触ることが出来れば極楽浄土なのだがそこまで気を許した相手は自分にいない。またモフモフだけでなくこの世界では自由に生きることができるのである。現世のような社会のギスギス感は無くみんなのんびりと暮らしている。自分もこの後紹介する二人の仲間とともにのんびりと旅をし、訪れた町や村で依頼されたことをこなして生計を立てている。中には悪党と剣を交えて戦う場面もあるがそれはそれで浮世離れしていて楽しい。
次に、自分の身の周りの状況を詳しくお伝えしよう。まず、自分の名は「クーロ」。こっちの世界では推定十六歳ぐらいで犬獣人になっている。次に猫獣人の「ティラ」。年齢十七歳で多少ツンデレが入っている思春期真っ盛りの女の子だ。そして鳥獣人の「トーダ」。年齢は二十歳で何事もクールに決めるかっこいい兄貴だ。以上、この三人で旅をしていて今は「トゥラ」という国の「バーサル」という町に来ている。
ここに一か月ほど滞在し依頼をこなしていく予定だ。
「どうやらなくしものを探して欲しいみたい。」
着替えを済ませたところにティラが話しかけてきた。
「探し物か。なら簡単そうだな。」
犬獣人になったことで鼻、耳がとても鋭くなった。なのでこの手の仕事は比較的楽なのである。
「そうだね。トーダが戻ってきたら早速マーベルさんのところへ行ってみよっか?」
うん、とうなずいて自分はティラが買ってきてくれたパンを食べ始めた。一応、こちらの世界にも現世と似たような食べ物が存在する。それは見た目だけではなく味もほとんど変わらないので食料面に関しても問題はなかった。
ティラに感謝しつつ黙々と食べ、最後の一欠片を飲み込むと同時にトーダが帰ってきた。
「おっ、やっと起きたか。」
「トーダこそ帰って来るの遅いよ。」
「いや~気持ちいいからつい町の外まで飛んじゃったよ。」
「はいはい、それじゃあ行こっ!」
こうして三人は賑やかな町の中へと繰り出した。
今僕たちがいるバーサルは町の規模としては中くらいだった。メインストリートには露店が立ち並び、おいしそうな食べ物が売っている。
現世では我慢して通りすぎることが多かったがこちら側の世界では体の構造が異なるため苦労している。
鼻が効きすぎるのだ。そのせいで自然とお腹がなり涎が出てしまう。ティラやトーダにはいい歳こいて、とバカにされるが現世では
違うんです!ならないんです!出ないんです!と言いたい。が、そもそも現世のことを信じてくれるかどうかが怪しいのでこの手のことはいつもスルーしている。今回はなんとか鳴らず出ずで依頼主の家の前までたどりつくことができた。
外見はいたって普通の家だ。
「じゃ、行くぞ。」
トーダが言った。依頼主と交渉を始める切り口は大体トーダが作ってくれる。
「ごめんください!」
戸をノックしながら言う。しかし返事はなし。
「ごめんください!」
どうやら今回は切るものがないみたいだ。
「出かけてるのかな。」
「しかたない、後で出直すか。」
自分がそう言って回れ右をしたところで見知らぬ女性から声をかけられた。
「マーベルさんをお探しで?」
「あ、はい。」
「この時間、マーベルさんは散歩に出かけてると思うわ。私、隣に住んでいるからわかるのよ。」
「帰って来るのは何時くらいか分かりますか?」
「そうだねぇ……」
と言って腕時計を見た。
「もうそろそろだと思うわ。」
「わかりました。ありがとうございます。」
自分は感謝の意を伝えてから二人と相談し始めた。
「ここで待ってようか?」
「そうね。そうしましょ。」
「俺も同意だ。」
こうして三人は町の様子を見ながら今回の依頼主、マーベルさんを待つことにした。
町の風景というのは大体どこも同じだ。楽しそうに追いかけっこをする子供たち、世話しなく走る商人、立ち話をしている主婦。
そんなほのぼのとした風景、日本には残っているのだろうか。いや、残ってないだろう。
みんな将来に希望を持ちながら前を向き、明るく生きている。そんな当たり前のこと、現世でも体験してみたい。
…こう言うとヴィーリアスは幸せに満ち溢れている、と思われるかもしれないが決してそうではない。
隣に座っているティラがその例だ。
「楽しそうね…」
はしゃぐ子供たちを見てティラはそう言った。自分も詳しくは知らないが自分がこの世界に来る十年ほど前、国中で疫病が流行ったらしい。
そしてティラの両親は感染し倒れてしまった。計算するとティラにとってちょうど目の前にいる子供くらいの時の出来事だ。
自分はこんな時どのように接すれば良いか分からない、というのが率直な思いである。それはトーダも同じだろう。
三人の中で沈黙の時が流れた。
どのくらい時間が経ったのだろうか、そんな沈黙を打開したのは苦い思い出を背負っているティラだった。
「トーダのお父さんは何の仕事をしてたの?」
おっと、これはまずい。この流れは自分にもこの話題が振られるパターンだ。現世にはもちろん親がいるがこちらの世界には親がいない。
よって素直に「違う世界に住んでいる母がパートでスーパーのレジやってて父がプログラマーだよ。」なんて言ったら不審がられるのが
目に見える。一人だけ必死にあせあせして何か良い嘘がないか考えていると年配の女性が三人に向けて声をかけてきた。
「あなたたち…何か私に用かしら?」
父のことを自慢げに話していたトーダが途中で打ち切り、質問に答えた。
「あの、マーベルさんですか?」
「あ、はい。マーベルですけども…」
「私たち町の依頼掲示板を見てきました。何かなくしものをされたようですね。」
「あら!探してくださるの?嬉しいわ~実は指輪をなくしちゃって…ま、細かいことは中で話すわ。さ、入って。」
少々興奮気味のマーベルさんに連れられ、三人はリビングのテーブルに座った。
マーベルさんは見た目五十歳ぐらいで現世でいうラブラドルレトリバーとのハーフに見えた。
「どのあたりで指輪をなくされたのですか?」
トーダが切り出す。
「五日ほど前、朝の散歩に出かけようと指輪をしていったの。そして散歩が終わって家に戻ってきて右手を見たら無かったわ。」
「散歩の途中で落とした可能性が高いですね。」
「私もそう思って散歩したルートを毎日歩いて探しているんですけど見つからなくて…」
なるほど、だから帰って来るのが遅かったのか。
次に自分が質問する。
「指輪の特徴は?」
「指輪自体は銀色で真ん中にエメラルドが埋め込まれているわ。とてもきれいなのよ。」
自分はそれを聞いて手帳にメモを取る。メモ取りは現世の会社でいつも行っている事なので得意だ。
「散歩を始めた時間と終えた時間は?」
立て続けに聞く。
「確か朝の八時から九時くらいまでだったと思うわ。」
「ありがとうございます。では次にどの道を通ったか教えてください。」
あらかじめ持ってきた町の地図を見せる。
「えっと…ここから始めてここを通って…」
自分はマーベルさんの指を追いながら線を引いた。そして線が一周した頃に今度はティラが質問した。
「その指輪は旦那さんからのプレゼントとかですか?」
「そうなのよ。結婚記念日に夫からもらったの。…指輪なくしちゃってきっと天国で怒っているだろうなぁ。」
「旦那さんは…」
「疫病にかかって死んでしまったの。ほら、十年前に国中で疫病が流行ったでしょ?」
その言葉を聞いた瞬間、ティラがビクッとしたのが分かった。
「すみません…辛いことを思い返させてしまって…」
「いいのよ。気にしなくて。」
少々間が空いてからティラが話し始めた。
「…実は私も疫病で両親を亡くしているんです。」
今度はマーベルさんがビクッとした。
「だから…だから…!今回の依頼、絶対に成し遂げます!」
自分はティラと出会って約一年になる。しかし、その中でティラがこんな真剣になるのは初めてだ。
トーダの方を見ると目をまんまるとして驚いている。が、その後不安な表情に変わった。きっとこう思っているのだろう。
見つからなかったらどうするのか。
「まあ。そう言ってくれると嬉しいわ。」
「はい!お任せください!」
その後いつも通りトーダが細かい契約内容の話をし、正式に受領することになった。
「それじゃあ、悪いけどよろしく頼むわね。」
「はい!」
三人で元気よく返事をし、マーベルさんの家をあとにした。
期限は一週間。その中で指輪を見つけなければ依頼は失敗となり当然料金も支払われない。
自分とトーダは不安だった。今までにも探し物の依頼はたくさんあったが、その多くはバッグやハンカチなど持ち主の匂いがしみ込んでいるものだったから見つけることができたのである。しかし指輪の場合は匂いがしみ込まないため困難となる。見つける手段としては町の人への聞き込みぐらいだろう。そう一人でぶつぶつ考えているとティラが口を開いた。
「二人ともごめんなさい。無理やり依頼受けちゃって。」
いつもなら依頼者の事情を聞いたら三人で相談する。それぞれの能力を活かせばできる内容だったら承諾し、
出来なさそうであれば断るというスタンスだった。
「いやいや、あんな事情があるなら自分も見つけ出したい、そう思っているよ。クーロもそうだよな?」
「うん。でもどうやって見つけようか?」
「とりあえず教えてもらった散歩コースを歩いて地道に聞き込みをするか。なんせ今回はクーロとティラの鼻に頼れないからな。」
「やっぱりその方法しかないか…」
「あ!」
突然ティラが声を上げる。
「もしかした鼻を使って探せるかも!」
「指輪は金属と宝石でできてるんだよ。匂いがしみ込んでないじゃないか。」
「だからそのもの自体の匂いを追えばいいじゃない。」
「けどどうやってその匂いを…」
「さて問題です!指輪は最初何に入っていたでしょーか?」
「それは…あ…」
指輪ケース。確かに匂いが残っているかもしれない。でも…
「匂いが薄い可能性が高くないか。仮に匂いが分かったとしても金属や宝石の匂いなんて…」
追えるの?、と言いたかったがこの言葉によって遮られた。
「やってみないとわかんないでしょ!」
やってみないとわからない。
現世ではいつも安全路線で仕事を行っていた。新しいことには挑戦せずただただ決められた手順で。
そんなのを何年もやっていると考え方が論理的になってしまうらしい。
「そうだな。とりあえず望みがあるのはやろうぜ。クーロ。」
「うん。…やろう!」
こうして作戦会議が唐突に始まり、終わった。空を見上げると太陽はいつの間にかてっぺんを通り過ぎていた。
三人は再度マーベルさんの家を訪ねた。が、また留守だった。
「ほんとタイミングが悪いな。」
「仕方ない。最初の作戦通りに散歩コースを歩くか。」
「そうだね。」
地図を広げルートを確認し、注意深く足元を見ながら歩き始めた。
最初は町中を歩き、途中で公園を散策、そして行きとは別の道を通って家に着いた。
「結局何も見つけられなかったわね。」
「さすがにそう簡単に見つからないか。」
「あ、マーベルさん帰ってきたかな?」
自分はそう言ってドアをノックした。
しかし無反応。
「マーベルさんまだ帰ってきてないのか。」
「…妙だな。」
「ただ単に出かけてるだけじゃないの?この町は治安がいいから大丈夫よ。」
「…そうだな。明日もう一度訪ねていなかったらマーベルさんを探そう。…おっと、暗くなってきたから今日はこの辺で上がるか。」
「うん、そうだね。」
「あ、帰りにご飯買っていこ。」
「また肉の盛り合わせか…」
「もう!大きな声で言わないで!」