第12話 魔法と回復薬
ギルドで換金を終え、俺はようやく家路に着いた。
すっかり辺りは暗くなっている。
人通りは少なく、1匹の野犬がウロウロしていた。
家の中に橙色の光が灯っている。
人がいるって感じがして、俺は何か安心した。
「ただいま」
声をかける。
玄関にはすでにルーナがスタンバイしていた。
どうやら物音を聞いて飛び出してきたらしい。
若干息を切らしていた。
「おかえり、リックお兄ちゃん」
遅れて、エプロンで手の水気を拭いながらティレルが現れる。
「おかえりなさいませ、ご主人様」
「ただいま、ルーナ。ティレル」
「お怪我はありませんか?」
「あ、ああ……」
俺は苦笑いを浮かべた。
一応、服や身体に付いた血は拭っておいた。
ギルドの時のように叫ばれることは回避できたようだ。
すると、ルーナがふんふんと鼻を動かす。
いきなり俺の手を掴んだ。
「お兄ちゃん、怪我してるよ」
指先の浅い傷をルーナが発見する。
おそらくギレルに傷つけられたというよりは、殴った時についたものだろう。
すると、ルーナは小さな舌を出す。
チロチロと舐め始めた。
「る、ルーナ!」
「こうすると、早く治るってお母さんが言ってた」
「いや、そのぉ……」
一生懸命、ルーナは舐めてくれる。
小さな女の子が、俺の指を舐めるのを見て、少し変な気分になった。
それを止めたのは、ティレルである。
「ルーナお嬢様。お気持ちはわかりますが、雑菌が入るかもしれません。控えていただく方がよろしいかと」
「で、でも……。リックお兄ちゃん、痛そう」
「ありがとう、ルーナ。でも、それでルーナが病気になったら、俺は悲しいから」
俺はルーナの頭を撫でる。
ピンと立った耳と一緒に髪に触ると、ふわふわで気持ち良かった。
するとティレルが1歩進み出る。
「では、ご主人様。脱いでください」
「へ?」
「お怪我はそれだけじゃないでしょ」
ティレルには叶わないな。
見抜かれていたか。
「大した怪我じゃないよ」
「ダメです。毒はないようですが、魔物の爪や牙にも雑菌が入っています。今すぐ治さないと、熱が出るかもしれません」
なるほど。確かにな。
いくら強くなったからといっても、熱を出して魔物を狩りにいくわけにはいかないか。
あと、これ以上拒否するとティレルが怖いし。
「わかったよ」
俺は服を脱いだ。
無数の傷を見て、ティレルは一瞬固まる。
また1歩踏みだし、俺に寄り添うように近付いた。
手を差し出す。
目をつぶって集中した。
「森の精霊よ。我が手に宿りて、勇敢なる者を癒せ」
呪文を唱える。
ティレルの手がぼうと光った。
すると、傷がみるみる塞がっていく。
しばらくしてほとんどの傷が治っていた。
「すごい! すごいよ、ティレル。魔法が使えるんだね」
「私はエルフなので。幼い頃から、魔法の教育を受けてきました。といっても、癒しと風の魔法ぐらいですが……」
「十分だよ。便利だな、魔法。俺も教えてもらおうかな」
「ご主人様ならすぐに習得できますよ」
魔法を習得するには、魔法学校へ行かなければならないらしい。
お金に余裕が出てきたら、学びに行くのもいいかもしれないなあ。
今回のギラードウルフのような相手なら、遠距離からの狙撃も有効かも知れないし。
「さあ、ご飯の用意ができていますよ」
「お腹が空いたぁ。一緒に食べよう、ルーナ」
「うん……」
俺はルーナの頭を撫でる。
その時、ちょっとしょんぼりしているルーナに俺は気付くことができなかった。
◆◇◆◇◆
主人とお嬢様が寝静まった夜。
ティレルは自分の部屋で、主人であるリックの服を繕っていた。
ギラードウルフの爪や牙で斬り裂かれた服には、あちこちに穴が開いている。
王宮でもらったそうだが、いい生地だ。
捨てるのはもったいないので、ティレルは補修することにした。
燭台の明かりを頼りに、ティレルは器用に繕っていく。
森で暮らしていた時には、よく自分の服を直していたものだ。
ぎぃ……。
やや夢中になって穴を埋めていると、突然部屋の扉が開いた。
ひょっこりと、小さな精霊のように顔を出したのは、ルーナだ。
「ルーナお嬢様、どうかされましたか?」
「ティレル、あのね」
モジモジと身体を動かす。
逡巡した後、ようやくルーナは口を開いた。
「ルーナもリックお兄ちゃんの力になりたい!」
「え?」
「リックお兄ちゃん、頑張ってる。ルーナも頑張りたいの」
リックお兄ちゃんのために……。
ルーナはまだまだ子どもである。
ティレルもルーナの年ぐらいの頃は、まだまだ両親に甘えていた。
でも、彼女の目は本気だ。
ただわがままで言っているわけではない。
ティレルはニコリと笑った。
すると「失礼します」と言って、ルーナの頭を撫でる。
「よく決心なさいました、ルーナお嬢様。微力ながら、お手伝いさせていただきます」
「ありがとう、ティレル!」
ルーナの顔に満開の笑顔が咲いた。
◆◇◆◇◆
ベッドから起き上がり、俺はガリガリと頭を掻いた。
一伸びし、大きな欠伸をする。
若干身体がだるい。
昨日の疲れが残っているのだろう。
今日はギルドに行かずに、ネレムさんに教えてもらった武器屋に行くとしよう。
ベッドから出て、俺ははたと気付く。
いつも腰の辺りに感じるホールド感がない。
ルーナがいなかったのだ。
いよいよ自立したのだろうか。
一抹の寂しさを感じながら、俺は身支度を調える。
昨日ギレルに穴だらけにされた服は、見事に直っていた。
おそらくティレルの仕事だろう。
リビングに行くと、そのティレルが食事の用意をしていた。
「おはようございます、ご主人様」
きっと夜遅くまで起きていたと思う。
なのに全くそんなことを感じさせない。
いつも通りの笑顔を振りまいていた。
「おはよう。服を直してくれてありがとう、ティレル」
「いえいえ……。ご主人様の従者として、当然のことをしたまでです」
ティレルは軽くお辞儀をした。
俺は食事を済ませる。
ルーナは朝食に姿を現さなかった。
食べ終えると、ティレルが尋ねる。
「ところで、今日のご予定は……?」
「ネレムさんに紹介してもらった武器屋に行ってくるよ。そしたら、すぐに帰ってくる。今日は3人で外食しよう。ティレルも疲れてるだろう」
「それは有り難いのですが……。そうですか。今日は狩りに出かけないのですね」
長い耳がしょぼんと垂れる。
何か俺が狩りに行かないのを残念がってるように見えた。
「どうしたの?」
「実は……」
ティレルが差し出したのは、小さな小瓶だった。
中には蓬色の液体が入っている。
「お手製の回復薬です。薬草を煎じて作りました」
「ありがとう。服の補修でも大変だったのに、回復薬まで」
すると、ティレルは首を振った。
「回復薬を作ったのは、私ではありませんわ、ご主人様」
「ティレルじゃないってことは、まさかルーナ?」
「そのまさかですわ」
俺はティレルから事情を聞いた。
ルーナも俺の力になりたいらしい。
そしてティレルに習いながら、この回復薬を完成させたそうだ。
一晩で……。
俺のベッドに来なかったのは、よっぽど疲れていたからだろう。
「その回復薬もらうよ」
「え? でも、今日は……」
「予定変更だ。狩りにいってくる」
「私としては、回復薬がいらない状況の方が望ましいのですが……」
そう言いながら、ティレルは俺に回復薬を渡した。
「なるべく早めに帰ってくるよ」
「はい。お帰りをお待ちしてます」
ティレルに見送られ、俺は家を出ていく。
ルーナの見送りがなかったのは寂しい。
けれど、俺にはルーナが作ってくれた回復薬がある。
今日も1日がんばれそうな気がした。




