第2話 異世界に希望を見出した兄と絶望を感じた妹
心地の良い陽光が周囲を照らす。
視界では木々の葉が揺らぐ。
微風は髪を撫で、どこか懐かしい香りを運んでくる。
いつしか、瞳を閉じていた。
弛緩した身体は挙動すら放棄し、糸の切れた人形のように雑草の上に転がる。
自身と世界の境界が曖昧となり、意識すら次第に朧と化していく。
その最中、ふと、懐かしい声が聞こえた気がした。
「いや、起きんかい。」
刹那、腹部にとんでもない衝撃!
見ると、大仰な荷物がそこに!!
おれの寝息が、今まさに、うめき声に変貌していく…!
「大丈夫ですか兄さん!!」
「お前が言う!?それ言っちゃう!??」
おれは妹・葉頼に訴える。
「この荷物、結構重いですよね。」
「分かってるよ!?腹に思いっきり落とされたから必要以上に知ってるよ!?」
荷物をどける。
「兄さんも兄さんですよ!異世界に来て、一番最初にすることが、その場で寝るって!!あほちゃう!??」
「だ、だってなんか寝心地が良くてつい…。」
しょぼんてした。
「というかさ、異世界っていう割には、地球と似すぎてて。」
安心したというか。
だって周りは、青空、緑の山々、白い雲、光る太陽。
「つうかまんま地球じゃん?」
葉頼に言う。
「まぁ、似た世界同士じゃないと引き合わないんじゃないんですか?次元が。」
なるほど、って思った。
「そういえば、この荷物どうしたの?」
おれの腹部を地獄の底に叩き落した存在を指差す。
「寝て起きたらありましたので。」
葉頼が首をかしげる。
「もしかしたら、女神さまがくださったのかも。」
葉頼が言いながらおれを見た。
「はぇ~、何が入ってるんだろ。」
鞄を開けると、やたら分厚い本が数冊入っていた。
どうやら、この世界の歴史と文化、慣習が記載されているらしい。
「この変な文字がこの世界のものか。でも横にちゃんと日本語が書いてあるな。」
変に親切な本だった。
「なるほど、これでこの世界のことを勉強しろと…。」
異世界転移開幕から勉強とか嫌すぎる。
「これが女神様からの特典なんですね。」
「うそだろ!!!???」
思わず葉頼を見る。
「え!?お前一体何を頼んだの!!???」
「兄さんがちゃんと働けますように、って。」
「ニートの親かよ!!??」
おれは地球でちゃんとバイトしてたぞ!?
「大体こんなもん読まなくても働くぐらいできるだろ!」
「果たしてそうでしょうか。」
おれの前に葉頼が立ちはだかる。
「ここが異世界じゃなく、そうですね。スリランカということにしましょう。」
どういう例えだ。
「もし兄さんが、突如スリランカに飛ばされたとしましょう。さて、すんなり働けるでしょうか??」
「……………………。」
スリランカってどこだ?
「まず、言葉が違う。そしてどんなバイトがあるかも不明。履歴書を書こうにも文字が分からない。そもそも服飾など見た目が浮きすぎて、奇異の目で見られる。」
うん、まぁ、確かにスリランカってどんな国か全然知らないな。
「もし銃社会だったら即座にパーンかもしれないじゃないですか。」
葉頼に指される。
「そうなってしまったら、私の願いである『兄さんの就職』という願いが叶わなくなってしまいます。」
「あのさ、『おれの就職』を女神さまに頼んだの???なんか間違ってない?」
「だからこそ、これで勉強するんです。」
そして葉頼は本(というか最早辞書)をおれの眼前に突き付けた。
「うん、まぁ言いたいことは分かったよ。」
「分かってくれましたか。」
葉頼は満足げに笑みを浮かべた。
「おれが頑張ってちゃんと就職するのが、お前の願いなんだろ。その程度の願い、兄ちゃんに任せろ!!」
「はい!ニートの私の分まで頑張ってください!」
「お前働く気ゼロかよ!!!????」
「兄さん。あそこに、道らしきものがあります。」
鞄に辞書を片付けていると、葉頼が草原の向こうを指した。
「あそこだけ地面が剥き出しです。生物が通っている証拠だと思いませんか?」
「うん。まぁとりあえず、その生物が人間であることを望むよ。」
地球と比較的似ている世界なら、人間だとは思うけど。
「誰か通ってくれないでしょうか。」
葉頼が道の方に歩き出したので、おれも続く。
「あ、この世界での挨拶はもう勉強しましたか?もしここで生物が通りかかったらチャンスなんですから。」
「そうだな、それくらいは本見て勉強した方がいいかも。」
おれは鞄のチャックに指を触れる。
「あ!いる!人!!!」
「え!!?まじで!!??」
葉頼の言葉に目を向ける。
あっほんとだ何かいる!!
「あっ!速っ!?なんか馬車にのってる!馬!馬…!??兄さんあれ馬!???馬かな!??」
「いやそこどうでもいいよ!!??早くしないと行っちまうぞ!?」
衝動的に駆け出す。
「兄さん足は!!?」
「問題ない!!!」
葉頼も付いてくる。
「訊いてください兄さん!!あれが馬じゃないとなると、最早『馬車じゃない』ですよね??あれなんなんですか???」
「それそんな重要!!??」
おれは葉頼に並んで言った。
「あっ!挨拶!そういえば兄さん!挨拶勉強しました!?」
「ここで言う!?」
全力疾走してるんだけど!?
「さっきも言いましたが、最初の台詞を間違えたらパーン!ですよ!?」
「こええよ!?本気にしちゃうだろ!!??」
本気にしたおれは全力疾走しながらクソ重い鞄のチャックに触れる。
「あっやべ!チャック噛んだ!!開けずれぇ!」
「何してるんですか!?ズボンで慣れてるんじゃないんですか!??」
女子が何言ってんの???
「ねぇどれ!?どの本に載ってるの!???」
鞄をまさぐる。
「手つきがいやらしいですよ!何様ですか!?」
「言いがかりやめて!??」
おれは走りながら適当に本を取ってめくる。
「やべっ!!風でめっちゃページめくれる!!読めへん!!!」
「だから『予習は走る前にしなさい』って言ったでしょ!!??」
「言ったっけ!?????」
葉頼が走りながら鞄の中を覗く。
「どれだろ?これかな??あ、重っ!?」
葉頼が、鞄の中で持ち上げた本を、そのまま落とす。
「鞄の中で落とすな!?ズシーンてきた!めっちゃ腰に来たんだけど!!!??」
「兄さんあんまり揺れないでください!?読めないじゃないですか!」
「持って読め!!???」
そうこうしてると馬車みたいなのが、木々の中に入っていく。
「あっ行っちゃう!あっ!はっ!はぁっ!あ…行っちゃう…!」
エロいな!?
「大丈夫か!?」
と声を出した瞬間、葉頼は速度を緩め、その場に突っ伏した。
「葉頼!?」
おれは思わずその場に止まる。
「はぁっ、はぁっ、す、すいません。息が…。」
葉頼の顔は青く、息ももう上がっていた。
あれ、葉頼って持久走出来てた気が。
「先に行ってください。あとで追いかけます。」
来たばっかりの異世界に、妹残して先に行け、だって?
「わわっ!?」
おれは葉頼を勢いで背負う。
「兄さん!?」
「捕まっとけよ!」
おれは馬車に向けて駆け出した。
「おーーーーい!!!!」
おれは馬車に向けて叫ぶ。
未だ馬車とは100mほどは離れている。
このままだと引き離される。
頼ったのは声。
声だけでも届け。
「おーーーーーい!!!!!」
馬車を見る。
止まった。
おれは走る。
馬車をおりた御者がこちらを見る。
人だ。
人がいる。
おれは息を切らし、御者の元へ走った。
荷車が揺れながら道を進んでいく。
貨物用だから、椅子なんて大層なものはない。
それでも、今のおれにとっては過ぎたものだった。
荷車の後方には壁は無く、馬車が進み終えた道を映し出していく。
荷車を引く生物の足跡が規則的に。
木々はまばらに。
緑の葉、雑草が風景を緑に覆う。
木漏れ日が照らす。
荷車の揺れが一瞬大きくなり、ガタガタと鳴る。
おれは自分のふとももを見る。
葉頼の寝顔。
少し、眉をひそめたかと思うと、その目が開いた。
「兄さん…?」
葉頼の目がおれの顔を捉える。
「おはよう。」
おれは葉頼に言葉をかける。
「あっ。」
葉頼は、自分の状況に気づくと身体を動かそうとした。
「まぁ休んどけ。」
おれは葉頼の額に手を乗せる。
「うぅ…。」
葉頼はおれの手に特に抵抗もせず、身体の力を抜いた。
「追いつけたんですね。」
葉頼が言葉を発する。
「なんとかな。」
おれは一息をついた。
「もうすぐで村に着くぞー!」
その言葉で、今おれはうたた寝していたことを知った。
「今のは。」
葉頼も身を起こして、おれの服を掴む。
「おれたちを助けてくれた人。」
おれは葉頼に一言説明する。
「ありがとうございまーす!」
御者の方に声を出すと、小窓から御者の顔が覗いた。
「お、妹さんも目が覚めたか。」
御者が笑みを浮かべる。
「妹さんは、体調の方はどうだい?」
御者が葉頼を見て言う。
「え。あ、えっと。」
葉頼がおれを見る。
「まだ体調悪いか?」
おれも気になっていた。
「あっ。い、いえ大丈夫です。」
荷車に揺られながら、葉頼が答える。
「ん?まぁ大丈夫そうならよかったよかった。」
御者が荷車の騒音に負けない声で言う。
「おじさんのおかげだよ。ありがとう。」
おれはもう一度言う。
「はっはっ。まぁあと5分程で村だ。その時にまた聞くよ。」
御者の顔が小窓から消える。
「いやぁ、良い人でよかったよ。あの人の村まで一緒に連れてってくれるんだってさ。」
おれは、葉頼に顔を向ける。
葉頼は、じっと小窓に顔を向けていた。
「ははっ。そうそう、ちゃーんと人間だったぞ。いやぁ良かった良かった。」
どうやら、この世界が地球に比較的似ている、という仮説は間違いないらしい。
いまのところは。
「そうですか。良かったです。」
葉頼はおれの傍らにある辞書を眺めながら、言葉を発した。
「それ、読んだんですか?」
「まぁ暇だったし。」
内容的には、昔のゲームの資料集を眺めている気分だった。
剣、魔法、魔物。
そんな言葉が文章の端々を彩り、この世界の歴史を形作っていた。
「私、結構眠っていたんですね。」
「時計がないから、どんくらい寝てたのかは分かんないけどな。」
おれは鞄に辞書を片付ける。
「そういえばさ、おれ久々に見たわ。」
おれは鞄のチャックを閉める。
「え?なにをです?」
葉頼がおれを見る。
「葉頼の寝顔。」
「なっ。」
葉頼の肩が上がった。
「おれいっつも起こされてたからさぁ。さっき『おはよう』って言ったとき、なんか『懐かしいなぁ』って思った。」
「……………。」
葉頼はおれから視線を逸らす。
「不覚です…。」
「金も行く当てもないんだろう?とりあえず今日はわたしの家に来るといい。」
村、というか御者のおじさんの家に着いたら、開口一番言われた。
「えっ!?いいんですか??」
思わず聞き返す。
「あぁ。部屋も空いているし、君たちみたいな子供を『はい、さよなら』と知らん顔するのも、どうも苦手でね。」
そういっておじさんは笑みを浮かべた。
「いや助かります!」
なんて良い人なんだろう。いきなり出会えたのが、こんな優しい人だなんて。
「ついてきなさい。」
家の扉を開けるおじさんの後を追う。
「ただいま。」
「おかえりなさーい。って、あれ?」
家の中にいた女性がおれたちを見る。
「魔物に追われて逃げていたらしい。魔法の影響か、帰る場所も覚えていないらしいんだ。」
おれが本を読んで得た知識で、苦し紛れにした説明をおじさんが女性に言う。
なんだろう、こんなに優しい人に嘘をつかなければいけない、この状況。
心が痛い。
でも、本当のことを言っても、なんか、変な奴扱いされて信頼されなくなりそうだし…。
「どうしたんだい!?」
意識を元に戻すと、眼前に女性が立っていた。
「い、いえっ!なんか、つい、安心しちゃって。」
おれは咄嗟に笑みを浮かべた。
「待人くんは、息子の部屋を使ってくれ。今は都の学校で寮生活をしているから空いてるんだよ。」
そういって、おじさんは部屋の扉を指した。
「妹ちゃんは葉頼さんだったね。悪いけどもう空き部屋は残ってなくてね。」
おじさんが頭を掻きながら言う。
「兄妹とは言え男女だし、今日はおばさんと寝るかい?」
おばさんが葉頼の手を取る。
葉頼はその手をしばらく見た。
そして笑顔を見せると、やんわりとその手を離し、おれの服の裾を握った。
「ははっ。そうだね、やっぱり知った顔が身近にいないと安心できないか。そりゃそうだ。」
葉頼の困った笑みに、おばさんも笑って答える。
「今日は疲れたろ?もう部屋に行って休んじまいな。食事は後で運んでおくから。」
おばさんは気持ちのいい笑顔でそう言った。
部屋から覗く陽がいつの間にか消え、設置されたランタンがオレンジ色に光った。
出された食事は、なんというか、やっぱり見慣れないもので、疑心暗鬼になりながらも口をつける。
その憂いはなんとやら、料理の味付けはまさに絶品。
なんだろ、御飯がおいしいと人って安心するものなんだろうか。
安心感ゆえか、おれは内心思った。
こんな世界に来てしまった。
だけど、なんとかやっていけそうだと。
気にすることはないのだと。
たった一皿のスープで、おれはそんな安直な考えを手にしていた。
「いや、起きんかい。」
その刹那、強烈な衝撃がおれのお腹に叩きこまれる。
最早懐かしささえも覚えてしまう、この鈍すぎる痛みがじわじわとお腹に、
「えっ!??これで毎回起こすの!????」
おれは飛び起き、犯人の顔を直視する。
「兄さん大丈夫ですか?顔色が悪いようですけど。」
「お前の持ってるその辞書が原因じゃないかな!!??」
葉頼は手に持っていた辞書を机に置いた。
「それはともかく。もう朝ですよ!?」
葉頼は手を腰に当てていた。
「お世話になっているんです。惰眠を貪っていたら罰が当たりますよ。」
「もう当たったよ!?あれ、もしかして自覚ない???」
「うん?起きたかい?」
数回のノックのあと、おばさんが扉を開けた。
「朝食ができてるからね、準備ができたら食卓に来てね。」
そういって、おばさんが葉頼の顔を見る。
「ありがとう、ございます。」
葉頼はおばさんに笑みを見せ、答えた。
「あら、やっと声が訊けたね。ゆっくりできたならよかったよかった。」
おばさんも笑みを見せ、部屋を後にした。
「ほら、兄さん。早く着替えて着替えて。」
葉頼がおれの着替えを持ってくる。
「わかったわかった。おばさんを待たせるのも悪いし。」
おれが服を手にかけると、葉頼は窓の方に顔を向けた。
「そうですよ。早くしてください。」
葉頼が窓辺に手を付く。
おれは昨晩借りた寝間着を脱ぎ、馴染みのある服に着替えていく。
どうやら昨日のうちに洗濯してくれていたらしく、汗のにおいは感じない。
「なんとか。」
葉頼の声。
「なんとか、やっていけそうですね。」
窓に向けて、葉頼が呟いていた。
自分に向けての言葉なのか。
おれに対しての言葉なのかは分からない。
「あぁ。」
でも、おれは答えた。
「やっていけるさ。」
葉頼の方を見る。
葉頼はまだ窓の方を向いていた。
しかし葉頼の表情が窓に映る。
遠くを見るような顔つき。
葉頼は、瞬きを一つした後、顔を上げ、青空を眺めていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
部屋で食事をとり、待人が急造ベッドでいびきをたてているその時。
椅子に座っていた葉頼は、机の上で光るランタンを眺めていた。
机にうつ伏せになりながら、葉頼は今日あった不可思議な出来事を振り返る。
まず、馬車を見つけた時のこと。
葉頼は持久力はそれなりにあった。
学校の持久走大会では10位以内には入るほどだ。
なのに、今日は少々走っただけで、呼吸困難に陥ってしまった。
「これが一つ目…。」
次に、荷車で目覚めた際、御者のおじさんに小窓から声をかけられた。
待人はこれを、さも当たり前のように言葉を返す。
しかし、葉頼は『御者が何と言っているのか分からなかった。』
待人の発言は理解できた。
つまり、葉頼には、『待人と御者が各々別々の言語で会話している様に聞こえた』のだ。
「これが二つ目……。」
そして、さっき食べたおばさんの食事。
待人はおいしそうに平らげた。
だが、葉頼にはなんの味もしなかった。
「たぶん、日本よりも味付けが薄い、んだと思うけど……。」
葉頼はランタンを眺める。
「これで三つ目…。」
葉頼はこの3点から、自分が本当に異世界に来たのだと悟った。
待人が平気だったのは、女神の能力によるものだろう。
そう、授かった特典、それとはまた別の『女神の加護』である。
それは、日常生活に支障がでないようにする程度の変異。
環境を自分のいた世界に合わせる、というだけの能力。
しかし、たったそれだけの、あまりに強大な『女神の加護』の凄さに、葉頼は今更ながら気が付いた。
一つ目の不思議な点。呼吸困難。
おそらくこの世界は、地球と気候が似てはいるが、同じではないのだろう。
詳しいことは分からないが、酸素濃度が影響しているのかもしれない。
いずれ体が慣れる程度の違いであれば良いが、そうでなければ、この世界では走れない体、ということになる。
二つ目の不思議な点。言語。
待人は、『女神の加護』により、話す言葉それ自体が、相手にとって理解できる言語へと変換されている。
だからこそ葉頼には、待人と御者が別々の言葉で会話しているように聞こえた、のだ。
文字にも同じことが言える。
おそらく、『葉頼が書いた文字』と『待人が書いた文字』が同じであったとしても、この世界の住人には、葉頼の文字は理解されないことだろう。
三つ目の不思議な点。味覚。
もう説明するまでもない。
『女神の加護』があるか、そうでないか。
たったそれだけの理由。
葉頼は思索を止め、再び机に突っ伏す。
「このままじゃ、兄さんの枷になっちゃう…。」
それだけは嫌だった。
それでは、自分が兄の傍にいる意味が無くなってしまう。
それだけは。
葉頼は頭を振る。
弱気になっちゃだめだ。
自分で選んだんだ。
自分でこの世界へ来ると覚悟したんだ。
これだけでへこたれてどうする。
「一つ目と三つ目は、どうにもならない。なら…。」
葉頼は、部屋の隅に置いた鞄に目をやる。
数冊の辞書。
日本語と、この世界の言語とで書かれた辞書。
今ならわかる。
あれは、葉頼の為に存在しているのだ、と。
日本語の部分は、『女神の加護』のある待人には不要なもの。
あの辞書は、女神から葉頼への慈悲なのだと。
葉頼はそう思った。
朝陽が目に飛び込む。
その時葉頼は、自分が机で眠っていたことに気が付いた。
ランタンを消し、開いていた辞書を閉じる。
兄を起こし、ノックをして部屋に入ってきた女性と目が合う。
本当は、一番最初に出会った時言いたかった。
自分たちを助けてくれた、この大恩人達に。
だから、彼女は勉強した。
合っているのかも分からない発音を、何度も何度も。
そして、一晩明けて、彼女は漸く、感謝を告げた。
「ありがとう、ございます。」
第二話 終