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203号室

作者: 波止 晴信
掲載日:2016/07/13

 とある町に”裏野ハイツ”という築三十年の木造の二階建ての集合住宅があった。 駅にもコンビニにも近く、物件としては好条件であるが良くない噂がある。


『裏野ハイツの一室は常に空室になっている。 もし満室になるようなら誰かがいなくなる』


 いなくなるのである。 出て行くのでなく、いなくなる。

 そして一人の男が裏野ハイツに新しく入居し、満室になった。 誰かがいなくなる。




 男は仕事の転勤でこの町に来て、すぐに部屋を借りたいと思っていた。 しかし駅に近い物件はどこも家賃が高くとても手が出せなかった。 男は不動屋さんに「なんとかならないのか」と尋ねると、渋々と裏野ハイツを紹介された。 不動屋さんは「ここは良くない噂がある。 紹介はしたが、やめときなさい」と忠告した。


「噂?」

「大きな声では言えんが、入居者がいなくなる」

「出て行く、とは違うんですか?」

「違う。 言葉通りいなくなる。 だからいつも一室だけ空いてる。 満室になるといなくなる。 だからやめときなさい」


 「なまじ、人が住んでるから手放すこともできん」と不動産さんの愚痴を聞き流し、男はパンフレットに目を通す。 木造建築の1LDK。 敷金なしで家賃は五万。 付近には郵便局やコンビニがあるらしい。 なかなかの好条件で男は実際に物件を見ることもなく、ここの部屋を借りることを即決した。

 不動屋さんは「どうなっても責任は取らんよ」と契約書の準備をした。 「噂は噂だ。 気にはしない」と男は良い物件を見つけることができて満足そうな顔をしていた。

 男に与えられた部屋は203号室。 隣の202号室には三十代ほどの穏やかそうな夫婦と三歳ぐらいの大人しい男の子が住んでいる。

 ここでの暮らしが一週間が過ぎた。

 不動屋さんが言っていた『良くないこと』も起こることがなく、穏やかな日々を過ごしていた。

 噂は根も葉もないことだと思い始めたある日の夜のことだった。 男はベッドに横になりながらマンガを読んでいると、隣から男の子の泣き声が聞こえてきた。 壁ごしにもはっきり聞こえてくるほどの大泣きだった。

 どうしのだろう、と思いながらマンガを読み進めていくとやがて泣き声は聞こえなくなった。


 翌日、出勤の前にゴミを出しに出ると、お隣の奥さんと鉢合わせた。 挨拶を交わして、何気なしに昨日のことを聞いた。


「昨日は大変でしたね」

「え? なにがですが」

「なにって……昨日の夜、お子さんが大泣きしていたではないですか」

「はぁ……」


 奥さんは顔に手を当てて、あいまいに答えた。 男も首を傾げた。


「何かの間違いではありませんか? ウチの子は昨日泣いてませんよ」


 奥さんはそれだけ答えて帰っていった。 男も何かの聞き間違えかもしれないと仕事に向かった。




 仕事が終わり、自分の部屋の鍵を開けようとしたとき子供の泣き声が聞こえてきた。 昨日聞いた男の子の泣き声だ。


「やっぱり隣から聞こえる……」


 202号室。 お子さんのいる夫婦の部屋。 男は悪いと思いながらも202号室のドアに耳をつけた。

 ドタドタと暴れる音と男の子の泣き声が聞こえてくる。 ノックしようか迷ったが、家庭の問題に他人が首を突っ込んではいけないと思い、男は自分の部屋に戻った。

 男はリビングの電気を付けるとテーブルの上に錆びついたラジオカセットが置いてあった。 ラジオカセットはアンテナを伸ばして電波を拾うものではなく、周波数を合わせて聞くタイプのものだった。


「なんだこれ? 俺はこんなもの持ってきてないぞ」


 男は試しに周波数をいじってみたが、ノイズしか走らなかった。


「明日、管理人に電話してみるか」


 ラジオカセットを部屋の隅に押しやって、男は一日を終えた。




 翌朝、管理人に電話してみたところ「知らない」とのことだった。 処分するにも金がかかるのでアンティークとして部屋に置くことにし仕事に向かった。

 夜、男が部屋に戻るとまた男の子の泣き声が聞こえてきた。 またかと思いながらも男は自分の部屋の前に立ち、身体に緊張が走った。 泣き声が自分の部屋から聞こえてくる。

 男は息を飲んでドアノブをひねった。 ガチャリと鍵が引っ掛かる音が鳴り、さらに緊張が増す。

 どうやって入った……。

 鍵を開けて中に入る。 クリアに泣き声が聞こえる。

 どこだ……。 どこからだ……。

 男は電気を付けながら、部屋中を探したが男の子の姿はどこにもなかった。 それどころか、泣き声が移動している。

 リビングから聞こえたと思ったら風呂から、トイレからと聞こえてくる。

 男は翻弄されながらも、不動屋さんが言っていたことを思い出していた。


「ここは良くない噂がある。 紹介はしたが、やめときなさい」


 良くない噂。 いまさらながら後悔する。 もっと真剣に考えれば良かった。

 明日になればすぐにでも出て行くと決めたとき、冷蔵庫がガタンと音をたてた。 冷蔵庫から男の子の泣き声が聞こえてくる。 呼応するように冷蔵庫がガタガタ暴れだした。

 男の緊張が極限まで高まる。 口が異様に乾くのを感じた。 男は冷蔵庫に近づき、取っ手に恐るおそる手を伸ばす。

 すると、電源が切れたようにピタっと冷蔵庫が静かになる。 泣き声もどこからも聞こえない。

 男は息を飲んで冷蔵庫を開けた。 そこに男の子の姿はなく、買い貯めた食材があるだけだった。

 身体の力が抜けた。 男はついでにビールを取り出して冷蔵庫を閉めた。


『Hello』


 突然ラジオから聞こえてきた声に驚いてビールを足に落とした。

 痛みで蹲っていると、ノイズ交じりの笑い声に『Sorry. Sorry』と謝ってきた。 今のこの状況を見ているかのような自然な流れだった。

 ラジオから距離をおいて、流暢に流れる英語を聞き取れるはずもなく、ビールを飲みながらぼおっと聞き流していると『Behind you』とゆっくり聞きやすいように言った。

 behind you————後ろを振り向け。

 男は振り向かなかった。 振り向けば何かが起こることを確信していた。 男は部屋から出ようとドアを押したが、鍵がかかってないのにも関わらず開かない。 何度も押してもびくともしない。


「なんでだよ、おい……」


 ふたたび身体が緊張感を覚える。 男は後退りすると、カツンとヒールの高い音が真後ろから聞こえてくる。

 しばらくすると、耳元に嗚咽混じりの笑い声とも泣き声とも区別できない女性の声が聞こえ始めた。

 後ろになにかいる。

 ラジオがふたたび、後ろを振り向けと言ってくる。

 男は動けないでいた。 耳には女の声がこびりつき、ラジオはしつこく同じ言葉を繰り返す。

 男はドアを蹴った。 ドアを押した。 ドアを殴った。 声をあげた。 冷静でいられなかった。 とにかくここから出ないといけないとだけしか考えられなかった。


「出せ! 出せ! 開け! クソが!! クソがああああおあああああ!!!」


 頭を捕まれた。 後ろの何者かの体温が伝わってくる。 人の体温よりも高かく、熱いと感じるほどだった。 男は罵倒を吐きながら引き剥がそうと暴れるが、万力のように力が強くて引き剥がすことができない。 次第に頭が動かされる。 ゆっくり、ゆっくりと横に。


『OK. Behind you. Slowly slowly』


 ラジオが小さい子に言い聞かせるように優しく言う。

 男は抗うことができず、そして見た。

 泥水で汚れた女性が濁った目で男を見下ろしていた。




「駅近でもっと良いところはないんですか?」

「うちが取り扱ってるものはこれで全てでして……」

「そうか……。 おっ! ここ良いじゃないか! 裏野ハイツ」


 また満室になった。 誰かがいなくなる。 いなくなる。

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― 新着の感想 ―
[一言]  葵枝燕と申します。  「203号室」、読ませていただきました。  振り向くも振り向かないもないじゃないですか、無理矢理そうするなら!! あの女の人が、全ての元凶なんですね。
[一言] 読みました。面白かったです。 他の方も書いていたかもしれませんが、少し詰め込み過ぎかもしれませんね。子供の泣き声、泥まみれの女、ラジオ。どれかに限定するか、それらが同時期に発生する理由のよ…
[良い点] 書き筋が基本を守っている作品。 正統派の掌編といった触感の作品でした。 [気になる点] いささか組み立てに欲張っている部分を感じました。 子供の声がし、ラジオから音が聞こえ、後ろに居るのは…
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