2.
※加筆予定
「しばらく道場を空ける」
翌朝。食事の折に、老人はシャウラへそう告げた。
「また里からの依頼ですか?」
シャウラは箸を置いて訊き返す。
師の言葉を待つ彼に、老人はまっすぐ目を見つめながら答えた。
「若い衆にひとつ稽古をつけてくれ、と昔馴染みから頼まれての。数日ほど行って面倒を見ることになった」
「里の人たちも熱心ですね。近いうち、闘戯の大会でもあるんでしょうか」
「さあのう……儂も詳しいことは聞いておらん。何にせよ、手ほどきを必要としていることは確かであろうよ」
そう言って、彼は茶碗を手に取る。
「留守の間はお前が主だ。儂に助けを求める前に、自ら考えて事をなしてみよ」
「私だけで応対をしろと……そういうことですか?」
戸惑い気味に尋ねるシャウラ。その眼前で、老人は当然とばかりに頷いてみせる。
「その場に居らぬ者を頼ってどうする。これも修行の一環と心得よ。よいな?」
「は、はい」
有無を言わせない口調に、シャウラは気圧されつつ同意する。
いくつか思うところはあったが、指摘がさして外れたものでもないだけにどうも反論しづらい。ずっと師匠に頼りきったままとはいかないのだから、今を好機と捉えて切り出したとも受け取れる。
それに、『やってみろ』と師匠が口にするのは、自分にやり遂げられることの筈なのだ。実際にこなしてみせることこそ、他の何よりも実力の証明になる。
「いつ戻るかはわからんが、さほど長くもならん。お前とて、ほんの二、三日任せただけで音を上げるほど華奢でもあるまい」
「わかりました。留守を預かります」
シャウラの答えに、老人は満足げな頷きを返した。
それから数刻後。
道場の天井裏には、身を伏せ隙間を覗き込む老人の姿があった。
「――ちと、演技が過ぎたかの」
周囲まで響かない程度の声量でぼやく。視線の先にある弟子は素振りをしている最中だが、緊張からか少々力み気味のようだ。勢いの乗った木刀を何度も振るう彼を、老人はじっと黙って見下ろしていた。
やがて素振りを終えると、彼は立ち合いと同様の構えを取った。当然ながら向かい立つ相手はいない。あくまで、脳裏に描く『敵』と対峙しての打ち稽古だ。
「ふむ。儂か、それとも己自身か」
じりじりと踏み寄っては下がり、剣先を突き合わせているかのように、小さく早く手許を繰る。都合の良い相手ではなく、真剣を前提とした必殺覚悟の読み合い。
――ここまでは良い。老人は彼の一人稽古を前にそう判じた。
「問題はここからだ。聳える己の壁に自ら気づいておるかはわからんがの」
呟いたその時、シャウラは大きく動きを変じた。動きを読み、待ち誘う構えから、攻勢を受け打ち流すかのように太刀を捌いていく。同時に、不可視の『敵』の剣筋は、彼の挙動をもって老人の眼にはっきりと映し出されていた。
それは、普段から振るってきた自らの剣。何よりも克明に記憶している太刀筋を、弟子は最大の敵として五感が捉えたままに再現している。一切の妥協も、誇張さえもない剣の幻影と打ち合い、克服に挑むその姿は見事だった。
――が、同時にとても愚かしく、危うげに思える姿でもあった。
師の剣を超えるべきものと捉え、臆せず挑もうとする心がけは良い。だがそれ故に、本来持つべき要素――柔軟さをことごとく欠いてしまっている。多少の癖なら長所にもなるが、あまりに強過ぎる癖を持つ剣は、武器や流派の異なる相手に隙や弱みを曝しかねない。一度の会敵で生死が決する剣士に、その欠陥は許しがたい存在と言えるだろう。
(儂への対処を前提として鍛えれば、儂相手なら強く出られよう。しかし、そればかりでは剣が尖り過ぎてしまうのよ)
老人は、ひときわ厳しい眼差しを眼下の弟子へと向けた。
淡い期待も持ってはいたが、やはりいち早く矯正をかけなければならない。そう、そのために弟子相手の策まで弄したのだ。此度の『経験』が如何様になるかは見当もつかないが、役に立ってくれねば困る。
――いや、必ず役に立つ筈だ。
問答を独り重ねる老人。そんな師の逡巡を知ってか知らずか、道場に立つシャウラは仮想の太刀をただひたすらに捌き続ける。