2.
中心市街地から外れたシティの北部。目新しい建造物が立ち並ぶ住宅街とも、ネオンに彩られた歓楽街とも離れたその場所は、寂れた路地と古ぼけた集合住宅ばかりが広がるスラムと化していた。
当然、そこに営みを築いた人々に都市部ほどの潤いはなく、胸を張って歩けるような立場など持ってはいない。
ここに住まうは、人とも獣ともつかない異形――獣人。いつ頃現れ、いつから移り棲んだのかもわからないその存在は、島民を含む人間から長らく恐怖の対象とされてきた。人と同じく知恵を持ち、言葉を理解する一方で、本能のままに闘いを好む野性をも持つ亜人の種。島の発展とともに縁遠い存在との距離は縮まったものの、大半は獣人同士で一つ所に集まり、こうした人疎の集落を独自の生活圏とし続けていた。
スラムの外周、獣人の漂わせる独特の匂いが、路地に沿って流れてくる中を、カウスとドルネシアは並んで歩いていた。
ドルネシアは有翼の獣人であるハネビトだ。スラム街の生まれではないが、同族間での交易が盛んな彼らの習性上、この内外を歩くことには慣れている。『運搬屋』の彼女にとって、廃墟に近づくこの街は気に入らなくとも贔屓にされる大事な商売処である。
「ドリーちゃん、今日はお客さんと一緒かい?」
奇怪な姿の同行人が気になったのだろう。彼女から日用品を買い付けているハネビトが通りすがら声をかける。
彼女の背負う翼は風埃にまみれ、艶気のない黒羽根が灰色にくすんでいた。
「ちょっとした道案内。あと、今日は休業よ」
「それは残念。数日前から羽根洗いの薬用液が切れて困っていてねぇ。次はいつ来るんだい?」
「仕入れの手間もあるから明後日以降ね。また今度持ってくるから」
そう答えつつ、ドルネシアは歩を止めず過ぎ去った。道端にしゃがみ込んだ獣人たちが睨む中、のんびりと立ち話をしている余裕はない。
「次の角でメインストリートに行き当たるわ。道なりに進めば、ギャングが根城にしている団地まで辿り着く」
彼女は歩き続けながら、背後のカウスに話しかける。
「後はあんたで勝手にやってちょうだい。しくじったら承知しないわよ」
彼女の言葉に、カウスは着込んだ鎧の奥から返答した。
やがて、2人は丁字路の前に辿り着いた。
目の前を横切る道路に人気はない。だが、道の伸びる先から漂い流れてくるは不穏な空気だ。
砂埃に混じる微かな火薬の臭いを嗅ぎ取り、カウスはわずかに身をこわばらせた。
「案内ご苦労。貴君は早々にこの場を離れるといい」
「言われなくともそうするわ。じゃあね、カウス」
そう言って、ドルネシアは元来た道を引き返していった。
残されたカウスは槍を抱え直すと、行く手をまっすぐ見据える。この先にいるのは血気盛んなギャングたち。当然のことながら、闘いは避けられそうにない。
(――やるか)
スイッチを切り替えるように、自身の意識を変性させる。臨戦態勢へと移った心で今一度行くべき道を捉え、彼女は再び歩き始めた。
驚くほどに道中は静かだった。
全身鎧の重武装という、カウスの異様な出で立ちに気圧されたのもあるだろう。だが、それを差し引いても異様なほどの静寂が場を支配していた。
無鉄砲に立ち向かってきたチンピラがひとりいた程度で、闘戯も語るべきことがないほどに無味乾燥。結局、この気が逸った若者からは何の情報も得られなかった。
本命のギャングたちは痕跡ひとつも見せないまま、どこかに潜み続けている。
「過度に身構えるまでもなかった、のか――?」
あえて闘いを避けているのか。そんな疑念を抱きながら、彼女は目指す住宅地へと歩を進め続けた。
その姿を遠巻きに見つめる影があることには、当然気づく由もない。道路の両脇を固める建物、そのカーテン奥に潜む複数の目。監視を命じられた彼らは、彼女の行動を一瞬たりとも逃すことなく追いかけ、トランシーバー越しに伝えていた。
「ここか」
暫しの沈黙を破りカウスが声を上げる。ようやく辿り着いた団地にやはり人影はなかった。ギャングが占拠する場所とはいえ、こうも人の気配がないのは不穏極まりない。
(倒す相手がいないとなると、懲らしめるどころではないな。そもそも受けた際の情報が正しかったのか――)
この閑散とした状況から察するに、つい最近のことではないのかもしれない。とうにギャングたちは土地を放棄し、別の場所へと移ったのではないか。そうも考えられる。
不可解な状況に困惑しながらも、彼女は気を休めようとわずかに警戒を解いた。
その時、通りの奥から恰幅の良い大男が現れた。艶のある青味の肌と、四肢についたヒレ状の器官。同じくヒレのような耳たぶが側頭から伸びているのは、水棲の生物の特徴を持った獣人だからだろう。
半魚人とでもいうべき風体の男は、大きくギョロついた目でカウスを睨みつけた。
「おい、そこの鎧野郎。うちの縄張りに土足で踏み込みやがったな」
「偉そうなことを言える立場でもなかろう」
ドスの利いた声で威圧する男に対し、カウスは毅然と言い返した。
「貴様らは不法にこの地を奪い取り、横暴な支配を敷く不埒者と聞いている。その物言い、どうやら間違ってはいないようだな」
「あぁ? なんだぁテメェ、俺様相手に喧嘩腰か?」
「喧嘩ではない。正義の下に貴様らを成敗すると言ったのだ」
はっきりと告げる彼女。その瞬間、男はゲラゲラと下品な笑い声を立てた。
「成敗ぃ? おい、こいつぁ傑作だ、外見どころか中身までイカレ野郎ときた」
眼前で腹を抱える相手に、彼女は苛立ちを募らせた。
「――無礼者め」
槍を構える彼女。それを見るや、男は口端をいびつに歪ませた。
「おいお前ら! この騎士様は闘戯がやりてぇとよ!」
彼が叫ぶと同時、武装したギャングたちが彼女を取り囲むように現れる。近接武器だけではない、銃器持ちの要員まで揃えた大軍勢は、一斉に彼女へと切っ先を向けた。
「口じゃあ解決しねぇってわかってんのは利口だが……ちぃと数が足らなかったな」
手下から受け取った大柄の剣を担ぎ、ギャングのボスは愉快そうに笑う。
「確かに、これでは数が足らないな」
わずかな間を置いて、カウスは言葉に応じた。
後悔の念も、恐怖の色もない、淡々とした物言い。むしろ相手を煽るかのような口調で――。
「この程度の数ではまったくもって物足りない」
――そうはっきりと告げた。
「あ?」
「とはいえ、貴様らは掻き集めてこの戦力なのだろう? ならば仕方あるまい、存分に参られよ」
いっそう煽り立てるカウスに、今度はギャングたちが憤怒を覚える。
常識的に見れば自殺行為でしかない行い。にもかかわらず、彼女は平然とした表情で相手を見据えていた。
――もっとも、その顔は兜に覆われていたが。
「クソ野郎! 今すぐぶっ殺してやる!」
ことごとく殺意を向けるギャングたちと、討伐の意思を見せるカウス。両者の同意の下に闘戯は成立し、一帯を包む均衡結界はその姿を現す。
築かれたキリングフィールドの上、先に踏み出したのはギャングたちの方だった。
「テメェの武器じゃ振りがおせぇからなぁ!」
「先に懐入っちまえばこっちのもんよぉ!」
前後左右、四方を固めるように彼女へと殺到する。たとえ鎧を着込んでいるといっても、ひとたび動きを封じられてしまえば成す術などない。それを踏まえた上での同時近接突撃だった。
――が、定石どおりの目論みは、たったの一閃で容易く打ち払われた。
円を描くかのような軌道で、くるりと一周した穂先が軌道上の敵をまとめて弾き飛ばす。肋骨や背骨のひしゃげ、砕ける音を響かせながら、第一波が粉砕された。
「ふざけんなコラ!」
目の当たりにした現象を信じられずに、同じ要領でギャングたちが飛びかかろうとした。しかし、その結果もまた同様の惨状だった。
さらに数人の犠牲が加わり、動揺が広がっていく。そんな状況をかき消すように、ボスの声が一際大きく響いた。
「近づかなきゃいいんだよスカタンが! ぶっ放せ!!」
命令の通りに引き出されたガンマンたちが、彼女目掛けてトリガーを引く。しかし、そのことごとくは鎧に受け止められ、あるいは弾かれて効力を失った。
彼女の甲冑は軽量で強靭な合金板で作られたものなのだ。拳銃の弾程度では、貫くことなどほとんど不可能に近い。
「ダメだ! 俺たちの鉄砲じゃ効かねぇ!」
ガンマンたちの悲痛な叫びは、直後の突進とともに掻き消された。
並外れた怪力から繰り出された速度が、槍の破壊力に掛け合わされ暴威の奔流を生む。神速の突撃に轢き潰されたギャングたちは、結界の中にとびきりの断末魔を轟かせた。
「なんてクソッタレな野郎だ! こんなの、どうやって相手にすればいい!?」
「無理だぜこんなのは――があっ!!」
悪態と悲鳴と金属の衝突音がひとしきりこだまする。
もはや闘戯は互角な決闘の体など成していない。質量と鉄壁の暴虐が跳ね回り、縦横無尽に駆けて死を撒き散らす地獄絵図。それこそが、猪騎士――カウスの闘い方なのだ。
いつしか止んだ悲鳴に気づき、彼女はようやく足を止める。結界の中は槍に貫かれ、轢殺されたギャングたちで死屍累々の様相を呈していた。
「やれやれ……またやり過ぎてしまったな」
ひとり呟きを漏らした彼女は、穂先を地面に下ろした。
次の瞬間、極太の剣が足元を叩いた。カウスはとっさに飛び退き、攻撃の主を見やる。
「まだ生き残っていたか。しぶとい奴だ」
ほぼ無傷のまま、両手で大剣を手にしたギャングのボス。今となっては余裕の欠片もなく、憤怒のこもる表情を湛えこちらを睨みつけている。
無法者たちを纏め上げるだけあって、腕っ節も並のものではなかったらしい。
「馬鹿どもが、何の役にも立ちゃしねぇ」
唾を吐き捨て、彼は大剣を再び持ち上げた。そして、背丈ほどもある漆黒の鉄塊を軽々と掲げてカウスへと斬りかかる。刃はかざされた槍の穂を叩き、豪快に火花を散らした。
大得物同士による打ち合い。常人同士であれば数度も繰り返せはしないやり取りを、両者は細剣でも振り回すかのごとく重ねていく。衝突を幾度も轟かせ、響かせながら返される連戟は、互角の様相を見せていた。
「はあ――っ!」
「おらよぉっ――!!」
すさまじい打ち合いのあまり、互いの得物が軋みを上げる。いつ決着がつくとも伺えない、激しい剣戟。しかし打ち重ねるにつれ、カウスの槍捌きは男の剣筋を押さえ込み始めた。
息をつかせぬ攻防は一方的な攻勢へと転じ、打ち振るう軌道は両者入り乱れる様を大きく変じていく。
「この野郎ぉ――」
カウスの槍に翻弄されるがまま、男の剣が大きく揺らいた。その隙を逃さず打ち振るわれた穂先が、彼の手から得物を奪い去る。
「これで……終わりだ!」
防ぐ手段を失った彼へと、カウスは渾身の力をもって槍突く。だが、とどめの一撃は両掌に受け止められ、食い留められた。
「ぐっ……おおおおっ!!!!」
槍の穂を胸元にめり込ませながらも、動きを封じた彼が吠える。
得物を奪おうと握り締める手に阻まれ、カウスは身動きが取れなくなった。
「はあっ……はあっ……! こうなりゃテメェは何もできねぇだろうが!」
攻撃手段を完全に封じたことで、男はにやりと笑いを浮かべた。
槍という得物は、勢いと間合いなくして立ち回ることはできない。しかも、彼女が持つのは重厚長大な馬上槍。本来駆ける馬の速力に威力とスピードを委ねるものなのだ。彼女の並外れた剛力がないものを補ってこそいたが、こうして振り回せないほど距離を詰めてしまえばどうしようもない。
もはや自ら得物を手放す以外、選択肢のない彼女を男は嘲笑っていた。
「負けを認めろクソ野郎! 散々暴れまわったが、もうテメェに勝ちの目はねぇぞ!」
高々と宣言する相手を、カウスは黙って見据える。
確かに、このままでは前進も後退もままならないだろう。――そう、本来であれば。
「そうか」
嘲笑に淡々と応じた彼女は、槍に手をかけたまま前へと大きく足を踏み出した。相手が蹴れば当たりそうな距離まで足をかけながら、柄を握る両手に力を込める。
「何もできない、そう見えたか」
引き寄せるように槍を押し出しながら、彼女は一際強く地面を踏み締めた。
至近距離での踏み込み。その勢いのままに相手を突き上げ、大地から両足を引き剥がす。
一転して驚きの表情へと変わった男を、カウスは更なる踏み込みを重ね突き飛ばした。
「んなっ――がぁっ!」
壁に叩き付けられた彼を穂先が穿つ。背後まで刺し貫かれた槍は、その胸部をことごとく破壊していた。
「侮ったな。多少はやると思ったが、やはり所詮は悪党か」
絶命の痙攣に体を揺らすギャングのボス。その無残な姿を前に、彼女は冷淡な呟きを漏らす。
彼女が壁から槍を引き抜くと同時、闘戯は終結する。
そして結界は、凄惨さだけが残る戦場を元の団地の姿へと再び変じさせ始めた。