三重の旅
「山岡さん、じゃあ銀歯をはめてみますね」出来たてホヤホヤの銀。
「はい」
「じゃあ口を開けてください」
「あい」
「よっと!はい、噛んでみてどうですか?」
「ん、ちょっと違和感がありますね」
「そうですか。一度外して高さを調整しますね」
「あい」
「はずしますよ・・よっと!」
ジイー、ジイー・・こんなもんかな。
「じゃあはめますよ、よっと!」
「ん・・」
「ちょっと噛み合わせてみてどうですか?」
「ん?まだちょっと・・」
「こんどはこれを噛んガリガリしてください」
「ガリガリっ」
「はい、いいですよ。よっと!」
こことここね!よし・・ジイー、ジイー。
やっと山岡さんのOKが出て、ただいま銀歯を接着中。
山岡まきさん、32才、独身。アパレル関係の仕事をしているらしい。さすがに着ている洋服も流行を先取りって感じがしてすごくステキなんだけど、ちょっと化粧がキツイんだよなあ。その彼女が今日、初めて銀歯を左上奥歯に入れたのだった。
「山岡さん、じゃあ口を開けてください」
「あい」
「入れた歯の周りをキレイにしていきますね。ちょっとガリガリしますよ」
「・・・」
私ははみ出した接着剤を、丁寧に削り落としていった。しかし、ガッチリ固まってなかなか取れない部分もある。こんなときは力任せで・・
「あっ!」
「ん?」
しまった!削りとった破片が、喉の奥に落っこちちゃった。
「山岡さん、そのままでいてくださいね。唾とか飲み込まないで!」
「えっ?・・ゴクン!・・何ですか」
「あっ、いや、なんでもないです」
飲んじゃった・・か。
「はい、いいですよ。口をゆすいでください」
「・・ブクブクブク、ぺっ!」
「お疲れさまでした」
「ちょっと鏡ありますか?」
「あっはい」
「ん・・大丈夫そうね。あんまり目立たないわ!」
「奥歯ですからね、笑顔を見せたくらいではわかりませんよ」
「にっ!」・・写真を撮るときみたいに『にっ!』とする山岡さん。
山岡さん、飲み込んだ塊は、明日あたりお尻から出てきます。心配しないで!
「お疲れさん」
「あっ院長先生、お疲れさまです」
「寿さんはこの3連休、どこかいくのかね?」
「お友だちとちょっと旅行を・・」
「そう、たった3日間しか休みがなくて申し訳ないが」
「いえ」
「大いに楽しんできてください」
「はい、ありがとうございます。院長先生は、やっぱり家族サービスですか?」
「かみさんの実家に里帰りだ」
「奥さまは確か新潟でしたね!」
「ああ」
「院長先生、お先に失礼します」
「はい、お疲れさーん」
「寿さん、三重のお土産期待してますね!」
「私もでーす」
さすが地獄耳!千穂ちゃんも瑞希ちゃんももう知ってるのか。
「どうやら行き先は三重県のようだね」
「はあ・・」
「じゃあ失礼するよ。気を付けて行ってきてね旅行」
「はい・・お疲れ様です」
「お疲れ理沙」
「お疲れ」
「今日も自転車通勤?」
「うん」
「よく続くわね!」
「まあーね」
「じゃあ先に帰るわよ」
「うん、彼氏のこと頑張ってねルミ!」
「うん、そっちもね!」
そして私は駐輪場へ出た。するとまだ龍崎先生の自転車がそこにあった。ということは、まだ男子休憩室にいるんだ。
私はスマホを取りだし、龍崎先生を指で押し、ワンコールで通話を終了した。
するとすぐに先生から着信が。
「もしもし」
「寿さん、今どこ?」
「クリニックの駐輪場です」
「そう、今からすぐ行く!」
と先生は、スマホの電源も切らずに、私の前にあっという間に現れた。
「お待たせ!」
「先生、もう電話でなくても聞こえますよ!」
「あっ・・」
そこで慌ててスマホの電源を切る先生。
「さあ、帰ろうか」
「ええ」
そして私たちは自転車を走らせた。
「龍崎先生!」
「なんだい?」
「明日ですね!三重の旅」
「うん」
「もう準備は出来てるんですか?」
「まだ!」
「まだって、明日、早いですよ出発」
「今日中に何とかするよ」
「ホントに大丈夫なんですか?」
「大丈夫だよ!寿さんこそ寝坊しないでね」
「私はもう準備出来てますから」
「早いね」
「これが当たり前だと思いますけど」
「そう」
「じゃあ、明日迎えに来るから!」
「はい!」
「おやすみ」
「おかすみなさい」
♪ララ・ランランランラン、ララ・ランランランラン・・。
嬉しさのあまり、勝手に唇が音楽を奏でている。作曲はもちろん私。
私は早速シャワーを浴び、鏡の前に立ちお腹の肉をつまんだ。
うん!1週間前より、かなりひき締まった感じね!
大好きなお酒を断ちスイーツも断ち、炭水化物を控え自転車で通勤。恋の力ってスゴい!
♪明日私は旅に出ます、龍崎真司と駿くんと・・・春は過ぎた三重の空♪
ん?何だっけこの歌。お母さんがよく歌ってた・・あずさ4号だった・・かな。
そして5月3日、ついにその日はやって来た!
「駿、準備はいいか?」
「いいよ!」
「じゃあ出発だ!」
「おー!」
グルグルプスッ、グルグルプスッ・・。
「パパ、どうしたの?」
「エンジンがかからないんだ」
「えー」
「しばらく動かしてなかったからな。バッテリーが上がっちゃったみたいだ」
「じゃあどうするの!?」
「ん・・JAF を呼ぶしかないなあ」
「駿、お姉さんに電話して1時間くらい遅れるって言っといてくれないか」
「パパが言えばいいじゃん!?」
「こういう場合は駿がいいの!」
「わかった」
「もしもし」
「あっ理沙お姉さん」
「駿くん、もう着いちゃったの?」
「違うんだ。実はね・・」
バッテリーがね。そういえば龍崎先生もこのところ自転車通勤だったもんな。それにあのBMW 中古だって言ってたっけ・・。
仕方ない。私から乗り込むか!
そして私は、いつもとは反対方向に自転車を向けた。
ふうっ、やっと着いたわ。
チリンチリン
「あっ!理沙お姉さん。パパ、理沙お姉さんだよ」
「おはよう駿くん!」
「寿さん!?」
「待ちくたびれて来ちゃいました!」
「すみません、こんなときに・・」
「JAF はまだなんですか?」
「もう来るはずなんですけど」
そしてJAF 到着!
なんかへんてこりんな機械を車に繋いで・・ブルブルブウー!
無事エンジンがかかったみたい。
「お待たせしました!」
「非常に、お待ちしてました」
「寿さん・・」先生の困った顔。
「嘘ですよ。さあ行きましょう!」
「出発!」青空に駿くんの声が響いた。
「まずスタンドに寄りますね」
「はい。駿くん、お菓子買ってきたよ」
「パパ、食べていい?」
「いいよ!」
「イエー」
先生はスタンドで、ガソリンを満タンにして、タイヤの空気圧を調整した。きちんとしてるんだね先生。
私は自販機でジュースを購入!
「寿さん」
「あっ、ちょっと待ってください。私、提案があるんですけど・・」
「提案って?」
「この旅行の間は、お互いを下の名前で呼ぶんです!」
「ええー」
「嫌ですか?」
「そうではないですけど」
「じゃあ、先生、呼んでみてください!」
「僕から!?」
「男なら潔く呼んでみたまえ!」
「ん・・理沙」
「先生、いきなり呼び捨てですか!?」・・こういうのには段階っていうのありますよね。
「ああそうでした・・理沙さん」
「はい、良くできました」
「はい、良くできました!」
「こら、駿、大人をからかうな」
「じゃあ次、お姉さんの番だよ!」
「いや、私は徐々にそう呼ぶようにするわ」そっか、私も下の名前で呼ばないとだよね。でも、やっぱ照れ臭いね。
「ん、それってずるくない?」
「ずるいずるい!」私、責められてる?
「じゃあ・・真司くん」
「真司くんはおかしいでしょ!僕の方が歳上なんだから」
「そうでした。じゃあ・・真司さん」・・キャー呼んじゃった!
「よろしい!」
「よろしい!」
「こら、駿くん!」
「へへぇ」
「で真司さん、何ですか?」
「何ですかって、何ですか?理沙さん」
「さっき話しかけてきたじゃないですか」
「ああ、もう忘れちゃいました」
「・・・・」
「IC から東名に乗りますよ!」
「はーい!」
駿くんが隣にいると、ついそんな言葉遣いになってしまう。今日は二人ならんで後ろの席。バックミラーに映る先生の顔、いや、真司さんの顔、真剣でカッコイイよ。
「駿、トイレに行きたくなったら早めに言ってくれよ」
「うん、わかった」
「やっぱりだんだん混んできましたね」
「そうだね」
「何時間ぐらいかかりそうですか?」
「カーナビの予想だと7時間ってとこかな」
「えっ、そんなに!真司さん、疲れちゃいますね」
「その時は運転代わってもらおうかな」
「ペーパードライバーの私にですか?それは無理な相談です。新幹線の方がよかったかな?」
「今更・・そんな」
「真司さん、帰りもこんなに混むんですか?」
「おそらく、そうだと思うけど」
「じゃあ、私と駿くんは新幹線で帰ろうかなあ・・」
「えっ?」
「寂しいですか?真司さん」
「いや、それより心配だな!ちゃんと帰れるかが」
「誰がですか?」
「もちろん君と駿がさ!」
「ひどーい!駿くん、パパがお姉さんのこといじめるのよ」
「パパ、ダメだよ!女の子をいじめたら」
「はあーい、ごめんなさい」
「ごめんなさいだって、お姉さん」
「うん、じゃあ許してあげる」
そしてバックミラーを覗くと、なんとも愛らしい真司さんの顔が!
そして車は 伊勢湾岸自動車道を通り四日市に入った。途中SA でご飯を食べたせいか、急に眠気に襲われ、私と駿くんはすっかり夢の中に・・。
ドのくらい眠っちゃったのだろう?私は真司さんの声で目をさました。
「理沙さん、理沙さん!」
「ううーっ」
「ほら、ここも海がきれいだよ!」
「あーあ、海!・・」
隣を見ると、まだ駿くんはぐっすり!私は信号待ちの間に、一旦外に出て助手席へと移った!
「やっぱり、ここからの眺めが落ち着くな!前も左横も」
「そこはきみの指定席だもんね!」
「はい!」
そしてようやく、私たちの乗ったBMW は☆☆邸の駐車場に滑り込んだのだった!