バツイチがやって来た
電車がいつもより混んでるなあ・・。車内はぎゅうぎゅう詰めで、こんな日は朝から気が滅入ってしまう。私が利用してるのは都営三田線。なんで今日はこんなに人が多いんだろう・・。
なんだか重ーい気分で職場につくと
「おはよう理沙」
「あっルミ、おはよう。どうしたのそんなに疲れた顔して?」
「電車がギューギューでさあ」
「今日から4月だものねー」
「あっそうかあ」
そういえば新入社員らしき若者を何人か見たな!今日から社会人デビューなんだね。
私はこの歯科医院に入って何年目だったけ・・?
私は寿理沙、29才、独身。仕事は歯科衛生士。
「ねえ理沙、今日からうちの歯科医院にも新しいドクターが来るんだよね!」
話しかけてきたのは同僚の山崎ルミ。29才、独身。
「桜井くんみたいなカッコいいドクターだといいなあ」
「桜井くんって嵐の?」
「うん!もちろんよ」
「それは期待しすぎでしょ」
「そうかなあ」
「どうせ妻子持ちよ」
「うんん、独身よ!バツイチだって。年齢は32才」
「やけに詳しいじゃないルミ!」
「まーね」
そして院長が現れ
「えー皆さん注目してください。今日から、先日お辞めになった山田先生の代わりに、うちのクリニックに勤務してくださる龍崎先生を紹介します。先生どうぞ」
「皆さんおはようございます。今日からこちらでお世話になることになった龍崎真司と言います。宜しくお願いします」
「来たー!私のストライクゾーン」
「ルミ、声が大きい!」
「それと・・」
突然先生の背後から現れた謎の少年。
「はじめまして!龍崎駿でーす」
「なんだ?」
「どこのガキだ?」
「今、龍崎って言ったけど」
「あの、ボクはどこから来たの?」
「あっすみません!僕の息子です」
「息子?」
「理沙、理解できた!?」
「微妙・・かな」
「実は僕バツイチで、子供は僕が面倒をみてて、4月から小学生なんですけど、今ちょうど春休みでして・・」
「龍崎先生に限らず、誰にでも家庭の事情っていうのがあるものだ。ちょうどいい機会だ!社会科見学ってことで宜しく頼むよ」
「頼むって?」
「手の空いてるものが、駿君の面倒をみてやってくれ」
「駿、お願いしますは!」
「宜しくお願いします」
「お願いしますって・・」
「先生には直ぐ診療にはいっていただくから、寿君、しばらく頼むぞ!」
「はっ!?私ですか」
「そうだ」
「はーい」私は仕方なくそう返事をした。
「寿さん、すみません」
「いえいえ、困ったときはお互い様ですから」
「おばちゃん、ヨロシクね!」おばちゃんですって!?
「くくくくくっ、おばちゃんだってさ」
「あのね駿君、私はお姉さんです。まだ20才台なんですから」
「あっすみません」
申し訳なさそうなそぶりの龍崎先生。
「駿、ごめんなさいは」
「ごめんなさーい。じゃあお姉さん、お姉さん下の名前は?」
「理沙だけど」
「じゃあ理沙お姉さんだ!」
何で私がこんな子供の面倒をみなくちゃいけないのよ。そもそも何で奥さんと離婚してバツイチなのよ。で何で歯科医院に子供を連れてくるの!?
あーあ。
朝から満員電車でギューギューで疲れてるところにこれだもんなあ。今日は厄日だわ!
「じゃあ駿君は女子休憩室に連れていきますね」
「お願いします。駿、理沙お姉さんの言うこと、ちゃんと聞くんだぞ!」
「うん、わかってるよ」
私は2年間も学校に通い、一生懸命に勉強をして、念願の歯科衛生士の資格を取った。そして厳しい就職活動を経て、やっとの思いでこの歯科医院に就職できた。
そしてスキルをみがき、一人前の歯科衛生士になるって頑張ってきたのに・・神様、これはいったいどういうことですか!?
「はい、ここですよ。お昼寝してもいいし、お菓子を食べてもいいわよ」
「ねえ、ゲームは?やっていい」
「いいけど」
「やった!よいしょっと・・」
駿君は背中に背負っていたリュックを下ろした。
「リュックパンパンだね。何が入ってるの?」
「色々だよ。本でしょ、ゲームでしょ、お菓子でしょ、あとお弁当」
「お弁当!?」
「うん、パパが作ってくれたんだ!」
「そう」
意外とまめなんだ!龍崎先生って。
駿君はゲームに夢中だ。
私は別に読みたくもない雑誌をめくったり、スマホをいじったり。
すると
コンコンと誰かがドアをノックしてきた。
「はあーい」
「理沙、ご指名の患者さんよ!」
ルミだ。私はドアを開けた。
「ご指名の患者さん?」
「いつものおじちゃんよ、歯垢取りの」
なんとなく想像はつくけど。
「何で私なのよ!?」
「だから、寿さんにお願いしたいって。今度は私が駿君の面倒みるからさ」
なんかそれズルくないか!
「わかったわよ」
「駿君、今度はルミお姉さんと遊ぼうね」
「いいよ!」
「じゃあ駿君お願いね」
「OK任せて!」
診療室に行くと、すでに3番の診察室の椅子にそのおじちゃんは腰かけていた。
「寿君、来てくれたかね。宜しく頼むよ。あの患者さんには強く出れなくてね」
「院長、なにか弱味でも握られてるんですか?」
「まあそんなとこかな」
やっぱり今日は厄日だ。
「お待たせしました。加藤さん、今日も歯のクリーニングでよろしいですか!」
「はい。お願いしますね寿さん」
うわタバコ臭い!来るんだったら歯くらい磨いてきてよね。
「あのー」
「なんですか?」
「今日は私が担当しますけど、次回からはわかりませんから!」
「おや、どうしてですか」
「この医院は指名とか出来ないんです。銀座のお店じゃないんですから」
「そんなふうに言われると寂しいな」
「仕方ありません!では始めますから目隠ししますね、口を大きく開けてください」
「今日は目隠し無しじゃダメかね・・」
「ダメです!」
「はい口を開けて」
「あーん」
いちいち「あーん」なんて声に出すな!それにもうこんなにヤニがたまってるわ。いったい1日何本タバコ吸ってるのよ。
「じゃあ、超音波いきますよ」
「続いてブラッシングです」
とその時、目の上にのせてるタオルが微妙に動いてることに気がついた。しばらく観察していると、加藤のおじちゃんは、顔の筋肉をフルに使って、タオルを動かしているではないか!私を近くから覗こうとするいやらしい行動ね 。
ああもう。
その行為をなんとかしようと、私は使い捨てマスクを取りだし、タオルの上からしっかりとおさえ、ゴムを頭の後ろにまわし固定してやった。これでタオルは動かないはず。
「はい終わりましたよ」
そう言って私は目隠しを外した。
「あー眩しい!」
加藤のおじちゃん、暗闇からの生還はいかが?!
「加藤さん、歯のクリーニングはこんなに頻繁にしなくてもいいんですよ。3ヶ月に1度くらいで」
「いや、私はタバコを吸うからね、2~3週間に1度くらいがベストなんだよ」
「減らせないんですかタバコ?」
「無理だ」
「もう、でも次回は私じゃないですからね!」
ふうっ、やっと帰ったか。
加藤のおじちゃんは、診療が終わってもなかなか帰ろうとせず、受付の瑞希ちゃんとずーっと話し込んでいたのだ。
「寿さん、お疲れさま」
「龍崎先生」
「お昼休憩入っていいって言われたので、駿は僕が」
「あっはい。あのー先生」
「はい、何か?」
「駿君のお弁当!」
「あーあ、意外と好きなんですよ料理するの」
「そうですか」
私はいつもコンビニ弁当か、近くのお弁当屋さんの幕の内。たまあーにルミと定食屋にいく。自分でお弁当なんて作ったことないなあ。お弁当って、やっぱり誰かのために作るものだもんね!
「今日は龍崎先生の歓迎会をやろうと思うんだが、みんな予定はどんなかな?」
「歓迎会って院長、駿君はどうするんですか」
「もちろん一緒だよ。まあ駿君の歓迎会でもあるからね」
結局全員参加ということで
「でも、子供がいるとパーっと派手に飲めないよね」
「ルミ、あなたのその理性、どこまで持つかしらね?!」
私のつたない歯科衛生士の経験からすると、龍崎先生の歯科医としての腕は確かのようだ!
性格も人当たりも良さそうだし、顔はまあ普通かな。ルミは私のストライクゾーンなんて言ってたけど。
今日の診療も終わり、いよいよ歓迎会の場所に移動することになった。
それぞれが私服に着替え玄関に集合。
「理沙お姉さんもルミお姉さんも、髪の毛がすごく長いんだね」
「どう!?いい女でしょ」
「ルミ、駿君に向かってなに言ってるの」
「いやあホントですよ。髪を下ろしたら雰囲気変わりますね!」
「ルミの場合、お化粧も勝負化粧だもんね」
うちのクリニックはドクターが3人、歯科衛生士が3人、受付嬢が2人、歯科助手が1人の合計9人でやりくりしている。
ドクターは他に本田先生、肩書は副院長、40才、妻子持ち。
歯科衛生士は私とルミのほかに、佐々木さん、40才、独身。
受付は瑞希ちゃんの他に千穂ちゃん。二人ともわたしより若い。
あとは歯科助手の栗山さん。
私たちは3台のタクシーに乗り込み、赤坂にある○○飯店に向かった。
なかなか高級感のあるお店だ。とても友達同士では来れそうもないわね。
ひとつの大きな丸いテーブルにちょうど10席、私たちは腰を下ろした。
くるくる回るテーブルに、駿君は興味津々。
ルミはちゃっかり龍崎先生の右隣を陣取っている。私は先生の左側で、間には駿君が座ってる。
大人たちはビールで、駿君はコーラで乾杯。
冷菜盛り合わせから始まり、海老のチリソース、鶏肉とカシューナッツ炒め、餃子に春巻き、小籠包・・。
おまけにフカヒレスープ。この上ない贅沢な料理の数々。幸せとはこの事を言うんだよね!
「それで龍崎先生は何で離婚しちゃったんですか?」
「こらルミ!駿君が居るのよ」
ルミはさっきから紹興酒をぐいぐいいってる。なにがパーっと派手に飲めないよねだ。
そういえば駿君左利きなんだ。さっきから駿君の左腕が、私の右腕にぶつかってくる。
もしや先生も・・?
あっ左利きだ。今まで気がかなかったなあ。
「龍崎先生も駿君も左利きなんですね」
「あーあ、箸だけは直らなくてね。鉛筆とか仕事では右手を使うんだけど」
なるほど。だから気がつかなかったのね。
「駿君の左利きはお父さんの遺伝ですね」
「そうかもしれないな。駿は字も左だから」
延長してもらって、たっぷり3時間はいただろう。そんな歓迎会もお開きの時間がきて。
ルミは・・ああ、やっぱり眠ってるよ。
「山崎さん大丈夫ですかね」
「いつものことです。ほっといていいですよ」
とは言ってもこのまま帰るわけにはいかず。面倒みるのは私なんだよなあ。
「ありゃ、山崎君はいつものようにおねんねか。じゃあ二次会は無理だな」
「あと二次会に行くものは?龍崎先生は二次会は」
「すみません、子供がいるもので」
「ああそうでしたね」
「仕方ない、私はルミを送り届けるとするか」
「タクシー呼びましょう。ルミさん家はどっち方面ですか」
「ルミは中目黒です」
「わかりました」
ほどなくしてタクシーがお店の前についた。
「ほらルミ、しっかりして!」
「うー、うー、」
「ダメだこりゃ!」
「僕がおぶりましょう」
「すみません、じゃあお願いして・・」
ルミはいっこうに目を覚ますことなく、龍崎先生にタクシーの後部座席に担ぎ込まれた。
「僕らも一緒に乗っていきますよ。タクシー降りてからも大変でしょ」
「でも、そんなご迷惑を・・」
「僕らだったら構いませんよ!なあ駿」
「うん」
「ではお言葉に甘えて」
「はい、任せてください」
タクシーはあと2~3分程でルミの住む賃貸マンションに到着しそうだ。いつの間にか駿君も夢の世界。
「駿君、眠っちゃいましたね」
「あっ、ご迷惑じゃないですか?」
「いえ、全然」
そう言ってバックミラーを覗きこむ先生と目が合った。
駿君は私に体重をあずけている。
そしてタクシーはウインカーをだし、道端に停車した。
「駿!起きなさい」
「シーっ!駿君は私がおんぶしますよ」
「えっ、意外と重いですよ」
「大丈夫です」
大丈夫とは言ったものの、眠り込んでる人間は、たとえ子供でもそれはそれは重たいのなんの!
そして私たちはエレベータに乗り込んだ。ルミの部屋は4階だ。
「ん?どうしたんだっけ・・」
「あっルミ、目が覚めた?!」
部屋の前まで来たところで、ルミは寝ぼけながら目をさました。
「山崎さん、着きましたよ」
「あっ!」
先生の言葉に、やっと今自分がおかれている状況を把握したようで。
「龍崎先生?!」
「あーあ、すみません。私降ります」
「大丈夫?」
「はい平気です」
先生はゆっくりとルミを背中からおろしてみる。
「おっととっ」
よろけながらもなんとか立てたようで。
「ルミ、部屋の鍵はある?」
「うん」
ルミは鞄から鍵を取り出すと、それを鍵穴に差し込みドアを開けた。
「じゃあ私はこれで、サヨナラ!」
「あっルミ!」
ルミはそれだけ言うと、そそくさと部屋の中に潜り込み鍵を掛けてしまった。
「もう、ルミったら」
「でもなんとか送り届けられましたね」
「本当にありがとうございました」
「いえ、あっじゃあ駿は僕が。重かったでしょ・・」
「お願いします」
「寿さん、お家はどちらですか」
「私は板橋です」
「えっ偶然、僕らも板橋です」
「えっ!」
「良かった、同じタクシーに乗れますね」
「はい」
先生と同じタクシーで帰れるのは嬉しいけど、あんな狭い空間で、しかも今日初めてあった男の人と、1時間近くも何を話せばいいっていうの。眠ったふりなんて出来ないし。せめて駿君が起きていてくれたらいいんだけど。
先生はタクシーに手を挙げながら私に聞いてきた。
「寿さん、家は板橋のどこ?」
「区役所前です」
「じゃあ都営三田線!?」
「はい」
そしてさっきとは違う1台のタクシーが、ウインカーを点滅させながら私たちの前で停車した。
タクシーの後部座席に先生が先に乗り込み、私はあとに続いた。
「板橋区役所まで」
先生は運転手に私の住所を告げた。
「よいしょっと。重くなったな駿のやつ」
そう言って駿君は私と先生の間に。
「可愛いですね」
「ありがとうございます。でも今、反抗期なんですよ」
「そうですか」
「三田線って結構混むんじゃないですか通勤」
「ええ、今朝なんかホント最悪で、ギューギューでした、新入社員で」
「ああなるほど」
「女性に聞くのはいけないのかも知れませんが、寿さんっておいくつなんですか?」
「えっ、それ聞きますか」
「いや、ちょっと聞いてみたくなっただけで。こたえなくっていいですよ」
「29才です」
「あっ、こたえちゃいましたね」
「別に隠しても仕方ないですから」
「むぎゃむぎゃむごゃぷー」
急に何語だかわからない言葉を発して、駿君が私の方に寄りかかってきた。
「あっ、すみません」
「構いませんよ。私のお肉がよっぽど気持ちいいんですね」
「えっ?!そうかもですね」
「先生、そこは否定してください」
「あっそうでした」
「ふっ・・ふふふっ」
なんか嫌だなあと思っていた先生とのタクシーの中でのひととき、おもいのほか会話が弾んで、あっという間に私の家の前にタクシーは到着した。
「ありがとうございました」
「いえ、こちらこそ」
「先生はどちらまで?」
「あと5分程で着いちゃいます」
「わかりました。じゃあお気を付けて」
「また明日クリニックで!」
「もう明日じゃなくて今日ですけどね」
「そうでした」
そして先生を乗せたタクシーは、次の角を右折して見えなくなった。
ふうっ!やっと1日が終わった。でもなんか楽しい1日だったな!
さあ、シャワーでも浴びて早く寝なくちゃ。私は早足で玄関に向かった。
龍崎先生かあ・・。