90.鯖折り未遂
こうして着々と、凄まじい勢いで勇者様の黒歴史が積み上げられていきます。
たったの、一日(作中時間)で。
物語の中の、この数日。
怒涛の勢いで勇者様が不憫様状態ですが、濃密過ぎるでしょうか…?
魔王兄妹+による見事な連携により、侵入者さんを問題なく捕獲!
「殿下が萎縮する。ずっと怯え続けるから、さっさと連れて行け」
冷たく見下す侮蔑の瞳で、オーレリアスさんが仰せです。
指令を受けたシズリスさんは、重々しく一つ頷き。
「なるべく遠い部屋で尋問している」
「これをつれていけ」
そう言って、オーレリアスさんがそっと渡したのは…
「きゅん!」
一匹の、子犬。
うん、どこから出したんですか。
垂れ耳の、茶色い子犬ちゃん。
それを真面目な顔で受け渡す男と、受け取る男。
変な光景に思えるのは、気のせいですか?
「此方で何かあった時には、このロットバルトを召喚する。
子犬が光とともに消えたら、その時はすぐに戻ってくれよ」
「ああ、わかった。よろしくな、ロットバルト!」
子犬は呼び出しベルの代わりですか。
真剣な顔で、何をやっているのこの男二人は…。
こうして、ミリエラさんはシズリスさんによって、何処かへと連れて行かれました。
今もって、投網でぐるぐる巻きのまま。
勇者様の心の平安の為、しっかり絞ってね、シズリスさん!
――さて、嵐さんは消えた訳ですが。
凄まじい勢いでいきなり現れ、同じくらいの勢い退場しちゃった嵐さん。
だけど彼女の登場が、私達の行き詰っていた状況に変化をもたらしました。
「……………うー…」
「ゆ、勇者様……?」
きゅう、と。
勇者様が私の背中に腕を回して、抱き付いてきている訳ですが。
これ一体、なにごと?
どんな状況なのか、我ながら良くわかりません。
ぎゅっと目を瞑り、ふるふる震えながら。
明らかに怖がっている様子の勇者様。
それが、私に強く腕を回してすがり付いている状態です。
この幼児退行状態の勇者様が、私に…?
「どう言ったらいいのか、わかりませんが…勇者様、私、女の子ですよ?」
「う、うぅっく…ひん………」
「………ああ、そんなに怖かったんですか」
ミリエラさんが。
どうやら本気で勇者様に危機感をもたらしたらしい、ミリエラさん。
その存在が、勇者様の色々な心的垣根を吹っ飛ばしたようで。
これが一時的なことか、持続的なことかはわかりませんが。
ミリエラさんへの恐怖が強すぎて、他への恐怖が薄れたのか、吹っ飛んだのか。
先に勇者様を抱きしめたのは、私なので。
私からどうこうと、言うことはできませんが。
勇者様のあまりに大きな変化。
その分だけ、心に負担がかかっているのではないかと心配になります。
それとも怖い思いをしているのを宥めようと、抱きしめた効果が出たんでしょうか。
私も冷静になって振り返ってみれば、随分と酷で無茶なことをしてしまったような…。
抱きしめて落ち着かせようとした行動も、無駄じゃなかったんでしょうか。
今思えばむしろマイナス効果が出そうな行動だったので、私は助かりましたが。
勇者様が錯乱した、寝台の上。
よく見たら、テディベアたんが寝台の上で、仰向けに。
大の字状態で虚空へと空ろな瞳を向けています。
…なんか、死体みたいにごろりと。
ロロイがそろそろと、勇者様を刺激しないように寄って来て。
私の胴体に泣きながら縋りつく勇者様に、さり気無く舌打ちを…
うん、ロロ君ってば行儀悪い。
今の勇者様が女の子に接近しているだけでも驚きです。
そこを抱きついてきているのだから、更に驚きです。
ロロイも、不可解とばかりにむぅっと口を曲げて不服な様子。
縋りつく物が手元にないので、私を代用品にしていると思ったのか。
ロロイが大きすぎるテディ君を両腕で抱えあげました。
ひょこひょこと動かしながら勇者様の視界に入る位置でチラチラさせていますが。
残念! 勇者様の目には入っていない様子!
そりゃあね、目をぎゅっと瞑っているからね!
むしろロロイのその行動が可愛く見えて、私の方が釘付けです。
「勇者さん、勇者さん、くまたんだよー…」
「みぃぃ…っ」
「ちっ…駄目か」
効果がないと判断したロロイ………って、ちょっとぉ!?
ろ、ロロイってば…っ
寝台側の床に投げつけられたテディ君が、だらりと四肢を投げ出していました。
まさに打ち捨てられた人形という風情で、見るからに可哀想…。
そして熊で駄目なら次はこれと、言わんばかりに。
どこから持ってきたの…?
近くに特大のぬいぐるみさんを集めた部屋でもあるんでしょうか…
ロロイが、どこかからまた大きな人形を持ってきたのです。
…あれは、こけこっこ?
丸々ふっくらした、特大ボールみたいなシルエットの雄鶏のぬいぐるみ。
つぶらな瞳が、中々泣ける…。
ロロイがこけこっこを両腕に抱えて、ぴょこぴょこと動かします。
まだ華奢なところのある少年が、腕に余る縫いぐるみを愛らしく躍らせている姿…
………笑ったら、傷つくかな(笑)
本人が真面目な顔をしている分、なんだか傍目に笑えます。
今は我慢、我慢だよ我慢…頑張れ、私の腹筋さん。
いつの間にか復活したへらへら笑いのサルファも、それに加わって。
奴の腕には、特大うさぎさん。
片手で耳を持ち、ぴこぴこと動かします。
そんなサルファに、ロロイがちょっと嫌そうな横目を向けて。
「きゃあ! にわとりさん、うさぎしゃんですの! ぬいぐるみちゃんですのー!」
そして、せっちゃんの歓声に不満をかき消されました。
勇者様は相変わらず頑な。
私の体をぬいぐるみの代わりみたいにぎゅっとして、目すら開けませんが。
…まあ、予想はしていました。
そう、ぬいぐるみを抱えるロロイと、サルファを見た時点で。
狙いとは別の方…せっちゃんが、大喜びするだろうなと。
自分が兎にでもなったかのよーに、ぴょんぴょん跳ねるうさうさせっちゃん。
うん、もう大喜び。
「あ、主様! 私も、私も!」
そんなせっちゃんの様子を見たリリフが、頬を高潮させて参戦を表明。
更にせっちゃんを喜ばせようと思ってか、行動を開始!
どこから持ってきた物か、その手には巨大な猟虎のぬいぐるみ。
何故、猟虎…
西の方じゃ珍しい動物だと思うんですけど…
そんな生き物のぬいぐるみ、どこから持ってきたのやら。
ぬいぐるみを勇者様ではなく、せっちゃんに対して踊らせるリリフ。
…うん、お腹の帆立貝が光ってるね、リリフ。
「みんな、そのぬいぐるみ何処から…?」
一体何処から、そんなに大きなぬいぐるみばかり調達してきたというんでしょうか。
どう考えても、近場に調達場所があるとしか思えません。
「………そういえば、殿下が幼い頃に使用していた品々を収めた納戸が近くに」
「言われてみれば、見たことのある人形ばかりだね」
なるほど、納得。
問題は解決しましたが、どうりで良い人形ばかりだと…
さすが王子様に与えられた玩具。
出来栄えも質も、物凄くクオリティの高い人形ばかりです。
…でも男の子の玩具に、こんなにぬいぐるみが沢山あるのは何故?
今の活発で活動的な姿を見ていると、意外なんですが。
もしかして子供の頃は人形遊びをしているような大人しい子供だったんでしょうか。
でもその割には綺麗な…遊んだ形跡の少ない人形ばかり。
大事に使ってたのかな?
――ぬいぐるみの類は王妃様の趣味だと、後に発覚しましたが。
この時は本気で意味がわかりませんでした。
室内いっぱい、ぎゅうぎゅう詰めにする勢いで。
ぬいぐるみの海があるよ ――と。
その言葉に、せっちゃんが誘い出されました。
「おにーんぎょーうさんっ お人形さん♪ 今すぐ会いに行きますの!」
大喜びのせっちゃんが、其処に行きたいと強請みます。
「おー…せっちゃん、お人形さんに会いに行きてぇのか?」
「はいですの! 会いに行きたいですの」
「………んじゃ、こっちは良いから行って来い。リリフ、頼むわ」
「お任せくださいませ! 主様のことは、私が身命に賭しましてもお守りいたしますわ」
「真竜が命を賭けなきゃなんねぇような危険があったら怖ぇなぁ」
くくっと喉を鳴らすような笑みを、少女達に向けて。
軽く二人の頭を撫でてから、まぁちゃんがせっちゃん達を見送ります。
その、温かくて穏やかな笑み…が。
せっちゃん達がドアの向こうに消え、姿が見えなくなってから。
一瞬という僅かな時間で、急速に冷えわたりました。
「――さて」
その凍えた瞳が見下ろすのは、私………
…ではなく、私を抱きしめるようにしがみ付く、絶賛精神年齢お子ちゃまの勇者様で。
「待って、まぁちゃん! 何をしたいのかは計りかねるけど、中身お子様の相手に大人気ない行動は駄目だと思う! この色々と可哀想な勇者様は、同情に値する相手じゃないかな!」
「誰も何かするとか言ってねぇだろ。落ち着け」
まぁちゃんはそう言うけど、その瞳が冷え切ってるんですが!?
私が見られている訳じゃありません。
ですが勇者様が見下ろされている状況で。
これは、ある意味私自身が見られているよりも肝が冷えます。
だって、今の勇者様に他意はない。
それは、明らかで。
先程の錯乱ぶり、その中身の混乱ぶりもしっかりと眼にしています。
そんな相手を嬲るのは、さすがにかわいそうだと思うんだ!
まぁちゃんは嬲るとか、言わなかったけれど!
さっきからずっと、幼気な様子を見ていたからでしょうか?
私にとって今の幼児退行中の勇者様は、まさに傷ついた子供そのもの。
すっかり保護対象として認識されていて。
元のしっかりした勇者様に戻りでもしない限り、その認識は覆らないでしょう。
保護して面倒を見て、宥めて慰めて…庇い、守ってあげるべき対象に感じられて。
ようは、すっかり大事にしてあげないと、と刷り込まれてしまって。
そう思わずにいられないくらいに、哀れな姿ばかり見せられたせいです。
今のツッコミを忘れた勇者様に、危害を加える相手は許せません。
私のそんな気持ちが、顔に表れていたのかもしれません。
まぁちゃんは私の顔をひた、と見つめてから。
溜息を一つ、それから天を仰いで。
疲れたように、肩を落としました。
「さて、と………でも本当に、勇者はどうしたもんかね」
そのお声は、聞くからにとっても疲れているようでした。
室内に残された、私達。
その困惑、戸惑いの視線を一身に受けて。
そんなことにも気付かず、自分の抱える問題にいっぱいいっぱいで。
勇者様は、ご自身の抱える闇に、十九歳の心を侵食されたまま。
この状態の勇者様を、私達は一体どうしたらいいのでしょう?
ミリエラさんの乱入からの一連の彼是で、すっかりとペースを崩されてしまいました。
少しは希望が見えてきていた気がしていたのに…
勇者様は余程怖かったのか、先程よりもずっと頑なで。
だけど頑ななのに、女の子に触れて、抱きついていて。
一進一退、進んだのか退いたのか。
計ることのできない心という領域の問題に、成す術もなく。
本当に、さっきのあの流れで頑張れていたら、もっと頑張れていたら。
そうしたら、勇者様のお心を切り開くこともできたかもしれないのに。
私達の向ける様々な思いも受け付けることなく。
私の体を弱々しい様子ながらもぎゅっと抱きしめたまま。
いえ、ますます顔を埋めるように頭を擦り付けてきて。
相変わらず、勇者様の目はぎゅっと閉じられたまま。
恐ろしいものばかりの世界から自分を隠そうとでもするように。
他に縋る物がないとでも感じているかのような体で。
抱きしめられて困る、とは言えない空気だし。
そもそも、こんな様子で縋り付いて来る勇者様を前にそんなことを言うつもりはないし、誰に言わせるつもりもないけれど。
今後と、態度に困ることは疑いようもなく事実。
勇者様のお心にこれ以上傷をつけたくはないのですが…
自主的に手を離すまでは好きなようにさせてあげたい。
その気持ちは、私も押し通そうと思えます。
だけど引き剥がすつもりはないけれど、いざ引き剥がそうと思った時には苦労しそうな強さで抱きつかれているから。
この状態を脱する為には、手間がかかりそうですね…
それこそ、勇者様が正気に戻るのを待った方が手っ取り早そうです。
心が痛むようなことは嫌なので。
できるだけ穏便にことを済ませたいのですが。
ただ、一つだけ良かったことがあるとすれば。
それは、勇者様が私を抱きしめる力が、耐えられる程度のものであること。
思ったよりも、強くないこと。
いえ、弱くもないんですけどね。
地面を割れるくらいの馬鹿力を持つ勇者様ですが。
うっかり私の体が鯖折りにされるくらいの、強い力は込められていません。
私が物理的に苦しむような力がかけられていないんです。
どうやら無意識の内に物や生き物を破壊することのないよう、加減しているようで。
普段から過剰に力を使わないよう、体が覚えていたのでしょう。
きっと、習慣付けていたんでしょうね。
普段から絶対に物を壊すまいとしていた勇者様の、その気遣い。
今の私は、そんな勇者様の律儀さに、ただただ感謝するばかりでした。
お陰で背骨を折られずに済みそうですから………
勇者様のチートすぎる能力は魔力による能力強化を無意識に行っているため。
なので、本体の基礎的な能力は魔力を使いさえしなければ、一応人間の領域内です。




