88.堕ちた天使の…
出来心でやりました。悔いはありません。
とりあえず、環境からということで。
落ち着けて、心を休ませることのできるような場を作ろうと。
そう思いました次第で。
手伝ってくれたのは、リリフとロロイ。
うん、リリちゃん、ロロ君…手伝ってくれるのは、嬉しいの。
確かにリラックス効果や精神安定効果を高めようという考えは素敵よ?
それに視覚での怯えに感情が振り回されるのならばと、頭を捻りましたね。
他の五感から安心を訴えようという発想も良いと思うの。
その手段として、お香を選んだあたりも…まあ、良いでしょう。
しかし、何故に選んだのが『野菜の香り(緑黄色野菜)』…?
精神安定にはお香が効果的!と、リリフが香炉を調達してきた訳ですが…
異臭…じゃないですね、異変は、細く煙が立ち上った時点で明らかでした。
というか、そのお香どこで調達したの?
アスパラガスやセロリ、菠薐草を連想させる青臭い香り。
妙に印象深いそれが、部屋一杯に充満しているのですが。
うん、なんだかとっても健康に良さそう。
でもね、体にとっては健康的でも…この香りで、心までは健康にならないと思うの。
香が立ち始めた頃、勇者様も異質な物を感じ取ったのかまた肩がびくって震えていたし。
…にこにこにこにこ隣に居座る魔王妹様。
彼女の笑みに、脅迫観念的な何かを感じ取った訳ではないと思います。
明らかに野菜の香りに反応したんだと思います。
一瞬、物凄く疑問溢れる顔してましたから。
勇者様は相変わらず、ぼろぼろと落涙中。
こんなに長い時間、感情の昂りなしに泣き続けられるのも凄いですね。
…干からびて、死なないかな。
ちょっと心配になります。
でも今、水分を勧めて勇者様が摂取してくれるかな…。
こんな時、水竜がいればやりようもあるんですけど…
あの子は、先ほど何かを取りに行くと言って部屋を出て以来、まだ戻って………
あ、戻って来ました。
「ロロイ、みZ…」
……………なにあれ。
声をかけようとしたのに。
私の声は、ロロイの姿を見た途端に凍りつきました。
それは、ロロイの手に握られている物体が原因です。
部屋に戻ってきたロロイは、その手にポプラな縦笛を持っていて。
そして勇者様の寝室に、おもむろに楽譜をセットし始めました。
え、ロロ君なにをするつもり…?
聞くまでもなく、あきらかです。
………はっ!
もしや、これも『視覚以外の五感から』活動の一環ですか!?
香りの次は、音で攻めるつもりなんですね…!?
…一瞬、攻めるではなく責めると言いかけましたが。
心情的に、それでも間違いじゃなさそうな気がするのは、何故…?
それは多分、きっと。
私が今の今まで、たった一度も。
ロロイが笛を吹いている光景を見たことがなく、吹けるとも聞いたことがないせいですね…?
「ロロイ…貴方って、楽器の演奏なんてできたっけ?」
問いかけてみたら。
「………」
無言でぐっと親指を立てられました。
その態度に、言い知れぬ不安が更に募ります。
一番身近で接してきたはずのリリフへと、問いかける目を向ければ。
「……………」
…さっと目を逸らされたんですけど。
え、これ…本当に大丈夫?
「リャン姉さん、その…心配しなくても、大丈夫!」
「うん、大丈夫だという根拠を教えてね、リリ…」
「う、うん。大丈夫。だって、特別ゲストを呼んだんですから!」
………その『大丈夫』は、論点が少しずれている気がするんだな。
でも、特別ゲスト?
ゲストって…
「呼びましたか!?」
「!?」
布団の上で、勇者様の身体が小さく飛び跳ねます。
視線の先、そこには呼ばれて飛び出てジャジャジャジャン☆しちゃった、細身の青年…
お城の中という公的な空間で、野放しにしてはいけない男がそこにいるような…
…目の錯覚でしょうか。
試しに目を強めに擦ってから、再度目を向けてみます。
…消えていません。
います。
カリスマ☆エロ画伯のお客様サポートコーナー窓口係が、そこにいるんですけど!?
「バードさん…何故、ここに」
「助っ人としてお呼ばれしました」
「いや、そうじゃなくて、ここお城…」
え、この人、どうやって王城内に潜り込んだんですか?
そう簡単な事じゃ、身分不確かな人間は入れないと思うんですけど…
もしや、まさかの警備ザル説浮上ですか?
「あ、それはさっきロロイが迎えに…」
「……………」
私の疑惑は、リリフによって潰えました。
そう、ロロイが迎えに…
背中に立派な翼を持っているんだから、話は早い。
堀越えも城壁越えも、そりゃ容易かったことでしょうね…。
この責任を問われる前に、なんとしても勇者様に復活してもらわないと…
そして、矢面に立ってもらわないと。
勇者様の苦労が偲ばれてならない勝手な決意を固めつつ。
でも、改めて考えてみるとちょっと良いかもと思いました。
だって、バードさんです。
知る人ぞ知るらしい、不世出の名吟遊詩人、バードさんです。
その演奏の腕、実力は昨日身をもって確認済み。
確かに彼の演奏であれば、闇の中へと心を閉ざした勇者様にも響くかもしれません。
それを見越してバードさんを呼んできたというのなら、ロロイを褒めてあげたい。
…だから、その不穏な楽譜と縦笛を早く仕舞おうね、ロロイ。
でも何故か、見つめてもロロイは無言。
無言で、楽譜をめくっています…
え、やっぱり演奏する気?
バードさんがロロイの隣に歩み寄り、ひょいっと楽譜を覗きこみます。
「ああ、成程。『蛍の光』に『禁じられた遊び』、『ドナドナ』ですか…
物悲しい雰囲気ながら、良い曲ですよね」
無言で頷くロロイに、物申したい。
何故に、その選曲…?
折角前向きに、明るく気分を向上させてもらおうとしている最中なのに!
その曲、下手したら思いっきり気分が沈みそうなんですが…!
「待って、待って! 待って、バードさん!」
「ん、なんですか」
「今回の演奏の趣旨、聞いてます…!?」
「…そう言えば、なにも? ですがロロ君がこういう曲を選んでいるんですから、似た雰囲気の曲を奏でればよろしいですよね?」
「お願い待ってー!!」
あ、危ない…。
危うく、危険な演奏会が開演するところでした。
バードさんレベルの奏者にそれをやられたら、気分が盛り下がるどころじゃ…
………どう考えても、確実に、済みません。
ロロイ、貴方、勇者様にどんな恨みが…?
勇者様を精神壊滅状態に追い込む気ですか?
「ロロイ…?」
「一度、これ以上はないってくらい、どん底状態にまで叩き落としたら…
………後は勝手に浮上するかなと」
「そんな希望的観測で、チャレンジ精神旺盛すぎる…!」
ああ、やっぱりこの子は私の弟分ですねー…
時として、洒落にならない茶目っ気が覗くところなんて、よく似ちゃいましたね。
私も平素は時と場合を結構そっちのけにするけれど。
でも。
「今回は勇者様の精神が破壊されるかもだから、気を付けよう?」
「………わかった」
渋々とロロイは頷くけれど。
それでも、その手には変わらずしっかり縦笛。
……………気は抜かない方がよさそうですね。
私はごくりと、息を呑み。
それから改めて、バードさんに今回の趣旨をお話ししました。
「つまりね? 今回は心がばっきり折れて大変なことになっている勇者様を励ます会、なの」
「ほほう…お友達の為にわざわざそういう会を開いてあげるなんて、お優しいですね」
一応、勇者様の名誉に関わりますから。
詳しいところは、ぼかして誤魔化して伝えます。
それで納得してくれたのか、それとも目を瞑ってくれたのか。
深く追求せずに、バードさんは頷いてくれました。
そして、とんでもないことをやらかしてくれやがりました。
「元気がない時はこれ一本! そんな健康男子の貴方にお勧めのこの一品!!」
「!!?」
いきなり気分高揚、声高くそう言って。
男の掲げた手には、薄い本。
堂々と大きく書かれた桃色な題名。
――『堕ちた天使の蜜色Night☆』
え、何故!?
何故にこのタイミングで営業スイッチが入るのかな、この男は!!
というかこの状況、この状態の勇者様に、艶本て…!
詳しく説明しなかった私のせいですか!? 私が悪いんですか、これ!
思わず唖然と、掲げられた薄い本の表紙を凝視してしまう、私。
慌てたまぁちゃんが即座に駆け寄り、私の視界を塞ぎましたが…
衝撃を受けた私。
両の目には、短い時間でもしっかり表紙の絵が刻みこまれてしまいました。
…本の表紙を飾るのは、緑の髪をした堕天使の美少女で。
どことなく、それを描いた本人に似ているような気がしました。
精神衛生上、教育に悪いということで。
問題の本はオーレリアスさんによって即座に取り上げられ、隠蔽されました。
それを確かめてから、まぁちゃんが食ってかかります。
「てめぇ、この腐れ吟遊詩人! 一体何のつもりだ!?」
「いえ、落ち込んでいるとのことでしたので、この本で元気にならないかと。
少なくとも気分は浮上しますよ?」
「なるか馬鹿野郎ー!!」
まぁちゃんは「空気を読め!」と猛烈に怒っています。
対して、私は…
…あはは、ちょっと耳痛いかも。
私も、一度は前にやったネタです。
こうして改めて他の人にやられるのは…まあ、ともかく。
空気を読まずにやられると、破壊力の高いネタだったんですね…。
次に続く♪




