83.現実よ、さようなら(→勇者様)
凛々しい黒髪の女騎士、ネレイアさん。
会話から察するに、彼女はミリエラさんを追ってきた…という体裁で。
多分、ミリエラさんと途中まで連れ立っていたのでしょう。
そして途中で、我慢できずにミリエラさんが駆けだした…と。
確実に、最初から目的地は練兵場、狙いは勇者様の他にありませんね。
頑張れ、勇者様。
狩人が二人に増えましたよ!
愛の狩人(爆)は共闘関係にあるのでしょう。
相手が一人であれば、間にシズリスさんを挟むことで順調に距離も取れていました。
しかし、シズリスさんの体は一つ。
敵が二人に増えては、間を挟むこともできず。
配置もいつしか、シズリスさんを抜いて勇者様を挟み討ちにしようかという感じで…
勇者様への包囲網が完成しつつありますね。
ミリエラさんとネレイアさんの組み合わせだと、主導権はミリエラさんの方にあるようで。
ぐいぐいとネレイアさんを引っ張る彼女。
そんな肉食元修道女様が、目配せでネレイアさんに指示を出しているのが窺えます。
流石、魔境までの道程を共にした絆は伊達ではないということでしょうか。
目線一つで指示の遣り取りをする二人は、絶妙のコンビネーション。
状況が状況じゃなかったら素直に感心できる協調性を発揮しています。
勇者様包囲網に、焦りを感じたのでしょう。
練兵場という場所柄、脇に控えていたサディアスさんが眉を顰めています。
彼もまた勇者様争奪戦(一方的)に参戦しようとしてか、一歩を踏み出しかけたのですが…
「殿下…私、本日は殿下に耳より情報をお持ちしましたのよ?」
ミリエラさんが何か言いだして、止まりました。
どんな世迷言が飛び出すのかと、ドッキドキです。
…が、彼女の艶やかな唇から飛び出したのは………
そう、それは、確かに耳より情報だったのです。
「ルシンダ様が、還俗なされるそうですわ」
ぴたり、と。
それまでミリエラさんを遠ざけようと忙しく動いていた勇者様の足が、止まりました。
信じられない。
彼の顔に浮かんでいる感情を読み取るとすれば、そんな言葉になるでしょう。
頭に言葉が浸透した…くらいの間を置いて、勇者様の全身が震え始めました。
それはもう、がたがた、がたがたと。
腹を空かせた山姥を前にした小僧くらいのうち震えぶりです。
その動揺あからさまな体と裏腹に、表情は空虚。
まるで燃え尽きた灰の様な空虚さが、目の奥から侵略しつつあります。
どことなく虚ろな顔は、恐慌を超えて茫然自失。
半開きの唇から、魂でも落としてしまったかのようで…
…うん、勇者様の反応がいつになく過剰です。
女性の名前だと思うんですが…ルシンダって、誰ですか?
勇者様の反応を見るに、彼の多すぎる過去の女難例の一つだとは思うのですが…。
誰もが動きを止めて、固まっています。
勇者様は言うに及ばず、ですが。
他の方々…サディアスさんやシズリスさん、訓練中の騎士方まで。
一様に皆、驚愕の眼差しで。
彼らの注意を一身に掻っ攫ったミリエラさんは、慈愛すら感じる頬笑みを浮かべます。
それは、自分の出した手札への手応えを、確かなものと信じる顔で。
きっと、勇者様には聞き捨てることができないと、確信している笑み。
「私、ルシンダ様とは同じ修道院に籍を置いていましたの。
その縁で、今回はいち早く情報を得ることができましたのよ?」
詳しく、話を聞いてみたいと思われません…? と。
そう続けて二コリと微笑む顔は、獲物を手中にしたことを疑ってもいない…
…うん。魔女の顔に、見えました。
「みり、ミリエラ、嬢…」
生まれたての小鹿並にぎこちない、勇者様の動き。
目を一杯に見開いたまま、彼は…促します。
それはもう、精一杯頑張っているのが丸わかりな拙い口調で。
「か、か、彼女がそそそっその、ほほ本当に…? た、た確か…ななのか?」
勇者様はどう見ても、いっぱいいっぱいでした。
「勇者…どっかの、ランニングに短パン一丁の放浪画伯みてぇだな」
「あ、私もそれ思った」
あんまりどもりが酷いので、私とまぁちゃんは変な感想を抱きました。
でもそのくらい、勇者様は本当にぎりぎりの限界状態で。
そんな勇者様に、ああ無情。
ミリエラさんは微笑みのまま、はっきりと言い放ちました。
「確かな情報ですわ。私が知らせを受けるまでにも間がありましたし…
既に還俗そのものは済ませ、明日にも登城される頃合いかしら?」
それが、その言葉が、トドメでした。
「あ、明日にも、登城………っ 彼女が、来る…!」
いつもはしっかりと地を踏みしめて立っている姿が、ふらりとよろめいて。
「あぁぁっ!? 勇者様ぁぁあ!?」
「担架! 誰か担架ー!!」
勇者様が、意識を手放しぶっ倒れました。
そんな、卒倒するほど現実から逃避しなくても…
精神は逃げても、肉体が置き去りじゃないですか!
私達はぶっ倒れた勇者様に慌てふためき、大騒動。
倒れた時に頭でも打たないかと心配しましたが…
そこは護衛シズリスさんがぎりぎりセーフ!で抱きとめて。
しかし意識は完全に、どこかに飛んでいます。
ぐったりと力を失った勇者様。
「まあ、大変…! 私が回復魔法を…」
「No, thank you!!」
一瞬、ぎらっとミリエラさんの目が光りました。
回復にかこつけて過剰接触でもするつもりだったんでしょう。
勇者様の護衛歴が長いシズリスさんはそれに気付いたのか、何なのか。
回復魔法の使い手が回復を、という言葉に勢いよくお断りを告げるシズリスさん。
そのまま勇者様を奪われることを警戒してでしょうか。
彼の身体をがばっと担ぎあげ、担架を待たずして走り出しました。
向かう先は勇者様の離宮ですね。
間違いないですね、わかります。
勇者様を担いで走る足取りは、一直線に離宮へ向かっています。
意外に女性の勤務が多い、王城内。
勇者様が安心して息をつけるのはそこだけだと、彼らは経験で知っているようでした。
そして私達も遅れじと、付いていきます。
うっかり置き去りにされて、とばっちりを受けるのは絶対に御免ですから!
駆ける、駆けるシズリスさん。
後を追う、私達。
意外にせっちゃんが俊足です。
丈の長い、タイトなドレスでその速度は何気に凄い…。
私も頑張って走っていましたが、気付いてみればまぁちゃんに抱きあげられていました。
サルファは普通に置いてきぼりでも構わないんですけど…普通についてきていますね。
リリとロロは走るのが面倒になったのか、途中から飛んでます。
まるで逃げるような、一心不乱のシズリスさん。
まあ、意識のない勇者様を迂闊にその辺に放っておいたら…
うん、考えるまでもない。
一分と経たずにハイエナの餌食でしょうけれど。
倒れた勇者様をがんがんに揺さぶっていますが、気にしてもいられません。
勇者様が人間にしてはかなり頑丈なので、きっと大丈夫だと思います。
でも、離宮についたら念の為に御典医でも呼んだ方がいいかもしれませんね。
私達が診察してもいいのですが…
今回、勇者様は大勢の人前で倒れてしまいましたから。
衆目の目がある状態です。
適当に済ませて後々追及されても手間です。
しっかり医者に診てもらったという事実を作っておくべきかもしれません。
ようやっと勇者様の離宮に駆け込み、滑り込み。
その時にはもう、シズリスさんもサディアスさんも息も絶え絶えで。
大急ぎで離宮を守る兵達に緊急配備だか警備拡充だかを叫び、勇者様を担ぎこみました。
そこには、カリカとお留守番していたオーレリアスさんがいて。
いきなり飛び込んできた私達にぎょっと目を丸くしました。
でも次いで、勇者様のぐったりした様子に気が付いたのでしょう。
「殿下…! シズリス、これは何事!?」
勇者様をばっと奪い取ってそっと寝台に横たえると、反転して苛烈な勢い。
そのままシズリスさんの襟元を絞め上げんばかりの勢いで事情説明を求めます。
そんな、オーレリアスさんではないけれど。
正直なところ、私達もまた、事情がよく飲み込めなくて。
あのルシンダという女性の情報が何か関係あるとは思うのですが。
いい加減、私達も何らかの説明が欲しいところでした。
「至急、今後のことを話し合いましょう。説明は、その場で」
話について行けていない私達や、オーレリアスさん。
その様子に説明が必要だと感じてくれたみたいですね。
焦りを滲ませながらも、サディアスさんがそう提案してくれて。
でも、勇者様が心配で。
起きるまで誰かがついていないといけないのでしょうが…
希望者(複数名)がその役目に関して譲り合いの精神を全く発揮しなかったので。
それぞれの主張に妥協した結果、全員で見守るかという話に落ち着いて。
急遽、勇者様の寝室にある卓で。
私達は事情の説明と今後の対策を練り合う緊急会議を開くことと相成りました。
その席で、私達はまた一つ…
勇者様の悲しい過去(女難)をまた一つ、知ることとなろうとは。
この時点で、そのことを既に全員が予測済みではありましたが。
それでも洒落にならないその過去に、そっと落涙するかと思った次第ではあります。
勇者様、(いつものことですが)お可哀想に…。




