72.名誉毀損
懐かしい…ええ、久々にアレが出てきます(笑)
遠く離れても、魔の手はこんなところにまで伸びているのでしょうか…!
勇者様達は、その凄まじい影響力から逃げることが出来るのか!?
お上品な生まれ育ちにあるレオングリス君。
彼の知るモノ、知らないモノにはどうやら極端な偏りがあるようで。
公爵位なんて高位貴族に生まれた純粋培養の(割には俗っぽい)少年。
彼には、抜け落ちた知識がいくつもあるようです。
その大概は、故意に省かれた知識。
周囲の大人が、公爵家の嫡子には不相応として、故意に省いた知識だったようですが…
その一端に、いま。
少年は触れようとしているようです。
こっくりと、深く首を傾げて。
少年は敬愛する従兄の袖をついと引きました。
そのまま裏のない、透明な瞳で見上げています。
その瞳を見ると、彼もまた幼さを残した少年であったのだと思い出します。
うん、普段があざとすぎて忘れてました。
彼の透き通った瞳は、勇者様に真っ直ぐ注がれて…
「あにうえ、えろ本とはなんですか? 本ですか? 書籍のジャンルにしても、えろとは…?」
勇者様が、その瞬間、動きを止めました。
完全に、硬直しています。
だらだらだらだら…流れおちる冷汗は、まるで滝のようですね。
それに呼応したのか、ふとせっちゃんも顔を上げます。
「あ、それ。せっちゃん知ってますの!」
…あ、今度はまぁちゃんが固まった。
しかしまぁちゃんは身近に接する機会が多いせいか、立ち直りも早かった。
即座にバードさんの方へと、ぎらり濡れて光る目が。
あらぬ疑いをかけられたと気付いたバードさんが、ぶんぶんと必死に首を横振り運動。
その一所懸命な様子は、うん。無実っぽい。
お兄さん達の言葉なき応酬の中、責任追及の厳しい咎めを瞳に込めるまぁちゃん。
そんなまぁちゃんの姿には、全く気づかない少年少女。
無邪気な少年少女は自分達にとって未知の知識だろう話を交わす。
話題が『エロ本』というところが物悲しい。
「姫君、それが何か御存知なのですか?」
「はいですのー! 前、あに様や姉様がお話ししていましたの」
その言葉に、再びぎしっと固まるお兄様。
まさか、自分が下手人だとは…。
顔を青褪めさせて打ち震えるまぁちゃんに、サルファが妙にきりっとした顔で肩を叩きます。
ぽん、と軽い叩き方。
そのまま首を横に振る様子に、苛っときたのでしょう。
まぁちゃんがサルファの腕を振り払い、腹立ちまぎれに耳を引っ張ります。
そんな、最中に。
せっちゃんは言いました。
えろほんって言うのはね、と。
「新種の栄養剤のことですのー! 間違いないですの♪
それを使えば殿方は元気になるって、姉様やリーヴィルが言っていましたのよ」
ずっしゃぁああああっ と。
勇者様が転び、まぁちゃんが倒れます。
更にシズリスさんが足を滑らせ、サルファが壁に額を打ちつけました。
「え、本じゃなくって栄養剤…?」
吃驚するレオングリス君の無邪気な反応だけが、心癒され和みとなります。
しかしエロ本が何たるかを知っている面々は、一様に頭を抱えました。
我関せずのむぅちゃん一人が平然とする中。
本気で感心した声で、レオングリス君が騙されております。
「へえ、聞いたことないなぁ…シズリスの反応を見るに、彼も知ってそうだけど………」
「……騎士団は基本的に男所帯デスからネー」
「シズリス? どうして、そんな片言…?」
嗚呼、怪訝そうに首を傾げるレオングリス君とせっちゃんだけが真実を知りません。
どうしましょう。
真実を告げるべきでしょうか、このまま騙しとおすべきでしょうか。
果たして、どっちが面白いでしょうか…。
「えぇと、リアンカ嬢は薬師とのことでしたよね」
「……はい」
なんでこんな時に、こんな話題の中で。
レオングリス君が私に話の水を向けてくるのでしょう…。
何となく、流れは読めますが…
「それではその、えろほんなる栄養剤を貴女もお作りになる?
興味があるので、是非とも見てみたいのですが…持っておいででは」
「いえ! 持ってません。私は持っていませんよ!
ついでに言うと、私がどんなに優秀な薬師でもエロ本は作れませんからね!?」
とんだ言いがかりをつけられました!
そんな…私が艶本職人だなんて、名誉毀損もいいところですよ!?
乙女がかけられる嫌疑としては、物凄く不名誉です。
特に事実無根であるだけ、殊更に。
「……………」
ちらりと、未だ衝撃から立ち直れていない男達を見やります。
今はまだ、苦悩の中。
今なら私の邪魔をする人も、止める人もいませんね。
「…うん」
教えよう。
教えてしまおう。
それでどうなろうが…
レオングリス少年の情操教育がやばいことになろうが、知ったことではありません。
まだ十七の、うら若き身空で艶本作家疑惑をかけられるよりは、ずっとマシです。
そう、例え嫌疑をかけた本人が、言葉の意味を分かっていなくても…!
私の決意は最早、固く。
この汚れた真実を一刻も早く、的確に伝えてしまいたい!
「バードさん!」
「はいはい」
私は、魔境においてエロ画伯の相棒と目される青年に呼びかけました。
呼びかけに応じて、流れを察していたのか気軽に親しみ溢れる笑顔を浮かべるバードさん。
彼が販路拡大の為に行商をしているというのなら、絶対に持っているはず…!
そう、商品見本を………!
言わずとも私の求めを察したバードさんが、さっと懐から取り出した物。
それは、絵の見やすい大判サイズの…薄っぺらい、書籍の様なもので。
「こちら当方の一押しおススメ品のサンプル、
『新米女教師りっちゃんと20人の淫獣たち』 になります」
間。
間が、意図せずして空きました。
にこにこと人の良い、営業スマイルのバードさんだけが色を持っているように見えます。
…つまり、一瞬のことですが。
私達は、世界から色が瞬時に抜け落ちてしまったように感じました。
そして最初に我に返る、引き攣った顔の魔王陛下。
「問題の本が何故ここにぃーっ!!?」
それは今、この場の私達…
私や勇者様、むぅちゃんの、心の声を如実に言い表したような…
そんな心の痛い、引き攣った叫びでした。
しかし私達が何を問題にしているのか、気付いていない様子で。
「こちらサンプルなので従来の内容を1/15に短縮編纂したモノになります。また、他にも人間の国々でも比較的受けが良さそうな内容の本を見つくろってサンプルをご用意しておりますので、気になるモノがあればご自由にお手に取ってみてください。従来の内容をご覧になりたい時は、通販カタログからお望みの番号を……」
事細かなセールストークを更に続けるバードさんに、怯えは一切見えません。
バードさん…貴方の心臓、何製ですか!?
それは確実に、強靭な何かなのでしょう…!
私には恐ろしくて、それ以上聞くことができません。
村に降臨した惨劇(一部の野郎限定)を思い出したのか、むぅちゃんの顔も若干青いです。
うっかり内容を確認しただけで、ナニが降臨するかわかりません。
でも多分、きっと降臨するのならそれは黒い牡山羊の姿をしているのでしょう。
いつもなら勇者様のお姿なのですが…
今日ばかりは、まぁちゃんが悲壮な顔で頭を抱えて呻き声をあげていました。
誰も彼もが問題作の登場に、衝撃で体の動きを止め。
果てには思考回路さえ凍り付き。
わかりやすいくらいに狼狽え、取り乱す中。
平然と動くのはバードさんと、エロ本がなんたるかを知らない若年層二人のみで。
そして驚愕に凍り付いた私達は、見事に体の自由を失っていて。
「えーと、やはり本?」
「本ですね。見事なまでに本です」
「…ひとつ、中身を改めさせてもらっていいですか?」
「待っ…!!」
きょとんとした顔のレオングリス君が、さらりとバードさんから問題作を受け取って。
ぱらりとページをめくるのに、我に返った勇者様の制止は間に合いません。
そうして、十三歳の少年は。
明らかに十八禁の扉を、あっさりと開いてしまったのでした。
「せっちゃんも気になりますのー」
「お目汚しとなります。姫様、あれらは紳士の読み物。
女性は踏み入ってはならぬ世界について描かれているのですよ」
「あうー…」
「どうしても見たいのでしたら、男の子になって出直していらっしゃいませ」
「せっちゃん、女の子が良いですの」
「では、諦めなさいませ」
「あうぅ…」
なんだかせっちゃんとバードさんの会話が聞こえてきた気がしましたが…
今の私達には、それらが遠い外野のことに聞こえてきます。
もう、皆、戦々恐々…です。
先ほど以上に、だらだらと冷汗を流して固まるお兄さん達。
少年の手から急いで禁じられた本を回収しようとしていた勇者様。
でも、あまりのことに固まったまま黙して動かず。
勇者様の口は、悲鳴を上げようとして機先を制され、叫ぶタイミングを失った鶏の様…。
皆が、身動きもできずにレオングリス君の反応を待ちました。
内心で、その反応をこそ恐ろしいと逃げたい気持ちでいっぱいになりながら。
それから、レオングリス君は。
少年自身も本を開いて固まったまま。
徐々に、徐々にその白い細面に赤い血潮が昇っていって…
少年は、固まった表情のまま、視線は薄い本に釘付けで。
指先だけが別の生き物のように平然と、ぺらぺらぱらぱらと数枚ページをめくった後。
やがて。
「う、うわわぁぁぁあああああっ!? レ、レオングリス!」
「わあぁっ 公爵様、しっかりなさってくださいよ…!」
レオングリス君は、鼻血を吹いてぶっ倒れました。
慌てて駆け寄り、介抱しようと忙しさを増し、行動を取り戻す私達。
そんな私達の目の前には、目を回したレオングリス君が倒れていて。
そのお顔が膝枕に照れた時の勇者様よりも、赤く。
熱を出したように真っ赤だったと…
そのことだけ、この場で述べておくことにします…。
まぁちゃん
「なんでその問題作がここに…!?」
バード
「問題作?」
まぁちゃん
「問題作だろう………って、はっ! まさか…!?」
バードさんは問題作が回収され始めた頃は自宅療養中。
闇討ち仮面が夜な夜な首を求めて徘徊し始めた頃は魔境を発っていて、何が問題かを存じなかった…。
そしてヨシュアンさんもりっちゃんの話題が怖くて出せないまま、今に至る。




