67.山葵は抜きで
今回は、とあるキャラが再登場☆します。
ピリリリリリリリリッ
喧しく鳴るのは、笛の音。
金属質な高い音は遠くまで響きます。
その音に、勇者様がハッと我を取り戻しました。
「でん…シルヴィ様、憲兵隊です!」
「!?」
暴走していても、理性はあったのでしょうか。
惨憺たる有様の、ナンパ男達。
しかしその被害は最小限。
お店に至っては、椅子の一つも壊れていません。
無用な破壊を招かないよう、どう考えても調節されています。
だって勇者様がその気になれば、お店なんて木端微塵だもの。
それでも、喧嘩は喧嘩。
営業妨害は、営業妨害。
止めようにも止めきれずにおろおろしていた店員さんは涙目です。
「喧嘩はどこだー!!」
「こっち、こっちですぅー!」
これぞ天の救いとばかり、近づく怒声に縋る声。
我に返って己の所業に愕然となった勇者様は、棒立ち状態で。
このままだと捕まってしまいますね。
ちょっと乱れた、修道女姿のままで。
憲兵隊は、王都の実働的な治安を担う部隊で。
いわば、騎士団や兵団の下部組織。
しかし治安維持にかける熱情は本物。
相手が誰であろうと手心は加えないと豪語しているそうですが…
流石に相手が国家権力だと、罪に問うのは難しそうですね。
ただしその王子様は、女装してしかも修道女姿な訳ですが。
「し、シルヴィ様! そのお姿で捕まる訳には!」
「!!」
はっきり一言で言って、恥ですよね。
醜聞ですよね、全力で。
勇者様の社会的な地位から人間としての地位まで、何から何まで駄々下がりですよね。
その事態を真剣に想像して、シズリスさんのお顔は真っ青。
勇者様は未だ自分の暴挙が信じられないのか、豆腐みたいに白い。
「何がどうしたー?」
いつの間にか戻って来ていた仲間達が、状況がわからない様子で首を傾げています。
戻ってきたら勇者様がスカートを翻して乱闘していたので、物珍しさに目を見張って。
つい…止めることもせずに傍観していた訳ですが。
ここにきて、とうとう憲兵隊の出現という事態。
このままぼうと突っ立っている訳には!
「かくかくしかじか、まるばつさんかく! という訳で散開!」
「何が「という訳で」だ意味わかんねぇ!?」
「ちっ…勇者様がナンパ男の下劣さにキレて乱闘! それを憲兵に嗅ぎつけられたよ!」
「こらリアンカ、舌打ちなんて女の子のする事じゃねぇだろ」
「まぁ兄、いまそう言うこと言ってる場合? 捕まったら、かなり面倒臭いよ…憲兵隊って」
「その言い方は何か捕まった前科でもあんのか、おい」
「さあ、どうだろう?」
ひょいっと肩をすくめて見せるむぅちゃんは、一見余裕。
だけどさりげなく、足が逃亡準備に足踏みしてます。
うん、状況は分かってるみたいで結構ですね。
「一緒に逃げると目立つし、逃亡速度が落ちます。だから、ばらばらに逃げよ!」
「おいおい、ばらばらに逃げるとか土地勘ねーのに、お前は…」
まぁちゃんが何か言っていました。
ですが、私は正直言ってちょっと焦っていたので聞く余裕もなくて。
一方的に、憲兵隊が来る前にと捲くし立てる。
「どうせまぁちゃんとせっちゃんは目立って仕方がないんだから、一緒に逃げて!
途中でせっちゃんが着ぐるみを脱げば、追及の手はかわせると思うし」
「いや、だからお前な…?」
「じゃ、憲兵隊が来る前にダッシュです!」
「ちょっ 集合場所は!?」
「大通りの噴水大広場、噴水前でどうだ!?
あそこなら土地勘のない者でもすぐにわかるだろう。人通りも多いし、紛れこめる!」
王都のことをよく知るのは、やはり土地の人間。
特に騎士であるシズリスさんは軍人という職業柄、土地のことをよく理解しているようで。
護衛対象である勇者様(未だ豆腐)を片腕にひっ下げ、更にもう片方の腕に準護衛対象のレオングリス君を抱えて。
「ちょ、シズリス! 僕よりも女性を優先…っ」
「あ、舌を噛むので黙ってくださいね」
「だから…っ」
「それでは各自、追手を撒き次第、噴水前で! 場所は通行人にでも聞けばわかるはずだ!」
そう言ってアデューとばかりに走り去るシズリスさん。
男二人を抱えて、あの快速。
「シズリスさん…やりますね」
思わず感心してしまいましたが、それどころではありませんでした。
「みんな、逃げなくちゃ! 捕まったら、絶対に面倒だし!」
「あ、おい待てリアンカー!?」
私は焦りに焦り、ちょっと冷静さを欠いていたんだと思います。
普通に考えたら、まぁちゃんにくっ付いているのが一番安全でしたが。
それどころじゃないと、気が急いて。
気がついたら猛ダッシュ!
人混みに踊り込み、仲間達とばらばらになる様に走ってしまっていたのです。
「しまった…一人で逃げちゃった」
そうして私が皆からはぐれるのに、五分とかかりませんでした。
後悔先に立たずとは、このことですね。
まあ、別に方向音痴でもないのでどうにかなるでしょう。
「さて、まずは落合場所の位置を人に聞かないといけませんね」
幸い、私はあの面子の中でそこまで目立ってはいなかったので印象も薄かったらしく。
ええ、不幸中の幸いですが。
憲兵隊の追及は、どうやらあっさりと捲くことができたようです。
誰にも追われぬ、この自由。
一人悠々自適と、私は呑気に屋台のおばさんに声をかけました。
「おばさん、そのジュース一つください」
走ったら、喉乾いちゃったんですよね。
「何が美味しいんですか? え、一押しは野菜ジュース? 意外ですねぇ…」
へえ、この真っ赤なのは西瓜のジュースですか。
じゃあこっちの緑はなんでしょう…え、ほうれん草?
ふんふん、じゃあこっちの紫は…紫キャベツ?
「よし、決めました!」
これしかないでしょう。
「おばさん、セロリジュースください。いえ、山葵は抜きで。
――あ、それと大噴水広場ってどっちですか? 」
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
まるで東風のように颯爽と、花のようにふわふわと。
掻き鳴らされる、音がある。
「うぅん…今日もよろしい天気ですね」
青年は伸びを一つ。
時刻は昼を回り、大通りの往来は人で溢れ返っている。
手に持った竪琴を爪弾けば、耳に心地よい繊細な音。
厳密な調律によって透明度を増した音がどこまでも響くようだった。
「やっぱり、式典前後は稼ぎ時ですねぇ。竪琴も嬉しそうに音が伸びます」
しみじみと、愛器の音色に聴き知れる。
先祖伝来の品として、実家の蔵にて埃を被っていた。
虫取り網を探して竪琴を見つけたあの時より、既に二十年以上。
しっくりと手に馴染んだ弦を、丁寧に丁寧に鳴らしていく。
「さて、今日の喉の調子は悪くないけど…」
久方ぶりに本業に精を出すようになって、まだ数か月。
最近になってようやっと調子を取り戻してきたとも言える。
今日は、できれば存分に稼ぎたいところだけれど…?
青年は噴水の前、多くの流しの楽師に混じって一人。
人間の中心ともいえる、この都。
様々な物流の中心地ともいえる、この都。
方々から様々な旅芸人も、憧れの都で一旗あげることを望む。
だからこそ楽師は掃いて捨てるほどおり、聴衆の耳はシビアだ。
「十年ぶりの、王都。この腕は十年前ほどとは、いかないけれど…」
ぼやきながらも、本番前の準備に手を抜いては目も当てられない事態になるだろう。
耳の肥えたお客様達を、少しでも満足させられるように。
だって満足してくれなくては、お金様が手に入らないのだから。
「おい、あれ…」
「あ、あれガラじゃねぇか?」
「え、うそ…ガラ様!」
「いつの間に戻ってきたんだ…? もうずっと姿を見てなかっただろ?」
「やだ、引退したって嘘だったのね…!」
「マジか。またガラの歌が聴けるのか!?」
音鳴らしを続ける青年に、やがてぽつりぽつりと気付く者達が現れる。
聴衆は、正直だ。
どうでも良いと判断した者のことは流れる流星の尾よりも儚くすぐに忘れてしまう。
けれど、本当に素晴らしいと思った者は。
本物だと信じ、人々の心を攫うような優れた者のことは。
そう、それは、いつまで経っても忘れない。
心に、耳に抱きついて離れない、その素晴らしい音色とともに。
音は記憶に残り、いつまでも消えないのだ。
まるで、焼き付いてしまったように。
しかしそうやって覚えられている歌い手は、少なく。
姿を一度消してしまえば、消息など容易く途絶える旅の者であれば、特に。
人々の記憶に残って置きながら、ずっと姿を見せない者は多い。
そうした者が再び現れるのは、稀で。
青年は、今その稀な一人になろうとしていた。
「どーしよう、かなー…」
期待を寄せ、青年に気付いて列なし押し寄せてくる王都の人々。
十年も前の活躍を、律儀に覚えていてくれた土地の者。
回転の速い王都で、これだけの者が自分を覚えていてくれた。
そのことに、感動はするけれど…
しかし、青年の腕は鈍っていた。
怪我や何かが理由ではない。
ただ、空白。
…ずっと他のことにかまけ、鍛錬をサボっている内に。
うっかり、気を取られて他の事をやっている内に。
指はぎこちなくなり、走ることを忘れ。
喉は怠惰になり、高い音を忘れ。
うっかり、楽譜の重要な構成音符を忘れ。
歌の歌詞を忘れ、旋律を忘れ。
そんな自分に気付き、戦慄し。
焦った。本当に焦った。
自分の楽師人生は、どうやら気付かぬうちに終わらせてしまっていたらしい…。
いや、終わらせるな!
あの音の洪水を忘れるな!
自分は誰だ!?
楽師である自分こそが、本当の自分ではないのか!?
だったら、自分を取り戻すべきだ…!!
楽師を辞めそうになっている自分に、いつまでも愕然とはしていられなかった。
自分を励まし、かつての自分を取り戻せと強迫観念に駆られて。
冷たい汗に塗れながら、己の本分を思い出せとばかり。
ここ数か月、ずっと練習に精を出していたけれど。
二、三人覚えている人がいればと期待した王都。
しかしここで、いつの間にか数十人からなる人垣が形成されようとしている。
周囲から、突き刺さる視線。
人々の期待に、胃が重い。
更に同じ演奏者側の、近くで音を奏でる楽人達からの羨望と嫉妬が痛い。
もしも期待を裏切り、失望されたら………
このまま倒れてしまえたら…一瞬、そう思った。
そんな、胃のしくしく痛む思いと戦いながら。
まるで時間を潰し誤魔化すように、竪琴を調整する。
じれじれと焦らされる聴衆から、期待の声が上がる。
どうしよう。
楽師の冷汗は、滝のようだ。
その時、だった。
楽師の、鷹のように優れた目敏さが、見慣れた色を見つける。
ひょこひょこ、ひょこひょこと。
どこかで、確かに見た。
確実に、記憶に残っている。
鮮烈なまでに鮮やかで、網膜を染め上げる色。
あかい、紅い色。
今まで見た誰よりも、見事な赤い身の色は…
あれは…
「あれ、リアンカさん…?」
ぽつんと落ちた、言の色。
赤い紅い人を、つい呼び止める。
本人だという、確信なんてなかったけれど。
でもあの色は、あの人以外にあり得ないと。
その思いが、偶然を引き寄せた。
楽師の鍛えられた声は、賑やかな人混みの中でもはっきりと聞こえて。
耳に残る、美しい色をしていた。
赤い色の見事な人が、振り返る。
人垣の中、埋もれて見えなくなっていた楽師を。
それは、リアンカにとってその日一番の幸運で。
やがて楽師に大きな幸運を呼び寄せた。
さてさて、この人がここにいる理由は…?
彼がリアンカちゃんと出会い、どうなることでしょう(笑)




