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66.天の羽衣

勇者様が負けました。

忍耐的に、負けました。

でも喧嘩には勝ちました。


 熱い緊張を孕み、ぎりぎりと場を絞る感覚。

 遠目に見る人達に割って入ろうという者はなく。

 こういう時、定番だと誰かが助けに割って入りそうなのに。

 勇者様のような美女なら助けに入ってあわよくば…な人が出てきそうなものですけど。

 しかし、こちらのナンパというには殺伐とした異様な雰囲気がそれを許しません。

 割って入って場を更に混迷に陥れようとする要因は、(ことごと)く勇者様の鋭い目で牽制されていました。

 勇者様としては、これ以上拗れる状況は勘弁…というところでしょうか。

 周囲の男達を牽制し、ナンパ男の前で体を張り。

 ようやっと活躍の場を得たシズリスさんが、いつしか私達を庇って立っていました。

 …が、その服装がエリート学生の制服ですからね。

 所詮、学生。

 それもエリート=世間知らずのガリ勉という固定観念があったのでしょう。

 いつもの騎士姿なら、そんなこともないんでしょうけどね?

 今のシズリスさんは完璧に舐められていて、抑止力としては今一つ。

 しかも本人は生まれついての貴族。

 強いんですけど、その物腰は上品なせいか…

 洗練された物腰が、より一層、彼の実力を隠してしまって全く強そうに見えません。

 お陰でナンパ男どもが図に乗る図に乗る。

 

 場は、まさに一瞬即発。

 今にも張りつめた空気が切り落とされそうな…危うい、緊張感。


 そんな最中、最後の一線を…

 騒乱へと踏み込む最後の一歩へと突き飛ばしたのは、レオングリス君でした。


「お姉様、リアンカ嬢を怒らないであげて。僕…リアンカ嬢の気持ちも、わかります」

「レオ…」

「シルフ、です。お姉様」

「し、シルフ…どうしたんだ。危ないから、下がってるんだ」

「いえ、でもお姉様がリアンカ嬢を誤解しないよう、これだけは…と」

「…何を?」

「ええ、僕はわかるんです。だから、お姉様にもリアンカ嬢の気持ちを知ってもらいたい。

男達にきつい言葉を向けずにいられなかった、リアンカ嬢のことが」


 そう言って、尤もらしく。

 さも理解していますという善良な顔の、レオングリス君。

 …彼は、本当に私に同情しているようで。

 張りつめた空気を感じていない訳じゃ、ないんでしょうけれど。

 そのきっかけとなった私が、勇者様に怒られないか心配していて。

 騒動が巻き起こり、そのどさくさに紛れてしまわない内に。

 まだ話ができる今の内に、私のことを取りなしてくれようと。

 そんな善意が、顔に出てています。

 

 だから、他意はなかったんだと思います。


 騒乱とは程遠い平和な温室で育った、少年公爵。

 彼は、争いの場での空気の読み方を…どうやら知らないようでした。

 これも、経験によって培われるもの。

 経験のない少年には、不穏を孕んだ闘争の場での間合いの取り方もわからなくて。


 緊張感を引き裂く言葉が、少年の可憐な唇からぽろり。


「あんな不気味で厭らしい目…向けられ続ければ嫌になりますよ。

その男ども、さっきからずっと僕やリアンカ嬢の…特に、リアンカ嬢の…その、

 胸 元 ば か り 舐めまわすように見ていて! 本当に気持ち悪かった!」


 余談ですが。

 レオングリス君の女装に関する…そのクオリティに関する熱意は、少年には意外で。

 なんというか、並々ならぬものがありまして。

 確かに用意したのは私でした。

 色々なサイズに対応できるよう、自分で大きさの調整ができる品をご用意させていただいていたんですが。

 

 レオングリス君が自分で着替えて現れた時、胸元にはしっかりと膨らみがありました。


 それも、絶妙なバランスの大きさで。


 全体のバランスを見て、大き過ぎず小さ過ぎない…けど、若干大きめに。

 将来性を感じさせる、あどけない顔には不似合いな大きさ。

 男の子だし過剰に大きくしちゃうか、入れないかだと思っていたら予想を裏切られました。

 その大きさでいいの、って聞いたら返ってきた答えはこうですよ。

「この大きさが、僕の身長的にベストです」

 …この子は、胸の大きさにどんな拘りがあるんだろう。


 まあ、つまり何が言いたいかというと。

 現在の女装公爵の胸部には、しっかりと膨らみがあるという話で。

 勇者様の胸にも膨らみを作ってるんですけどね?

 ええ、抵抗する勇者様の胸倉に手を突っ込んで私が詰め物をしました。

 でも大きすぎると本当にマニアックなことになりそうなので、その膨らみは控えめで。

 だからどうかというと。

 胸の小さな勇者様は気付かず、意にも止めていなかったようですが。

 

 ナンパ男どもの厭らしい視線は、強固にしつこく、油汚れのように粘着質に。

 確かにレオングリス君や、私の胸元を舐めるように見ているという話。

 特にこの三人の中じゃ、一番大きな私の胸元。


 それもあって、気持ち悪くて仕方ない。


 …以上を踏まえ、今の状況を再度顧みましょう。

 ナンパ男に暴言を吐きかけ、怒りを買った私。

 私とレオングリス君を背に庇う勇者様。

 私達に絡むナンパ男。

 両者の間を、壁となって阻むシズリスさん。

 その高まる緊張感に、言わなくて良いことを言ってヒビを入れたレオングリス公爵。


 特に、厭らしい目が舐めるように胸元を…という、この発言が効きました。

 何に効いたかって?

 紳士的な勇者様の、穏便を好む寛大な堪忍袋に…です。


 ぶちっと切れちゃった、みたい。



 ――何が起こった?

 ……………騒乱が。

 

 私思わず絶叫。


「勇者様ぁ、渾身の一撃…は、骨と肉が砕けるからー!!」


 グロくなっちゃう。


 紳士がお怒りになった! 紳士が!

 私は結構混乱しているようで。

 脳内に、言葉が羅列し過ぎて言葉にならないという不思議。←混乱。


 婦女子に対する失礼な態度に…それも、友人への無礼に紳士がお怒りになりました。

 彼は己の服装も顧みることなく。

 そのスカートを靡かせて。

 自分の前に立塞がっていたシズリスさんも、こうなると邪魔と言わんばかりに。

 その肩に手を置き、騎士の巨体を飛び越えた!


 勇者様! 相手は一般市民ですよ!

 どんな事情があるにしろ、此方から手を出したら負け…

 ………って、あー…もう、聞いてませんね。


 → 勇者様は ナンパ男に攻撃した!

 ナンパ男Aの顔に 強烈な回し蹴り!

 ナンパ男Aは ふっとんだ!

 

 ふわりと空を飛ぶような軽やかで、しかし稲妻の如き身ごなしは苛烈。

 まさに蝶のように舞い、蜂のように 刺 す 。


「…これは、地蜂の角で刺していた方が良かったんじゃ……」

 そんな言葉も、時すでに遅く。

 怒りに目元を赤く染めた勇者様の、見事にして一方的な快進撃は止まりません。

「全員に、一発は入れる…っ!」

 そんな決意を、固めなくても良かったのに。

 勇者様は怒りに我を忘れておられるのでしょうか?

 そうとも見えませんが…理性が吹っ飛んでいるんでしょうか?

 勇者様がこんな突飛にして暴力的な手段に出るのは初めてで、判断がつきません。

「でん…シルヴィ嬢、抑えて!?」

 はっと我に返った護衛が、勇者様を羽交い絞めにしようとします。

 うん、遅いよ。

 しかし今からでも頑張ろうとした護衛にも、勇者様は捕まらない。

 可憐な顔にかかるベールが、まるで天女の羽衣みたいに見えました。


 → 勇者様の攻撃!

 ナンパ男Bに 膝から跳ね上がるようなアッパーカット!

 ナンパ男Bは ふっとんだ!

 ナンパ男Aに 追加ダメージ!

 ナンパ男A、Bは 折り重なって気絶している!


 ナンパ男Cは まごまごしている!

 ナンパ男Dは にげだした!

 → ミス!

 ナンパ男Dは 勇者様に回り込まれて にげられない!


 なんだか一連の色々諸々が高速に過ぎていきます。

 流れるどころか流す勢いの諸々に、感想を挟む隙もありません。

 見物するだけしかできない私とレオングリス君。

 私達はほぼ同時に、お替りしてあったお茶をくっと飲み乾して。

 それから同時に、がたんと席を立ちました。


 → 勇者様の攻撃!

 ナンパ男Dに 足払い…からの背負い投げ!

 ナンパ男Dは ふっとんだ!

 ナンパ男A、Bに 追加ダメージ!

 ナンパ男A、B、Dは 折り重なって気絶している!


 ナンパ男Cは 腰を抜かしている!

 ナンパ男Cは 命乞いをした!

 → ミス!

 勇者様は 話を聞かない!

 シズリスさんが 仲間に加わった!

 シズリスさんは ナンパ男Cの助命嘆願をしている!

 勇者様は 見下す目でナンパ男Cを見下ろした!


 私とレオングリス君は全く同じ方向…

 会計所に足を運び、それぞれが同時に鞄から財布を取り出します。

 私の財布は手作りの布製ですが、レオングリス君のお財布は立派な牛革製でした。

「すみませーん、お会計ー!」

「あ、ここは僕が払いますよ。一緒に出かけて女性にお金を出させるなんて、男の名折れじゃないですか。今はこんな格好ですけど」

「えぇ? 年下に奢らせるつもりはないの。ここはお姉さんに甘えておきなさい?

今は可愛らしくしてるんだから、男の面子なんて忘れなさいよ」

「お姉さんって響き、甘えたくなるんですけど…でも、あれ」

 そう言って、レオングリス君がちょいっと指さすのは勇者様。

 

 …暴走しています。


 それを必死で止めようと追いすがるシズリスさん。

 しかし護衛を引きずり、引き離しながらも暴風のように暴挙の嵐!

 それでも理性はあるようで…ええ、辛うじて、ですけど。

 再起不能になるような怪我はさせないようにしているみたいですけど。

 一撃で気絶させて回るなんて、律儀というか几帳面というか…あれ、意味違う?

「どうも最後の引き金を引いたのは、僕のようですし」

「あれ、気にしてるの?」

「ええ、まあ…あにうえは温厚な方なんですけど……余程、怒りに触れたんでしょうね。

あんなに取り乱して、お怒りになるのは初めてですよ」

「じゃあ吃驚しちゃったね。私もあんな暴力的な怒り方してるところ、初めて見るけど」

「ふふ…初めて同士ですね。僕も、あにうえとは生まれた時からの付き合いですけど…

それでも一緒に初めてを見るなんて、不思議ですね」

「これも何か、奇妙な縁ってやつかしら…

よし、やっぱりお姉さんがお会計しちゃう。これでもお金はあるから気にしないで」

「僕だってお金なら唸るほどありますよ! これでもお金持なので」

「ふふふ…じゃ、半分払ってよ。半分は私が払うから」

「半分ですね? そこが落とし所、ですか」

「そうそう、譲歩しないとね。時々はそういうのも良いでしょ」

 私達は二人で皆の分もお会計を済ませて、いつでも逃げられるように準備を整えます。

 ついでに怯える店員さんに、更に多めのお金を握らせました。

 ………迷惑料、として。

 だってまだ、乱闘が続いているんですもの。


 ああ、これはこのお店、出入り禁止かなぁ…。

 折角、お気に入りの味を見つけたんですけどねー…。

 私の場合は、ちょっと自業自得もありますけど。

 あのお怒りの勇者様をどう鎮めたものでしょう。

「いっそ沈めましょうか」

「沼に…?」

「いえ、意識を」

「そんな…か弱い女性の身で手に負える相手ではありませんよ」

 私とレオングリス君は、仲良く勇者様が正気に戻るのを待っているんですけどねー…。

 一向に、戻らない。

 私達はまだ、暫くここで待たねばならないようでした。




次回、国家権力に追われます。

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