48.らりぱっぱの薬草、研究用の薬草
勇者様は今日も も て も て 。
しかしその意思は、大概無視されております。
スピノザさんは、ここで一番むぅちゃんにご執心の薬師さんでした。
変な意味じゃありませんよ?
むぅちゃんの薬師としての実力に、強い関心と執着を示している薬師さんでした。
しかし成人男性が十代半ばの少年にご執心って、見た目が妖しくて困りますね。
むぅちゃんが中性的な美少年なので、尚更です。
どうやらスピノザさんは純粋な知的探究心と研究魂から、行動しているみたい。
魔境の薬術という未知の技術と知識を持つむぅちゃんにご執心のようですが…
「むぅちゃん、こっちに滞在中、ずっとこんな感じに迫られてたの?」
「迫るって言い方、妙に聞こえるからやめてくれない?」
「俺だけじゃない。ムー殿の可能性には、他に改良研究班の奴らだって関心を持っている。
医術関係の奴等の他にも、魔術師だのなんだの…忌まわしい」
「わー、律儀に教えてくれるなんて親切! スピノザさん見かけによらず良い人!」
「それはともかく、お前らなんなんだ? 今まで必要以上に人を寄せ付けようとしなかったムー殿が、何故お前らみたいな場違いな奴らを連れてくるんだ。ここは貴重な薬の原料を管理する、神聖なる薬草園なのだぞ」
じろじろ、じろじろ。
嫌そうに鼻を鳴らし、スピノザさんが私達に疑心の目を向けてきます。
そんなにむぅちゃんの動向が気になるんですか?
そんなにむぅちゃんの一挙手一投足に口を挟みたいんですか?
むぅちゃんは誰かのものでもなければ、この国に仕官している訳でもないんですけど…
どうやらむぅちゃんの才能を独占したいらしい、スピノザさん。
それをする権利は、貴方には無いんですよ?
だというのに、スピノザさんは私達への不愉快という感情を隠しません。
私達を場違いといって、言外にどっかに行ってくれないかという感情が透けて見えます。
思いっきり全力で、私達を邪魔者扱いですね。
こういう人は自分の言動を振り返って反省しないんでしょうか。
何かしら興味関心を引いて見直した暁には、悪びれずに寄ってくる類と見ました。
まあ、ここでは私は確かに部外者。いや、本当はむぅちゃんもですが。
彼ら…スピノザさん達の領域だってことも、分かっています。
でも、薬草園には場違いと言われて少々カチンときました。
こう見えても! 私は! 薬師なんですけど!!
…まあ、でも。
気持ちが完全に分からないでもないので、今回に限り怒りは納めましょう。
確かに畑に相応しい恰好じゃありませんしね、私達。
まさか名札でもつけている訳じゃないので、私も薬師には見えないでしょう。
私もせっちゃんもひらひらした格好ですし、子竜達は言うに及ばず背中から羽を生やして仮装か大道芸人みたいに見えて怪しいことでしょう。
勇者様とまぁちゃんのキラキラ美青年は、見るからに貴族様といった華やかな服装です。
………というか、スピノザさんよ。
貴方、自国の王子様のお顔を知らないんですか………?
王子様の生活空間と同じ、王城に勤めていて……………?
この一度見たら、耐性の無い人なら忘れず一週間は夢に見そうな勇者様のお顔を…?
私の怪訝そうな顔に、勇者様が苦笑をこぼします。
「研究職は、変わり者が多い。俺の顔を知らない、興味ないといわれても不思議には思わないかな。それぞれの研究に没頭していて、余所事だと感じたものには目を向けないから…」
「つまり一点集中型の専門馬鹿で、世間知らずの情報に疎い集団の巣窟なんですね」
「見事に悪意塗れに解釈したな!」
「でも外れてはいないでしょう?」
「………まあ、否定はしない」
…となると、目の前にいるスピノザさんはそれに当てはまる研究馬鹿なんですね?
薬草天国でうはうはしていれば幸せな、温室から出ないタイプの温室育ち。
そのままサンルームで一生を閉じられたら幸せなタイプですね?
でもいくらなんでも王族を認識していないのは、王城勤めとしてまずいと思うんですが…
「不敬だって誰も怒らないんですか?」
「彼らは薬草園から基本出てこないから。それに頭の良い集団は得てしてそんなものだろうと、皆も諦めている。一部は改善を叫ぶが、普段から籠って出てこない者達だ。公の場に出る時は注意するが、それ以外では必要もないだろうと放置している…かな?」
「それで良いんですか…?」
「誰も困らないし、言っても無駄だと諦めている。不祥事や変な事件でも起こさない限り、辞めさせることもないだろう。彼らの頭脳を手放して研究に後れを出すより、少しの不敬くらいには目をつむって仕事に専念してもらった方が平和だろうしね」
「つまり、割り切ってるんですね? 無駄な労力にしかならないと、諦めているんですね?
どうせ滅多に出てこないんだから、使わない敬意を教え込む時間と手間を放棄したと」
「………まあ、そういうことかな」
「でも目の前にいるんだから、一言くらい言っておいた方がいいんじゃないですか?
そう、勇者様のお立場的に」
「………勇者様…?」
あれ、薬とむぅちゃん以外に興味なんてなさそうなスピノザさんが反応した。
途端、がばっと身を跳ね上げて、勇者様に接近!
咄嗟に身構える勇者様の反応も意に留めず、至近距離から勇者様を凝視して…
え、なに? 何がそんなに気を引いたの?
私の疑問には、すぐに本人の口から答えが出てきます。
「勇者というと………第一王子ライオット・ベルツ殿下!?」
驚愕にひっくり返った声は、耳に痛いくらいの高音で。
周囲に響き、私達の周囲に控えていた他の薬師達もぎょっとした。
そんな中、私は少しほっとしながら、スピノザさんに感心します。
「あ、世知に疎いって言ってもそのくらいの情報は知ってるんだ」
そうですよねー。
自分の国のことですもの。
姿などの視覚的情報は知らなくても、存在くらいは認識してますよね!
基本的な政治情勢とか最近の話題とか、そのくらいは知ってますよね!
だって大人だもん!
………と思ったのですが、どうやら違いました。
彼の注目ポイントは、私の予想とは全然違うところにあったようです。
だって、なんか…
…なんか、スピノザさんの目が痛い。
勇者様のことを、まるで貴重なモルモットでも見ているような目で………
身の危険を感じたのか、勇者様がちょっとだけ身震い。
でもチラリと私に視線をやって、直ぐに持ち直しました。
ん? 勇者様、その視線はどういう意味ですか…?
なんだか勇者様をヤバイ目で見るスピノザさん。
その視線の意味とは……?
それは、恍惚としたスピノザさんのお言葉から知れました。
「殿下といえば! 極限まで薬物耐性を鍛えあげ、そこいらの惰弱な薬ごときは悉く無効化するとお噂の! 耳にするだけで面白い献t……ごほんごほんっ」
「スピノザさん、何を言いかけたの? なんで咳込んだの? ねえ、なんで?」
この人、私の耳がおかしくなければ、今凄いこと言いかけましたよ。
自国の世継の王子様を指して『献体』って言いかけましたよ。
誰も、勇者様も我が身を差し出すとか言っていないのに。
薬学の進歩に実験体として提供するなんて言っていないのに。
もろに、実験体にする気ですか?
いや、流石にそれはまずいでしょう?
「スピノザさん、気を悪くされたら申し訳ありませんが……勇者様はあげませんからね?」
「なに…? 馬鹿な、医療の進歩に、薬の発展は欠かせないのだぞ。
殿下であろうとなかろうと、何人であれ、その為に身を捧げるのであれば本望だろう!!」
「そんな訳あるかぁ!! なんで俺の意思度外視でそう言い切れるんだ!?」
勇者様のご意見も、何も。
その存在すら、目に入れようとはせず。
スピノザさんは勇者様という珍しい人材を前に、取らぬ狸の皮算用。
思いっきり、珍しい体質をネタに実験し倒すつもりのようです。
そんなこと、そんなこと………
そんなこと、許せません。
私は目の前のニタニタ笑うスピノザさんに、目を鋭くしてしまいます。
静かに、闘志の様な…怒気のような、何かが胸の内で燃えました。
そう、勇者様を実験体にするなんて、許せない…!
自分の身分、立場を慮らない相手に、戸惑いが勝るのでしょう。
勇者様は得体のしれない珍獣を見るような目を、スピノザさんに向けていました。
「俺は王子なんだが…彼は王子を献体にできると思っているんだろうか」
「無理かどうかじゃなくて、やっちまえばこっちのもんとか思ってそうですよね、あの様子は。
普通に形振り構わない感じですし」
「そんなことをしようものなら、実刑処分は免れないぞ!?」
「勇者様…その抗議、スピノザさんの耳に届いていなさそうですよ。
ここは、雌雄を決してでも私が勇者様の身柄を確保するしか…!」
「え………?」
いつの間にか、勇者様を挟んで対立図式を展開している私とスピノザさん。
勇者様の声を無視して、私達は勇者様を取り合う形になっていました。
「………リアンカ? なんだろう、物凄く不穏な空気を感じるんだけど」
「不穏? それが何ですか。勇者様の未来がかかっています。
例え私が矢面に立とうとも、勇者様は渡しません…!」
「リアンカ…その言葉は嬉しい筈、なんだけど……
……………何故か、背筋が寒くなった気がするのは何故だろう」
「きっと気のせいです。勇者様、私が勇者様を引き取って差し上げるので、ご安心ください」
「安心できねぇ!!」
私とスピノザさんに挟まれて、勇者様は頭を抱えてしまいました。
勇者様の実力であれば、この場から離脱することも容易いでしょう。
しかしながら、自分の身の危険よりも、私への不安の方が勝ったのでしょう。
勇者様は未だに私の腕を掴んでおり、離れようとしません。
そして王子様相手だというのに気安いことですが。
スピノザさんが、勇者様の腕に手をかけようと…
私はスピノザさんの伸ばされた手を叩き落とし、声高らかに宣言しました。
「勇者様のことは、お友達として、専属薬師として私がお守りします!」
「リアンカ…意気込みは嬉しいんだが、女の子に守られるほど俺は弱くないからな? あまりに堂々と守られると、俺の立場がないからな?」
「細かいことは御気になさらず、大丈夫!
私、絶対に勇者様をぽっと出のそこらの薬師になんて渡しませんから!」
「誰がぽっと出か! それは君の方だろう!」
「煩いですね! あげないったらあげません!!」
「私はこの国の正式な薬学研究者だぞ!」
「それがどうしました!? 私はもう半年も勇者様のお薬を調合してきたんです!
それこそ傷薬から風邪薬、酔い止め化膿止め、全部ですよ!」
「それはご苦労だがしかし、殿下が被献体では碌な成果も上がらなかったのではないかな!?
これからは私がその任を負おう! だから君は引っ込んでいたまえ」
「そんなに寝言がお好きなら、好きなだけ眠らせて差し上げてもよろしいんですよ?」
「それは私こそ言わせてもらいたいものだ!」
「じゃあ言えば良いじゃないですか。言っても、勇者様はあげませんけれどね!」
「なんだとう!?」
そうです、あげません。
この国の薬草や薬は、魔境のものとは違います。
だからどんな薬にどんな副作用があるのか、私にも分かりません。
そんな状況で、勇者様を提供するなんて…
勇者様にお薬を提供し始めて、早半年。
勇者様を診てきた薬師として、そんな暴挙は許しません。
暴挙は、私の専売特許ですから!
「勇者様で実験するのは、私の特権です!!」
「ちょっとまてぇぇええええいっっ!!」
きっぱりと勇者様のご意見無視で言い切ったら、当の勇者様にがっと肩を掴まれました。
「あれ、何ですか? 勇者様。私なにか間違えました?」
「色々と! 色々と、物申したいことがあるんだが!!」
「うんうん」
「………いろいろ、沢山ありすぎて何から言えば良いのか…っ」
「じゃあじっくり考えてから順序立てて言ってくれますか?」
「そうやって時間を与えたら、その間に俺の身柄がとんでもない所に転がりこみそうな危機感を覚えるのは俺の気のせいか!?」
「さあ、私は神様じゃないので他人の運命を見ることはできませんから……
………勇者様の運命は、神のみぞ知る領域かと」
「適当なことを言っているけれど、実際に俺の命運を左右するような何かをやらかそうとしている当人としては正しくない言葉じゃないか!? 俺がどうなるか知らないって言うが、俺をどうしようと思っているのかはリアンカしか知らないだろう!?」
「うふふ…いやですね、勇者様ったら。勇者様に何かやらかすのが、私一人だとでも?」
「見えない刺客が他にもいるのか!?」
ぎょっと目を剥く勇者様に、私は優しく囁きました。
ええ、それはもう優しく、優しく。
「勇者様は、本当に楽しい人ですねー…」
「それは俺が楽しい人、という意味じゃなくて俺で楽しんでいます、って意味だよな!?」
「ふふふ………さあ?」
にこーっと、嘘偽りのない笑顔。
ここぞとばかりに笑顔で押し切ります!
至近距離から有無を言わせぬ笑顔…これ、意外に効き目ありますね。
物言いたげに瞳を揺らしながら。
それでも抗弁の無駄を悟ったのでしょうか。
勇者様は黙り込み、悔しそうにふいっと顔を逸らしてしまいました。
サルファがそんな勇者様の肩をぽんぽんと叩いています。
しかし、そんなサルファの顔にも満面の笑み。
愉快で仕方がないというその顔に、勇者様はいらっときた様子。
叩き落とす勢いで、サルファの手を撥ね退けました。
その隙に、私 離 脱 !
注意の逸れた勇者様の手から、私の腕も奪還です!
「あっ…」
勇者様の気の抜けた声が耳に届くより早く!
私はスピノザさんにびしっと指さし確認…じゃない、宣戦布告です!
「そんな訳で!」
「どんな訳だ?」
「どんな訳でも、とにかく!」
こういう時は、勢いが大事。
勇者様の皮算用にニタニタしていたよれよれ白衣。
身の程知らずのぽっと出薬師に、目に物見せろと私の薬師魂が唸りを上げます。
私はその叫びに逆らうつもりもないのです。
だから。
堂々と言い放ってやりました。
「スピノザさん! 勇者様の身体を賭けて、私と勝負です!!」
後ろの方で、ぼんやりと。
「年頃の娘の言うこっちゃねー……」
…なんか、まぁちゃんの嘆きが聞こえましたが。
でも今の私には、聞こえなかったことにしておきます。
視界の隅に頭を抱える勇者様が見えた気がしましたが…
それも同じく見えなかったこととして闇に葬ります。
いま最も重要なのは、このよれよれ白衣が私の言葉にどう返すのか。
その切り返しは鋭いのか、鈍いのか、逃げるのか。
果たして、スピノザさんは………!?
彼は、よれよれの印象にそぐわない、薄い唇を鋭利に引き上げて。
赤い、赤い舌がちらりと覗きます。
彼は、躊躇いませんでした。
「のった!!!」
「っって、のるのかよ!!」
勇者様の渾身のツッコミは、相も変わらず馬耳東風。
マッドな薬師スピノザさんのお耳には、どうやら届かないようでした。
勇者
「もっと敬ってもいいんじゃないかな、自国の王子!」
勇者様を巡った対立を深める男と女――
そして何故か彼らの戦いに巻き込まれ、一番の割を食う勇者様。
「なんで結局戦っているのは俺なのかな!?」
次回49話【過激な薬草、刺激的な薬草】
勇者様の己の存在をかけた(言葉通りの意味で)孤独な戦いが、いま始まる!




