42.フィサルファード・フィルセイス 5
※番外編のほうでも書きましたが、リリフ&ロロイの年齢について訂正を一つ。
彼らの実年齢は12歳。
しかしイメージで年齢一ケタ化のように書いている箇所があったと思います。
うっかり設定を確認せず、完全にイメージで書いていました。
今後は改めて12歳という年齢を念頭において書きますが、過去についてはどうぞご容赦お願いいたします。
まるで固まったように、両者見合ったまま動くことなく。
でも、永遠に動かずにいることもできずに。
やがて最初に動きを見せたのは、フィーお兄さんの方でした。
さして遠くもない距離を、大股の一歩で詰めて。
サルファが反応し、逃げる猶予も与えずに。
フィーお兄さんは、その両手でがっしりとサルファの顔面を掴みました。
左右から頬を挟みこむような形で、サルファが仰け反ります。
しかし逃げるのは許さないとばかり、フィーお兄さんは次なる行動に出ました。
片手でサルファの顔面を押さえ込んだまま、その左手で珍しく…
……というか、顔を隠すためでしょう。
今宵のサルファの頭髪は、常とは違ってボサボサのダサダサで。
かつてなく野暮ったい姿は、別人のようではありますが…
フィーお兄さんは、それに惑わされませんでした。
強い視線で、ぐっとサルファを睨みつけます。
そして下ろされていたサルファの前髪を、乱暴な勢いでぐいっと上に上げたのです。
サルファの、オレンジ色の瞳と日に焼けた顔が、隠しようもなく丸出しになりました。
より強い力で以て、フィーお兄さんの眼力が増します。
無言の圧力を前に、サルファは冷や汗だらだらでしたが…
それでも常のように、空気を敢えて読まない姿勢で。
動揺を押し隠すこともできないままではありましたが。
ひょいっと片手を上げて、至近距離でにへらっと笑ったのです。
「よ、よう 元気?」
それは、今のまぁちゃんと同じくらいに場違いな、明るい声でした。
フィーお兄さんの目が、くっと眇められて…まあ、無理もありませんが。
そして、青年がサルファに返した言葉は。
「フィサルファード・フィルセイス!!」
青年の口から怒号にも似た強い口調。
軍人さんだなと納得させる、はっきりとした声。
呼びかけなのか、宣言なのか、その全てなのか。
その言葉には、強くはっきりした感情が込められていました。
そのまま、予備動作もなく。
素晴らしく素敵なキレの良さで。
「歯を食いしばれ!!」
フィーお兄さんの黄金の右拳が、サルファの頬にクリーンヒットしました。
いつの間にか左手がサルファの襟首を掴んでいたので、サルファが吹っ飛ぶことはありませんでしたが。
それでも余程の力が込められていたのでしょう。
この華やかな舞踏会という、暴力とは無縁の席で。
衆人環視の、遠巻きな注目の只中で。
殴られたサルファの口端から、僅かな血が飛び散りました。
あらら、歯でも当たって裂けましたかね。
公的な、舞踏会の場。
そこで公人に属する人間が暴力を振るうなど、前代未聞。
当然ながら良いことではありません。
しかもここは、人間達の盟主国。
そんな場所でこんなことをしたら、問題にならない筈がないのですが……
フィーお兄さんは、まるで気にしていない顔です。
わあ、図太い!
目を丸くした勇者様が、割って入るべきか躊躇するくらいに堂々としています。
それでも『王子様』として、放置はできないのでしょう。
仲裁に乗り出そうと、勇者様がフィーお兄さんの肩を掴みました。
「フィルセイス殿、事情はわからないがここは抑えて…」
「ああ、お騒がせして申し訳ありません。この放蕩者を逃がさぬ為にも、注目を集める必要があったので」
「………ん?」
「このような場で暴力など、本来なら考えられないこと。
拘束された上で事情聴取を受ける必要がありますよね? 加害者も、被害者も」
にこりと笑うその顔は、想像以上に人懐っこいものでした。
こ、この人…!
わかった上で、敢えての計算ですか…!?
先程、私は融通が利かないとか応用が利かないとか、彼のことを評した気がします。
でも、訂正いたしましょう。
王族の護衛としてはあるまじき態度です。
でも、標的を逃がさない為なら形振り構わぬ、この容赦のなさ。
その為に自分がある程度の不利益を被ることも、度外視で。
全然融通が利かなくありませんね!
恐ろしいまでに応用力があるというか。
我が身を犠牲にしても目的を達成しようという態度に執念を感じます!
職務を蔑ろにしている時点で、騎士としては失点ですけど!!
………真面目な人って、思いつめると怖いなぁ。
こんな人にそこまで執念を募らせるなんて、サルファ…
………あんた、何やった?
ここで、ようやくですが。
私の疑問は、最初にサルファへ感じたものへと立ち返ろうとしていました。
やっぱり、さっさと尋問しておくべきでしたね…不覚!
私が内心で口惜しい思いをしている、その横で。
勇者様はひたすら、唖然。
もっと正統派の騎士さんに見えたのに。
フィーお兄さんの形振り構わぬ食らい付きぶりに、本気で驚いています。
なまじ幾らか知っている相手なだけに、より大きなギャップを感じているのかもしれません。
ですが渦中にいる当事者は、また少し意見が違うようです。
奴は驚くこともなく、結構痛そうなのに痛がることもなく。
只、呆れた視線をフィーお兄さんに注いでいます。
………こうして並べて見てみると、なんだかこの二人、どことなく似ているような。
「シフィ君何すんのー? 痛いじゃん」
「黙れ馬鹿。見つけたら何はなくともまず殴るってずっと前から決めていたんです。場所に少々問題がありましたが目標達成の為です。構わないでしょう」
「いやいやいや。シフィ君、一体いつからそんなに思いきりよくなっちゃったの」
「僕がもしもフィサルの知っている僕と違うと感じたのなら、それはお前が失踪している間に変わったんでしょう」
「本気で殴るしさぁ……口切れちゃったじゃんかー」
「止めろ、厭味ったらしい。皮肉ですか。その気になれば避けられた癖に」
「ええぇー? 騎士として頭角を現してるシフィ君に襲われて、俺が太刀打ちできるとでもー? っつーか、避けたらもっと怒るデショー?」
「太刀打ちはできなくても、逃げはできるでしょう。腕力は僕の方が上ですが、敏捷性や身軽さはフィサルに一度も敵ったことがないんだから。あと、やっぱりわざと殴られたんじゃないか!」
「能力なんてそれこそ、会ってない間に変化してるかもしれないじゃん!」
「兄上の拳でさえ避けてたお前に、僕の拳が当たる訳ないだろう!!」
何と驚き、この空気。
めっちゃくちゃ気安い関係っぽいんですけど。
ものすっごく、打ち解けてるのが丸わかりなんですけど。
私達はちょっと驚いてしまいました。
だって、絶対に修羅場になると思って手に汗握ってたのに。
修羅場は修羅場でも、殺伐とした修羅場ではなく子犬がじゃれ合うような明るい修羅場。
いや、明るい修羅場ってなんだ。
王宮の舞踏会で暴力沙汰という、とんでもないことをやらかしたのに。
なのに当の本人達の、この打ち解けた態度。
言葉の端々から、以前から浅からぬ関係であったことが窺えます。
フィーお兄さんの口調も、さっきよりちょっと砕けています。
それは空気感がそうさせるのか、それとも素なのか。
というか、中途半端な砕け方ですね。
本当はもっと砕けた喋り方をするのかもしれません。
そこを王宮という場所を意識して半端に丁寧口調が残っているのか。
それとも、サルファに怒っているらしいので、その激情が口調を乱れさせるのか。
どちらなのか知りませんが、相手がサルファだからこそ引き出される反応なのでしょう。
でも何にせよ、舞踏会の場に相応しい遣り取りではないようです。
見るに見かねたのでしょう。
勇者様が、言いました。
「………とりあえず、場所を移さないか?」
その顔は、何やらとてもお疲れのようでした。
そうして私達は、舞踏会の参加客為に解放された数ある控室…
………ではなく、勇者様の為に準備された専用控室に陣取りまして。
主役が途中で中座してもいいのか疑問でしたが、
「………リアンカ達から目を離して野放しにする位なら…!」
何だか悲壮な顔で思い詰め始めたので、そっとしておきましょう。
触らぬ神に祟りなしとの先人の言葉に従って放置することにしました。
まあ、私個人としては「藪をつついて蛇を出す」という言葉の方が好きなんですけどね?
まあ、一見義務放棄したかのような勇者様ですが。
その代りの様に、一つ便宜を図ってくれました。
先程、暴力沙汰を起こしたフィーお兄さん。
先にも言いましたが、どんな理由であれ、あんな場所で人を殴ったら捕縛されて事情聴取の末、処罰されても仕方ありません。
そうなると取り調べをするのは、やはり役人の仕事でしょう。
ですが勇者様が、お役人さんに取りなしてくれたんです。
自分も傍にいて関わった責任があるからと、そう口実をつけて。
結果、私達は勇者様の人望の凄まじさを知りました。
勇者様が口添えしてくれたら、さしてごねることもなく、あっさりと。
あ っ さ り と、ですよ!
お役人さん達は勇者様の言い分を全面的に受け入れて、何と事情聴取と処罰に関する全てを勇者様にお任せしますと、躊躇なく引き下がってくれたんです。
ちょっとだけ、お役人さんが困った顔をしていましたけどね!
それでも「規則ですから」の一言すらありませんでした。
それに対してフィーお兄さんが「寛大なお取り計らい、感謝いたします」と深々頭を下げていたので、余程のことでしょう。
そう言う訳で、勇者様立会の事情聴取という口実もできました。
実際、暴力沙汰の起こされた舞踏会で主役だった勇者様には、聞く権利があるはずです。
それを分かっているのか、先程まで荒ぶっていたフィーお兄さんも神妙な態度です。
彼も目的の人物に会えた以上、そしてそのサルファと私達が知り合いである以上、黙り込む必要はないと判断したのか、先程のような躊躇いは見当たりません。
そしてサルファの方も。
ええ、奴の方も、ついに見つかってしまいましたからね。
まぁちゃんの功績で。
隠れることが無駄となってしまった以上、腹をくくったのでしょう。
心底嫌そうな顔をしてはいましたが、どうやら本格的に自白する気になったようです。
ええ、殊勝な心がけですね。良きことです。
「それじゃ改めまして、事情聴取させていただきたいと思いまーす」
「待って! え、なんでリアンカちゃんが取り仕切るの!?」
「私の好奇心が一番大きいからです」
「せめてまぁの旦那か勇者の兄さんで!」
「チェンジは効きません。残念でした」
「茶化さず真っ当に聞いてくれる選択肢はゼロ!?」
サルファが頭を抱えて天を仰ぎましたが、その反応はどういう意味ですか?
しかし、今の私はようやっと疑問が解けると上機嫌。
サルファが溜息をつこうと、諦めた笑いを浮かべようと、どうでも良いことです。
私はうきうきわくわくと、フィーお兄さんの言葉を待ったのでした。
私達が見守る中、まずゆっくりと口を開いたのはフィーお兄さんでした。
「皆さんが彼からどんな説明を受けていたのかは、存じませんが…
この者は名をフィサルファード・フィルセイス」
言いながら、隣に座るサルファを指し示す、フィーお兄さん。
ふぃさるふぁーど、ふぃるせいすー?
何ですか、そのご大層な名前は。
サルファはサルファで十分でしょうに。
なんだか微妙に偉そうな名前に聞こえますよ。生意気な。
…ん? フィルセイス?
「それって、勇者様が呼んでいた…」
フィーお兄さんの、お名前の一部…多分、家名ですよね?
私の視線に混じる疑問を察したのか、フィーお兄さんはこっくりと頷きます。
そう、私の気付いた事柄が、確かに事実だというように。
そしてフィーお兄さんは、サルファの更なる素情を口にしたのです。
「家名の示す通り、フィサルファードは我が武名の誉れ高き一門の一人……
…我が長兄の嫡子、私の甥であり、一族の総領息子です」
……………え、えー…?
聴いた言葉の、その一部。
思わず聞かなかったことにしたくなるくらいで。
思いがけず耳にしたサルファの素性に、私達は皆々そろってぽかんとしてしまいました。




