35.夜の蝶(爆)
血迷ったまぁちゃんの、素敵女装が大公開!
ついでに勇者様は大後悔!
舞踏会の会場は、盛大な賑わいを見せていた。
遠く使命の為に旅立っていた第一王子の帰還を祝う席だ。
それだけでも盛り上がらない筈はなかった。
加えて王子が誰からも愛される高潔な人物となれば、賑わいはより一層華やかなものとなる。
王子の愛を渇望する淑女達はそわそわと落ち着きなく、さざめきもひそやかに。
王子に敬愛を寄せる紳士達は見えることが叶うかと、期待に口を饒舌に滑らせる。
そして嫉み根性丸出しに王子を妬む男衆は、口々に王子へのつまらない文句を言合い、我知らず周囲からの顰蹙を買っていた。
誰も彼もがうずうずと、その登場を待ち望んでいた。
陽光のように輝かしく、誰よりも麗しい第一王子の入場を。
主役は遅れて登場するもの。
王の一族は全ての出席者が出揃う時間を見計らって現れるもの。
王子の登場は、今か今かと待ち望まれていた。
今日は必要以上に遅刻する者もなく。
王子と一言でも言葉を交わし、僅かでも顔を覚えてもらう機会を得ようと、志す。
叶うかも知れぬ僅か先の未来へと、皆が静かに興奮を高めている。
特に、今回は。
信じがたい噂の真偽を確かめようと、皆が王子の動向に注目していた。
今の今まで誰一人として女性を寄せ付けようとしなかった、王子。
その女性へのやんわりとした拒絶ぶりは誰もが知るところ。
だが、その王子が。
今回、旅先から女性を伴って戻ってきたというのだ。
その嘘のような、真実とも思えぬ噂。
しかし一笑に伏すにはあまりに多くの目撃者がいる。
更には、謁見の間にて王子本人が同行者の存在を認めたという。
それが一体何者で、どのような人物なのか。
気にならない人間は、この場には一人もいなかった。
王子に全く興味のない、僅かばかりの例外を除いて。
逆に本当のところを知る、王子の近しい数名を除いて。
今までなら、有り得なかった事態。
旅先で王子に、一体何があったというのだろうか?
どのような変化を、王子が得たというのだろうか?
問いかけたくとも、気安く声を掛けられる相手ではない。
深く追及するなど、以ての外。
しかし今夜は舞踏会。
全ての客人に主役たる王子へ声をかけ、挨拶をする権利が与えられる。
実際にその機会を生かし、並居る他の客人達を押しのけ、王子へと問いかけるところまで到達できるかは別として。
時間をかけて相手をしてもらえるとは、とても思えなかったけれど。
それでも、王子へと挨拶する許しが与えられる。
それは、事実で。
絶好の機会を活かすべく、皆は王子の現れるのを待っていた。
自分が王子へと声を賜る栄誉を、胸の内に強く望みながら。
やがて舞踏会の開催を告げる王の高らかな宣言があり、皆の注目眩しい中………
克目する貴族達の前に、高いところから主役たる王子が姿を現す。
王自らの、招き寄せる声に応えて。
やがて現れた王子の傍らには、ふわりと広がるドレス姿の影が………
…………………………………。
…………………………………………。
……………………その影は、一般的な女性に比べて、あまりにも大きかった。
身長が高い。
肩幅がごつい。
そして何より目立つ、喉仏。
注目する一同は、思わず固唾を呑んで全容を現す瞬間を待った。
言い知れぬ緊張が、舞踏会の場に計り知れぬほど高まっていく。
演奏を止めていた楽団の者達も、楽譜の確認よりも人影の確認の方へ意識を引き裂き、手から楽器が取り落とされそうになっていた。
からーんっ
虚しくも空々しい音で響き渡ったそれだけが、会場内の僅かな物音で。
かつかつと響くヒールの音が、逆により一層沈黙を強調して。
誰もが息さえ潜める沈黙の中、ついに壇上へと姿を現したのは………
誰もが。
そう、誰もが。
あんなにも待ち望んだ王子の美しい姿よりも。
それ、よりも。
その隣に肩を並べる、異様な人物へと眼差しを殺到させていた。
最早他に、誰も目線を動かせない。
その人物は他者の視線を引きつけ、離させないだけの奇妙な引力があった。
それは、万有引力とは違った次元の引力で。
しかしそれよりも強力なのではないかと、錯覚させるだけの引きの強さで。
誰もが、硬直して動けなくなっていた。
青く引き攣った顔でぐったりとする王子には、誰も視線を向けられない。
瞬きすらも許さぬ光景が、王子の隣、そこにある。
誰もが身動ぎもできずに、見守る以外になかった。
国王と、王妃でさえも。
居並ぶ、国家を担う重臣達でさえも。
今日ばかりは、その人物が『おうさま』以上に注目の的だ。
誰もその眼差しの引力からは逃れられない。
まるで、強力な呪いにでもかけられたようだった。
誰よりも、硬直して視線すら動かせない者達自身が、そう思う。
その風体の、異様過ぎる威容すら、禍々しい呪いのように感じられて。
皆々が、息すらも止めた。
王子の隣に並ぶには意外すぎる姿。
度肝を重く貫く現実に、木端微塵に砕け散った思考はまるで麻の如く乱れていた。
「まぁちゃん、素敵…」
うっとりと、溜息交じりの声が聞こえる。
背後からのそれを耳にして、勇者様の口が引き攣った。
「素敵か? 本当に、これが素敵なのか?」
「やだ、勇者様。素敵じゃないですか。この世の視線を独り占めですよ。
物凄い視覚的暴力威力で 」
「それは本当に『素敵』に該当するのか!?」
勇者様がちょっと取り乱しても、今なら誰にも咎められない。目立たない。
何故なら勇者様の隣に、全ての視線をがっちり掴んで離さぬ『雄姐様』がいるから。
本当にエスコート必要? と思わず問いかけてしまいたくなる。
それほど体躯の立派な、たくましい『雄姐様』が。
勇者様一行の仲間として、勇者様に次ぐ主賓として。
その後につき従う、一緒に入場してきたリアンカ達。
しかし彼女達の姿は誰にも注目されない。意にも止まらない。
もしかしたら、認識すらされていないかもしれない。
全て、勇者様の隣でしずしずとエスコートされる人物の吸引力故に。
求心力じゃなくて吸引力なところが素晴らしい。
身動ぎ一つせず、瞬きも息すらも止めて。
会場中の視線を一人集める可憐な姿。
威圧感がたっぷりの、迫力美人がそこにいる。
ただし化粧は厚塗りだが。
最早、地の肌が何色かすらもわからぬほど、厚塗りだが。
高く大きく華やかに結い上げられた複雑な髪の其処此処で、髪飾りが揺れる。
一つ一つはおかしなものではない。
しかし過剰ともいえる数の髪飾り。
決して高価とは言えないが趣味の良かったはずの、それ。
無節操に足され飾られた姿は、どことなく品のない安っぽさを漂わせている。
しかし、それに余りあるほど。
品のない装いに余りあるほど。
その装いを纏う人物は、それを物ともせぬほど優美で華やかだ。
本来であれば、との注釈はつくのだが。
その場にヒールの音を響かせて。
かつかつ、かつかつ。
胸を張り、肩で風を切って歩く、その姿。
肩も胸元も大胆に開き、衆目に曝す真っ赤なドレス。
開いた胸元から、細身の割に鍛えられた胸板がちらちらと覗いている。
リアンカは思った。
無駄に詰め物を詰めるどころか、全く詰めずに男の胸を曝す姿。
その飾らない姿は、果たして潔いと表現するべきなのか、と。
敢えて嵩を増さないのは、一体何の拘りなのだろうか。
いや、無駄に巨乳にされても目のやり場に困るのだけど。
重ねられた黒いレース。
深い紫のショール。
所々には薔薇が咲き、血のように赤いドレスをまるで毒花のように見せる。
レースで作られたチョーカーは紅玉と金鎖に彩られ、鈍く光って太い首を強調していた。
ドレスの所々に飾りとして重ねられた黒と濃紫のレースには、白い蝶。
それがまるで毒蜘蛛に絡め取られつつある獲物に見える。
そんなはずはない、錯覚だと思っても。
まるでドレスを纏う人物そのものが、毒蜘蛛の化身であるかのように。
リアンカは思った。
何故に装飾の悉くが、赤と黒と紫に統一される中、蝶だけ白いのだろうかと。
お陰で周りの暗い色の中、浮きあがって目立って仕方がない。
レース飾りの中に据えられているせいで、本当に蜘蛛の巣にかかった獲物みたいだ。
何故かその姿が、リアンカには勇者様と重なって見えた。
大輪の薔薇をモチーフにしたコサージュが胸元にアクセントを添えている。
毒々しいという印象を与えるのは、暗くくすんだ色をしているからか。
広がる分厚い布で織られたスカートは、まるで花弁のようなのに。
共布で作られた飾り布が、張り巡らされた荊に見える。
切り込みから見える下衣のスカートは爽やかな緑なのに。
まるで遠く引き離された、水底から覗く空の様。
自分が沼へと沈んで行くような、沈みながら空を見ているような錯覚を得る。
錯覚の筈なのに、今にも沼に沈められそうな危機感を覚えるのは何故なのか。
リアンカは思った。
あの薔薇のコサージュは、決してあんな毒花っぽくなかった筈なのに。
だというのに今こうして毒々しく見えるのは何故だろう。
そこがサルファの手腕によるものなのだろうか。
あれこそが、演出というものなのであろうかと。
丈が微妙に足らぬのか、ちらりちらりと足首が見える。
細く、白い足首が。
視線を吸い寄せるそれが、まるで罠のようで。
視線を寄せたが最後、足下を飾る真っ赤なハイヒールで踏まれてしまいそうだ。
そして、それで良いのだと勘違いしてしまいそうな。
むしろ、そうされるのが正しいのだと勘違いしてしまいそうな。
危うい魅力を醸し出す、危険な足が目に眩しい。
リアンカは思った。
こんな男の足に合うサイズのハイヒールに、需要はあるのだろうかと。
今回は妖精に出してもらった。
しかし妖精とて、まさか男にハイヒールを履かせるという偉業を達成する羽目になろうとは思ってもいなかったに違いない。
女装の共犯という汚名を背負った妖精は、今後まともな妖精と呼べるのだろうか。
レースの手袋では隠せぬ、華奢とは程遠い腕の線。
しかし優雅に傾けられるその様は、何故か艶めかしい。
彩りを添える太い指輪の数々が、安っぽくも目に鋭い光を投げかける。
リアンカは思った。
あんなじゃらじゃら指輪をつけた拳に殴られたら、歯の数本じゃ済まないだろうな、と。
しかし今回は人を殴る予定がないから良いのだろうか。
わからない。
わからないが、リアンカは思った。
まぁちゃんの姿が、変貌ぶりが。
あまりに眩く神々しく、既に腹筋が痛んで仕方がない…と。
源氏名は、ナターシャ。
年齢設定36歳。
何故、逆に上の年齢にサバを読む。
その顔には濃い化粧が施され、地肌の色と合わないファンデーションが増徴させている。
ケバケバしさを。
安っぽいまでのわざとらしい婀娜っぽさを。
それを敢えてだと知る仲間達は、ふるふると震える口元を必死で引き締める。
不自然な白さに塗られた頬の上、チークの色は浮いていた。
それがより一層不自然で、どことなく道化めいた滑稽さがある。
口元には深紅のルージュ。
しかし深紅というより一瞬、辛苦という言葉が浮かぶのは何故なのか。
まるで人を食い殺した後のように口が真っ赤に染まっている。
口元につけられた付け黒子が気だるい色気を演出しているが……なんとわざとらしい。
深い紫のアイシャドーもやはり、厚すぎる。
濃い色のアイライナーは白銀の睫毛を蹂躙中だ。
麗しく最適の量と長さを誇っていた睫毛は三倍に増量され、別人のような目元を演出している。
眉も力強い凛々しさで線が引かれ、平常時に比べると太く見える。
しかし眉に不自然さはなく、その計算された曲線が色気を作り上げていた。
安っぽい衣装に、安っぽくも分厚く派手な化粧。
その姿は、見事なまでに場末のうらぶれた感じが出ている。
世知辛い生活を根性と強かさで乗り切る、悪辣娼婦そのものである。
つまり、王宮の舞踏会などという華やかな席には、存在からして不自然この上なかった。
もとより絶妙のバランスでこの世の黄金比かと思われる程、麗しかった顔。
それを、元の良いこの顔をここまで無残に出来るのか。
いくら自分の顔とはいえ、なんと勿体無くも天への侮辱めいたことが出来るのか。
天への、いや、美への冒涜である。
もう一度言おう。
源氏名は、ナターシャ。
公式設定36歳…から、サバを読んで24歳と答える女(?)。
だから何故、実際年齢よりも上にサバを読むのかと勇者様は問いたい。
しかし問うても無駄であろうことが目に見えて、勇者様は切なくなった。
何故に人生初、私的なエスコートの相手が女装した男なのであろうかと。
それも場末のうらぶれた娼婦設定だ。
もしかしたら、ゲイバーのホステスかもしれない。
どちらも、勇者様には縁のない人種である。
実物も、ちらりと見たことはあっても関わったことはない。
魔王の扮装が真に迫っているのか、否か。
この女装がどの程度の完成度なのか、どうなのか。
計りようはなくとも、勇者様は知っていた。
この姿に、大勢の人間を思考停止状態に追いやる力があると。
実際に、今。
現在進行形で、目にしているのだから。
勇者様の、眼前。
足の向かう舞踏会、会場。
しかし今、その場にいる者達は…
まるで脳髄が破裂したのか、灰になったのかと言わんばかりの形相で。
食い入るように源氏名ナターシャの姿に見入り、石像のように全く動くことがなかった。
後で、説明が面倒だなと。
問い詰められる己を予想し、勇者様は深々と溜息をつくのであった。
これが人生初の、個人的なエスコートの相手かと。
繊細な男心に、深く修復不可能なヒビを真っ直ぐ手遅れ間満載に突き入れられながら。




