108.優しさの重みと愛の重み(物理と心理、どっちが重い?)
何とも不穏な言葉で、勇者様のお顔から表情という表情をデリートしちゃったサルファ。
その真意は一体?
「その言葉は…どういう意味で?」
硬直しちゃってちょっとも動けない勇者様。
そんな主君に代わって、口を開いたのはオーレリアスさんでした。
勇者様は…あれですね。
うん、見事なまでに石仏化しています。
顔にはアルカイック・スマイルすら浮かんでいませんけど!
どうやらルシンダ嬢が予想以上に一般的・模範的な淑女の振る舞いを見せていたので…
そう、常軌を逸した姿とは程遠かったので。
勇者様も何とか辛うじて恐怖を抑え込むことに成功していたみたい…なんですが。
それもこれも水の泡。
サルファの言葉から、何を連想したのか…
だけど忠告めいた言葉を受けて、危機感が増したのは確かなようです。
それもあって、反動が来ちゃったんでしょうね…
勇者様…無機物並に、気配が希薄になってるんですけど。
生きてますかー? おーい?
固まった勇者様の眼前で、手をぶんぶん振ってみます。
反応、なし。
これじゃ駄目なのかと、今度は借り物の上着をぶんぶん。
反応ありませんね…
「駄目だ、こりゃ」
まぁちゃんがひょいっと肩を竦めてみせてお手上げポーズ。
うん、私も同感。
勇者様の限界も、結構ギリギリ近いみたいだし。
それに公衆の面前でするような会話でもないでしょう。
ルシンダ嬢がこれからどうするのかは知れません。
ですが彼女の名誉面でも配慮の必要不必要は見極めが要るでしょう。
考えなしに敵に回して、後味の悪いことになるのは勘弁です。
それにルシンダ嬢は傍目には、今は完璧な淑女。
下手に中傷したことになって、こっちが悪役にされたりしたら堪りません。
後ろを振り返らず、後先を考えず。
まあ何も考えてないように見えて、私も偶には色々考えます。
そして今回は、勇者様の今後と精神面に大きく関わるし。
さっき、後先考えないで沢山遊んですっきりしたし!
…ここはちょっと、大人しく勇者様の為にも配慮ってヤツをしてみましょうか。
かなり、不慣れなことですが。
私は一つ頷き、鬼気迫る様子でサルファに真意を問い詰めようとするオーレリアスさんと、飄々とのらりくらり状態なサルファに声をかけました。
「お二人とも、その話は今ここじゃないとできない話って訳じゃないでしょう?
勇者様も安静にしてあげたいし、撤退しますよー!」
私が声をかけると、二人は顔を見合せて。
「はいはい」
「はーいはいはい! リアンカちゃんのお願いなら喜んで☆」
仕方がないというように言葉の矛を収めたオーレリアスさん。
調子のいい顔で、調子のいいことをほざくサルファ。
とりあえず、離宮に戻りましょう。
それからサルファを殴って絞め上げて、言葉の意味を吐かせてもらおうっと。
「お願いね、まぁちゃん」
「おー」
私が全てを言わなくても、まぁちゃんは心得たとばかりに頷いてくれました。
うん、これで安心です。
「という訳で、皆様お騒がせいたしました~! 撤収――!」
最後に騒ぎを聞きつけて集まり、観衆化していた通行人や暇人の皆様に大きく一礼。
それからまぁちゃんが勇者様を俵の如くよっこら担ぎ。
私は場に散逸した勇者様の剣やら何やらの道具を抱えて。
皆で誰かが引き留める余地もない程潔く、速攻で退散致しました。
勇者様のお国に来て、撤収作業の効率が上がったような気がします。
→ リアンカは新しい技術を覚えた!
撤収作業レベルが習熟し、レベル3に上がった!
そうして、軽やかに撤退をする私達。
そんな私達の背中を、ポカンとした顔で見送る人々。
「………一体、なんだったんだ。この騒ぎは」
フィーお兄さんが素早い撤退に、呆気に取られて呟いていました。
甥っ子を叩きのめそうとした、気力も目的もすっかり忘れ果てちゃって。
さてさて手際の上がった撤退により、迅速に戻って参りました勇者様の離宮。
白亜の離宮は今日も寛容にして厳格に、限られた者だけを受け入れます。
「警護の皆さんお疲れ様でーっす」
「ちぃーっす☆」
「ご苦労さん」
職務中ということで殆どを黙って突っ立っている警備の人に、手を振って。
最早これも定番化してきたなぁと思いながら。
途中からハッと正気に戻って、まぁちゃんの肩の上でジタバタ暴れていた勇者様。
そんな彼をまぁちゃんは、ぽすんと柔らかなソファの上に転がしました。
「あぷっ」
顔面から行って、気の抜けるような声がしました。
寝っ転がったまま上体を起こして、此方を見上げてきます。
困ったような、その八の字眉。
何だか心が寒くなっているような表情が、可哀想。
「よしよしなの、良い子ちゃんですのー」
すかさず勇者様の頭を撫でたのは、せっちゃんで。
手慣れ、隙のない挙動で即座に子竜達が甲斐甲斐しく世話を焼きます。
リリが勇者様にブランケットを巻き付け、くるんと過重包装。
ロロがほわっと香炉に火を入れて心安らぐ香りをご用意。
わぉ、至れり尽くせり☆
今、私の記憶が確かなら夏なんだけどな!
だけど勇者様の部屋って、どうやっているのか空調が万全なので。
前に勇者様が言っていた、建物の中を循環している冷水パイプのお陰だと思いますけれど。
多分ブランケットを巻き付けても、暑いということにはならないでしょう。
心細そうな勇者様にまぁちゃんも眉間にしわを寄せています。
そのまま何を思ったか、勇者様の倒れ込んでいるソファに腰をかけて…
………うん、まぁちゃん。勇者様はクッションじゃないよ?
圧し掛かっています。
問答無用で、圧し掛かっています。
でも楽しそうだったので、私も便乗しました。
「ちょっ…まぁ殿!? リアンカも、どうしたんだ!」
「どーしたはこっちの台詞だ。てめぇ、そんな気の抜けた表情しといてどうされてぇの?」
「勇者様クッションー! 突撃ー!」
「前後の因果関係がわからない…!」
離れようにも脱出しようにも、勇者様の背中に私とまぁちゃんが乗っています。
まるで藻掻き苦しむ亀のように、勇者様がじたばたじたばた。
その様子は、何だか子供みたいにふざけて遊んでいるみたい。
いや、勇者様のお顔は困惑と驚きで必死でしたけどね?
でも私達が一緒くたになった状態は、楽しそうに見えたのでしょう。
「きゃー♪」
何かの遊びと思ったらしく。
せっちゃんが勢いよく参加してきました。
潰される側の衝撃も気にせず、ジャンプからのダイブ!
「あわぁっ!?」
予想していなかった勇者様の口から、驚きの声。
でも私は半ばこうなる予感はしていました。
加えて、こういう展開は慣れたモノ。
私とまぁちゃんはいらっしゃいと大歓迎状態で。
衝突の勢いも衝撃も、上手に受け流して団子になりました。
「おい、そこの子犬ども」
頭を抱えて、頭痛でも堪えているんですか、オーレリアスさん。
「緊張感がなくなるだろうが…後それと、殿下に手荒な真似は控えろ」
「ばぁーか。敢えてわざわざ緊張感ぶち壊しにしてんじゃねーか。決まってんだろ。
勇者の心労軽くしてやろーって気遣い、わかんねぇの?」
「それとオーレリアスさん、口調も大分お疲れ気味で諦め入ってんの丸わかりですよー。
もう諦めてるなら、言わないでも良いのに」
「そんな訳にいくか! 確かにもう、止めるのは諦めた。
だが苦言の一つも言わないで黙認などできるか…!」
「………オーレリアス、苦労をかける」
「殿下はよろしいのです、殿下は。どうぞ心安らかに過ごされてください。
あくまでも引っかかるのは、客人達の態度に…なのですから」
頭を抱えたオーレリアスさんは、物凄く深い溜息を溢して。
それから本当に諦め交じりに、困ったように苦笑していました。
「そんな細かいことは、さておき」
ぱんと手を打って、話変えろとロロイが催促。
「細かくない、さて置くな」
「さ・て・お・き!」
オーレリアスさんの不服を黙殺し、子竜がきょとんとした顔をこちらに向けてきます。
「予定より随分と早い帰りだ。それに何故か勇者も一緒だし。リャン姉、何があった?」
「ああ、そのことを話し合う為にも勇者様の心を温めてたんですよ。物理的に」
「物理的に心って温められるのか…?」
首を傾げるロロイにちょっと、笑って。
私はその目線を、すいっと横へ………
いつの間にか対面ソファに座ってへらへら笑っている、サルファ。
奴へと、一転して鋭く険しい目を向けました。
「それでサルファ? 私の言いたいことわかる?」
「ふふん♪ 何でも聞いてよ、リアンカちゃん!」
答えをずらした返しに、私の眉間が少し引き攣った気がします。
でもそれを気にせずに、私は意図的に笑顔を作って続けました。
「…さっきの発言の真意はなーに?」
「あっはっは! 口調は甘いのに脅されてる気がするのは流石だね☆」
「いいから、つべこべ言わずにとっとと答えなさい」
有無を言わせぬ無言の圧力を、まぁちゃんがびしっと叩きつけて。
サルファは顔を困らせ、肩を落として小さな溜息。
サルファの癖に、生意気な態度です。
その疲れたような仕草にいらっとしたら、何故か私の手元でめきょっと音がする。
…見ると、無意識の内に、私ったら。
潰してはいけないモノを、うっかり捻り潰していました。
それを見たオーレリアスさんや、勇者様の脱走を許してサディアスさんに説教を喰らっていたシズリスさんが、目を剥いて。
まぁちゃんは私の手元を無言で見下ろし、せっちゃんは首を傾げ。
サルファはドン引いたと言わんばかりに、ちょっと身を引きました。
ただ一人、私達に下敷きにされている勇者様のみ、体勢の無理から状況の把握叶わず。
「い、今の音はなんだ…?」
「はははははっ 勇者、知らねぇ方が幸せだぞー?」
乾いた笑いを浮かべるまぁちゃんに、適当に遇われていました。
気を取り直しまして。
勇者様の身を起こしたいという要望を全力で黙殺し、取り合わないまま。
サルファは肩から力を抜いた様子の困った顔で、発言の意味を語り始めました。
思わせぶりな発言をしたんですから、きりきり吐いてもらわないと!
「ん~…ホント、ただ俺が感じただけのことだし。参考程度にして?
真に受けて真面目に取られるのも困るしさー…」
「安心しろ。それはない」
「そもそも真面目に、アンタの発言を真に受けたりはしないから」
「大丈夫。最初っから疑ってかかるついでにするから。
一応、参考意見程度には意識の端に引っ掛けといてあげる」
上から順にまぁちゃん、むぅちゃん、私の順での発言です。
見事なまでに、信頼ゼロ(笑)
それはそれで切ないなぁと、肩を下げながら。
それでも目減ない男は、自分の見たこと感じたことを語りました。
………人間性を信用してはいませんが、目端の利く男です。
意外と侮れないし、色々と重宝する男であることも、癪ですが確かで。
口では色々言いましたが…ね?
それでも。
あれは本音だったけど、それでも。
この男がそう言う以上…そこには、きっと一定以上の事実がある。
観察力も客観性も、全てひっくるめて洞察力のあるサルファ。
もう、私はそれを知っていましたから。
だから。
だから、サルファの直感したナニかはきっと、本当にあることなのです。
それがどれだけ、(勇者様にとって)残酷な事実でも。
「………あの姉さん、勇者の兄さんが近づいた時にさ…
…………………眼の奥、すっごい闇が見えたんだよねー…」
「闇とな」
あれぇー…それって、一瞬見えたアレかな。
私も、なんだか似たような感想を先刻感じたような………
私のは、気のせいかもしれないレベルだったんだけど。
どうやらサルファは、私よりもはっきりと何かを感じ取って見聞きした様子で。
勇者様に同情の目を一身に注ぎ、嘆くような口調で訴えます。
「勇者の兄さんが現れるまでは、ホント普通で、真人間っぽく見えたのにさ。
勇者の兄さんに反応したみたいに、その時だけ気配が変わっちゃった」
そう言われて。
勇者様が息を呑んで。
彼の喉から、ヒュッと、息の詰まるような音が聞こえて。
どんどん青褪める顔が可哀想で。
だけどサルファは口を止めずに、声は止まらない。
「目の奥のあれ、闇、一歩人の道を踏み外しちゃったって人に時々見えるんだよねー?」
「おいおいおいおい…確かかよ、それ」
「俺ってこれでも人生経験豊富ってヤツ? 結構色々見てきてんだけどー?
旅芸人一座にいる時は各地で色々体験してるしぃ? 間違いないぜ☆」
「うわぁ、洒落にならない! 真に受けるなって言った割に自信満々だよコイツ!」
「うん、まあねー? 俺の見立てだけどあの姉さん、自分の中のどす黒~く渦巻く欲望ってヤツを理性とか常識とかで抑え込んでんじゃね? 普通、できねーって。凄ぇ自制心☆」
そう言うサルファの顔には、素直な称賛が湛えられていて。
本気で凄いと、ルシンダ嬢の精神力を讃えていて。
このサルファがそうまで言う程ヤバかったのかと。
見聞きしている此方は言外に突き付けられている訳ですが。
奴は、更に勇者様に可哀想なことを言い募りました。
「でも結構、ギリギリっぽかったよ」
ただでさえ硬直しかけていた勇者様の身体が。
一瞬、引きつけを起こしたみたいに、びくんと。
びくん、と痙攣したのは気のせいかなー…?
呑気で気楽なへらへら笑いに、苦いものを交えて。
サルファはへにゃっと困り顔。
そうして、多分サルファの一番言いたかった警告を口にする。
「ありゃ無理に抑え込めるもんじゃねーって。欲望の尽きない人間はいねーもん。
そこを無理やり抑えてっから、いつ決壊してもおかしくないじゃね?」
その口ぶりに気になって、私も首を傾げて口を開きました。
「ちなみに決壊したらどうなるの?」
脇から、勇者様の唯一自由な手のタップ。
必死に首を横に振って、聞くな、聞くなと目で訴えていたけれど。
襲い掛かる恐怖に声も出ないらしい勇者様の代わりに、私はこくんと頷きました。
ここはちゃんとはっきり聞いてあげましょう!
「んなの、自制してた分の反動込みで爆発するに相場は決まってんじゃん?」
勇者様の絶望の呻き声。
喉の奥から、鶏を絞め殺したみたいな音が聞こえたよ?
びくっと震える振動は、接触した部分を通して大いに伝わってやって来ました。
「愛されてるねー、勇者の兄さん。道踏み外されちゃうくらいに…」
「全く持って嬉しくない……っ!!」
叫ぶ勇者様の目は、極限に見開かれ。
叫びは、本当に全く必死そのものでした。
「まあ、何が言いたいかと言ーと!」
結論に入ります。
そんな言葉を添えて、サルファは妙に薄っぺらい全力笑顔で言いました。
「あの人が暗黒に落ちかけるのは勇者の兄さんが近くにいる時だけだろーし、精神力と理性をがりがり削るのも、勇者の兄さんが近くにいる時だし、必死に抑え込む必要に追いやられるのも、勇者の兄さんが近くにいるからだし! お互いに近づかない方が、勇者の兄さんにもあの姉さんにも、お互いにとって平和で良いことだと、俺はそう思うよ☆」
「えらく爽やかに、悲愴なこと言いきったね!」
「うんうん、言っちゃう言っちゃう言い切っちゃう。
だから勇者の兄さんは犯罪に巻き込まれたくなきゃ、近寄んない方がいーって!」
そう言ってぱたぱたと、手を横に振ってお勧めしないと全力で示す。
顔はへらへら笑っているのに、その身振り手振りは何故か物凄く必死に見えました。
声は超余裕なのに、よく見ると冷汗だらだら…
物凄く、余裕もなく焦りまみれに。
仕草だけが全力で勇者様を引き止めています。
それがなんだか、物を言うよりも雄弁に「ヤバイ」と訴えていて。
「愛が重い………平穏で普通の日々が、欲しい……………」
勇者様は柔らかなソファに顔から突っ伏して、潜もった声で呟くのでした。




